Neetel Inside 文芸新都
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土の中
第14話 土の中

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 この公園は何も変わらない。わたしもいつかちゃんも、あの頃からは随分違ってしまったような気がするけれど、公園にはベンチがあって砂場もある。夜の闇の中で砂場の輪郭がぼんやりと浮かんでいて、縁の内側に跪くおかっぱの女の子の姿が見えた。本当にここは何も変わらない。
「懐かしいね」
「そうだね」
 いうと、いつかちゃんはリュックサックの中から小袋を取り出した。わたしにはそれが何なのか確認する必要がなかった。親の顔より見てきたエルピードの豆だ。いつかちゃんは袋を開けて、わたしの掌に中身の半分くらいを落としてくれた。
「……家にたくさんあって、全然減らないから、持ってきた」
「美味しいのにね」
「お茶、飲む?」
 あ、と声が出そうになった。あの水筒だ! 小学校の時にいつかちゃんが学校で使ってた、何とも言えず個性的な柄のあの水筒。まだおかっぱで、ホラー映画の中の人と呼ばれていたころの。わたしはこの水筒の中に入っている液体をこれから体内に入れるのだ、とまるで神主からお祓いを受ける瞬間のような気持ちで心臓を鳴らしていた。
 飲んでみたら普通のお茶だった。そんなに不味くはなかったので、エルピードの浄水器を通した水を使ったのかも、と思いながらいつの間にか飲み干していた。
「その水筒、昔教室でよく見た」
「……これ、パパが買ってくれたの」
「ぱ、パパが」
 いつかちゃんのパパは……きっと、玄関の靴箱のところに飾られていた写真の中の人だと思った。東南アジアかインドの人っぽい人。日本には売っていなさそうな柄の水筒だし、そもそも日本の成人男性のセンスでは選びそうもない水筒だ。日本の成人男性のセンスがそもそもよくわかっていないけれどそんな気がした。それよりなにより、いつかちゃんはパパから緑色の瞳やエキゾチックな横顔を受け継いでいるのだ。少なくともママからではないだろう。申し訳ないけど。
「い、いつかちゃんの……」
 わたしは迷っていた。この先は訊いてもいいのだろうか。いつかちゃんを悲しませることにならないとも限らない。嫌われてしまうかも。それでも訊きたいかどうか。
 訊きたい。
「…………パパ、は、今、ど、どうして、て、いるの」
 いつも以上に吃った。いつかちゃんは何も答えず、すくっと立ち上がり、砂場に向かった。そして、砂場に跪き、身体を折り曲げて額を砂の上に押し付けた。わたしには気になる女の子がいる。目の前の人がそうだ。かつての友達は彼女を「ホラー映画の世界の人」と評した。そんな人をわたしはとても美しいと思ったし、もちろん今も変わらずに思っている。
「……すずねちゃん、波動、って言葉の意味を教えてくれたね」
 波動。確かに言葉の意味を調べて、いつかちゃんに教えたことがある。今言われるとは思わなかった。元は、いつかちゃん自身が発した言葉だった。「やっぱり普通の言葉じゃないんだ」といつかちゃんがこぼしたから、それがどうしても気になって、辞書を引いたのだ。
「波がうねるように、空間が震えて、周囲に伝わっていく。それを知った瞬間、パパが言っていた言葉とイメージが結びついた気がして、お祈りの時に空間を震わすことを意識してみたの。それから家に戻ったら、ママが襖を開けて大声で泣いていた。パパが亡くなっていたのが分かった、って連絡があったの。パパはママも私のことも愛してくれていたけれど、それよりもさらに大事なことがあって、祖国に戻って巡礼の旅をしていた。パパは『はなれていてもダイジョウブ、ヒトはチでつながってる。さみしくなっても、チをかいしてボクらはつながれる』って私に言い残した。だから、私は、どうしてもパパと話したくてたまらなくなった時に、この公園に来てお祈りをしたの」
「あの、それで、つ、つながれた?」
「……『ジブンのためにいきなさい』って、パパの声が聞こえた気がした。でもたぶん気のせい。あの時、すでにパパは亡くなっていたと思うから。たぶん、私は私の聞きたい言葉を聞いたの。パパにこう返したわ——『普通に生きたい』って」
 いつかちゃんは、ある時を境に普通になった。小学校六年生の時から。この儀式……お祈りをやらなくなった時から。そうか。やる必要がなくなったのか。パパと話したかったから。パパと話せなくなったから。そうかぁ。
「土の中には、お父さんがいたんだ」
 それは、美しかったわけだ。

       

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