Neetel Inside 文芸新都
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土の中
第13話 夜のピクニック

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 家に連れ戻されて、その直後に夏休みへ突入した。わたしは母親から外出禁止の刑に処された。
 外に出られないのはつまらないけれど、それでもスマホがあるからまだいい。YouTubeで色々動画やライブを観られるし、自由律俳句をひたすら書いてネットのコンクールに応募したりもできる。そういえば、前回送ったコンクールの結果発表が今日だった。何時に更新されるのかは明記されていないので分からないものの、今日の日付であることは間違いなかった。
 また後で更新してみよう、と思いながら、水分を求めて一階の居間に降りた。母親は、もうずっと難しい顔をしてデスクトップパソコンに向き合っている。
 目は血走っているだろうか? あれは充血だ。かなり無理をしている。母親は母親なりに必死なのは分かっている。余裕がないのだ。なりふり構っていられないのだ。生きていくのは大変だ。
 わたしの思いはわたしの頭の中だけで鳴っている。それを外に曝け出すのは、怖いな。
【二人なのに一人】
【一人なのに二人】
 ――どちらの方が言葉として余韻をもって響くだろう? わたしは、後者の方が好きだ。母親の意識の中に、きっとわたしはいない。一人でいるつもりなんだろう。だけど、この家には確かに二人の人間が暮らしている。『一人』は意識で『二人』は実在だ。自由律俳句とするなら後者の方がおもしろい。
 そう考えると、この母親はアイデアの宝庫なのかもしれない。あまり嬉しくはないけれど。
「……麦茶、作っておくね」
 母親は画面から目を離さないまま小さく頷いた。
「昼ご飯は、また出前でいい?」
 今度は少し時間を空けてから、同じように頷いた。出前の注文はわたしの担当だ。これもスマホのアプリで簡単にできてしまう。
 そういえば、前に母親の手料理を食べたのはいつだっただろう。母親がキッチンに立つ姿が懐かしく思い出された。

 夜、お風呂から上がって髪を乾かす。母親から進学祝いにもらったエルピードのストレートブラシでとかしながら乾かすと、わたしの癖っ毛もだいぶマシになる気がして嬉しかった。母親からもらったものの中では、これが自分史上ナンバーワンかもしれなかった。
 真っ暗な居間に戻ると、突っ伏して居眠りしている母親の姿を煌々と輝くパソコンの画面が際立たせていた。わたしはこの人を嫌いになれないのだ。
 この間、しずくちゃんからもらった言葉を思い出しながら、わたしは母親の耳元に立った。寝息が断続的に聞こえてくる。
「そんなに無理しなくていいんだよ、ママ」
 こんな時でないとママって言えないわたしは情けない人間だ。だけど、これが精一杯だ。本当はあの時声に出して言いたかった。そして願わくば吃らずに――。
 しずくちゃん、やっぱりわたしのママはね、わたしよりエルピードの方が大事だと思うんだ。なんでかって言うと、母親にとってはエルピードで頑張ることが生きてるってことだから。
 唇がきゅっと引き絞られる感覚を覚えた時、窓に小石がぶつかる音がした。それは一度きりではなく、二度三度と続いた。
 窓を開けると外は漆黒の闇だ。だけど外灯が一本だけ立てられていてそこだけ明るい。照らされていたのはいつかちゃんだった。
「いつかちゃ……」
 わたしが言いかけると、いつかちゃんは口の前に人差し指を立てた。静かに。何も言わないで。外に出て。
 わたしはアイコンタクトして、そっと窓を閉め、母親に薄手の毛布を被せ、玄関をそっと開けて夜の闇に混ざった。

「……すずねちゃんが連れて行かれた日、うちのお母さんはずっと泣いてた」
 いつかちゃんはリュックサックを背負っていた。何が入っているのだろう。わたしは完全に着の身着のままだ。なんだか申し訳なくなるくらいに何もない。
「もう、全部に謝りたい。何もかも今更だけど……家出を受け入れてもらったのに、迷惑しかかけなくて」
「……お母さん、嬉しかったんだと思う。すずねちゃんがいてくれて」
「え」
 そうなのか。
「……娘が二人になったみたいだったのに、って言ってた。たぶん、お父さんがいなくなってから、私と二人きりで、寂しかったんだと思う……私がこんなだから」
「お、お父さんが」
 そうか、いつかちゃんにもお父さんがいたのだ。一度も見たことはないけれど、いつかちゃんにもお父さんが。あまりにも当たり前のことだけれど、いないのが当たり前すぎて頭の中になかった。
「そ、その、お父さんって……どんな人だったの?」
 わたしは知りたいと思った。いつかちゃんのことなら、何でも知りたかった。
「……ちょっと、あとで話すね」
 いつかちゃんの足取りは、公園のベンチの前で止まった。リュックサックを下ろして、いつかちゃんはベンチに視線を下げたので、座るの合図と受け止めて、わたしは座った。いつかちゃんもほぼ同時に腰掛けた。それが息が合ったようで快感を覚えて、ここ数日で一番テンションが上がった。
 やっぱり、いつかちゃんとはこの公園だと、わたしはしみじみ思った。ここで、わたしはいつかちゃんを好きになったのだから。横顔をさりげなく眺めると、やはり美しかった。中学生になって、大人のような風格さえあった。
 日本人離れしてる、そう思った。顔の形や色が、わたしとは違うような気がした。それは気のせいではないだろう。
 お父さんってどんな人?
 ――本当は知っていた。正確には、推察できていた。
 
 

       

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