短編集『矛盾の町』
エイトの人格が死んだ日
「書いては消す。書いては消す。この繰り返しで作品は良くなっていくんですよ。精神衛生には悪いですけどね」
エイトはパソコンの前でそう話す。ひきつった笑顔だった。
モニター越しに相対しているのはweb雑誌のライターだった。
そう、エイトはオンラインでインタビューを受けているのだ。
書いては消す。通称「スクラップ&ビルド」。この行為は作品のクオリティを短期的に向上させるにはとても良い方法なのだが、デメリットが大きすぎるため推奨はされていない。なぜなら長期的にみれば「作品を完成させられない」「完璧主義に陥ってしまって病んでしまいがち」というデメリットを享受しかねないからだ。
しかしエイトはそれを知っているにも関わらず「書いては消す」を繰り返す。
なぜか。エイトのクリエイターとしての人格はもう死んでしまったからだ。
「書いては消す」を繰り返して精神衛生を悪化させない限り、エイトはもうクリエイターとしての人格を己の中に呼び戻すことができないのだ。そうなってしまったのだ。正確に言えば、そういう体になってしまったのだ。
「現状に満足しちゃっているようでは良い作品は作れないんですよ。ほどほどで十分なんて言ってる奴はクリエイター失格なんすよ。ははっ」
エイトは苦笑いしながらそう言った。
「自分達がつくっているものは、量産品の工業製品なんかじゃないんです。作品なんです。
いうなれば全ての作品は一点物でオーダーメイドなんですよ」
エイトは苦虫を噛み潰したような顔でさらに話を続ける。
「でも、世間や一般大衆に評価されるものって工業製品としての『作品』なんですよね。そうなんです。みんなが求めているのは『プロダクト』なんです。『アート』じゃないんです」
エイトはマグカップに入ったコーヒーで喉を少し潤した後、まくしたてるようにさらにこう続けた。
「でもまあここは勘違いして欲しくないんですけど、別に『プロダクト』を作るのが嫌なわけじゃないんですよ。むしろ具体的な目標や手に取って欲しいターゲット層が明確に決まっている分、『プロダクト』の方がやりやすいんですよ。考えてみれば当たり前ですよね。なんでもいいからおいしい料理を作れと言われるより、おいしいカレーを作れと言われた方がやりやすいですよね。だってカレーというジャンルの中でおいしいものを調べて作ればいいだけなんですもん。それと同じ理屈です。売りたい層に手に取ってもらうにはどうすればいいかをしっかりと調べた上で、その層に刺さりそうな要素をふんだんに盛り込んだ作品を作って、売りに出す。そうすれば必ずある程度以上の結果は得られます。もちろん下調べで得た分析が間違っていないという前提ですけどね。まあでも売れるか売れないかは運の影響も多分にあるとは思いますが」
エイトは得意げな顔をしていた。
これがエイトの『普段やっている仕事としての作品作り』なのだろう。
芸術家志向のクリエイターは『プロダクト』を作るのを好まない傾向にあるが、エイトはそうではないらしい。
「でもこうして『プロダクト』をつくっている内に『クリエイター』としての自分は死んでいったんですよ。笑えないですよね。ただ悲しいことに今の方が幸せなんですよ」
クリエイターとしての『死』。それは仕事人としてだけではなくエイト自身のアイデンティティの根幹に関わる重要な問題なのだが、どうやら今のエイトにとってはそんなことすらどうでもいいらしい。どうでもいい、というのは語弊がある。今のエイトにとっては、クリエイターとしての『死』など、些末な問題なのだ。
「自分は人を喜ばせるのが好きなんだって、ある時ふと気付いたんです。結局のところ作品作りって他人を喜ばせる手段の一つでしかなかったんです。だからみんなが喜んでくれるなら、それでいいかなって」
エイトははにかみながらそう言った。
その笑顔につられて、インタビューをしていたライターからも笑みがこぼれる。
「いやあエイトさんってそんなこと考えていたのですね。繊細で一切の妥協を許さないクリエイター気質な方だと思っていました。世間の評判と実際のエイトさんって随分と違うものなのですね」
それを聞いたエイトはさらに笑いをこぼす。
「あはは、僕がクリエイター気質だって? とんでもない。確かに昔はそうだったのかもしれないですね。今はもう見る影もないですけどね。全く尖ってないですよ。ははっ」
以上がオンラインインタビューの全貌だった。
「エイトさんの新たな魅力を世間に発信したい」というライターの熱い要望もあって、インタビューの内容はほとんど編集されなかった。エイトが語ったことはそっくりそのまま一本の動画としてネット上に公開された。
しかしオンラインインタビューが動画サイトで公開された二日後、エイトはこの世を去った。理由は明確だった。インタビューは酷評の嵐だったのだ。
「自我を出すな」「勘違いすんな」「クリエイター気取りで気持ち悪い」「誰もお前の作品を面白い何か思ってない」等々。ネット上に巣食う有象無象が発した心ない一言に、エイトは深く傷付き、この世を去った。
インタビューをしていたライターは、途方に暮れた。インタビューをあんな形で公開しなければ、エイトは死ななかったのに、と。
そしてライターは、ある『真実』に気付く。
結局のところ、世間がエイトに求めていたのは『プロダクトをつくる者としてのエイト』ではなく、『クリエイターとしてのエイト』でもなかったのだ。
世間がエイトに求めていたのは『大した実績もないのに大口を叩いてみんなに叩かれ、それに深く傷付いてるエイト』だったのだ。
言うなれば世間が求めていたのは『大衆や心無いアンチに酷く傷付けられているエイト』であり、深く傷付ているエイトを見て大衆はせせら笑っていたのだ。
エイトは、そういう役回りのクリエイター、もといエンターテイナーだったのだ。
大衆がエイトに向けていた関心は、見世物小屋に対するそれと同じであり、エイトはいわば檻に入れられた珍獣であり、大衆は珍獣のエイトの行動を奇行のようにみなして蔑み、そしてせせら笑っていたのだ。つまりエイトは人に蔑まれるべき存在だった。
そう、エイトに求められていたのは『見世物小屋にいる珍獣としてのエイト』だったのだ。『クリエイターとしてのエイト』なんて1ミリも求められていなかったのだ。
それに気付いたライターは、ひどく後悔した。
インタビューを公開しなければあんなことにはならなかったのに……。大衆がエイトを侮蔑の対象としていることくらい、少し考えればわかることだったのに……。
自分はとてつもなく愚かなことをしてしまったのだ。そうライターは深く後悔した。
その責任を取る形で、エイトにインタビューをしたライターは二日後にこの世を去った。
それから一週間後、エイトにインタビューをしたライターが自ら命を絶ってしまったことがニュースサイトで明らかになった。
その内容が書かれたニュースに対して、心ないコメントがたくさん書き込まれた。
「インタビューをしたライターも自殺したのかよ。エイトってほんと疫病神だな」「クソ記事ばかり書いててやたら自己主張の強いライターだったからむしろ死んでくれてラッキーだわ」「あんな気持ち悪いインタビューをしたライターは死をもって償うのは当然」等々。
エイトやインタビューをしたライターを偲ぶコメントなど、ひとつもなかった。
「自称クリエイター気取りは気持ち悪いし死んで同然」
このコメントには、「共感する」を意味するグッドボタンが1000個もつけられていた。
やっぱりエイトは、見世物小屋の珍獣としか思われていなかったのだ。