我が闘病
第10話
守るべきものができた途端
人は臆病になるってきいた
まったくもってその通りで
それでも最後の力を振り絞ろう
あなたがくれたたくさんの奇跡を
誰より信じているから
-第10話-
2時間後にアニメイトの入り口に集合という約束通り、18時半頃にアニメイトの入り口に辿り着いた。外はもうすっかり暗かった。
「たまごダブルマクドを食べに行こうじゃないか」
という、たかしくんの提案に皆賛同し、彼らはレストランに向かおうとしていた。
マクドという表現は関西の標準出力であって、僕たちのような埼人(さいんちゅ)はマックと表現するのではないだろうか。
そして僕は、用事があるということを彼等に告げ、別れの挨拶を交わした。
僕はその後、レストランの向かいにあるアルシェの1Fのソフマップで、こっそり携帯型CDプレイヤーを購入し、帰路についた。
我が家の自室で机に肘をかけ、携帯型CDプレイヤーで今日購入したCDを交互に再生しながら、僕は机の上でたたずむヴァリエール嬢の神形を眺めていた。
ずっと別次元の人のようだった憧れの彼女が、今まさに僕の目の前にいる。
人を愛することの素晴らしさを教えてくれた存在。
僕の全て。
愛しい…胸を締め付けるこの思い。僕には声をかけることはおろか、目を合わせることさえできやしない。
それでも、もしもこれが想いを打ち明ける最後のチャンスだとしたら、僕は後悔に、死んでも死にきれないだろう。
そして病魔に蝕まれたこの体は…もう長くはないだろう。
「好きです」
頭の中は真白で、声は震えていた。
もう、これ以上言葉が出ない。
重ねた幾憶の想いとは裏腹に、僕の人生で初めての告白は、こんなにも頼り無いものでしかなかった。
そして、その時
(あ……あ…………嘘だったら殺すわよ)
確かに彼女はそう言った。その後は終日、何も語りかけてはくれなかったが。
幻聴なんかじゃない。そしてこの想いに何一つ嘘は無い。でも、あなたにならば殺されても構わない。
長すぎた今日この一日の最後に迎えたこの人生最良の瞬間を、僕は決して忘れはしないだろう。
その数時間後、ふと少しばかり、長すぎた今日この一日を思い返してみた。
糞体育教師に…そして僕へ憐みを示した…友と呼びたい恩人に…僕は何を思えばよいのか。
やはりどこか、心に引っかかる。
僕は何か間違っているのか。
絶対に違う。僕は何一つ間違ってなどいない。間違っているとすれば、この世界だ。
そうだと言ってください、ヴァリエール嬢。
僕は、たまたま床に落ちていた割り箸を、大人のマナーに反して縦に割り、机の上の電動鉛筆削りで研いだ。
どうでもいい話だが、僕は鉛筆派だ。
そして、それだけで即席の短剣が出来上がった。殺傷力があるのか自信は持てなかったが、目的を果たす為には十分な気がした。
そっと短剣を、クローゼット内の制服のブレザーの内ポケットに忍ばせ、僕は眠りにつくことにした。
枕元で眠るヴァリエール嬢が気になって、なかなか寝付けない…と思ったが、長時間彼女の声を聞いていなかった為、ゼロ(眩暈)が発動し、僕はその数分後には眠っていた。
「キラ様…キラ様…」
普段通り、亜菜瑠の声で僕は目覚めた。それでも昨夜の誓いは、未だ鮮明に記憶している。
「なあ亜菜瑠、もうこの日課は終わりにしよう」
「キラ様、どうなさったのです?」
「…もういいんだ」
「え?」
「今まで…ありがとう」
「キ…キラ様…」
「もう、僕に構うな…」
僕は妹を部屋の外に追いやった。そう、これから始まるのはゼロから始まる日。
愛する妹よ、どうか幸せに。
僕は学校に向かった。時空の扉は、自室の机の一番上の引き出しの、二重底の下に隠した。
携帯型CDプレイヤーと、昨日購入したヴァリエール嬢の歌声の記録されたCDと、胸元のポケットにはヴァリエール嬢の神形。恐れるものなど何一つ無い。
案の定、授業中は泡を吹き、休み時間は音楽を聴きながらヴァリエール嬢に話しかけ、ゼロ時間を過ごした。
僕の狙いは、昼休みだった。
4時限目を終えるベルの音に目覚めた僕は、取り合えず口元の泡を拭った。
10分間程、ゼロ時間を堪能した後、僕は立ち上がった。教室のスピーカーから流行りのアイドルの唄う歌謡曲が流れ出した。
「さあ、行こう」
一人呟き、そしてそのまま駆け抜けた。2Fの僕の教室から、4Fにある目的の場所まで。
病に侵されたこの体にも、まだ力は残っていた。あと少し…もってくれよこの体…
そして僕は、目的の場所の扉の前で右手に内ポケットから取り出した短剣を持った。
扉を強くノックした。
10秒程待った後、僕のイメージする放送委員とぴったりの放送委員の男が扉を開けた。
そう、ここは放送室。
細身で眼鏡をかけているその男は、後手に探検を隠した僕に囁いた。
「何か御用ですか」
直後、僕は放送委員の喉元に短剣を突き付けた。
「要求に応えろ。いいな」
放送委員は即座に両手を挙げ、頷いた。
「先ずは今すぐこの音楽を止め、学校中に僕の声が届けられるように機材を操作しろ」
無言で頷いた放送委員は、両手を挙げたまま機材の前の椅子まで歩いた。椅子に座り、手を下ろし機材を操作し、即座に
「どうぞ」
と、ページングマイクの首を、近づく僕の元に向けた。
僕はマイクの前(放送委員の後ろ)に立ち、右手は放送委員の喉元に短剣を突き付け、左手でマイクを握った。
そう、校内の全ての人間に語りかけた。
「なあ、お前達は何の為に生きている」
喧噪が…そして全ての音が止まったような気がした。
そして僕は続けた。
「知ってるか?愛は世界を変える力を持ってるって。…僕に言えるのはそれだけだ。もう、悪戯に時を過ごす日々から抜け出そう。愛の力を駆使できるのは僕達人間だけさ。そして今から、この宇宙で最も美しい音を聞かせてやろう。なあ、目覚めようぜ」
僕はマイクから離した左手で、ポケットの中のCDを放送委員に手渡した。再生しろ。という言葉はもはや必要無かった。。
放送委員が再度機器を操作し、この宇宙で最も美しい音は流れた。
「こ…こ…こ…こ…こ…この馬鹿犬!!!!」
ヴァリエール嬢の声から始まるこの歌が、学校中を包み込んだ。
破壊力は兵器そのもの。でも、そうじゃない。この音は人を救う為に存在する音。
人を愛することを知る為の音。
放送委員を部屋の外に追い出し、僕はこの音に身を委ねた。
僕は、校庭を覗く小さな窓の前に立ち、短剣を指揮棒に見立て、旋律に合わせ指揮棒を振るった。そっと目を閉じ、呟いた。今は亡き友の姿を思い浮かべながら。
海樹王さん 聞こえますか?
オレ達から貴方への鎮魂歌(レクイエム)です