「―――と言うわけで、その頭の悪い男と、変わった女はようやく止まっていた自分達の人生を歩き出せたんです」
私がそう話を締めくくると、パチパチと一人分だけの拍手が鳴った。
そして、それまで静かに話を聞いていた女性が感想を返してくれた。
「面白い話でした」
さて、あまりに引き止めるのも悪い。
こんな辺鄙な場所にいても仕方ないので、私のほうから先に立つことにしよう。
「長々とつき合わせてすいませんでした、私はそろそろ行きますね」
そういうと、女性は少し困ったような顔をした。
「ええと、私は構わないんですけど、そこにいる猫さんが困るんじゃないでしょうか」
猫?といわれて、指を指された、自分の膝の辺りを見る。
いつからいたのか、気付かなかった私もどうかしているが、そこにはどこかで見たことがあるような白い猫がいて、眠っていた。
「よろしかったら、私に免じて、もう少し寝かせてあげてもらえませんか?それに、今の話で色々と聞きたいこともあるんです」
そう言われては、断れる筈もなかった。
白い猫には、苦い思い出しかなかったが、この女性を困らせるようなことをしたくなかった。
「いえ、構いません。答えられることでよければ、いくらでも答えますよ」
そういうと、女性は至極最もな質問をした。
「他の方達は、その後どうなったんですか?」
至極最もな質問だったが、私はそれに答えられなかった。
「申し訳ないんですが、わかりません。頭の悪い男と、変わった女とは実は未だ付き合いがありまして時々会うのですが、他の方とはお会いする機会がなくて」
私がそう言うと、女性は私が最初に主要人物として挙げなかった人物について質問してきた。
「そうなのですか。それでは、頭の悪い方のご友人の、バイクが大好きな方はどうなさったんですか?」
「そうですね、彼はその後もバイク馬鹿は治らず、情報系の大学に行ったにも関わらずその道に進まず、小さなバイクの工場に勤めたそうです。
その後独立を果たして自分の工場を持ち、自分の工場からバイクレースで優勝するようなバイクを作るつもりのようですが、なかなかままならないようで。
色々なメーカーに頭を下げたり、詐欺にあったりして、今ではその情熱も冷めかけているようですよ」
少しその「バイク馬鹿」について詳しく話しすぎてしまっただろうか。
彼はこの物語の脇役に過ぎない。
だというのに、女性はこう言った。
「そうでしょうか。あれだけバイクが好きだった男性です。少し疲れはしているかも知れませんが、バイクに対する情熱は変わっていないように『見えます』。
きっと、頭の悪い男と約束した『地獄へのツーリング』がある限り、きっと大丈夫だと思いますよ。
少し大人になって、その情熱が恥ずかしいと思っているのかもしれませんが、それは恥ずかしいことなんかじゃありませんよ」
そうか、私の知っているある女性と、この女性の相似点が今分かった。
まるで見透かすかの様に見るこの目だ。
しかし、それは決して嫌な感じはせず、まるで暖かく包むような、そんな雰囲気の目だ。
「それから、奇蹟の蘇りを果たした女と、その女を支えた男ですが―――私は、その二人の結末を知っているかもしれません」
今となっては、私にはこの女性がその二人について知っている理由も分かっていた。
「その二人は、頭の悪い男と、変わった女ほど純粋な気持ちは持っていませんでした。『蘇りの女』は、自分が眠っている間に浮気をしていた男を簡単に許せるほど、心の広い女ではありませんでした。
『支えた男』も、植物状態の恋人を想い続けるという状況に酔っていただけだったのです。ですから、その二人の終わりも、そう遠くなかったんですよ」
そう言って、自嘲気味に笑った。
「そうだったんですか。実は、これは言う気はなかったんですが―――もう一つのカップル、頭の悪い男の昔の女と、その女の男、彼らも結局その後別れているんですよ。
理由は知らないんですが」
「まぁ、若かったんでしょうね」
「若かったんでしょう」
そんな風に言うが、恐らく私にとっても、この女性にとってもそれはそんなに昔の話ではない。ほんの2,3年前の話だ。
すると、私の携帯電話に電話がかかってきた。
女性に断り、電話にでる。するとそれは再開する予定の友人からの電話だった。
「よう!お前の電話なかなか繋がんなかったぜ!ひょっとして『喫煙所』にいるのか?」
喫煙所、というのは今私のいる場所だ。そういえば、ここは電波の入りがあまりよくないのだった。
「まぁいいや!俺も今からそっち行くぜ!それからよ、わりぃんだけど人数増えそうだ。
馬鹿がついてくってうっせーんだよ。しかもよ、この馬鹿のバイクここに来て動かなくなりやがってよ、整備しろっつーんだよなぁ?」
その言葉、そのままそっくり3年前の友人に返してやりたい。
電話口の向こうから「馬鹿って誰のことよ!」という声が聞こえた。
「あぁそれからさ!なんかコイツのねーちゃんも来るらしいんだ。もう来てると思うんだけど、こいつらも一緒でいいか?」
相変わらず、人の都合を無視する奴である。
しかし、こいつのそんな性格はもう熟知している。今更何を言ったところで舌先三寸口八丁で私を丸め込むだろう。反論するだけ無駄というものだ。
「あぁ、構わんよ。それに、その人なら多分いま私のすぐ傍にいる」
それだけ言って、私は電話を切った。電話を切る直前に「は?」という声が聞こえた気がするが、気にしないことにする。
「・・・・・・。ところでゲームに勝った方が出した命令って、なんだったんですか?」
電話が終わったところで、再び女性が質問をしてきた。
どうやら、女性は勝者である彼女が出した命令が、当初予想されていた通りのものではなかったことが分かっていたようだ。
その質問で、勝者が出した命令を思い出し私は思わず笑ってしまう。
プロポーズの言葉にしては、随分とロマンチックさにかけるセリフだったから。
「・・・・・・『そう。それじゃこれからも、アタシの為にご飯を作り続けなさい。一生』だそうです」
私の言葉に、女性は一度ポカンとすると、大声で笑い出した。
「アハハハ!彼女らしいですね!」
この女性はこんな笑顔も出来たのか。
これは、感謝しなくてはなるまい。
この笑顔が見れたのは、なんとも彼女らしいプロポーズの言葉のおかげなのだから。
しばらくして、下のほうから騒がしい声が聞こえてきた。
「アンタねぇ、さっきから人のこと馬鹿馬鹿って言いたい放題言ってくれてるけど、馬鹿はそっちでしょ!」
「あぁ?誰が馬鹿だ。旧友との再会を邪魔するような空気の読めない女よりはよっぽど頭いいね」
「へー、その旧友との再会の前に、朝っぱらスロット打ちに行って大負けして、アタシが行かなかったらいくら負けてたんでしょうね?挙句遅刻だし。それにあのバイクだってもともとはアンタので、あんたが昔整備しなかったせいじゃないの?」
「あーあー、聞こえなーい聞こえなーい」
隣の女性と一緒に、思わず笑ってしまう。
「彼らは、変わりませんね」
「あら、違いますよ。ああいうのは成長してないって言うんです」
なかなかに手厳しい。思わず苦笑してしまう。それに、どうやらこっちが地のようだ。
「私も、実はあまり自分自身変わっていないのだと思います。身の振り方や、物腰は変わりましたが、結局未だにバイク馬鹿だ」
そういうと、女性はこちらが思わずドキリとするような笑顔でこう言った。
「良いと思いますよ。いつまでも夢を追いかけれる男性というのは、女からすればとても魅力的ですよ」
これまた、ドキリとするようなことを言う。
「実は、『蘇りの女』が別れたのは最近で、寂しいけれど、男の人を信用するのはまだ怖いらしいんです」
「そうなんですか。実は私も、かねてからバイクばかり相手をしておりましたが、少し最近寂しい気がしてきていたんです」
そういうと、女性は私の知る人物と良く似た『ニヤリ』としか形容できない笑い方をした。
多分、私も似たような顔をしていると思う。
「知っていますか?変わった付き合い方なんですが、そういう付き合い方をした男女は案外長続きするという付き合い方があるそうなんです」
「ほう、それは興味深いですね」
「だから、私もそれに倣ってみようと思います」
女性はそういうと、こちらに向き直って言った。
「私と、適当を前提にお付き合いをしていただけますか?」
恐らく、こちらへ向かってきている二人が来たら、再びあの景色を見に行くのだろう。
なんとなくだが、私はあの頃と変わらないように、その景色を見て感動することができるんだろうなと思っていた。
「よぉ!お前のZ1000見たぜ!新車っつってもピカピカすぎだろ!相変わらずだなぁお前の手入れは!」
懐かしい、友人の声が響いた。
「なんだよなんだよ、学生の頃は『人間の女にはエンジンついてないじゃないか』とか言ってたくせに、ちゃっかりナンパですか」
「何言ってるんだ、エンジンついてるぞ」
「よく意味がわからないんですけど」
「ちょっと、アンタこんないい女後ろに乗っけておいて何妬んでんだよ」
「こんな女乗っけてるから妬んでんじゃねーか」
「なんだとー!」
「うぉ!暴れんな危な―――」
信号のない、なだらかな山道。
そこに二台のバイクが走っていた。
ディープブルーにペイントされたGSX1100FEと、ブラックが映えるZ1000。
それぞれのタンデムシートには、それぞれ女性が跨っていた。
このタンデムが向かう先は、かつての約束どおり地獄なのか、はたまたまったく違う別のどこかなのか。
彼らの物語は終わり、そして、また始まったのであった。
fin.