Neetel Inside 文芸新都
表紙

スクウェア◆ライフ
世界を創る人達

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 私がこの家に来て、二回目の朝が来た。
 昨日と同じようにコウちゃんのクローゼットから洋服を選ぶ。
 とはいえ、昨日話してた通り『妹が着れなくなって、かつ俺が来ても変じゃないもの』をチョイスして持ってきてるだけあってユニセックスな感じの服が多い。
 私はあまりそう言う服は似合わないので、そのうち買い出しに行こう。
 ナオちゃんはもう起きているらしく、既に姿はない。
 私は着替えて二階へあがり、キッチンへ向かう。
 リビングに人の姿はない。二人はまだ寝ているようだ。
「お、シホ早いね」
 とは言ってもまだ8時だ。
 コウちゃんは土曜日なのでお仕事はお休みらしい。
 むぅ、すでに朝食の準備はほとんど済んでしまったのか煙草を加えて片手にライターを持っていた。
 ・・・・・・ん?換気扇の下に灰皿?
「ナオちゃーん?」
 私が声のトーンを落として言うと、頭の後頭部をカリカリ書きながらバツの悪そうな顔をしている。
「いや、でもほら換気扇の下だし、ね?」
 私はため息をついて言った。
「確かに換気扇の下なら問題はないんですけど、そうやって少しずつ少しずつ灰皿が移動していって、最終的にはリビングで吸うように・・・・・・」
「ならないって!これは絶対に守るから!ね?」
 そこまでベランダに出るのが面倒くさいのだろうか。
「・・・・・・そこまで言うなら分かりました。でもちゃんと換気扇の下で吸ってくださいね?せっかくきれいにしたんですし」
 そう言うとナオちゃんはニコニコしながら頷き煙草に火を点けた。
「あ、そうだ。味噌汁の準備まだだからさ、大根と人参を拍子切りにしといてくんない?」
「あ、はい!わかりました!」
 私は冷蔵庫から人参と大根を取り出した。
 この家のピーラーは少し変わっていて、普通のU字型のピーラーではなく、刃が取っ手から真っ直ぐについていて、食材に対して横向きに当てて、前に押し出すように皮を剥く。
 こんなピーラーは初めて見たが、ナオちゃんもこういうピーラーを使っていたらしく、別段珍しくもない、と言っていた。
 しかし私にして見れば、手前に引く普通のピーラーは自分の手まで切ってしまいそうで怖く、微妙に使いにくかったが、これなら気にすることもなく、さらに素早く皮を剥ける。
 そう言った調理器具を購入してるあたり、コウちゃんもやっぱり料理にこだわりがあるんだなーと思う。
 シホちゃんやユキちゃんはコウちゃんを馬鹿にするが、私から見ると十分に料理の師匠足りえる実力の持ち主だと思う。
 そんなことを考えているうちに、人参の皮むきは終わった。
 そのまま大根の皮を剥こうとして、ナオちゃんに腕を止められた。
「まて、大根はピーラーで剥くもんじゃない―――けど桂剥きはちょっとハードル高いか、おっけそこまででいいよ。ありがと」
 そう言って大根を私からひょいと取り上げると、クルクルと包丁で大根の皮をむき始めた。
「あれ?大根って結構厚く皮を剥くんですね」
「そそ、この辺に『あく』があるからちょっと厚めにね。んで、煮込んだりした時に荷崩れしないようにするためには繊維に沿って縦に切るといいんだよ」
 超博識だ。
「あと、胃にもいいし、食中毒にも結構いいんだよ。風邪の時にも結構いいし、大根の葉っぱはほうれん草と同じくらいの栄養あるから、切った後は塩もみして湯通ししておくと良いんだよ。あとそれから―――」
「あ、そう言えば今月誕生日みたいですね」
 放っておくといつまでも大根の豆知識が続きそうだったので、適当に話題を変えることにした。
「へ?誰の?」
「えーと、今朝見た部屋のカレンダーに『誕生日!何か買わねば!』って書いてあったから・・・・・・」
「あそこはコウイチの部屋だから・・・・・つーことはユキちゃん誕生日なのか」
 器用によそ見をしながら大根を拍子切りにしていくナオちゃん。
 手元に危なげな様子がないのがすごい。
 んー、自分でふっておいたけど、ユキちゃんの誕生日かぁ・・・・・・。

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「そっか、コウちゃん今日休みか。ってことは原稿手伝ってくれんの?」
「んにゃ、来週にサービスのリリースだから、家で作業しないと間に合わないっぽいので無理ー」
「げ、マジか。密かに期待してたのに」
 今日の朝ごはんの会話。
 誰かと一緒にご飯を食べるというのは久しぶりなので楽しい。
「いつもお手伝いしてたんですか?ということはコウちゃんも絵を描くの上手なんですか?」
「んにゃ、背景に使えそうな写真を撮りに行ったり、パソコンで原稿を取り込んでトーン貼ったり、3Dのモデル用意したりとか、そんな感じ」
「コウちゃんバイクあるから色んなところ行けるし、パソコンバリバリだからそう言うお手伝いしてもらってるんだ。本当は全部アナログでやりたいんだけどね」
「パソコンオタクですね、わかります」
「こらシホちゃん、素でそういうこと言わない」
「パソコンおたくか」
「黙れナオ」
「ナオちゃんばっかりキツク当るなぁコウちゃんは。もしかして好きな子ほど意地悪しちゃうタイプ?」
「な!?ちょ、おま!ばっ!」
「そうやって取り乱すところが怪しいですー」
「あー、リアルにごめん。勘弁だわ」
「・・・・・・殴っていいのか?」
 この家の―――Paseoの朝は暖かかった。

 朝ごはんが終わると、コウちゃんは自分の部屋(私たちの寝室)で作業に入り、ナオちゃんはバイト探しがて周囲の散策、ユキちゃんは漫画と各々別れて行った。
 私はというと特にすることもないので、もう少ししたら洋服でも買いに行こうかと思案しながらユキちゃんの作業を眺めていた。
 しばらくそうしていると、ユキちゃんが唐突に叫ぼうとして
「コウちゃー・・・・・・は作業があるんだった」
 止めた。
 どうやら、コウちゃんに風景の写真を頼もうとしたらいい。
 私はナオちゃんのようにあんまり家事が得意ではないので、ここで手伝えないかと声をかけることにした。
「あの・・・・・・写真ですか?だったら私お洋服買いに行こうかと思ってたのでそのついででよければ・・・・・・」
「え?あー・・・・・・コウちゃんもあれで結構センスあるから何でもいいってわけじゃないんだよね」
 と申し訳なさそうに言った。
 それもそうだ。別に私は写真を奇麗に取れる自信はない。
 そういえば、そもそもあんまり写真を撮ったことがなかった気がする。
 私がそう思ったところでユキちゃんは思い出したように言った。
「あ、でもシホちゃんひょっとして美大生かなんかだったりする?」
「え―――なんで分かったんですか?」
 確かに私は美大生だ。
 別にそこまで絵がうまいわけでもないが、美大の絵画学科に通っている。
 下絵まではよく褒められるのだが、手先が器用じゃないので実際に絵具を乗せると駄目だしされるのだ。
「いや、こないだパースがずれてるとか言って時にさ、普通ぽんとパースとか消失点って言葉はでてこないじゃない」
 あぁ、確かに。
「今回使うのは山奥の風景とかってわけじゃないし、八王子まで行けば洋服屋もあるだろうしその周辺で撮ってきてもらってもいいかな?」
「あ―――はい!」
 私は何か手伝えることできて喜んで返事をした。

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 その後、私はユキちゃんからデジカメの使い方と、どういう風景が欲しいのかを細かく指示してあるメモをもらって家を出た。
 電車に乗って一駅で随分と街並みが変わった。
 Paseoの周辺は静かな住宅街だが、この駅は駅ビルやら周囲には色々な建物があったりとずいぶん賑やかだ。
 もう一度メモを見る。
『1つめ:隠れ家的な写真。背景には都市部が見えるが、その位置は閑散とした感じの町。でもそんな場所あんのかよくわからないから、都心っぽい場所と寂しそうな場所別々にとってきてくれればいいよー
2つめ:裏路地。ビルとビルって言うよりは塀と塀に囲まれてる細い道程度がベスト。でもビルとビルでもいいや。
3つめ:普段は繁華街っぽい場所だけどなるべく人がいない写真。駅前の広場とか、でも昼間は人いっぱいいるし、欲しいのは夜の写真じゃないので人がいてもいいから何枚かあればオーケー』
 難しい注文だらけだけど、無理だったらいいや的な感じの事が書いてある。
 もう一枚のメモにはこうあった。
『コウちゃんに頼む時は大体注文を無視して沢山とってきて、後で合成して人が被ってるところを消して合成して無人にしたりとか、加工してそれっぽくしたりしてもらってるから、同じアングルでたくさん撮ってもらえればオッケーだよ』
 とあった。確かに条件を満たす写真を撮るのはなかなか難しそうだ。
 私は先に写真を撮ることにする。洋服を買って荷物を持って移動するのは大変そうだし。
 今いるのは駅前の広場だが、やっぱり人は多い。
 この写真は後にしてとりあえず繁華街からなるべく離れて一枚目の写真を満たしそうな場所を探すことにした。

 しばらく歩いていたのだが―――
「どこ・・・・・・ここ」
 迷子になった。
 適当につらつらと歩いていたのだが、条件を満たしそうなところを雰囲気だけで彷徨っていたら完全に自分の位置が分からなくなってしまった。
 駅からそう歩いていないのだが、なんだか複雑な通路が入り組む地域に入り込んでしまったらしく、細道が複雑に交差している。
 先ほどから大通りへ出ようと歩いているのだが、どうしてか行き止まりにぶつかり、別の道を探して迂回しているうちに反対方向に歩いている。
 遠くに駅前の大きなビルがいくつか見えるのだが、どうしてここには人があまりいないのだろう。
 溜息をついて駅前のビルを恨めしげに眺めても、外には出れない。
 また当てもなく彷徨っていると、視界の端に白い猫を見つけた。
「ん?野良猫?でも白ネコで野良猫なんて珍しいなぁ・・・・・・」
 こちらがじっと見つめてると、向こうもじっと見つめてくる。
「遊びたいのかにゃ?こっちおいでにゃー」
 しゃがみ込んで声を掛けてみると、今度はふいっと別の路地に入ってしまった。
「え、ちょっとそれは冷たいんじゃないかにゃー?」
 私は猫を追って路地に入ると、猫は少し先で待っていた。
「そっちに何かあるのかにゃ?」
 私がそう問いかけると、猫はまるで私の言葉を理解したかのように歩き出した。
 私も猫に続く。
 すると、また似た様な路地が見えてきて、猫はそこを左に曲がった。
 私もその路地にでると―――猫はいなくなっていた。
「あ、遊ばれたのかな?」
 私はがっくりと肩を落とす。迷子の上に野良猫にまでおちょくられるなんて・・・・・・。
 周囲を見渡すと、とうとう廃墟まで出てきてしまった。
「なんで・・・・・・駅前はあんなに賑わってるのにちょっと歩いただけでこんな寂れた場所に・・・・・・ん?」
 何か今私が言った言葉って、どこかで見たような・・・・・・あ、メモ。
 確か一つ目の写真の条件がこんな感じだった気がする。
 メモを確認する。確かに一つ目の条件はまさにこの風景の事を言っているような気がする。
 そう思うと、まるで不思議な力が私をここまで連れてきてくれたような気がしてきた。
(うん!何事も前向きに考えよう!)
 私はそう思うと、両手の親指と人差し指で長方形の形を作って廃墟を眺める。
 ドラマやテレビで写真家の人がよくやるポーズだ。
 確かこうやって構図を確認していたと思う。
 以前大学の授業で構図について習った気がするが、実はあんまり覚えていない。
(えーと、黄金・・・・・・分割だっけ?)
 正直、難しいことはよくわからない。専門用語っぽい単語は何となく覚えているが、それが何のために必要だったのか思い出せなくては意味がない。
(はぁ・・・・・・やっぱり私って芸術関係向いてないのかなぁ)
 いけないいけない。後ろき思考はよくない。
 とりあえずやれるだけやってみよう。
 私は一度形だけのポーズをやめて、廃墟の周りをまわってみることにした。
 廃墟の周りには案外綺麗な家が立ち並んでいるため、それらまで入れてしまったらせっかくの寂れ具合が台無しになってしまう。
 背後に駅前のビルが入る位置に立つと、私はもう一度手で枠を作る。
 ここからなら、周囲の家は塀までしか映らず、かつ背後に駅前のビルを入る。
(―――んー、でも廃墟が大きく入りすぎて寂しい感じって言うより、廃墟の存在が大きすぎて圧迫されてる感じがするなぁ)
 かといってこれ以上は後ろに下がれないし、上の方を向いて撮っても今度は廃墟が出す廃れた感じが薄れてしまう感じだ。
 背後には民家の塀―――だけど、これなら私でも登れそうだ。
 周囲を見渡して人がいないことを確認してから塀の上にって立つ。
(―――でも、これだと高すぎるなぁ)
 今度は腰掛けてみる。
 そしてもう一度手で枠を作る。覗く。

―――あ。

 ここだ。と直感的に思った。
 視界を枠で区切った瞬間に、ここがまるで別の場所になったかのように感じた。
 切り取られた視界には廃墟と少し遠くに大きなビル群。
 すぐ近くに綺麗なビル群があるというのに、何故ここだけこんなにもさみしい場所なのか。
 私は鞄からデジカメを取り出し、今手で作り出した世界と同じようにファインダーのなかに世界を納め、シャッターを切った、その瞬間。
「ちょっとあんた、そんなところで何やってんだい」
 背後から声を掛けられて
「え?―――きゃあ!」
 驚いた拍子に無様に後ろに落っこちてしまった。

     


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「で、あんたは人様んちの塀で何をしてたんだい?」
 逆さまになった状態の私に、その家の住人と思しきおばさんが聞いてきた。
 ちょっと怖い。
「あ、あのちょっと写真を撮るのにいい場所がなくって・・・・・・」
 私がそう言うと、おばさんは更に目を細めて私を見つめる。
 なんだか怪しい人だと思われてるみたいだ。
「こんなところの写真なんて何に使うんだい?まさか盗撮かい?」
「と、盗撮!?違います違います!」
 私は手をぶんぶん振りまわして弁解する。
「―――、じゃぁそのカメラ見せてもらって平気なのかい?」
「あ、はい!どうぞ!一枚しか撮ってませんけど!」
 あわてて再生モードに切り替えてカメラを手渡す。
「あと、いい加減起き上がったらどうだい」
「あ、はい・・・・・・」
 そういえば私はひっくり返ったままだった。
 服についた汚れを払いながら起き上る。
「ん?これはそこの家かい?」
「はい、えっと―――何かまずかったりします?」
「いや、別にそういうじゃないけどさ」
 と、なんだか変な感じだ。
「しかし、まぁ、なんだ。あれだねぇ」
「え、えっと、何か変ですか?ひょっとして家の中まで撮れちゃったりとかしてます?そ、そしたらすぐ消しますから!」
 私は何かまずいものでも映ってたのかと慌てたが、おばさんは別段怒ったりする様子もなく言った。
「ああ、いや別にあんたが変なもん撮ってないってのは分かったけどさ。随分と撮り方で変わるもんだねと思って。ここまで寂しい場所だったかねこの辺りは、はっはっは!」
 きょとんとする私とは対照におばさんは豪快に笑った。
「なんだか、この周囲にはまるで人っ子一人もいないみたいな、どこもかしこも廃墟みたいだねぇ。ちょっと歩けば国道も通ってるって言うのに」
 ほら、とカメラを返された。
 確かに、周囲を見回すと別にそんなに寂れているようには見えない。近くに公園でもあるのか、耳を澄ませば子供たちのはしゃぐ声も聞こえてくる。
「あんた、写真家さんかなんかかい?随分いい腕をしてるねえ」
「へ?い、いやそんな大層なもんじゃないです!友達が絵を描くのに資料が欲しいって頼まれて、その」
「そうなのかい?へぇー、まあいいけどさ。まぁがんばんなよ」
「は、はぁ。ありがとうございます」
 私が門から出ていくと、おばさんも家の中へ戻って行った。
 写真家、かぁ。
 とは言っても、私が使ってるのは人から借りたデジカメで、今まで写真なんて真面目に取ったこともなかったわけで、きっと本当の写真家さんはもっとすごいわけで。
 美大でも下の部類に入る私が撮った写真がすごいわけがないのだが、でもそう言われるとなんだか嬉しかった。
「よし!他の写真もこの調子で頑張るぞ!おー!」
 私は一人で気合いを入れなおすと、また歩き出した。
 そして、おばさんの言ったとおり、一つ隣の通りに出たらそこはもう国道だった。

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 私はその後再び路地の迷路の中に入り、二つ目の条件を満たす場所を発見して撮影し、駅前へ向かっていた。
 二枚目も自分なりになかなかの出来だ。どうせなら三つ目の写真もしっかり撮りたい。
 再び駅前に戻ってくると、やはり駅前は賑わっていた。
 私は駅前のオブジェを正面に据えて、背景に駅ビルという構図で撮ることを決めて、駅と向かい合う位置の手すりによりかかった。
 人は減らない。
 でもそれは全体的に見てで、瞬間的に人がはける時があるようだ。
 それに、完全にいなくなる必要はない。
 要は枠の中に人が入らなければいいのだ、別に正面のオブジェの向こう側に居たっていい。
 私はその位置で人が一時的に減ってはファインダーを覗き、タイミングを逃したら下ろすという作業を繰り返していた。




 ピピッ
 小さな電子音と共に一つの虚像がメモリーに保存される。
「と、撮れた・・・・・・」
 私がファインダーを下ろして見えた世界は、やはり人が溢れる駅前の広場だ。
 でも、デジカメを確認すると、そこには人は一人もいない。
 ほっとして周囲を見渡すと、何人かの人が私を見ては眼を逸らす。
 ふと視線を自分に落としてみると、実にひどい格好だった。
 おばさんの家へ落っこちたときの汚れは残っているし、裏路地の写真を撮るために狭い通路を歩いた時にでも擦ったのか服の所々が汚れている。
 それにどのくらいこの場所にいたんだろう?意識していなかっただけで結構長い時間ずっとここにいたのかもしれない。
 どのみちこんな恰好じゃお店に入るわけにもいかない、一度家にもどろう。
 そう思って動こうとしたところで声を掛けられた。
「キミ、さっきからここでカメラを構えて何をしてるんだい?」
 お巡りさんだった。

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「た、ただいま・・・・・・」
 職務質問というものが、あんなにも自分の精神を追い詰めるとは思わなかった。
 本気で泣くかと思った。
 やっとの思いで家に帰ってきたのは、結局夕方になってからだった。
「あ、おかえりー。随分と・・・・・・ってどうしたのその格好」
 ぎょっとした感じでユキちゃんがこっちを見ている。
 むしろ私が聞きたい。
「今お風呂沸かすから、座って休んでて」
 ユキちゃんは優しいし、気が利く人なんだなぁ。
 そんなことを思いながら、ふかふかの座椅子に腰を掛ける。
 と、その瞬間に私の意識は落ちてしまった。

「―――ちゃん、シホちゃん、お風呂沸いたよ」
 どうやら眠ってしまったらしい。そんなに疲れてたのかな、私。
「ずいぶん頑張って写真を撮ってくれたんだね。嬉しいけど、シホちゃんがここまでくたびれちゃったら申し訳ないよ。早くお風呂に入って休むといいよ」
 ニコっと笑うユキちゃん。本当に優しいなぁ。
 私はお言葉に甘えてお風呂に入ろうと脱衣所に入り、着替えが置いてあることに気づく。
 本当に気が利くなぁ―――
 と思ったけど、前言即撤回。なんでメイド服なんだこの野郎。
 私は脱衣所から顔だけ出して、自分でも完璧だと思う笑顔で言った。
「ユキちゃん、怒らないから早く服を変えてこい」
「ハイ!申し訳ありませんでした!すぐお取り換えします!」
 ユキちゃんはダッシュで階下へ降りていき
「コウちゃーん、だめだったーっていうかシホちゃんが超怖かったよーぅ」
 反省してなかった。
「え!?マジでやったの!?流石だなー、ユキちゃんには『永遠のチャレンジャー』の称号を与えよう!」
 二人の将来が不安になった。

     

「おっしゃー終わったー!!」
 大きく伸びをしながら、コウちゃんが二階へ上がってきた。
「お疲れ様です、コウちゃんもコーヒー飲みます?」
「あ、俺紅茶だから自分で淹れるよ」
「コウちゃんコーヒー飲めないんだよね」
「うるせ」
 ユキちゃんもきりがいいところだったので、私たちはお茶にしていた。
「あ、お湯はポットに入ってますから」
「おー、このポットが活用されるの久しぶりだなー」
 そうだったのか。洗っておいてよかった。
 というか、この家の家具や食器、調理器具はコウちゃんのこだわりなのか、結構おしゃれなものや高級そうなもので揃えられている。
 だというのに、あまり使われていないようだ。実にもったいない。
「そういえば、コウちゃんってどんなお仕事してるんですか?」
 ふと疑問に思ったので聞いてみた。
 パソコンを使って何かやっているということは何となくわかるのだが、具体的にどんなお仕事をしているのだろう?
 私も夏が明けたら、就職活動をしなくてはならない。
 実際に仕事をしている人の話を聞くというのは結構貴重な体験だと思ったからだ。
「んーとね、簡単に言うとリスティング広告の導入支援をメインでやってる会社で働いてるんだけど・・・・・・マーケティングって言った方が分かりやすいかな?」
 全然簡単じゃない上に、わかりやすくもなかった。
「えーっと、具体的にコウちゃんは何をしてるんですか?」
 何をしている会社なのかさっぱりわからなかったので、とりあえず何をしているのか聞いてみた。
「俺がやってるのは、メインの仕事とは少し違うだけど、そういうリスティング広告が表示される検索エンジンを色々とカスタマイズしてツールバー化したりソフトウェア化するのをウィザードで簡単に作成できるようなプログラム書いてたんだ。んで、そのソフト使ってもらって入るマージンの2割くらいを森林保護だとか募金だかに回すことで、そのソフトを使うだけで募金が無料でできるっていうサービスがあるから、それを量産するためのプログラムを作ってるって感じかな?」
 余計分からなかった。
「つまり、コウちゃんはプログラマーで、何かシステムを作ってるんだね」
「・・・・・・ユキちゃん、それは大雑把過ぎるよ」
 しかし、ユキちゃんの説明の方が分かりやすかった。
「そんなことより、ナオちゃんはどうしたんだろうね。もう九時だよ?」
「俺の仕事はそんなことかよ。つーか帰ってこないのに連絡しない奴なんて放っておいて飯にしようぜ飯」
「それは酷いんじゃ・・・・・・」
 確かに、もう九時だというのにナオちゃんは帰ってこない。
 昼間に出て行ったっきりだ。
「へーきへーき。って冷蔵庫何もないじゃん。買出し行ってないのか・・・・・・んじゃぁ久しぶりに『BRICK』行こうぜ。俺支度してくっから待ってて―」
 コウちゃんはそう言うと下の階へ降りてってしまった。
「帰ってきて誰もいなかったらナオちゃん驚きますよ・・・・・・」
 私は少しコウちゃんを軽蔑した。
 いくら仲が良くないからってこれはあんまりじゃないだろうか。
「大丈夫、コウちゃんは素直じゃないだけだよ」
 ユキちゃんはそう言うと、私の手を引いて一階へと連れて行った。
 すると、コウちゃんの部屋(現私たちの寝室)のドアが少し開いていて、ユキちゃんはその中を指さしてみてみるように促した。
 なんだろう、コウちゃんが何かしているんだろうか。
 中を覗くとコウちゃんはナオちゃんの鞄を漁っていた。
(ちょっ、何してるんですか!止めてくださいよ!)
(まぁまぁよく見てごらんって)
(見てますよ!女の子の鞄漁ってるんですよ!)
(大丈夫大丈夫、コウちゃんは俺じゃないんだから)
(それはそうですけど・・・・・・)
(・・・・・・いや、納得されても困るんだけど)
 そんなことを小声でやりとりしている間も、コウちゃんはナオちゃんの鞄を漁り続けていた。
 しかし、しばらくして手を止めて呟いた。
「―――ったく、連絡先わかるモノくらい置いてけっつーの・・・・・・」
(あ―――そういうことだったんだ)
 コウちゃんは心配してないわけじゃなかったのだ。
 ユキちゃんの言うとおり、ただ素直じゃないだけなのだ。
 それからコウちゃんはおもむろに財布を取り出して千円札を机の上に置くと、近くに置いてあったメモ用紙に何か書いて部屋を出ようとこちらへ向かってきた。
(あ、やば。シホちゃん早く上行こう、ハリーハリー!)
(わっわわ押さないでくださいー!)

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 そうして私たちは家を出て『BRICK』なるお店へ向かうことになった。
 コウちゃん曰く『BRICK』は偏屈なマスターが一人で経営している小さなレストランで、味はとてもいいらしい。
「メニューは和洋折衷っていうか、節操がないって言うか結構なんでもある。ただオススメは『ありあわせ定食』ってやつで、その日の残り物で作られるんだけどこれがなかなかうまいし、なりより―――安い」
 どうやらこればっかり食べていそうだ。
「偏屈って、どう偏屈なんですか?」
「偏屈っていうか、無口っていうのかな。俺あのマスターが喋ったところ一度も見たことないよ」
「俺も」
 偏屈だ。
 そんなことを話していると、すぐに『BRICK』についてしまった。
 家をでて片道一車線の小さな街道を歩いて2分のところにそのお店はあった。
 レンガ作りの小洒落た建物で、入口に小さく『レストラン BRICK』と手書きで書かれた看板が置かれている。
 その看板がなかったら誰もレストランだとは思わないだろう。
 私たちが店に入ろうとしたところで、ちょうど中からお客さんが出てきた。
「いやぁ、若い子がいると活気があっていいねぇ」
「マスターのあの静かな雰囲気も良かったがこれはこれで。それに心なしか味も上がった気がするよ」
 なんて会話をしながら通り過ぎて行った。
「若い子―――いや、あの人たちの様子だと若い『娘』だな。あの鼻の下の伸び具合―――B+・・・・・・いや、Aもあるか!?」
 すでにユキちゃんは意味不明な妄想に取りつかれているようだ。
 この様子ではコウちゃんも便乗して何か言いだしそうだ。
「・・・・・・」
 と思ったら、何やら神妙な顔つきをしていた。
「どうかしたんですか?」
「あぁ、いや・・・・・・何か嫌な予感がする」
 嫌な予感?なんだろうか。
「どうした二人とも!?早く店に入るぞ!いざ行かんユートピア!」
 そんな私たちの様子などお構いなしにユキちゃんは意味不明な叫びとともにドアを開け―――
「はいいらっしゃい!何名様?」
「―――あれ?」
 件の若い『娘』を見て硬直した。
 私たちはユキちゃんの陰になっていて見えないので、顔をひょいとずらして中を見る。
「―――あら?」
「―――やっぱり」
 どうやら、コウちゃんの嫌な予感と言うのは
「あん?あんたらアタシをおいて夕飯かい?」
 ナオちゃんのことらしかった。

     


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「ま、いいけど。席は空いてるとこ適当に、んで水はセルフ―――って常連さんなんだっけ?まぁ適当にくつろぎなよ」
 エプロン姿のナオちゃんはそう言うと厨房へ消えて行った。
「あれ?俺らBRICKの話したっけ?」
「マスターから聞いたんじゃないですか?」
「いやいや、マスターは一言も喋らないハズだ」
 そんなことを話しながら私たちは席に着く。
 ナオちゃんは『バイト探しに行ってくる』と言っていたので、おそらくここでバイトをすることになって―――いきなり働いているのか。
 働いちゃうナオちゃんもナオちゃんだけど、働かせちゃうマスターもマスターだ。
「ほいお待たせ、注文決まってる?」
 他のお客さんに料理を運び終わったのか、背後からナオちゃんが現れた。
「『あり定』みっつ」
「ハイハイあり合わせ定食ね」
 すでに店のメニューの略称すら把握しているらしい。恐るべしナオちゃん。
 ナオちゃんは伝票にさらさらと書き込んで、再び颯爽と厨房へと消えて行った。
「あ、そう言えばマスターさんって奥にいらっしゃるんですかね」
 私は先ほど聞いた偏屈なマスターとやらが少し気になって聞いた。
「たぶんそうじゃないかな?いつもはマスターが注文取りに来るし料理も出してるんだけどね」
「・・・・・・つーか遅くまで働くんだったら連絡の一つくらいよこせって話だよ」
 マスターの話をしていたというのに、わざわざその話を再び引っ張ってくるとはどうやらコウちゃんはご立腹のようだ。
「でも考えてみれば俺らの連絡先教えてないのに無理じゃない?」
「・・・・・・っでもこの距離なら休憩時間にでもいったん家に来れるだろ」
「初勤務で休憩時間に抜け出すのもどうかと・・・・・・」
「・・・・・・いや、だから、俺はそのなんだ。そう、心配かけたのにごめんの一言も―――」
「心配したんだ?」
 コウちゃんの発言を遮ってユキちゃんが問う。
「あ―――いや、だからそうじゃなくて―――」
「心配したんですね」
 私も空気を読んで問う。
「あーだからぁ・・・・・・あー!もううっせーな心配しちゃわりーのかよ!?普通心配するだろ!?」
 ガーっと頭を掻きむしりながら叫ぶコウちゃんの背後に
「何を心配したのさ?」
 ナオちゃんが立っていた。
「な!?お前いきなり背後に立つんじゃねぇ!」
「いや普通に店の中回って来ただけだけど」
「あのねナオちゃん。実はコウちゃんが―――」
「あー!あー!もう飯が来たんだから静かにしろよ!」
「コウちゃんが一番うるさいですよ?」
「それは言えてる。ハイ『あり定』三人前お待たせ」
 落ち着かないコウちゃんを相手にするでもなく、ナオちゃんは料理を並べていく。
 私の前に置かれたのは、シーザーサラダとキャベツハンバーグ、それに野菜スープのセット。
 ユキちゃんは野菜たっぷりの焼きうどんと漬物。
 そしてコウちゃんは回鍋肉だった。
 なんていうか、本当に節操のない気まぐれなメニューだった。
「回鍋肉だと・・・・・・?俺への挑戦かマスター」
 そういえば回鍋肉はコウちゃんの得意料理だった。
 昨日はそれどころじゃなかったが、思い出してみればコウちゃんの回鍋肉は中華料理店のそれに近いものだった気がする。
「ん?今日マスターいないよ。それアタシが作ったの」
 と、何やら大問題のような発言をした。
 マスターって一人で働いてるんじゃなかったっけ?
「・・・・・・いい度胸じゃねえか」
「いやだって負ける気しないし」
 私の感じた疑問よりも、コウちゃんは回鍋肉の方が大事らしかった。
「見た目は悪くない・・・・・・どれ」
 コウちゃんはお肉をキャベツで包んで口に入れた。
 真剣な顔つきのまま飲み込むと、次にピーマンを口に入れる。
 と、イキナリ机にドン!と頭をぶつけた。
「きゃっ!」
「何してんのコウちゃん!?」
 しばらくそのまま何も言わなかったが、コウちゃんは顔を上げずにそのまま
「・・・・・・負けた」
 と呻いたのであった。

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 皆で楽しく(一部悔しそうに)ご飯を食べていると、コウちゃんの携帯電話が鳴った。
「はい佐久間っす。あ、丹下さん。お疲れさまっす」
 どうやら会社の人のようだ。
「今っすか?家の近くの定食屋っす。はい。え?マジっすか?つーか今更インジェクションってまずいじゃないっすか。また石橋さんっすか・・・・・・それだとXSSとかCSRFもヤバい気がします。はい?明日までってもう2時間切ってますよ。あーわかりました、善処します。いや、あの人のコード汚いんで書き直しちゃった方が早そうっす。石橋さんがいじる前のリビジョンっていくつかわかります?わかりました、そっから調べます。いやいや、仕方ないっす。はい、はい。あ、マジっすか?じゃぁ頑張るっす。うぃーっす」
 専門用語が飛び交って内容はわからないが、コウちゃんは何やら陰鬱な顔をしている。
「どうしたの?急な仕事でも入った?」
 ユキちゃんがそう言うとコウちゃんはため息をつきながら頷いた。
「システムに重大な欠陥があるらしくて、休日に正社員をあまり動かしたくないらしい。それはまぁ別にいいんだけど、新卒のミスの尻拭いってのがなぁ・・・・・・」
 再び溜息。
「そんなわけで先に戻るわ、金置いとくね」
 コウちゃんはそれだけ言うと、残っていた回鍋肉を頬張って走って店を出て行ってしまった。
「・・・なんかコウちゃんってすごいんですね。正社員より仕事できるんですか?」
「少なくとも新卒の人よりは期待されてるみたいだね。実際大学でもコウちゃんはちょっと有名だったりするし」
「有名人って、凄いじゃないですか。そんなに優秀とは意外です」
 とても普段の様子からは想像できない。
 私がそんなことを言うと、ユキちゃんはそんな友人がいることを誇るような、それでいてなんだか寂しそうな複雑な表情をしながら言った。
「プログラム関係の授業での成績は毎回『S』評価だったし、ひどい時なんて授業に一回も出てないのにテストで100点とかも取ってたからね。何か発表する授業があれば、独創的な作品を作って注目集めてたし。大学入ったばっかりの頃は俺もコウちゃんもプログラミングなんてやったことなかったのにぐんぐん力を付けてってね。才能なのかな、羨ましいよ」
 100点・・・・・・、中学一年生の英語以来あまり聞かない点数だった。
 確かにそんな捻くれた高得点をたたき出したら教授達にも名前を覚えられるだろうし、独創的な作品というのはそれ自体の良し悪しにかかわらず、普通の人の発想外と言うだけで印象に残るし、なかなか実行できるものでもない。
「それに比べて、俺は投稿してもなかなか最終選考まで行けないし、鳴かず飛ばず・・・・・・。実際、コウちゃんがもう希望の職業に就けて、働きたい会社の内定をもらってる状況っていうのは焦るよ。俺はもうそういう仕事は向いてないって分かって今更進路変更したにも関わらず成果は一向に現れない」
 今度はユキちゃんが溜息をついてしまった。
 いつも楽しそうにしてるようにしか見えなかったが、ユキちゃんはすごい悩んでいたようだ。
 それもそうだろう。
 私だって同じだった。
 すごく傍にいる人が夢の実現に向けて着実に進んで行ってて、私は才能の無さから思うように行かず、それでも一緒に歩けると思っていたのに―――
「あ、食べ終わった?今日早めに閉めていいっていうからちょっと待っててよ」
 私が思考に没頭している間にナオちゃんが席まで来ていたらしい。
 ナオちゃんは返事を待たずに食器を下げると再び厨房へ去って行った。

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「なんか昼間通りかかったらさ、店の前でおっさんがオロオロしてんのよ。んで、どうかしたんスかー?って聞いたらなんと息子が今日生まれるかもとかって言うのよ。でも開店してこの方一度も店を休みにしたことがないらしくって、店を急に休みにするわけにもいかないってっつってさ。だったらアタシが代わりにやってやんよって店で飯作って腕認めてもらって今日一日とりあえず働くことになったのよ。んで日誌とか置いてあって見てみりゃユキちゃん達の事が書いてあってウケるーみたいな・・・・・・って二人とも聞いてる?」
「聞いてるよ」
「聞いてますよ」
 どう考えてもコイツら聞いてません。本当にありがとうございました。
 せっかくアタシが今日一日で体験したむちゃくちゃな展開を簡潔に語っているのにこの薄い反応はなんだ。
「ま、いーけどさ。つーか何か空気重くない?」
「重くないよ」
「重くないですよ」
 どう考えても重いです。
 お店に来た時は別段何ともなかったような気がするが、コウイチがいなくなってからなんだかこんな感じだ。
 しかしアタシは空気の読める女。
「・・・・・・そですか」
 それだけ言って深く追求しないことにした。

 結局その後特に会話もなく重い空気のまま家についた。
 家に入るとアタシ達の寝室から「っしゃ!」とか「あぁ!?・・・・・・あーここか」とかいうコウイチの叫び声が聞こえて来る。
「何やってんのあいつ?」
「ん?急なお仕事だって」
「ふーん」
 興味ないや。
 興味はないけど、一応覗いてみることにした。
 覗いてみると、パソコンのモニターを睨みながら、恐ろしいスピードでキーボードを叩いている。かと思いきやなにやら悪態をついて手を止め―――ないで机をユビでとんとんと高速で叩いている。
 もう少し落ち着いてできないのかアイツは。
 関わってもろくなことにならなそうだったので、アタシはユッキーとシホに続いて二階に上っていく。
 二階に上ると、二人はそれぞれ作業台の前の座イスと、テーブルのクッションという定位置に座って黙り込んだ。
 ええい、なんだこの重い空気。
「何さ、二人ともホントどーしたのよ」
 アタシもクッションに腰を下ろす。
 するとユッキーがいつになくダルそうに答える。
「いや、夏が終わったら俺の周りはみんな就職活動をすることになるんだけどさ、コウちゃんとかそういう段階をとっくに終わってて、あまりの差にちょっと絶望してたの」
「私もその話を聞いて、あんまり才能ないから不安になっちゃって」
 自分たちで言ってて悲しくなったのか、更に空気は重たくなってしまった。
「まぁ、ナオちゃんにはあんまり縁のない話でつまんないから気にしないでよ」
―――あ、お姉さんカチーンときたよその発言。
 確かにアタシはプーだし、それでも別に将来に不安を感じないわけではないし、何も考えてないわけじゃない。
 二人ともあんまり余裕がないのはなんとなくわかるけど、それで人に気を使えなくなるのは実によろしくない―――別にアタシが馬鹿にされてるとかそういうことに対して怒るわけでなく、アタシはそういうところに怒るのだ。うん。
「なにそれ。ただの言い訳じゃん」
 だから言いきってやる。言いきってやるとも。
「別にコウイチの肩持つわけじゃないけど、そんなの努力もしないで人より先んじることなんてあるわけないじゃん。それを才能才能って、ただ妬んでるだけじゃない」
 まぁ、コウイチが努力してるとも思わないし、そういう風にお門違いの妬みを受けることに対してもどうでもいいんだけどね。
「―――そうかもね。うん、ただ羨ましいんだよ。コウちゃんみたいにやりたい事が活かせて、そのまま会社の就職に繋がって、ていうのがさ。なんていうか、すごくまっとうに成功してる感じが」
「私だって凄い努力をしてるってわけじゃありませんけど、それでも同じくらいやっても同じようにうまくいくわけじゃないんです。下手の横好きじゃ社会に出て行けないですから」
 ・・・・・・うじうじうじうじと情けない。
 何でそんな難しく考えようとするんだろうか。
 多分、二人ともなまじ真面目だから建前と本音がごっちゃになっているんだろう。
「つーかさ、なんでそんな成功だとか社会にでてやってくとかに拘るわけ?そんなことするためにユッキーは漫画描いてんの?」
「―――え?」
「だからさ、大学でて、良い会社入って、いい給料もらって―――なんてのは『どっかの誰かさん』が決めた『成功』でしょ?それがしたいわけ?コウイチは自分のやりたいことやってたら、たまたまそのコースと似てたってだけじゃないの?大事なのってもっと根っこの部分じゃないわけ?イチイチ難しく考えすぎなんだよ」
「根っこ・・・・・・ですか?」
 二人ともなんだかきょとんとしているが構わず続ける。
 プーのアタシがこんなこと言うなんて思ってもいなかったのだろう。
 だけど知ったことか、アタシは言いたいように言うし、生きたいように生きる。
「楽しく人生をまっとうしたい―――少なくともアタシはそうやって生きてる。その手段がコウイチにとっての『プログラミング』だったり、ユッキーにとっての『漫画』なんじゃないの?別に成功する必要なんてないじゃん。やりたいことやってそれで食えないんだったら、別の事で食いぶちを稼げばいいだけの話じゃないの?もしそうじゃないって感じるんだったら『漫画』が一番じゃないんだよ。例えば『裕福な暮らし』をすることが一番だったり、『世間様に認められること』が一番なんだよ」
 がーっとまくしたてる。
 別にアタシだって好きでプーやってるわけじゃないんだ。
 やりたいことは沢山あったし、もっと遊びたかったけど、それよりも優先すべきことがあったってだけで。
 ・・・・・・まぁ、今はそれすら放棄して逃げてきたんだから偉そうなこと言えないんだけど。
「で、どうなの?ユッキーはもし漫画がうまく軌道に乗らなかったとしたら、コンビニとかでバイトをしながら漫画を描くような生活は嫌なの?シホも何やってるかは知らないけど、そういう生活はどう?もし嫌ならさっさと止めて、もっと世間様に認められるような職業に就ける努力をした方がいいとおもうよ」
 そこまで言い切ったところでポケットから煙草を取り出して咥えて立ち上がりベランダに向かう。
 偉そうに言ったが、実際問題『世間様に認められる』っていうことは結構大事だ。常識的に考えれば。
 所詮常識―――とはいえ、世間からはじかれるのは結構キツイとは身を持って知っている。
 それでもやっぱり、アタシは大事なのは自分の考えだとも思う。
 だからすぐ出る答えじゃない。アタシが居ては考えることもできないだろうからベランダにでる。
 キーンという音を響かせてライターの蓋を開ける。
 なんだかんだいってアタシも同じだ。
 『本音』と『建前』がごっちゃになってる。
 本当にしたいことがキツイから、自分に嘘をついて楽な方に逃げていた。

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 意外だった。と言っては失礼だろう。
 ナオちゃんだって色々考えて生きているのだ。
「・・・・・・言われちゃったなぁ、まったく、ナオちゃんの言う通りだよ」
 力なくユキちゃんが笑う。
「本当に自分がやりたい事、かぁ。そうだよなぁ、時々見失うんだよなぁ―――周りがあんまりにも『まっとうな道をいけ、それがお前のためだ』みたいなことをいうから、本当にそれが自分のためかもとか思っちゃうんだよね。そんなの、自分が決めることなのに」
―――本当に自分のやりたい事。
 コウちゃんはお仕事、ユキちゃんは漫画を描くこと、ナオちゃんは具体的にはよくわからないけど、やりたいようにやってるみたいだ。
 では、私はどうなんだろう?
 他の人よりちょっと手先が器用だったから、高校生の時に絵が上手と褒められたから、そんな程度の理由で今の大学に通っているけど、本当に絵だけを描いていられれば幸せなんて、ユキちゃんのように思えるだろうか?
 私がしたいことって―――何?
「うん、ちょっと踏ん切りがついたかな」
「それは、よかったです。せっかく自分のやりたい事が分かってるのに、周りに流されて後々にやってればよかったなんてなって欲しくないです」
 そうだ。ユキちゃんは夢を持っている。それだけでも私からしてみれば凄いのだ。
 だから、そういう人に後悔してほしくない。
「シホちゃんは?やっぱり画家とかなのかな?」
「いえ、私は―――よくわからないんです。ただなんとなくでここまできちゃいましたから―――何かもう色々と手遅れなんですよ」
 空気が悪くならないように愛想笑いを浮かべる。
 そんな自分も嫌だ。
 今自分で言ってて気づいたが、手遅れなのだ。
 ただただ周りに流されるままに、高校を出たら大学へ行くのが当たり前なんだという親の言う通りに生きてきて。
 自分で何も決めずにそうやって生きてきたツケが今回ってきたのだ。
「遅いなんてことはない」
「―――え?」
 ユキちゃんはハッキリと断定するような口調で言った。
「遅いなんてことはない。確かに、早い方がいいことはたくさんある。コウちゃんみたいにちゃんとしたお仕事に就くなら、早く仕事を始めれば始めるほど同期との差もつけれるし、給料もどんどん上がっていくかもしれない。でもさ、同期と差をつけたいと思ってなくて、給料がどんどん上がんなくてもいいんだったら、遅くて問題があることなんてないんじゃない?だったら、今やりたい事が決まらないんだったら、決めてからやればいい―――俺はナオちゃんの話を聞いてそう思ったけど、どうかな?」
 最後はとても優しい口調だった。
 気づくと、何故だか涙が出ていた。
「うぇ!?あれ!?俺なんかまずいこといった!?」
 慌てふためくユキちゃん。でも、でも違うのだ。
「ううん―――違う、違うの。そうじゃなくって。今まで『やりたいことが特にない』っていうと、もう普通に会社に入って、何かお仕事をしてっていう風にするしかないってそういう風に言われてきたし、私もそう思ってたから、なんだか急に安心したっていうか―――わからないんだけど、なんか急に―――」
 自分でも何を言ってるかよくわからなかった。
 よくわからなかったけど、うれしかったんだ。
 『いいんだよ』って言ってもらえることが。
「あー、うん。泣かない泣かない、せっかくの可愛い顔が台無しだよ?ナオちゃんも言ってたじゃない。難しいこと考えるなって」
 ユキちゃんはそう言ってハンカチで私の涙をぬぐって、優しく頭をなでてくれた。
「きっと世の中にはそういうことに気づけないで、後悔してる人だって沢山いるかもしれないんだし。だから、俺達は後悔しないように頑張っていこうね」
 ユキちゃんの言葉に、私はただ頷くことしかできなかった。

     


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 とまぁ、変な空気になってしまったので居間にいずらいアタシ。
 とはいえ、下の部屋にもコウイチがお仕事中。
 空気>コウイチの仕事
 OK、飲みモノでも持って下に降りよう。
 ソロソロとキッチンへ向かい、冷蔵庫を開ける。
 麦茶はさっきパックを入れたばっかり、あるのはコーヒー牛乳(1Lパック)が三本。
 なんで無駄にコーヒー牛乳がこんなにあるんだろう。
 とりあえず私はそのうちの一本と、コップを一つ持って冷蔵庫を閉める。
 居間に戻ると、シホはまだ嗚咽を漏らしており、ユキちゃんが優しく頭をなでていた。
 ・・・・・・。なんかチクっと来た気がした。
 私は早足で階段を下りていくと、廊下にはコウイチが居た。
「・・・・・・何してんの?」
 アタシは自分でもわかるくらい、少し不機嫌な声で聞いた。
 しかし、コウイチの答えは意味のわからないものだった。
「いや・・・・・・なんだ、その、ありがとな」
 と、それだけいうとコウイチは部屋に入ってしまった。
―――は?意味和ワカンナインデスケド。
 アタシは構わずコウイチの部屋のドアを開ける。
 コウイチはイスに座ってすでにタバコを吸っている。
 アタシはずかずかと部屋を横断してベッドに腰掛ける。
「で、何よ。ありがとって何が?」
 ポケットから煙草を出して咥える。そのままデュポンを取り出してフリント・ホイールを回す。
 が、つかない。
「・・・・・・ホレ」
「・・・・・・ドーモ」
 コウイチがZIPPOに火を付けてよこした。
「さっき上でなんか話してたろ、ありがとってのはソノ話だ」
 盗み聞きか。いやらしい男だ。
「別に、思ったこと言っただけだけど」
「あぁ、まぁそうかもしんねーけど、俺じゃ言えねーからさ」
 そう言ってコウイチは煙草の煙を吐き出す。
「言えないって、なんで?言えばよかったじゃん」
「俺が言うと嫌味にしかなんねぇだろ。どうなろうと好きなことやればいい、なんて好きなことやって飯食えてる奴に言われても説得力ねーよ」
「そういう問題じゃないと思うけど・・・・・・」
「そーいう問題なんだよ」
 コウイチはそう言うと、立ち上がって部屋の隅にある冷蔵庫を開けた。
 酒しか入ってなかった。
「飲むか?」
「・・・・・・飲む、これしまって」
 アタシは持ってきたコーヒー牛乳のパックを放り投げた。
「あ、てめぇこれ俺のじゃねぇか。勝手に飲もうとしやがったな」
「名前書いとけ、冷蔵庫の中身は共有財産だ」
「勝手に家のルール決めるなよ」
 しかしそうブチブチ文句を言いながらも、ちゃんと酒とグラスを持ってくる。
 杏の酒だった。甘党らしい。
 アタシは注がれた酒を一気に飲み干してから言ってやった。
「つーかさ、コウイチとユッキーて友達なんでしょ。友達なら何でも言えるっしょ。言えないとか、どんだけ信頼してないわけ?」
 ぷはー、という代わりに一息で言ってやった。
 流石にカチンと来たのか、コウイチがしかめっ面で言い返してきた。
「あのな、親しき仲にも礼儀ありって言葉しらねーの?色々と考えて気を使ってるんだよ」
「気の置けない仲って言葉だってあるでしょうが」
「そりゃ綺麗事だ綺麗事。遠慮しないでずけずけ言ったってただ傷つけるだけじゃ意味ねーだろ」
「意味がないわけないでしょ!男の友情と言えば殴り合いだろ!―――おかわり」
「そりゃお前漫画の読みすぎだよ!―――っと、ベッドにこぼすなよ、そっちの机に移動するぞ」
「アンタは漫画を読んで感動しないのか!―――まぁお前も飲めよ」
「そりゃ感動するしいいなぁとか思うけど、やっぱ漫画は漫画として楽しむべきだろ―――サンキュ」
「なんつー面白みのない考え方。さみしいね、さみしすぎるね―――おかわり」
「現実的って言ってくれるかね。じゃなきゃ学生で月々数十万なんてかせげねーっつの―――俺もおかわり」
「なに!?アンタそんな稼いでんの!?少し寄越せよ!―――おかわり」
「面白みのない考え方してるんであげれません―――おかわり」
「アンタその捻くれた性格どうにかしろよ―――おかわり!」
「余計なお世話です―――おかわり!」
「―――おかわり!」
「――おかわり!」
「―おかわり・・・・・・ってからじゃねーか次だ次」
「おかわり!」
「おかわり!」
「おか――」
「お―――」

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 シホちゃんは泣き疲れたのか、嗚咽が止まったと思ったら眠ってしまった。
 俺はシホちゃんを抱き上げて、ベッドまで運ぶことにした。
(よっ―――って、シホちゃん軽いな)
 気持ちよさそうに俺の腕の中で眠るシホちゃん。
 信頼してもらえているのか、それともただシホちゃんが無警戒過ぎるのか。
(―――まぁ、可愛いしいっか)
 もう一度シホちゃんを抱え直して階段を降りる。
 起こさないように階段をゆっくり下り、コウちゃんの部屋を開ける。
 と、意外な光景が広がっていた。
 酒でも飲んでいたのか、部屋の小さなテーブルに空き瓶が4本。そしてその横でカーペットにぐでーっとぶっ倒れて寝ている酔っ払い二名。
(おやおや)
 俺は一度引き返して、自分の部屋の布団にシホちゃんを横たわらせ布団を掛ける。
「おやすみ、ゆっくり休んでね」
 聞こえるはずもないが、声を掛けもう一度コウちゃんの部屋へはいる。
 ベッドの上から布団を引っ張り、二人にかけてあげる。
「うぅー」
 ナオちゃんがうめきながらもぞもぞ動いて、コウちゃんの手を握った。
(仲が良いんだか悪いんだか)
 俺はやれやれとため息をついて部屋を出てゆっくりとドアを閉め、リビングへ上がる。
「久しぶりだと座イスで寝るのも新鮮だね!」
 一人でそうむなしく呟いて眠りについた。

       

表紙

鮭王 [website] 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha