「ねえ、アタシを拉致してみない?」
この幼女の一言が合図だった。
私は拉致し拉致される全日本拉致会の東京支部会長の駿河タケシ。
服役暦はトータル32年。
拉致に人生をかけた私は、いまさっき娑婆に降り立ったばかりだった。
しかしこんなにまではやく拉致活動ができるとは……
私が罪をあがなっているあいだ、日本はこうも幸せな国になってしまったらしい。
さっそく私はその幼女の肩に手を回す。
「ちょ、ちょっとまってよ」
「なんだ? 拉致はすでに始まっているはずだ」
「それは、そうだけど……アタシ、拉致されるのはじめてだから」
確かに。
拉致される前と拉致される後では、拉致に対する意識がまったくことなる。
わたしも41年前、拉致されていなければ、拉致と言う興奮を知らずに還暦を迎えていたことだろう。
今思うと、ぞっとする考えだ。私はもう、拉致のない生活が考えられない。
「わかった。ゆっくりやろう。いやなにこの私も、拉致するのは12年ぶりなんでね」
「ねえ、おじさんに訊くよ?」
「なんだい?」
「拉致っていったいどういう気持ち?」
「拉致って言うのはね、なんだろう。一言で言い表すならば、甘い香り、かな」
「それって」
「無論、麻薬だ。仲間のうちではラチキチとまで言われた私だ。依存性が高いのは誰よりも知っている」
幼女はそこで、敵意を向けるような目で私を見上げた。
「おじさん、もしかして……アタシを止めたがってる?」
気づかれてしまったようだ。
「君はまだ若い。十年も生きていないだろう。そんなに早く人生を終わらせるなんてあまりにひどい話だ」
「別にいいでしょ! おじさんには関係ない!」
「けれど拉致されるあいだ、寂しくならないかい?」
「ぜっ、全然……」
私は幼女の左手に、テディベアが握られているのに気づいた。
「そのクマさんだって、お別れしなくちゃならない」
そういって、クマをぶん、と取り上げる。
幼女は焦燥にかられたように、
「かえして! かえしてよぅ!」
と天に両手をつき伸ばす。
しかし私から奪い返せるはずもなく、しばらくして地面にへたり込んだ。
「ごめんなさい。ごめんなさい」
泣き出した。困ったのは私だ。
「じつは今朝、ママとけんかしたの。ママ仕事が忙しくって、アタシのこと全然気にしてくれないから、ママの馬鹿! って言ったら、あなたなんか拉致されなさい! ってママが……それでアタシ、かっとなって家を出て行ったの。もういい、拉致されてくる! ……って」
そうか。そういうわけだったのか。
幼女は拉致されたかったのではない。母親に心配してもらいたかったのだ。
「よくわかった」
「話をきいてくれてありがとう。おじさん」
そういって、振り返る幼女。鼻親の顔が見たくなって、家に帰ろうとしたのだろう。
「まて。君はもう家に帰さないよ」
「へ?」
幼女は目を丸くする。
そう。
先にそういえばよかったのだ。
私たち拉致会の会員は、そんな時にこそ真価を発揮する。
しかも私はそのトップに君臨している男だ。
並みの陵辱では満足しない。
特に幼女の拉致監禁にかけては、世界でも高く評価されている。
「とりあえず、電話番号を教えてくれないかな?」
拉致はこれだから止められない。
※
「というのが私の拉致説なんです。ひとは皆、拉致することを細胞が覚えているのです!」
取調室の机をばん、と叩く。
刑事がしかめっつらをして、言う。
「そうですか……あなたはもう、生きて外の太陽を拝むことはできないでしょうね」
それでもよかった。拉致はするだけでなく、されるのもいいのだ。
生涯を拉致にささげるのも悪くない。
『拉致説』