Neetel Inside 文芸新都
表紙

泥辺五郎短編集
「一番センター高崎はそこそこ足が速い」(近未来野球小説)



 ドーム球場だというのにぬかるんでいるグラウンドで滑って転んだ高崎は、助っ人外国人でもないのに「SHIT!」と叫んで、いつものように野球と正岡子規と川上哲治を憎んだ。
 試合も始まっていないのに既に泥にまみれたユニホーム姿の彼を見て、仕事を放棄したグラウンド・キーパーが外野席からヤジを飛ばす。
「へいへいセンターちびってるー」
 レフトから受け取ったボールを高崎はヤジの飛ばし主に向けて放り投げたが、全盛期の面影もない彼の肩では外野のフェンスを超すことすら出来なかった。そんな彼を哀れんでか、もうヤジもビール瓶も飛んでこない。
「プレイボール!」の声がかかり、今日も誰も気合いを入れていない、数十人の奇特な観客のためのだらしない試合が始まった。ドームの天井に空いた穴から黒い雲が垣間見え、雨粒が落ちてくる。かつて外国人強打者たちがストレス発散のために天井を狙って打ちまくった特大弾により、ドームの屋根は星の数を節約したプラネタリウムのようになっている。
 ヘボピッチャーの球をヘボバッターが打ち返し、ヘボセカンドとヘボショートは捕る気もなく球を後ろに逸らす。出場選手全員の業を背負うかのように歪んでしまったボールは勢いなく高崎の足元に転がってきた。打ったランナーは一塁ベース上で息を切らしてうずくまっている。
 渋々高崎が球を拾い上げる頃には、新しい球でピッチャーは既に投球を始めている。打者は二日酔いらしく、ホームベースをゲロまみれにしている間に三振に倒れていた。
 三番バッターが打ち上げたフライを捕球した一塁手は、ベースから少し離れて携帯電話で誰かと話していた一塁走者にタッチする。チェンジになったというのにレフトとライトの二人はベンチに帰ろうとしない。「俺ら七番、八番だから」と言って歩くことすら面倒がり、外野フェンスに背中をつけて座り込む。打順一番である高崎は一応ベンチに引き上げる。たとえ彼が打撃放棄しても、誰にとがめられることなく二番打者が打席に入るだけなのだが。
(昔四番でエースだった頃は、野球が楽しくて仕方なかったんだが)
 在りし日のことを思い浮かべると高崎は死にたくなり、やめた酒に手を出したくなるので、すぐに現在と向かい合う。相手投手が投げてきたのはソフトボールだったが構わず打つと、打球はショート後方にぽとりと落ちた。高崎はやけくそ気味に走って一塁ベースを蹴る。
(二塁まで行けば、俺は、俺は……)
 続ける言葉がうまく思い浮かばないまま高崎は走り続ける。生まれ変わるのか、野球を辞めるのか、別れた妻に、子供に、会いに行くのか、そのどれもが自分からは遠いことに思えた。
 しかし彼の設定した安易なゴールは、相手チームの二塁手の手により移動させられていた。セカンドベースはセンター方向へと投げ飛ばされ、高崎が先ほど転んだ泥だまりの中に落ちている。打球に追いついた左翼手はにやにやしながら高崎の動向を見守っていた。
「何やってんだ、走れ!」
 グラウンド・キーパーの声が閑散とした球場に響き渡る。彼らは無責任にヤジを送り、また無責任に声援を送る。高崎は四番エース時代の栄光も、妻子との幸せな日々も一時忘れ、一番バッターである自分の仕事をこなすことを思い出した。
(次の塁を!)
 高崎の脳裏には先週パチンコ屋でナンパした人妻の顔が浮かぶ。新しい女を、輝かしい人生を、誰かに喜ばれる試合を、と一歩一歩蹴り出す足に言い聞かせる。
 左翼手も薄ら笑いを消して走り出し、センターに転がるセカンドベースへと向かう。僅かな歓声と笑い声をよそに、ピッチャーは新しい球で淡々と投球を開始している。


(了)
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