Neetel Inside 文芸新都
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文藝夏企画 作者変え&FN祭会場
小説を書きたかった猿(僕の場合)/三百六十円

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「小説を書きたかった猿(僕の場合)」

 僕はダメな人間だった。ダメな人間というのは、人に迷惑をかける奴のことだ。さらに言えば、そういった人間であることを自覚しているのに、自分はダメだからと卑屈になって、何度も繰り返し、人に迷惑をかける奴のことだった。
 正直、生きていて申し訳なく思う。死にたくなるのは日常的なことで、視力の悪い人間が、常にメガネを求めるのと同じレベルで、死にたい。僕はもしかしたら、ダメ人間という名の病気にかかっているんじゃないか。それも末期で、治療の施しようなんて無いんじゃないか……。
 昔から、卑屈になることだけが得意だ。自分が底辺に相応しい人間だと考えて、安心したつもりでいる。
 
 **

 昔から空想をすることだけが取り柄で、実の生る行為は、何一つ成し遂げられなかった。唯一の取り柄も形にすれば、みんな顔をしかめるばかり。苦笑いしてくれたら上出来な方だった。
 そんななか、唯一褒めてもらえたのが、小説だった。絵は下手であれば、ほぼ百人中百人が「下手」だねと言う。口には出さないこともあるけれど、間違っても上手いねとは言わない。でも、小説は違った。それが小説とは名ばかりの駄文であっても、読み手は考えてくれるのだ。『これは下手糞だが、面白いのだろうか?』と、頭を捻って悩んでくれる。

 僕はそれを知って、小説を書き続けた。誰かに見て欲しいと願って、初めてネット上に作品モドキを投稿したのは、高校二年生の時だった。一度作品を投稿したら怖くなって、しばらく、投稿したホームページのリンクを辿れなかった。数日後、何故か座布団を抱えて、頭から布団を被り、ビクビクしながらリンクを辿った。一件のコメントが付いていた。それを見る覚悟を要すのに、三十分ぐらいかかっただろうか。
 ゆっくり、ゆっくり……。逸る心臓を抑えつけて、右のタスクバーを、ずずず……と、下げていく。
 
『君の小説は、何が言いたいのか良く分からん。けど、変な魅力がある』
  
 初めてもらったコメントは、そんな感じのものだった。嬉しかった。驚いた。自分が行動した結果で、誰かに迷惑をかけなかったのは初めてだったから。ダメ人間は何度もモニターの前で頭を下げて、また書いてみた。今度は、心臓が一瞬停止した。

『面白かったよ』

 その文字列が、最初、何を意味するのか分からなかった。自分の記憶を揺さぶってみても、誰かに褒められたという記憶が、まったく出て来なかったからだ。……二十年近く生きてきて、初めて他人から褒められたという事実に、僕は隠れて泣いた。その後、調子に乗らないはずもなく、猿はユグドラシルに登っていく。
 テキストエディタと一日中見つめ合い、訳の分からない短編を書きまくるのが日課になった。パクリ、オマージュ、ネタ、どう見ても劣化コピーです、本当にありがとうございました。そんな物ばかり書いていた。
 オリジナリティなんてものは存在しなかった。「クソ」だの「オナニーやってろ」だの言われる度に、首つりロープを用意して『本当に死んだらどうする!』と一人叫んでいた。それでも時々「ワロスw」と言ってもらえるのが嬉しくて、僕は小説を沢山書いた。人に迷惑をかけながら生きてきた自分にも、初めて価値らしいものが生まれたと思っていた。
  
 阿呆が。だから、お前はどうしようもないんだ。ダメ人間なんだよ。

 過去の自分に指差して、そう言ってやりたい。実際、母なる海のように広大な阿呆で、猫の額を舐めた方がよろしい程度に、僕はおつむが小さかった。心の中では平然と、
「僕って、実は隠れた天才かもしれない。いつか才能が花咲いて、誰かに認めてもらえる日が来るかもしれない」
 そんなことを思っていた。中学校は既に卒業しているというのにだ。とにかく、小説を書いているだけで、世界は自分の掌にあると勘違いするぐらい、僕という人間は腐りきっていた。さらに素敵なことに、僕は一生懸命、小説を書いているのだと思っていた。小説を書くのが、僕の目指すべき道なんだと自惚れていた。身の程に似合わない、ご大層な考え。それに気がついたのは、一冊のライトノベル小説を読んでからだ。
 
『子供の頃から、お話を読むのが大好きでした。作家になるのが夢でした。
 あったかいスープを飲むみたいに、この物語を気にいって頂ければ、とても幸せです』

 その言葉は、あとがきによる、作者からのメッセージだった。夢を成し遂げた人の、真摯な言葉だった。
 "夢のある人" 眩しくて、まっすぐな人達。僕がもっとも恐れ、目を逸らしてきた人達。
 
 何かを考えるよりも早く、ドクンドクンと脈打つ手で、恐れるようにパソコンの電源を点けていた。
 見慣れたデスクトップ、ズラリと並ぶ中に、こっそり紛れている「小説」フォルダ。ダブルクリックすれば開かれる、無数のテキストファイル。どれでも良かった。次から次に、とにかく画面に出す。

「……なんだ、これは……」

 自分が書いた『小説だったモノ』を見て、吐き気がした。そこにあったのは『誰か僕を褒めてください』という、自意識過剰な文字列の集合体だった。素人が何の考えもなく、伝えたいテーマも無く、ただ、出したいから出したというだけの、排泄物と変わらない。ショートショート? シュール? ユーモア? ドクトクノセンス? カクレタサイノウ? ―――死ねよ。阿呆の、ダメ人間が。

『お前、小説なんて、好きでもなんでもないんだろ。これを誰に届けるつもりだったんだ?』

『手紙は宛先不明だと、自分の元に返ってくるんだよ。お前はそんなことすら、考えなかっただろ?』

『お前の書いたものは、お前自身にすら届かねぇんだよ』

『糞のことを、あろうことか小説と呼びやがって。猿みたいにキーキー喚きやがって。ダメ人間の方がよっぽどマシだ』

『お前が書いたものは、小説じゃない。ただの "現実逃避" なんだよ』

 気持ち悪い。自分を蔑む幻聴が止まない。
 
『楽しかったろ。小説はお前にとって、現実を見ないで済む一つの手段だったんだから。そりゃあ、楽しいはずさ』
  
 地面が揺れていた。激しい頭痛を覚えて、洗面所で数時間前に食べていた昼食を、全部吐き戻した。手足が冷たくなって、痙攣していく。裏腹に、体温がどんどん上昇して、風邪のような症状を覚え、倒れた。
 
「……は、は、は、あはっ……ははは、あはははっ、ははははははははっっ!!」

 泣くように笑った。もとから緩んでいたネジが、するすると抜け落ちていくみたいに。
 僕はクズだ。
 
 **

 僕のダメ人間っぷりは、輪をかけて酷くなっていく。それでも相変わらず小説を書き続けていた。しぶとく、地べたをせっせと動き回るゴキブリみたいに。
 小説が最後の拠り所だった。捨てられなかった。誰のためにもならない小説は、同時に誰かに迷惑をかけることも無い。そんな風に考えて、僕は現実逃避を続けた。都合のいい考えだと分かっていても、僕みたいな人間には相応しいのだと無理やり納得した。―――それでもやはり、ダメ人間という生物は、迷惑をかける生き物だった。
 
 僕が学生だったその当時、学園では毎年秋に、学園祭が開かれていた。その出し物として、当時参加していた「シナリオゼミナール」では、本を作って販売しようという話が出た。何気にゼミでは初めての試みだったらしく、希望者から、実行委員を募ることになった。僕は手をあげた。本が出せるという喜びだけで、製本の実行委員に立候補したのだ。

『……で、間違えてるよ。これはどうするの?』

 あっさりと、迷惑をかけてしまった。サンプル用に一部刷りあげて、それの見栄えがまともに見えたために、正しい製本手順だと勘違いしたのだ。
 製本当日、先生より間違いを指摘された結果、このままだと集計した予算を超えて、赤字になってしまうと聞かされた。頭が真っ白になって、目の前は真っ暗になった。まさか小説を書くだけで、誰かに迷惑をかけるなんて。ダメ人間は、ここまで駄目なのか。
 自慢じゃないけど、僕は辛いことはやりたくない性分だ。こんな目に合うならば、もう二度と小説は書かないぞと誓うまで、一日とかからなかった。

「小説を書きたかったという気持ちは、嘘じゃ無かったんです。でもちょっと無理なんですよ。ダメ人間が頑張ったところでね、才能とかないですし。誰かに喜んでもらえる話なんて、書けるはずもないんですよ。ごめんなさい、そもそも小説なんて、単に現実逃避だったんです。だからあんまり責めないでください。そもそも僕だけの元凶じゃないんです、あれは皆の責任です」
 
 卑屈に矮小に、とにかく惨めになるように。自分が傷つかない慣れた方法で、誤魔化していく。
 ずっとそうやって、生きてきた。
  
「小説なんて、本当は書けないんですよ。書けないから書かないんですよ。当然ですよね?」

 一夜あけて、僕は小説を書くことを止めた。
 パソコンの中に入ったテキストファイルは、「いや、でも、せっかく書いたものだし……」と理屈を捏ねて、結局残したけども。
 ダメ人間は、同類であるゴミを大切にするのだ。
 
 しかし転機は、一月とせずにやってきた。学校の廊下を歩いていた時、ぽんぽんと肩を叩かれて振り返ると、ゼミの先生が立っていた。
「ダメオ(仮名・僕のこと)。僕は今年でねぇ、なんか学校止めることになっちゃった」
「……はい?」
「残念だけど、少子化の影響って奴だねぇ。それで最後にもう一回、記念作品的な物を作ろうかなって思ってるんだ。君も参加する?」
「やります! あ、いや、すいません。やりません!」
「どっちやねん。まぁ、前回の作品が総じて酷かったからなぁ。君らの自由意思に任せようとした僕のせいでもあるけど。というわけで今回は、全作品に僕が目を通して、手直しさせてもらいます。はいこれ、募集要項。書くんだったら、返事は来週までによろしくね~」
 A4サイズの募集用紙には、びっしりとスケジュールが組まれていた。最終的な提出は一ヶ月後、製本作業を行うのは二ヶ月後。
 たっぷり一週間は悩んだ。悩めば悩むほど、想いが強くなった。

 小説を書きたい。書けなくとも、書きたい。
 それがたとえ、現実逃避であったとしても、小説と呼ばれるものでなくとも。 

 何度も何度も、繰り返し、先生から渡された募集用紙を見た。募集の締め切り日が、一日ずつ近づいてくる間に、どんどん、どんどん、息苦しくなった。それこそ、小説を書かねば死んでしまいそうな程に。
「いやいやいや……逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ……」
 募集用紙が擦り切れてしまうぐらい、汗ばんだ手で握りしめた。目が乾くぐらい無意味に、文字を追った。
 細かく丁寧なスケジュール。三度ある締切の期日、一発提出不可、プロット、もしくはアイディア出しの協力支援可。ただし自分を初心者という言い訳不可。参加するからには、満足の行く作品を提出すること。守れない者、または一定の基準に満たない者は、掲載不可。
「…………いいな、これ……」
 いつもは、条件なんて足枷としか感じられない。でもその時は、条件が厳しければ厳しいほど、制約があればある程、心が躍った。今度こそ、本当の小説が書けるかと、期待してしまう自分がいる。

 もう一度だけ、小説、書いてみよう。

 ボールペンを取り出す。自分のクラスと名前を埋めていく。

 面白い小説なんて書けないけど。魅力的な小説なんて書けないけど。
 才能なんてないけど。小説の技法なんて何一つ知らないけど。っていうか基礎を知らないけど。
 頭悪いけど。現代文も平均点取れないけど。小学生の漢字忘れるぐらいだけど。
 書けば、また誰かに迷惑をかけるかもしれないけど。
 書けば、まだ誰かを不快な気持ちにするかもしれないけど。
  
 僕は駄目な奴だけど。どうしようもないぐらい、ダメな人間だけど。

 懲りずに書こう。もっかいだけ、小説を書いてみよう。
 せめて自分にだけ、届けてやろう。
 それで、僕は満足なんだから。それで僕は充分なんだから。 

『―――立派な大義名分を有難う。また現実から逃げるのか』

 せせら笑う幻聴から、僕は必死に逃げ出した。赤いケツを向けて、聞こえないフリをする。
 耳を押えて、キーキー喧しく、みっともないぐらい喚いて、喚いて、喚いて。

「うるせえっ!! 逃げられるとこまで、逃げてやるっ!!」
 
 それが、僕の小説だ。

 どうしようもない理由だけど、僕は今日も、テキストエディタを開いてる。


  

       

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Neetsha