こんばんは。
千世子です。
赤霧酒店に行ってきました。あの4月10日以来です。と言うのも、日本酒がなくなってしまったのです。いつもの百貨店では日本酒の品揃えが悪いため、とうとう行くことになりました。
電車に乗っている間、少し憂鬱でした。
ひさしぶりだから変に気を遣われないか。
奥さんの目を見ておしゃべりができるのか。
ちゃんと「ご結婚、おめでとうございます」と言えるのか。
心のどこかで、赤霧さんの結婚を妬ましく思っているかもしれない……自分のことですが、少し怖くなっていました。
ひさしぶりの赤霧酒店は、特に変わりはありませんでした。……それもそうですね。住んでいる人がたった1人増えただけですからね。
お店の前に置いてある小さな看板……見知らぬ文字だったのは、奥さんが書いたのでしょうか。少し心が痛かったです。
「おひさしぶりです。千世子さん」
……赤霧さんがいました。奥さんはいないようです。
「あの、今日は1人ですか?」
「はい。嫁さんはゴールデンウィークなので、実家なんです」
奥さんは実家。
……赤霧さんと、二人きり。
結婚される前までは、二人きりという状況はめずらしくないことでした。ですが、今は……変に意識をしてしまいます。
いつもは意味なくウロウロして、その日の気分でお酒を選びますが、今日は買う銘柄を決めていました。
日本酒コーナーの端、ひっそりと置いている銘柄。その銘柄だけは場所は変わることはありません。それは私が日本酒を好きになるきっかけになった銘柄。そして、赤霧さんが好きだと言っていた銘柄です。
「これ下さい」
「ああ、これですか。奥に行きますか?」
「はい」
奥に入るのは居酒屋赤霧以来です。あのとき初めて奥さんを見かけたのでした。
「どのように呑まれますか?」
「お猪口1杯分、ぬる燗にしてください」
この呑み方は、初めて奥に入ったときに作ってもらった呑み方です。
まだまだ日本酒が苦手だった私に出してくれた、赤霧さんの好きな呑み方です。そのときから、日本酒を呑めるようになりました。
思えば、あのとき、赤霧さんは特別な存在になっていたのかもしれません……考えすぎでしょうか。
「はい、どうぞ」
置かれたお猪口から、ほんのりと日本酒の香りがやってきました。
「なつかしいですね」
「えっ……!?」
「千世子さんが初めてここに入ったときも、これでしたね」
このとき。
『2番目でも』
私の中で、悪魔がささやきました。
『彼の2番目でもいいんじゃないのか?』
赤霧さんの愛情が奥さんに向くのは当然です。ですが、もしも2番目。奥さんの次なら……1パーセント、それ以下でも、愛情が注がれるのでは?
そんなことが、さも当然のように、頭の中を巡っていました。
「どうしましたか?」
そんな心配も今は心が痛いです。
「いえ、大丈夫です。いただきます」
こくり。
『私は、彼の2番目でいいのではないでしょうか?』
「赤霧さん」
『私は』
「ご結婚、おめでとうございます」
2番目なんて嫌です。私は誰かの1番で、その人に添い遂げたい。変なことを言ってしまいますが、一口呑んだ瞬間、そう気づきました。
「ありがとうございます」と浮かんだ笑み。私の好きな笑みでした。でもこの『好き』は別のものになりました。
こくり。
二口目。鼻先で広がる香り。指先から伝わる温度。
「おいしいですっ」
いつまでも、ここのお客さんでいようと思います。
あのぬる燗を呑んだとき、コメントにもあったように欝になるかと思いましたが、私は逆に背中を押してもらえたのかもしれません。
今は、とても心が軽いです。もう、大丈夫です。
でも、まあ……
知り合いが結婚すると、急に結婚したくなりますね……いい人、見つけたいです。