Neetel Inside ニートノベル
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日常的に繰り返される日常風景

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「ま、いいんじゃねぇの」
 右上から声がした。僕は声のした方を向き、そして見上げる。大木のように太く、ずんと根を張ったような身体の大男が立っている。榊田だ。
「何がだよ」
「その普通の人生ってやつ。世界人口63億人、そのうちの31億人よりはいい生活ができるわけだろ? 保障されている人生ってのは正直うらやましい」
 昔の友人が僕という異常を否定するなら、榊田は肯定する側、つまり非日常を愛する奴なのだ。まぁ日常を永続的に継続するのが僕だから、むしろ表現としては異常を愛すと言った方が的確だろう。
 多くが異常を排除するこの世界で、貴重な存在だ。僕だって一個体の人間。自身は否定されるより肯定されたい。嫌悪されるより愛好されたい。誰しも持っている感情だろう。つまるところ榊田は居心地がいい。だが、きっと理解し合うことはできないのだろう。僕は異常なのだから。
「お前は束縛の辛さがわかってないな」
「お前は自由の辛さがわかってないよ」
 僕は答えた。榊田も答えた。互いが互いをうらやましく思うし、だからこそ上手くいっているのだろう。僕と彼の立場が逆だったとして、それでもきっとこんな風になっていたと思う。自分に無いものに憧れるという気持ちは僕らの共通項だ。
 さて、そんな僕たちの現在の状況を至極簡単に説明すると学校の屋上のフェンスに寄り掛かっていた。別に自殺を始めようというわけでもなく、思ったところで死ねるはずもない。めんどくさいし、第一この僕がこんな普通じゃない死に方で死ねるはずもないだろう。いや、今ならスタンダードなのだろうか。試してみる気もないけど。実際は単に昼食を食べているだけだ。
 屋上で昼食をとる生徒は珍しくなく、ちらほら友達と話しながら昼飯を口に運ぶ姿が見受けられる。僕らもその例にもれず、淡々と白飯を食すのだった。
「おい、私の存在を忘れてほしくないんだが」
 僕の真後ろでぼそぼそつぶやく影があった。牛乳瓶の底に負けない厚さのレンズを誇るぐるぐるメガネちゃん。“ちゃん”というからには女の子だ。だから着ているのはセーラー服なのだが、彼女は常にワンサイズ大きいものを着ている。ゆえにいつもだぼだぼである。また、長く白い髪は座っていると地面に着くほどに長い。実際、今は一般に女の子座りとでも言うのか、正座を崩したような座り方をしているのでしっかり床に付いてしまっている。白い髪は染めているわけではないようだ。
「ああ。悪かったよ、千堂」
「本当に悪いと思っているのか、非常に疑わしいぞ。君たちはこれまで五十八回、同様な扱いをしたのだ。最早狙っているとしか思えん」
 そう言って、両手を付いて僕の目をのぞきこんでくる。元々目の大きい彼女だが、非常に度のついた眼鏡によって更に眼力が増す。じりじりとこちら寄ってくるにつれ、僕も退行する。
 だがしかし、僕の目は違う方に向いていたのは言うまでもない。ワンサイズ大きい制服ということはつまり襟元も大きく、だから前かがみになれば相応のものが見えてしまうのだった。彼女もそれなりに発達してしまっている。なんせ、僕は普通の男子高校生なのである。普通に健全なのだ。あれ? 健全という言葉が健全に聞こえないとはこれいかに。いや、冗談だけど。けれど、冗談を言わないとこの誘惑には堪え切れそうもないというか。ともかく、相手が男だろうと女だろうと気にしないのが彼女で、だからこその立ち居振る舞いに僕らは時々参らされてしまうのだった。
「本当、本当に悪いと思ってるから、もう迫るのはやめてください!」
「これも五十八回聞いたな。いい加減飽きてきたのだが。お前の謝罪の語彙はいくらなんでも少なすぎるぞ」
「だって、言葉を選んでいる場合じゃないんだもの!」
「まぁ、本人もこうして謝ってるんだ。許してやれ、千堂」
「榊田! お前だって同罪なはずだろう! なんで第三者みたくなってんだ!」
「そういうもんだろう」
「そういうもんだな」
「無駄に意気投合すんな!」
 と、まぁこんな感じで大体の高校生が送っているような高校ライフを僕は満喫しているのだった。

     

 昼休みは僕含め三人、このグループで固まっている。そして先のようなくだらない会話でその45分を過ごすのだが、それ以外のときはもう一人国原という奴が一緒だ。昼にいないのはその時間、彼女が生徒会の仕事に勤しんでいるから。
「おーい、国原。今日は生徒会あるか? ないんだったら一緒に帰ろうぜ」
 ホームルームが終わるやいなや、僕は自分の支度をさっと済ませて廊下側の席に座る国原に声をかけた。
 彼女は内向的な性格でこちらから誘わないと付いてこない。何度一緒に話したかわからないメンバーに対してでも、つまり僕たちのことだが、会話に加わるのにさえ躊躇するのだ。放っておけば一人でひっそり帰ってしまっている。僕が榊田や千堂より先に国原を呼びとめたのはそのためだ。ただでさえ廊下に近い席、いち早く捕まえておく必要がある。
「い、いいよ」
 相も変わらず挙動不審というか、怯えるような話し方で返答してくる。返事と同時に国原は机の中の教科書やノートを急いで仕舞いだし、無理に押し込めるために時折プリントを折ってしまっていた。
「あっ」
 そう漏らしてプリントの折れ目を伸ばす国原。
「いや、そんなに急がなくていいから」
「う、うん」
 解った風に返してくるけれど、手の速度は一向に変わっていない。まるであと数分でこの学校が爆破されるかのような急ぎっぷりだ。ただ、その緊張は一切無駄であると言わざるを得ない。
 もしかしたら本当に僕に恐怖しているのかもしれないという気になってくるけれど、よく一緒に帰ってるし一度会話に混ざればよく楽しそうに笑っているからそれはないと思う。
「んじゃあ他の奴らを連れてくるから、ゆっくり支度してろよ」
「わ、わかった」
「集めてくるまでに支度しとけばいいから」
 榊田も千堂も同じクラスだから呼べばいい話で、実際は国原の所から離れる必要性はない。けれど、こうして準備の時間をやりでもしないと彼女のプリント等は甚大な被害を被りかねない。
 僕は二人の所へ向かおうと後ろを振り向いた。二人とも窓側の席で互いに席が近いから向くべき方向は一つだ。だから僕はその方角に踵を返したのだった。しかし、通常なら教室の風景が入ってくるはずの目に飛び込んできたのは一面の顔だった。
「実を言えばもういるわけだが」
「うわぁ!」
 驚いて鞄を落とす。すると後ろにいた国原がその音に反応し、きゃあ、と声をあげた。改めて前を見ると、大きく丸いメガネ非常に見覚えがある。
「千堂かよ、びっくりさせるな!」
「人の顔を見るなりなんだ。失礼千万もいいところだ」
「なら普通に出てこいよ!」
 居たのは、白髪ぐるぐるメガネ少女だった。
 僕と千堂は背が大して変わらない。だから立って向かい合うとこうして鼻と鼻を突き合わせるような格好になってしまうのだった。ちなみに僕の背が低いのか千堂の背が高いのかと聞かれると、男として口をつぐまざるを得ない。くそ、170センチは行くはずだったのに!
「俺もいるんだけどな」
 今度は天の声のように天井の方から声がした。背が高いために顔が見えず背景のようになっていたが、見上げると確かに榊田の顔があった。呼ぶまでもなく既にそろっていたようだ。考えてみれば、とくに用事もないのに先帰っているはずもないしかといって遠くで僕を見守っている道理もない。自然な運びだった、けれど。
「二人ともいたのかよ」
「居ては悪いのか?」
 居て悪いわけではないが、状況がまずかった。国原が大変なことになっているのだ。慌てふためく彼女は仕舞うどころか、筆箱やプリントファイルを見なくても想像できるほどに派手な音を立ててぶちまけ、散らかしてしまっている。
「おいおい。しょうがないな、手伝うよ」
「ご、ごめん」
 結局四人で国原を手伝うこととなった。これもいつも通りだ。
 支度が終わったところで学校を出る。下駄箱に直行だ。帰宅部はホームルーム終了と同時にさっさと帰ってしまうので、今となっては混むことはあまりない。現に僕ら以外には三、四人程度しか見受けられない。
 横で運動部がランニングしている姿を眺めながら校門へと向かう。今は冬で、そのため息を吐くたび白い靄が出る。そんな中こうして走りこんでいる彼らはきっとすごいのだろうけれど、自分がやろうとは思わない。
「良くこの寒い中走るよな」
「若者というのはそういうものだろう」
 僕が漏らした言葉に、千堂はそう答えた。
「若者の定義がよく解らんのだけど」
「若者は若者だ」
「いや、だからそれってどういう」
 年齢的な意味では僕らも若者のはずで、だから違う区分で分けているはずなのだろうけれど、本人もよく解ってないようだ。僕もよく解らない。
「そういうもん、ってことだろう」
 千堂が返す前に榊田が口を挟む。だが、到底回答になっていないのは僕の聞き間違いではないだろう。
「そうそう、森羅万象が全て定義できるわけではないぞ。だからこそ探求、研究という言葉があってだな……」
「いや、若者という言葉の意味にそこまで深い議論を論じる意味はないだろう」
「お前、言葉を軽んじるなよ。言葉が無くては私たちは意志の疎通ができないのだからな」
「こうして話していてもお前たちと解り合っている気がしないよ。はぁ、まともなやつはいないのか」
 二対一の構図はなかなかしんどいものがある。榊田はあまり話さず、実質僕と千堂が掛け合いをしているだけに近いが、時折加わる榊田の言葉が千堂の勢いを後押ししているのだった。
 この状況をどうしたものかと考えていると、約一名、僕の隣で馬鹿な掛け合いをくすくすと見ているやつが未だにこの会話に参戦していないことに気付いた。
「そうだ、国原がいるじゃないか。国原、お前はどう思うよ?」
「え、わ、私は生徒会だから、その、ちゃんとした若者なんじゃないの、かな?」
「くそう、四面楚歌かよ!」
 四面と言うには一人足りないけれど。しかもしっかり自分だけ救済しやがった。実はちゃっかり者なのか。ていうか、それで言えばとりあえず部活動や委員会に参加していればいいのか? ならば僕は保健委員だから若者ってことかな。
「生徒会と保健委員を同列に並べるのはどうかと思うぞ」
「え、千堂、なんで今僕考えてることがわかったんだ? 口に出てた?」
「いや、まるで生徒会に入っているから若者になるのならば、委員会に入っている自分も若者の範囲内じゃないのかなとでも思っているような顔をしていたんでな」
「そんな複雑な思考を表せるほど僕の顔は器用じゃない!」
 若者の定義は、果たして結論を出すことはできなかった。かといって明日に持ち越すわけじゃない。こういうくだらない話をくだらないままに返してくだらないままに終わらせる。それが僕たちの付き合い方で、あまりのどうでもよさを僕はすっかり気に入ってしまっている。本当に、自分らしい毎日だ。
 僕たちはまた明日ね、と言い各々の家に帰った。


 ――これが、僕の普通で普通な日常。ただ、毎日が日常通りと言っても精密に厳密に繰り返しているわけではなく微妙に変わっていっているのはわかっていた。当たり前だし、だから言葉にする以前のことで。けれど、微妙の定義はどれほどかなんて聞かれても解るはずもなく、ゆえに何が起きても日常と言えば日常と納得せざる得ない部分もあるだろう。
 さっきからどうにもこれから何か起きてしまう風に語っているけれど、事実起きてしまったのだから隠し立てしてもしょうがない。いや、隠せた話でもないか。微妙の範囲がどこからどこまでかなんて議論は置いておいて、少なくとも今日僕が送ったような日は二度と来ないのだから。来ようがないのだ。役者が降板しては、二度目の公演もしようがない。
 被害者がいれば加害者もいる。そんな普通で普通なただの事件。
 だがそれは日常が非日常へと転換する、まさにターニングポイントだったのだろう。望んだことかと聞かれれば、即違うと答える。まぁ、到底避けられたものではなかったと思うけれど。

       

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Neetsha