Neetel Inside ニートノベル
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境界
消える日常風景と現れる異常風景

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 と思わせぶりなことを言ってみても、次の日起きてみたら世界が滅亡してましたみたいな急転直下な出来事が起きるわけもなく、始まりはいつもの朝だった。
 朝食を食べて歯を磨いて着替えて。鞄を持って8時に家を出る。部活動に入っているわけでも生徒会に入っているわけでもないからこの時間でも十分に間に合う。そういう奴等は俺の知るところあと一人いるのでついでに合流していく。
 家を出て最初の十字路、いつもの合流場所には既に影があった。僕は少し足を速めて近づく。
「おはよう」
 手を挙げて挨拶をする。僕の声に気づいたらしく、反応しこちらを向いた。
「遅かったではないか。このまま死ぬかと思ったぞ」
 千堂も手を挙げる。
「そこまで遅刻する気はないよ。ていうか、死ぬまで待つって地味にすごいな。忠犬ハチ公ばりじゃないか」
「私を犬呼ばわりするのか」
「いや、そんなつもりじゃないけどさ」
「あるいは私を犬として扱いたいという特殊性癖があるのか……」
「そのつもりは本当にないから!」
 どういう風に歪曲して理解したらそんな役が生まれるのだろう。甚だ疑問だ。
 足を学校へと進めながら僕たちは会話する。談笑といえるほど軽い内容じゃないと思う。主に僕の尊厳の危うさ的な意味で。ていうか、僕が本当にその類の性癖の持ち主だったら千堂はどうしていたのだろう。
「大丈夫だ。そのときはお前を男として不能にした挙句、人間として社会的に不能にする」
「言葉にしていないことに返答するな! そして、さらりと怖いこと言うんじゃない!」
 千堂は鼻をへんと鳴らす。
「私の身の安全のためだ。お前など、正当な対価だろうが。大丈夫、社会的に不能になるのは人間としてだけだ。例えば犬としてなら存分に生きていけるぞ」
「お前こそ変な嗜好があるんじゃないのか?! そもそも僕は何もしないからその等価交換は成り立たない! 存分に安心してくれ!」
「ならいいのだが」
 本当に、こいつは読心術でも心得ているのだろうか。時折思わせる節がこいつにはある。かといって、毎度の話ではないので気のせいなのだろう。
 毎朝、登校まではこんな感じだ。やはり、二人より四人の方がいいなと感じる。別に千堂と一対一が疲れるというわけじゃない。そもそも四人のときだって会話の大部分は僕と千堂で占められるわけだし。ただ、存在があるだけでこう、違うものがある。
「にしても、二人ってのは寂しいよな。国原は生徒会、榊田は――」
「バイト、だったか」
「そうそう。朝はコンビニだったかな? もう終わって学校向かってる頃だろうけど。バイト先から直行してくるから。あいつ、色々掛け持ちしてるらしいよ。学校終わってからもバイトだって。いくら家に金が無いって言っても朝っぱらまでしなくてもいいと思うんだけどな」
「怠惰を貪るよりはるかにいいだろう。それに、人には人の事情というものがあるのだ。むやみにつつくものではない。お前だってその特殊な性癖をとやかく言われたくはないだろう?」
「まだ引っ張るか!」
「とにかく、あまり踏み入るべきではないということだ。別段、踏み入って助けられる話でもなし。それともお前は援助できるほどあまりある財産でもあるのか?」
「それは無いけどさ」
「なら、私たちにするべきことは踏み入ることではないということだ」
「じゃあどうするべき?」
「さぁ、それは自分で考えるべきことだろう」
「そっか」
 仕方のないこと。考えてみれば友達と言ったって各々の事情があるわけだし、それを無視して僕の言を通そうというのはそのまま僕のエゴを通すということなのだ。
 話がひと段落したところで周りを見てみると、僕らと同じ制服の人が増えてきた。通学路は学ランとセーラーでいっぱいだ。つまり、それはそろそろ学校であるということを示している。まぁ、推理以前、もうこの風景はしっかり覚えてしまっているのでもうすぐ着くなんてのは解りきっていることなのだけれど。
 もう正門辺りが見える頃。いつもは先生が立っていて、門を通る生徒に挨拶している。運動部に属する生徒ならば元気よく返すのだろうが、今の時間来ているのはぜい弱な帰宅部勢なので挨拶が返ってこないことも少なくない。ちなみに僕は小声で返す派だ。きっと先生に聞こえていると僕は信じている。
 けれど、その日正門前には先生は誰もいなかった。
「あれ、今日は先生いないんだね」
「あまりの無視加減に先生もやる気を失ってしまったのではないか?」
「それはあるかも」
 僕らは門を抜けて下駄箱の方へ向かうべく進路をとろうとした。だが、その前に目を引くものがあった。グラウンドの中央で不自然に人が集まっているのだ。運動部でもない、制服のままの人が何十人も。何かを中心として輪になっているように見える。
「なんだろう?」
「行ってみるか」
 野次馬根性とでもいうのか知らないが、人が集まっているところには集まりたくなるのが人の性だ。向かう方向をそちらに向ける。
 近づくと、人の群れから一人、縦に抜き出ているやつがいた。榊田だ。
「あれ、榊田じゃん。おーい」
「おお」
 僕たちよりも先に着いていたらしい。何ら珍しいことではない。それよりも気になることがある。
「これ、どうしたの?」
 僕がそう言うと、榊田は人だかりの中心のほうへ指をさした。
「あれを見ろ」
「ん?」
 目で指の先を追うと、グラウンドの上に何かが置いてあった。
 
 それは人のような形をした、何かで深紅に染められた塊だった。

     

「あれ……なに?」
 僕がそう言うと、榊田は口を重たそうに開く。
「国原……らしい」
「え、いや、どういうことだよ」
「だから、国原が死んでいる、らしい」
「ちょっとどいてくれ!」
 僕は人を掻き分けて紅いそれに近づく。人の形をしているように見えたのもそのはず、転がっていたのはまさに人だったのだ。
 昨日僕らが部活のランニング姿を眺めていた校庭。その真ん中で血染めになっていたのである。どす黒い紅が土を侵していた。身体を濡らす深紅がどこから来たかと言えばもちろん体内からなのだが、出血箇所はと聞かれると非常に説明に困る状態だった。出血か所でないところがほとんどないのだ。あるいは皮膚が裂け、あるいは肉まで裂け、あるいは骨が折れ砕け。関節が本来の方向と逆に進行し、爪はかろうじて数枚残っている程度。そこまでの外傷ならば当然と言えるが、全身が腫れていた。服は殆ど無いに等しくだが劣情を催せるほどはもう人間じゃなかった。しかしだからこそ僕はそれを見続けることができているとも言えた。仮にまだ人間の体を為していたならば一目見ただけで二度と視界には入れないだろう。
 血管という本来の器など最早一縷も用を為さない程に血液が本体や周辺を埋めていたのだが、しかし刃物で刺されたというわけではなさそうだった。乱暴に、ただ獣のように衝動に任せて暴力をふるわれた結果だと思う。そうでなければこんなにぐちゃぐちゃで滅茶苦茶な死に様など無い。表現するなら、そう、醜いだ。その形容詞はこの時のためにあるかのように正確に状態を表しているようだった。的確に表し過ぎていて嫌悪を覚えるほどに。酷い死に様もいいところで、もしもこういう死に方をするとわかっていたのなら僕は自殺を選ぶだろう。顔も原形を留めておらず誰か解らないくらいだった。損傷度でいうなら顔が一番ひどいかもしれない。だから、それが国原だとは僕には思えなかった。
「これが国原って、本当なのか?」
「先生が鞄に書いてある名前を読んだのを聞いた」
「なら、間違いという可能性もあるわけだな」
「あるといえばあるが――」
「その思考はいささか希望的観測が含まれるな」
 千堂が口を挟む。正当な言でも、冷静な判断はこの時ばかりは逆撫でする一方だ。
「だとしても、何かの間違いってことも。他の国原かも知れない」
「それはありうる」
「だろう? だから確認を――」
 口調だけは平然を装うが、発する言葉は到底冷静ではなかった。
「とにかく落ち着け。警察のやることだ」
「僕は冷静だ」
「冷静にはとても見えないが」
「僕が冷静と言ったら冷静なんだ!」
「無理をするな」
「無理なんかしていない!」
「いや、この状況下で本当に冷静ならば私はお前を見損なうぞ」
「なんだよ、お前こそ嫌に冷静じゃないか」
 淡々と返してくる千堂に向かってそう言うと、俯いて僕の制服を引っ張った。それでようやく気付いた。僕以上に平然を装っているやつがいることを。
「お前は、本当に、私が、冷静を貫いているとでも、思っているのか」
 彼女の手の震えが服を通して僕に伝わる。それは、言葉以上に伝わった。
「わかったよ、悪かった」
 僕の謝罪を受けて千堂は顔を上げ、そうだな、と呟いた。
「一度落ち着こう。お前の言うとおり、まだ国原と決まったわけではない」
 こうして一応表面上は冷静を取り戻した僕だったが、理性で押しつけているだけに過ぎず、感情は一向に興奮を止めてはいなかった。あれが国原、彼女であるかどうか。ちなみに僕はあれを国原だと認めているかと聞かれれば、認めていない。いや、認めたくない。
 昨日の国原を見て、一体どうしたらあれを想像できるというのだろう。現に僕の頭は未だにこれが国原だとは納得しておらず、ただの死体、一個体のものとしか判じていなかった。理性が納得できるほど証拠がそろっているわけでもない。だから決して現実を直視していないわけじゃない。
 それに、日常にこんなものがあっていいわけがないだろう。よりによってこの完全な普通であるところの僕の日常に。普通の日常に殺人があるとでも言うのか? 友達が死ぬということがこの世界にはありふれているとでも? 普通に進学して普通に就職して普通に結婚して普通に子供を作って普通に老いて普通に退職して普通に死んでゆく予定はあったが、普通に友達が殺されるなんて。そんなの、ありえないだろう。ありえちゃいけない。普通の定義がどうじゃない。あってはならない。
 錯乱しているのはわかっている。経験のないことに混乱しているんだ。けれど、僕を今一番支配しているあれに対する感想、すなわち醜いという感情はどうしてもこれを国原と認めたものじゃないだろう。もしもこれが彼女なら、もっと別の感情が支配しているはずだ。それこそ同情だとか悲哀だとか憤怒だとか。人間の形を失っているそれを、どうして友達だと判じなければならないんだ。こんなに気持ちの悪い一塊の肉塊、モノと化したそれをどうして――。
 もしもあれが国原だったなら、僕は彼女を醜いと思ってしまったことになる。それだけは避けたいのだ。つまり、僕が思っていたことは事実もなにもなく、全部僕の都合における僕の願望だ。

       

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