Neetel Inside ニートノベル
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脱出のための追及

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  翌日の夕方、携帯に電話がかかってきた。
「はいもしもし」
 応答はない。
「もしもし? あれ。返事がないのなら切りますよ、切るよ」
 僕がそう言うと、相手が息を漏らしたような音が聞こえた。続いての返事を待つ。掛かってきたときに画面に表示された名前は良く知っているものだった。だから僕は待つのだ。
「……あれは、やはり、国原だったらしい」
 電話越しに千堂はそう言った。
「そうか」
 応答の言葉は色々あっただろうが、僕はその程度の言葉しか出なかった。
 そう、結論は変わらず国原だった。千堂は耐えかねて国原の家に電話したらしい。さすがに直接行く勇気はなかったようだ。出たのは親御さんで、告げられたのは国原が死んだということだった。国原と言っても同姓同名の誰かさんではなく、昨日僕らが共に下校していた挙動不審もいいところの学校の生徒会に属する国原だ。一人しか該当し得ないだろう。間違いなく僕の知る彼女以外ありえない。
 もしも惨状を目にせずニュースやら友達の話やらの伝聞によってのみ聞くこととなったならばもっと冷静に受け止めることができたはずで、僕の日常も上手く立て直すことができたかもしれない。しかしまざまざと見てしまった僕はあの凄惨な状態が迷惑なことに網膜にしっかり残ってしまっている。嫌な匂いが鼻を付いて舌に変な味がこびりつく。記憶が五感を使って僕に思い出させる。あれが、国原だったのだ。
 だがそれは半ば想定通りだった。ただ信じたくなかった予想が確定してしまったという話で。今となってはもう生きている国原は存在しない。シュレーディンガーの箱は開けられてしまったのである。蓋を開けてみたら死んでいたのだ。彼女は二度と還らない。
 そして、僕の現実に殺人が足を踏み入れた。それもまた事実となってしまった。
「なぁ」
「ん、なんだ?」
「榊田はもうこのことを知ってるのか?」
「いや、まだだ」
 ということは先に僕に連絡してきたということか。なら、次は榊田に電話するんだろう。
「なら僕から言っておくよ。お前は休んでおけ」
 昨日僕も冷静でなかったが千堂の方が冷静ではなかった。だから、早めに休ませるべきだと思ったのだ。それに誰かの死を伝えるのは到底嬉しいことではない。二度となれば更に重いだけだ。
「わかった。……ありがとう」
「ああ、じゃあ――」
「実はな」
「ん、なんだ?」
 千堂が承諾したので僕が電話を切ろうとしたときだった、彼女がぼそりと続けたのだ。彼女の声のトーンが急に落ちたので僕は携帯を耳により押しあてた。発する声は小さかったが、しっかりと聞こえた。
「私は実は、それほどショックを受けてはいないみたいなんだ。涙も出ないし、感情も溢れない。もっとこう死というのはどうしようもなく引きずるものだと思っていた。だが、実際は違ったんだ。全然、引きずるどころか何も変わらないんだ。この前まで一緒にいたはずなのに。大して話したことは無かったが、それでも同じ時間は共有した。けれど、駄目なんだ。――そんな自分に気付いてしまって、私は今、自分が嫌で嫌でしょうがない。昨日私が動揺していたのは国原が死んだかもしれなかったからじゃなく単に、酷いものを見てしまったからだったんだ」
 だから本当に自分の醜悪さに参っていると、千堂は言った。もしかしたら強がりかもしれないし、純粋な真実かも知れない。判断できるほど僕は彼女のことを知りえているわけではないから、どちらかはわからない。どう答えたらいいか僕は返答に困る。いや、どちらか解ったところで困る。こんな状況、生まれて初めてなのだ。だから僕は、その強がりあるいは本音に付き合うことで返事とした。要するに僕も同様に返したのだ。
「僕も同じだ。僕は自分のどうしようもなく普通な日常にまさかこんな事態が起きるとは思っていなかった。ゆえの動揺だった。毎日が平和だった。けれどある日、その平和なはずの景色に惨劇が映っている。誰だって動揺する。問題は国原に対してだ。突然僕だって今、こうして彼女が死んでしまったことを聞いても非常に冷静だ。いや、この冷静さは異常だと思うけど。けれど、事実だ。僕たちはもう、受け入れてしまっている」
「国原に申し訳ない」
「そうだな」
「だから」
 千堂は続ける。
「だから?」
「だから、私は彼女を殺した犯人を見つけようと思う」
「何だって?」
 さっき、冷静だと言ってのけた千堂。しかし、一番冷静でないことを言ってのけたのだった。僕は反射的に聞き返してしまった。無茶もいいところだ。見つけられたとしても、その前に警察が逮捕してしまっているだろう。馬鹿げている。
 だがこれが、僕らの探偵ごっこの始まりだったのだ。
「私は犯人を見つける。それが、国原に対する詫びのつもりだ」

     

「待て。昨日のお前のセリフまんまだが、それは警察の仕事だ」
「だが、こうでもしないと私は国原に申し訳が」
 はぁ、と僕は溜息をついた。
「悪いけど、思い違いだ。お前がやろうとしていることは彼女の為なんかじゃない。お前が自分自身を納得させたいだけ、自己嫌悪から逃れたいだけだろう」
 一瞬間が空いた。が、すぐにまた受話器から声がする。
「……そうだ。けれどそれ以外に、どうしたらいいかわからないんだ」
 彼女には似付かない、弱々しい声だった。しかし、僕は心が弱いだとか非難することはできない。共感するところが多大にあるからだ。
 そう。どう言葉を繕い、表現したとして。結局はそこなのだ。
「……」
 千堂にきちんとした答えを返してやることができない。僕だって今探している最中なのだから。
 昨日まで一緒にいた人間がこの世界から消去された。事実はどうにも受け入れがたいもので、きっと千堂の脳は正しい順路でもって思考できなかったのだろう。同情や悲哀や憤怒以前に思考回路がおかしくなり、言い知れぬ混乱状態になったのだ。加えてまず混乱してしまったがために、本来人として感じなければならない感情を感じ忘れていた。それに彼女は気付いたのだ。そして自己嫌悪を経て、一つの考えに至った。犯人を捜すという行為によって国原の死への悲しみという感情と代替しようという結論に。簡単に言えば私はきちんと悲しんでいますよと、行為で示そうとしているのだった。
 だからこその探偵ごっこ。本当に犯人が見つからなくていい。モーションを見せればいいのだ。
「私を苛むこの何かが一体どうすれば消えるのか全然解らないんだ」
 彼女の言葉は懺悔のようで、零れ落ちるようだった。ともすれば崩れてしまいそうな。いや、本当に崩れかけているのかもしれないが。
「なぁ、私は一体どうするべきだと思う?」
 千堂が僕に相談してくるのは初めてのことだった。それは元々彼女の問題処理能力が殆ど何事も解決できるほどに高度であることによる。そこまでの能力を持ってして解決できない問題だ。僕ごときが正答を見つけられるはずが無い。
 もちろん、それは自分で考えるべきこと、とは言えない。何を言えばいいのか回答に詰まる。頭を回してひねり出そうとする。
 そこで僕は思った。いや、思ってしまったのだった。いっそ、探偵ごっこをした方がいいのではないかと。犯人を捕まえなくとも探す行為だけすればいいのなら危険は無いはずだ。それで彼女が自身を治めることができるのならいいじゃないか。
「ああ、わかった。なら犯人探し、するだけしてみよう。することが解らないなら、きっとそれが僕らにできる唯一のことだ」
 だから僕は言ったのだった。僕ら、すなわち僕も参加して探偵ごっこをすれば、彼女が暴走してしまっても止めることができる。それに、僕自身を治めることもできるかもしれない。
「……ありがとう」
 彼女の少し明るい声が聞こえてきた。本当に少しだったけれど、答えが間違ってはなかったのだと僕は安心した。
「どういたしまして」
「色々とすまない。……それとありがとう。じゃあ、後でメールするから」
「ああ。じゃあな」
「では、また」
 互いに挨拶して電話を切る。
 受話器を置くとすっと熱が降りたかのように冷静になった。そこで、自分の返答が正しかったのか考える。彼女の心を解決できるにしても、選択は正しかったのか。もし、最初に犯人を特定してしまったらどうなってしまうのだろう。万が一、あるいは億が一レベルではありうる。可能性としては奇跡に近い。だが、世界人口に当てはめれば億が一でも約70人が該当する。そう考えると決してあり得ないことではないように思えた。杞憂であるとは思う。しかしそれは、石橋を叩くとでもいうのか、安全が確認できない未知のことだけに避けられない心配だった。
 そんな思考を巡らせていると、ポケットに入れていた携帯が振動した。携帯を開けて新着メールを開く。差出人をみると千堂と書いてあった。本文は短く、要件だけが簡単に書かれている。
“明日、午前9時に校門前で”
 僕の選択が吉と出るか凶と出るか。一抹の不安はどうしても隠しきれなかった。

     

「やっぱりあれは国原だったらしい」
「……」
 榊田は言葉に詰まっている。
 僕は夜十時、ちょうど榊田がアルバイトを終えて帰ってくるだろう時間に電話した。要件は知っての通りだ。予想は正しく、最初に出たのが榊田だった。そして、僕は千堂が教えてくれた通りの情報を榊田にも伝えたのだ。
「で、これからどうするって話なんだけど」
 返答を待たず、僕は続ける。
「千堂が犯人を見つけようと言いだした」
「……」
「まずは明日の9時からだ。僕は付いていくつもりだけど、榊田、お前はどうする?」
「……」
「そうでもしないと収まらないみたいだ。確かに悪いことをするわけじゃないよ。でも正直なところ、いい案だとは思ってない。ただの自己満足に過ぎないしね。だから例えお前が断っても、僕はいいと思う。どうする?」
「……」
 まだ榊田の沈黙は続く。けれど、僕はそれ以上話さなかった。ゆえに無言状態の通話が続く。一分か二分は経っただろうか。沈黙に耐えかねたのか落ち着いてきたのかは知らないが、やっと榊田が返事をした。
「……悪いけど俺は行けない」
 暗く、低い声だった。
「そっか。バイトか?」
「ああ。申し訳ない」
「分かった。お前も色々大変なんだな。いつも思うけど、無理して身体を壊すなよ」
「気を付ける。ありがとう」
「それじゃあ」
「ああ、そっちも頑張ってくれ」
 そして僕は受話器を置いた。

 翌朝9時。
 僕は少し前に集合場所で待機していたのだが、千堂はまるで身体にタイマーでも付けているかのように時間ぴったりに現れた。
 今日は休校最終日だ。だから学校に人がいないかと言えばそうではない。警察が調査のためかグラウンドに何人もいるようだ。ここからだと少し遠いのではっきりしないが、全身紺色の服を着ているので多分そうだろう。学校の方へ眼をやると、電気がついている。取り調べでもしているのだろうか。少なくとも学校内にも誰かがいるのは間違いないだろう。ちなみに校門はと言うと、閉まっていた。当然と言えば当然だけど。
 そして、僕らはその校門の前に立っているのだった。
「おはよう。相変わらず早いな」
「5分前行動が僕のモットーでね」
「初めて聞いたぞ。しかし、それには感心だ」
「だろう? これでデートもばっちりだ」
「惜しむらくはデートの機会が無いということか」
「残念な限りだよ」
 千堂の憎まれ口も僕の返答もいつも通りのやり取りだった。一個体の死ではやはり世界が逆転するわけではないようだ。当たり前か。ただどうしても盛り上がりきれないのはそういうことだろう。少なからず、影響はあるのだ。
「さて」
 僕が次に何を話すか迷っていると、千堂はおもむろに眼鏡を外しポケットから出した布でレンズを拭きだした。曇ったのだろうか。そして十分だと判断して拭くのをやめるとそれを頭の上にかけた。もちろんだが、眼鏡の機能を果たせる状態ではない。
「おい、なんで頭にかけてるんだ」
 眼鏡はそうかけるものではないと思っていたので思わず聞く僕。
「だってこうしないとよく見えないだろう」
「見えるようになるためにかけるもんじゃないのか」
「違うな、私の場合は見えないようにかけているのだ」
「眼鏡の用途を究極に無視してるな……。ていうか一体何の意味が」
「あれだ。重りをつけて走り、後でそれを外すと足が軽いような感じがするだろう? それと同じだ。現に今の私はとても目がいいぞ」
 聞いてはみても要領が得ない回答ばかりだった。まさか本当は衝撃のあまり頭をおかしくしてしまったのか? だから犯人捜しなんて。けれど、そうだったところで僕にはどうしようもなかった。会話を続けるしかない。
「そりゃ度の合わない眼鏡ならかけてない方が見えるだろうけど。でも一つ忠告しておいてやるが、目に合わない眼鏡は逆に視力を落とすらしいぞ」
 そう言うと、千堂は急に溜息をついた。
「そんなこと、知っている」
「え?」
「言ってみただけだ。狙って面白いことを言ってみようと思っただけだ。失敗もいいところだったが」
「ああ、良かった。頭がおしゃかになったと思ったよ」
「大丈夫だ。お前であるまいし」
 ここで、ようやく合点がいったのだった。千堂なりに空気を変えようとでもしたのだろう。わずかでもいつもと違うことを、彼女は嫌ったのだ。しかし、それこそ彼女らしくもないことだった。いつでも自分らしさを貫く、マイペースもいいところの千堂らしくない。
 けれどそれは些細なこと。いちいち突っかかることじゃない。それよりも今はすべきことがある。
「さて、無駄話はここまでだ」
 千堂は顔を厳しくしてそう言った。そして咳払いをし、僕を真っすぐに視る。その視線に、全てが一瞬止まったかのように感じる。視線を外すことができない。大きな瞳の強い視線に飲み込まれていたのだ。

 始まりの合図はとても静かに、だが凛とした声で響いた。
「――さぁ、犯人探しを始めるぞ」

       

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Neetsha