Neetel Inside 文芸新都
表紙

小説版「アルカノイド」
中編

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 残らずアルカノイドに夢中になっていて、信じられないことだが皆の頭から脚本の問題がきれいに消えてしまっていた。

 夏、ぼくの教室は若者たちの熱気で、これだけ面白いゲームを題材に舞台をやれば、面白い上演ができないはずはない、という雰囲気になっていた。しかし面白い舞台になるだろうという、予感だけしかなかった。脚本もなければ、舞台装置も、出演者(つまりぼくたち)の舞台経験も何もなかった。

 アルカノイドはパズルゲームだ。はじめアーケードに登場し、それからパソコンやファミコンに移植された。棒切れが変な玉コロをはじき返す世界に設定や話がある、ということを知るのは、ぼくたちが文化祭を終えて、学年も変わり、記憶が風化しはじめるずっと後のことだ。
 つまりぼくたちは、文化祭でまったくオリジナルのアルカノイド物語を制作しようとしていたのだ。

 はじめに脚本がないことに気がついたのは、ぼくだった。クラスメイトたちはやる気十分で、打ち合わせもなしに勝手に大道具を組み立てたりしていた。星の舞う黒塗りのベニヤ板を、どこから調達したのかペンキで塗りたくったり、数人で座になって硬直したままビクビク震えたりと(棒のつもりらしい)、授業が終わるのを待ってめいめいに独自の稽古をはじめていた。

 そう、「アルカノイド」で演劇をするとして、もっとも手っとり早く仕上がりそうな発想は人間があの不可解な棒切れを演じることであった。アルカノイドにおいて棒切れの役をこなすというのは、つまり主役を演じることである。
 大道具を制作する同級生をのぞき、ほぼ半数の生徒がビクビクと痙攣しているところをみると、どうやらクラスの半数は主役として舞台にたつことを望んでいるらしい。
 ぼくは収縮する彼らの汗の輝きを眺めながら、文化祭の出し物を成功させようと決意していた。普段のぼくは何でもひとりでやろうとする個人競技向けの性格で、みんなで何かをしようとすると決まって円陣から離れて補佐に回る。
 しかし演劇「アルカノイド」を上演するにあたり、実にはじめて、人のために何かをやり遂げようという気持ちになった。クラスメイトの必死な姿を見ているうちに、形容できない沸き上がる気持ちが、ぼくの胸を満たした。

 文化祭まであと三日、ぼくはホームルームで教壇に立った。
 まだ脚本ができていないことを思い出させるためだ。そのことを告げると、教室は失意に包まれた。特に不良グループが黙っていなかった。彼らは棒切れの擬態演習にもっとも余念のなかったグループで、その日もすでに土足の校舎をころげまわれるよう、すり切れた学校指定のジャージに着替えていた。
 彼らの怒りはなぜか必死に練習していた自分たちに向けられ、こんなことなら何もするんじゃなかったと絶叫しながら暴れはじめた。イスを投げ机を投げ、場内が騒然とする中、生活指導部や体育教師が駆け込んで来て彼らを取り押さえようとした。このままでは上演がとりやめになるのは誰の目にも明らかだった。
 そのときぼくの足が勝手に駆け出して、両者の間に割って入り、音が出るほどの大見得を切っていた。そうではない、練習は決して無駄にはならない。今までの練習が生かされる脚本を揃えればよいのだ。脚本はぼくが書く。

 しかしその時、体育教師の振り上げた石灰袋がぼくの側頭部を強打した。ぼくの視界は真っ暗になった。

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 次に目をさましたのは保険室の中だった。枕元にリアルゴールドと書き置きが並べてあって、読んでみると不良グループの寄せ書きで、ぼくの勇気を称えるとあった。なぜリアルゴールドなのか理解に苦しんだが、ぼくはそれを飲んだ。
 不意に扉が開き、コーヒーをふたつ持った体育教師が入ってきた。彼はぼくを危険から逃そうとして、石灰の詰まった袋で脇へどかしたのだと、危険なことを言った。
 体育教師が出て行くと、入れ違いに副委員長が入ってきた。右手にDECハイノートを抱え、左手にふたつ、ピクニックのカフェオレを持っている。
 彼女はぼくをなぐさめる言葉をさがしているようだった。音も無くベッドの脇に座ると、ストローからカフェオレを飲んで窓を眺めた。色づいた広葉樹を、ふたりだけでぼんやり眺めた。

 彼女の話によれば、ホームルーム中に暴れ出した暴走族のクラスメートは、先生の厚意で停学は免れた(ぼくは彼女の話で、はじめて彼らが暴走族であることを知った)。しかし問題は他の一般生徒で、あの騒動から演劇を続ける気力を失っているのだという。このままでは、あさっての文化祭ではわた菓子を売ることになるかもしれない。彼女は視線を落とした。

 あさって。
 だとするとぼくは、丸1日眠っていたことになる。ぼくは残された時間の少なさに慄然とした。
 ぼくは「アルカノイド」の上演をあきらめたわけではなかった。「アルカノイド」を通じて、はじめてみんなで何かをやることの楽しさに気づいたのだ。
 ぼくはその時、よほど険しい顔付きをしていたのだろう。いつもは強気なところのある副委員長が、おびえたような表情を見せた。見上げるようにこちらをうかがっていたが、ぼくが台本を書き上げる気でいるのを察すると、気を取り直して手元のノートパソコンを起動した。

 DECハイノートの中には、見慣れたエミュレータ画面に「アルカノイド」が動作していた。聞くと、今度の文化祭のためにわざわざパソコンを一台調達したらしく、彼女のお兄さんが秋葉原まで行って買ってきたのだと言う。
 肝心のアルカノイドは、パソコン本体がずいぶんと古くて性能が追いつかず、ガクガクと不安定な動きを見せていた。おそらく中古で安いのを見つけてきたのだろう。

 副委員長はぼくの不服そうな指の運びを見て、べそをかいた。彼女に非はないのに。
 静けさの支配する保健室の中で、彼女のしゃっくりだけが響いていた。ぼくは彼女を抱き寄せると、小さな頭をなでてやった。彼女が恥ずかしがって、体中を熱くしているのを腕越しに感じる。そうして、ぼくたちは唇をかさねた。

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 保健室の扉が、校舎中に聞こえる音を立てて閉められた。副委員長が出ていったのだ。
 思い出したくもないのだが、お互いにはじめてのキスを交わしてから、三回に渡る(水物ばかりの)差し入れで、ぼくの膀胱は破裂寸前だった。男性の読者諸氏ならわかってくれると思う。こういう時、男性は理屈抜きで硬くなってしまうことがあるのだ。
 うっとりとした眼差しで座り直したとき、副委員長は股間の剛直に触れてしまった。しかしこれは単なる生理現象だ。生徒手帳に誓って、なんらやましいことはないと宣言できる。向かい合った姿をまじめにとらえると、彼女はぼくの視線を「その先」への決意と読んでしまった。彼女は女子生徒たちのボスたる腕力を取り戻すと、ぼくを突き飛ばし血相を変えて廊下に飛び出していった。よろめいたぼくは薬品棚にぶつかって、こめかみから血を流している。

 枕元にはDECのハイノートが忘れられていた。ぼくは側頭部の痛みと下半身のこわばりを持て余して、また、まともに動作しようとしないアルカノイドを持て余していた。駆けていった副委員長の後ろ姿を思い返すと、胸が刺されるような気持ちになった。

 これが恋だろうか。ぼくはDECハイノートに優しく指を這わせた。キーボードは絹のような肌触りで、彼女のすべすべとした黒い髪を思い出させた。キータッチの柔らかな弾力を感じるぼくの手は、背中に手をまわした夢のひとときと同じものだった。気がつくと、ぼくはウィンドウズ付属の「メモ帳」をたちあげて、戯曲「アルカノイド」のために台本を作っていた。

・・・続く

       

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