Neetel Inside ニートノベル
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天才・一ノ瀬隆志が居ない
第八話 我慢出来る子と出来ない子

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八.我慢出来る子と出来ない子


「だ、大じゃなくて小よ! 小!」
 今論点となっているのは決してそこではないが、阿竹にとっては死活問題なんだろう。先ほど御代を一方的に追い詰めている場面で、阿竹がなぜか妙に焦っていた理由がこれで判明した訳であるが、この場面ですべき対処法が俺には思い浮かばない。
 ぶっちゃけ、想定外だった。
「我慢できそうにないのか?」
 やけに優しい口調で、御代が阿竹にそう尋ねた。阿竹は首をフルフルと横に振り、目を瞑ってどうにか堪えているようだ。
「おい、隆志!」
 言われなくても分かっている。いくら俺が決めたルールとはいえ、こういった例外は認めざるをえない。俺はマイクの電源をオンにして、阿竹に言った。
「阿竹、一回その部屋から出てトイレにいってこい。階段下りて右手だ」
 こちらから遠隔操作で鍵は開けられない仕様だったのを思い出して、付け加える。
「こちら側からは今すぐに開けられない。ぬいぐるみに『ギブアップ』と言ってくれ」
 御代がぬいぐるみを拾って、阿竹に渡そうとしたが、阿竹はそれを払いのけた。
「い、いや。絶対にいや」
 プライド、意地、一直線の恋心。なんとでも形容は出来るだろうが、本人はそのどれとも言わないだろう。
「漏らしたいのか!?」
 御代が鬼気迫る表情でそう尋ねる。
「しかもその様子をバッチリ隆志に見られるんだぞ」
 カメラ越しに指さされた俺はすぐに全力で否定したかったが、それでは阿竹は折れないだろうという事は分かっていた。
「私は絶対に『ギブアップ』とは言わない。あなたか優希のどっちかが言って」
 急に話を振られた緑谷は、うろたえていたが、もっとうろたえている人物がここにいる。
 おそらく、御代、緑谷両名とも、ギブアップとは言ってくれないだろう。冷たいと思われるかもしれないが、よくよく考えてみれば当たり前の事だ。今トイレに行きたいのは阿竹本人であるのだから、ギブアップを宣言するのは阿竹であるのが当然の事だろう。それにしても失敗だった。阿竹の辞書に、諦めるという文字は無い。『ギブアップ』なんて単語を設定したが為に、こんな事になろうとは。 
 とはいえ、知らん振りは出来ない。俺の部屋で漏らされても事だし、それ以上に、俺にそういう趣味があると思われたら心外だ。少し前にも言ったとおり、俺に覗き趣味は無い。阿竹は絶対にギブアップをしない。回答権は今緑谷にあるが、それを認めないと二人は言う。しかもその二人もギブアップはしない。八方塞のこの状況を打破する為には、最終手段、俺が部屋に行くしかない。
 だが……だが、ここまで順調に進行してきたゲームを自らの手で崩せというのか。俺はたかだか『尿意』という敵に、敗北を喫するというのか。俺が椅子から半分だけ立ち上がり、中腰の姿勢で葛藤をしていると、緑谷がこう呟いた。
「ペ、ペットボトルにするというのは……?」
 ハッ! それ……じゃない!
「漏らすのと大して変わりはないぞ」
 と、御代。阿竹もそれに同意。
「そんな所見られるなんて死んでも嫌」
 猛烈な反論を喰らった緑谷は、なぜか物凄く恥ずかしそうに引き下がった。そういえば、緑谷は引きこもりだった。これ以上は何も言わないが。
 いや、今はそんな事はどうでもいい。茶番をしている場合ではない。一刻も早く俺が出向かなければ、阿竹の自尊心が危ない!
 俺は立ち上がって、新たに決意を固めて、振り返った。
 するとそこに、いるはずの無い人物がいた。
 その人物はニコリと微笑むと、俺に向けて右の拳を放ってきた。反射的に両手でガードをあげると、残った左手で俺の右手首に手錠をかけた。その後、俺の左手は掴まれ、引っ張られ、あっという間に両手に手錠がかかり、俺は床に突っ伏した。声をあげようとすると、そいつは自由になった左手で、俺の口を塞いだ。
「ただいま、お兄様」
 その人物は俺の、そして悪魔の妹だった。
 俺はうつぶせに倒れたまま、妹の全体重を背中に受け、両手で口を塞がれている。両手はというと、腹部の下あたりで手錠に囚われ、完全に自由を失っている。いくら相手が年下の女とはいえ、もう抵抗はできない。
「大声出さないって、結花と約束してくれる?」
 一ノ瀬結花。それが俺の妹の名前だ。俺は大きく頷くが、まだ結花は手を離してくれない。
「嘘ついたら、針千本だからね」
 結花の部屋には本当に針が千本準備されているのを俺は知っている。何もいっぺんに飲ませようとしてくる訳ではない。毎日少しづつ、細い細い小さい針を、飲み物や食べ物に混入してくるつもりなのだ。結花はそういうタイプの妹なのだ。
 ようやく結花が手を離し、少し呼吸が楽になった。
「はぁはぁ……どうしてここにいる?」
「ここって言うのは~」まるで何か欲しいおもちゃでもねだるような、甘い口調で「いつ日本に帰ってきたのかって事? それともこの部屋って事かしら?」
「どっちもだ。説明してくれ」
 俺は強めの口調で言ったが、そんな脅しが結花に通じるはずがない。
「怒らないでねお兄様。お兄様があんまりにも面白そうな事をしていたから、結花も仲間に入れて欲しかったの」
 結花はそう言っている間にさりげなく、俺の両足を押さえつけ、モニターが乗っている机の脚へと紐でくくりつけていた。
「いっつもお兄様は結花を仲間はずれにするんだから。妹は大切にするものよ」
「俺の質問に答える気は無いのか?」
 と、俺が結花の世界に横槍を入れると、結花は俺の頭をぐいぐいと押さえつけ、俺は床にほお擦りをした。
「ねえねえ、懐かしくない? 人質ごっこ」
 昔よくやった遊びだ。いつもいつも俺が人質役だった。当然、いやな思い出しかない。
「どうするつもりだ?」
「どうしてほしいの?」
 まるで空気を殴りつけるような感覚。結花の相手は一筋縄ではいかない。
「お兄様がもっと楽しめるようにね、結花も色々考えてみたの。今からしてみせるから、お兄様は黙って見ててね」
 結花はそう言って、俺の上から立ち上がり、俺がさっきまで座ってた席に座ってモニターを眺めた。俺はどうにか身体を動かそうとしたが、思うように動かない。手錠をはめられ、足もしっかり縛り付けられている。だが、それ以上になぜだか妙に力が入らないのだ。
「これがマイクのスイッチね。あらら、モニターの中の人達がお兄様の事を呼んでるみたいよ」
 スピーカーから、御代の声が聞こえた。
「隆志! そこまでして女子の放尿シーンが見たいのか!? そういう趣味なら私が付き合ってやるから、ここはひとまず助けにきてくれ!」
 相変わらずとんちんかんな事を言っている。こっちはもうそれ所じゃないというのに。
「ふふ、御代さんってやっぱり面白いわね。流石にお兄様が見込んだだけの事はあるわ」
 結花はマイクのスイッチをオンにして、悩ましげな吐息と共にこう言った。
「こんにちは」
 これまで俺の声しかしなかったぬいぐるみから、突然女の声が聞こえたのだ。驚くのも無理はないだろう。
「こ、この声は……」
 御代はどうやら気づいたようだ。なにせ幼馴染で、隣の家に住んでいる事もあって、それなりに面識はある。人質ごっこの時も、助けにきてくれるのはいつも御代だった。
「おひさしぶりね、御代さん。あら、他の二人は初めてかしら」
 阿竹が御代の方を向いて、何やら言いたげにしていた。少し角度的に見づらいが、俺もどうにかモニターを覗きこめる。
「初めまして。私、隆志お兄様の妹の結花と申しますの。よろしく」
 阿竹も緑谷も、何が起こったのかわからない様子だ。
「お二人は何て言うのかしら?」
 尋ねられ、まずは阿竹が答える。
「阿竹宮子。一ノ瀬君と同じクラスの学級委員長よ」
 次は緑谷。
「……緑谷……優希です。同じクラスです」
「そう、よろしくね、阿竹さん。緑谷さん」
 御代がベッドに乗っかり、カメラに顔を近づけて大声でこう言った。
「これはどういう事だ隆志! 元々妹と共犯でこのゲームを仕掛けたという事か?」
 断じて違う。俺にとっても結花の登場は完全に予想外のハプニングだ。
「それは誤解ね御代さん。むしろ、お兄様は私を仲間外れにしようとしたのよ? ひどいと思わない?」
 実の兄を後ろから襲い、拘束して、ひどいのはどちらの方だ。と、俺は心の中で突っ込みをいれる。
「うふふ、もう少し皆さんと話をしたいのだけれど、あんまり時間も無いから、それはまた今度にしましょう。それより先に、私が作った新しいゲームを皆さんに楽しんでもらいたいわ。今から説明するからよく聞いてね」
 無論、何を考えているのかさっぱり分からない。
「簡単に言ってしまえば、私、これからお兄様を『お姉様』にしようと思うの」
 ……え?
「股の間にぶら下がってる物を切り取って、女性ホルモンを注射して、豊胸手術もして、お兄様は『お姉様』になるのよ」
 俺は自分の呼吸が止まっているのに気づいた。結花の話し振りは、針千本リアルに飲ます時の口調と全く同じだったからである。
 モニターの向こう側の三人も同じような反応だった。
「私ね、昔からお姉様が欲しかったの。でも妹ならまだしも、お姉様って作りようがないじゃない? でも幸い、私にはお兄様がいたから、私閃いたのよ。お兄様をお姉様に改造してしまえばいいんだわってね」
 俺はやや朦朧とする意識の中で思い出す。結花は小学校中学校を飛び級で卒業し、高校にあがると同時に海外に留学し、あちらで大学に進学していたのだ。結花は俺の一つ下のはずだから、現在十六歳。そういえばこの前、大学を卒業したと手紙がきていた。
「だから私、海外の医大まで卒業してね。医師免許を取得しましたの。それでインターンを終えて、たった今日本に帰ってきたって訳。これでお兄様をお姉様にする準備が整ったって事ね」
 この俺以上に天才の妹は、本気で俺に性転換手術を施す気らしい。
 って、そんな事が許されると思っているのか。俺は大声をあげようと、口を開いた。男にとって財産よりも大事な物を切り取られるよりは、針千本飲まされた方がマシである。
 が、なぜかかすれたような声しか出ない。気づくと、指先に力が入らない。
「私、お注射うまいでしょ? 全然気づかれないんだから」
 こちらを向いて囁く妹。俺は何かを注入されてしまったようだ。妹は再びモニターの方を向いて続ける。
「で、あなた達にこれからして欲しいゲームは、名づけて『人質ゲーム』。私がお兄様をお姉様にしちゃう前に、今私達がいる所を探し当ててね。そして私からお兄様を取り返せたら、あなた達の勝ち。取り返せなかったら、私の勝ちね。今から手術の準備を整えるには、そうね、三十分くらいかかるかしら。良い? 制限時間は三十分ね。それじゃ、頑張って」
 茫然自失、結花以外。突然地球が爆発する事が確定したかのような、どう対処していいか分からない状態。
「私って、やっぱりお医者さんよりも詐欺師の才能の方があるみたいね」
 結花が俺を見て笑っている。その微笑はまさに魔性で、底なしの不安を感じさせる。
「お兄様にだけ教えてあげる。本当はね、まだ手術の準備なんて出来てないの」
 結花は立ち上がり、この部屋の入り口に置かれた鞄を拾い、中身を出した。
「メス何本かと、少しの麻酔。あと食べ歩きガイドブックに、おもちゃのチンパンジー。これじゃ手術は出来ないでしょ?」
 後半はほとんど関係なさそうだが、確かにそれじゃ手術はできそうにない。それで始めると言われたらまさに恐怖だ。結花は時計を見て呟く。
「えっと、今夕方の六時だから、あと一時間ね」
 俺はかすれた声で、どうにか言葉を吐き出す。
「な、何があと一時間だ……」
「あと一時間で荷物が届くの。たららったらー家庭用緊急手術セット~。あっちの教授が私の事気に入ってね、おねだりしたら買ってもらえたの」
 さぞかし楽しいキャンパスライフだったんだろう。俺はその教授を恨む。
「三人がかりでこられたら、かよわい私は負けちゃうわ。荷物も守らなきゃいけない訳だしね」
 ゲームは眼くらましで、その緊急手術セットを安全に確保するのが真の目的という事か。相変わらず頭は切れるが、キレている。
「それにね、私にはお兄様に私の活躍を見てて欲しい理由があるの。いくら手術で性転換できると言ったって、手術後も定期的に女性ホルモンやサプリメントを飲んでもらわなきゃいけないし、何より私は、お兄様が心からお姉様になってくれる事を望んでるの」
 何という勝手な理屈だろうか。だが、俺も人のことを言えた義理ではないので、ここはあえて黙っておく。
「そして私とお姉さまの二人で、いつまでもいつまでも幸せに暮らすの。どう? 素敵でしょう? 私があの子達なんかよりも遥かに能力が高い事をこれから証明してあげる。私はお姉様を決して飽きさせないわ。女の子同士の秘密なんか作ったりして、うふふふふ」
 やばい。もうすっかり結花が壊れモードに入っている事を今更ながら俺は確認した。これはマジも大マジ。荷物が家に届いて、それをもしも結花が確保すれば、本当に手術が始まってしまいそうだ。
「一人づつ篭絡していくには、まずは部屋から出させる事が必要だと思うの。あ、ほら、三人が部屋から出るわ」
 俺はモニターに視線を戻した。スピーカーからの声に耳を傾ける。
「『ギブアップ』!」
 誰が最初に言ったかと思えば、御代と阿竹がぬいぐるみの耳を片方づつ掴んで叫んでいた。その後ろでさりげなく、緑谷も同じ言葉を呟いていたが、影響はしていないだろう。そしてドアが開く。俺のゲームをぶち壊しにして、結花のゲームが始まってしまったようだ。

       

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Neetsha