Neetel Inside 文芸新都
表紙

2P SG "THE GOLD"
Life…前

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 いつか崩れるのではないかと思わせるこの階段を降り、行き着く先はバカゴツイ金属製の
扉だ。凶悪犯を収容する房の扉もきっとこんな感じだろう。おあつらえ向きに、人の目の
高さには細長い覗き窓がある。きっとレクター教授でも出られないだろう。

ガンッ ガンッ

 扉を蹴飛ばすとわずかに扉が震える。単なるノックじゃこの扉はビクもしないので、中の
用心棒の耳にその音が届かない。とはいえ、強めに叩けばこの極厚の扉は、ノックした拳
をイカレさせてしまう。
「はい、どなたで?」
 内側から覗き窓を覗く、今流行りのドラッグのやり過ぎであまりに白目の目立つ男の目。
「オーナーにダニエルズを持ってきた。つまみは生ガキだ」
 覗き窓に向かってそう答える。このドラッグをキメると、異常に口が臭くなる。とてもじ
ゃなかいが覗き窓越しに目を合わせて喋る距離になんて近付けない。
重々しい扉が開き、目に飛び込んでくるのは、見事な乱痴気騒ぎだ。ドラッグによってハ
イになってしまい、誰とも分かっていない者達と激しい交わりあいを起こす者、一杯数万
円の酒を頭から浴びる者、その者達に嘲笑の表情を送りながら、ただひたすら冷静に取引
を行う者、その誰もが各界の著名人で……いわゆるセレブリティと言うヤツだ。
「入りな、今日は第四試合だ」
 そう言われて通される俺は、この乱痴気騒ぎを扇動する人間に他ならない。
「何試合待ちっすか、今?」
 グチャグチャに入り乱れたドラッグ中毒者の間をすり抜けて(その途中で俺のベルトを
引っ掴んだ二人の内一人は与党一の敏腕と名高いオッサンだった)選手控え室の扉の前に
辿り着き、扉を預かるスタッフに訊ねた。
「今の試合が第二試合だ。さっさとウォーミングアップしな」
 そう言ってスタッフを指差す先では、この乱痴気騒ぎの扇動者達が鬼のような目をしている。
店の中央に位置された八角形の檻そのものがドラッグに感じられる。もしかするとドラッグ
がなくても……
 スタッフに通された扉の向こうは、そんな騒ぎから完全に隔絶されている。
「ふぅ……」
 扉に寄りかかって溜息を吐く。

 いつもこうだ。

 ここに来たかったのかどうか、いつもここで思い出せなくなる。
 少なくとも入り口で、あの口の臭い男に通されるまではアドレナリンが出まくっていて、
ドラッグでハイになっているあの連中にも『ハイ具合』では負けていなかったハズ。
 控え室のドアに手を掛ける。重い。

 いつもこうだ。

 専用の個室だ。いつもここでウォーミングアップをしながら待つ。そしてその間にさっ
きまでのモチベーションを取り戻すのだ。
「コォ~」
 腹の底から搾り出すように息を吐くと、深く、吸気を全身に巡らすようにイメージする。
常に臨戦態勢をとる事。それが闘う者の基本だ。呼吸一つで体中に気合を充填する。左右
のバランスを整える事が重要なのだが……やはり闘争本能がそうさせるのだろう、どうし
ても真っ直ぐ立っている感じがしない。
 今すぐにでも飛び出してしまいたいのだ。
 部屋の外から聞こえない歓声を想像させるに不足ない地響きが伝わってくる。
 試合終了の合図だ。
 俺は跳ぶように部屋を出ると、そこへ続く廊下を走り出した。次は第三試合なのだから
俺の出番ではない。控え室を飛び出したのは試合を観たいからだ。

 いつもこうだ。

 駆ける俺が目指す先は指定席だ。合皮製のカバー、リクライニングもない、ただの安物。
ただし、それは床で人間の誇りを捨てている連中を見下ろせる高さにあるというだけでそ
いつらの乗るプレジデントのシートですら及ばない程の、快適さを俺に提供してくれる。
連中を食い物にしている者の、単なるVIPルームなのだから……まぁ然るべき人達から言
わせれば同じ穴のムジナなのだろうが。
 そして、八角形の檻はそんな床よりは高い場所にある。それが意味するモノは、尊い。
「それではぁ~第三試合を闘う二人を紹介させて頂きます!」
 熱い叫びが聞こえた。会場のテンションが更に沸き立つ。まぁ紹介なんて“客”は誰一
人として聞いていないのだが。
 紹介を待っていたかのように後方から人混みを掻き分け、大男が八角形の金網の檻の戸
をむしるように開けて照明の当たる檻の中にその姿を現した。その男の図体の大きさに会
場がまた盛り上がる。見ない顔のそいつはスパッツを穿いているだけの……
「ゴリラが自分から檻に入ってるんじゃねぇ?」
 VIPルームは大爆笑に包まれる。俺にしてみればそれは率直な感想を述べたまでで、冗
談を言っているワケではない。ま、それが皮肉を帯びているのは育ちのせいだろう。おっ
とこれは皮肉だった。
 ゴリラ男は八角形の檻の中で雄叫びを挙げる。まさにゴリラだ。野性味があると言えば
闘う人としては良い聞こえだろうが
「あのゴリラは新人?」
 ちょうど横を通りかかったウェイターに小声で訊ねる。
「えぇ……なんでも性格が悪すぎてプロレスで使ってもらえないとかいう理由で“コッ
チ”に。チャーン会長のコネだそうで」
 そう言うとウェイターは足早にカウンターへと去ってしまった。原則としてここでは出
場する人間のプロフィールは秘密なのだそうだ。理由は公平を規するため、だそうな。
「なるほどね……」
 体格は良い。確かに強いのだろうが、プロレスという格闘技ではないエンターテイメン
トの世界では通用しない強さなのだろう。カンフー映画の衝撃的な破壊シーンを伴う格闘
の場面をCGやスタントなしでやるようなモノで、プロレスのリングとは非常に高度な演劇
なのだと言われている。おそらく自分の強さを過信し、納得できない扱いの筋書きに耐え
られなくてホされたクチだろう。
 そんなゴリラ男の対戦相手が、そんな八角形の檻……オクタゴンに入ってきた時、会場
の空気は一変した。
「驚いた、相手も新人だね」
 見ない顔とかそういう問題じゃない。つくづくここの会長は趣味が悪い。そう思わざる
を得ない。何考えてんだ。
 会場の端からブーイングが沸き始めた。気持ちは分かる。
「女子高生か?五秒耐ったらお前に寿司おごってやるよ」
 隣の男が俺に気だるそうに言った。


     



 遂にブーイングはマイクを通しているアナウンスの声すら掻き消すモノになってしま
った。
「今まで女の子がここに出た事ってあんの?」
 隣の男に訊ねる。
「少なくとも俺がここに来て四年……見たトキねーよ。新人を出したのは相手がオンナ
だからか?」
 オクタゴンに入場した彼女は向かい合っている男と比べると小動物のようだ。目算で
身長は百六十センチ程だろう。細くはないが締まっている、確かに格闘技向きの体だ。
だが、幾ら相手がほとんど素人とはいえ、体格差が無視出来ようか。
「騙されたと思うか?」
 男がタバコを吹かしながら訊いてきた。無論彼女の事だろう。
「そうでなきゃ、自殺志願の人か……よっぽどのアブネー女か、だろうね」
 俺は適当にそう答えた。実のところ、マッチングを見た時点で興味を削がれていた。
 ファイトクラブ。
 映画に影響されたのかどうかは知らないが、毎週金曜の夜にこの空気の澱んだ地下で
行われている賭博格闘技だ。いわゆるルールというモノは存在しない。あるとすれば
『素手』だろうか。公には出せないような技を会得した武術者が集い、八角形の金網
フェンスで作られた檻の中で闘う。この究極と言え、そして子供騙しとも言える勝負シ
ステムでもっとも注目されるべきはその勝敗の仕組みだと、ここに集う武術者は口を揃
える。しかし、そんな格闘家のプライドとは裏腹に、一つの試合で日本円に換算すると
十億円近い金品が動くこの地下ではそのルールに対する異議で毎週大騒ぎが起こる。
 結局、武道の心なぞどうでもいいのだろうか。
 ここのオーナーに聞いた話だが、今現在、企業間で起きている意地の張り合いの原因
の大体はここで生まれているらしい。
 そんな勝敗システムは至って武道家っぽいモノで、初めて聞かされた時は感心してし
まった程だ。

 決着は勝者の独断に委ねられる。

 それは、ここに集うもののふ達の戦いが純粋な『武道』である事の証明だ。当然、か
なりの高次元の戦いだ、常に命を賭して挑む。極めて単純な位置まで遡れば武術とは殺
し合いでしかないからだ。
「これは……どうなのかなぁ?」
 ぼんやり言う隣の男も、唯一のそのルールを分かっているからこそ、今目の前で始ま
ろうとしている試合に疑問をもったようだ。
 当然、わざと負けたフリをして背を向けた相手に一撃を・・・なんてヤツもいるが、
このルールにおいてはそれもアリなのだ。兵は奇道なり、だそうだ。
 まぁそれを見分けられないヤツが悪いという事だろう。
「同感ですな」
ここで行われるのは『武道』である。当然生死に関わる問題であるが、実はここで死ぬ
人は比較的少ない。より高いレベルの『武道』とは、むしろ防御にあるからだそうだ。
そして武道家にとって命を奪うのは目的ではなく、どちらかというと手段に近いとか。
 だがこれは……どうだろうか?
 女性格闘家は星の数ほどいる。というか自分の保護者がそうなのだから。かなりの使
い手の女性がいても何も不思議に感じはしない。
 ただ、体格という問題は幾ら中国のように数千年の研鑽があっても決して解決はしな
い。
「身長差が四十センチくらい……体重においては、三倍はありそーだな」
 あくまでのん気だ。彼はタバコを灰皿に押し付けながらそう言う。
 これだけの体格差があると『何かの間違い』で命を落とす事があるのだ。そんなモノ
は武術ではない。
 だが、これはそういう問題だけじゃない。俺が彼女ならこんな場所で素手でやり合う
気にならないだろう。やりあうなら確実に殺すしかないので実に気が進まない。
 何でもアリのルールなのだ、つまりは決着が独断に委ねられてる。
 階下の観客の中には確実に『それ』を期待している目をもった連中が見える。
 強姦されたって、それを咎める術はここにはない。
「お、始まるぜ。俺は期待するぜ、マニアに高く売れる」
 隣の男が今度はキャビアの乗ったクラッカーをバリバリと齧っている。コイツもレイ
プを期待しているようだ。
 配当表示が電子掲示板に表示される。
 正直な感想を漏らして周囲が爆笑した。
「あぁ……今日の財布の金であのコに賭けたらサッカー場が作れたのに」
 あまりにワンサイドな光景に極厚のガラスに張り付いて見てしまった。
「でも良い目してるねーあのコ」
 誰かがそんな事を言った。確かに相手に臆する様子もない。
 誰が言うでもなく試合は始まる。ゴングが存在しない。リングインした瞬間を狙って
攻撃しても良いのだが、賭けが成立しない内にそんな事すればここをホされるのが目に
見えている。相手が女だからだろうか、プロレスラーが真っ直ぐ、彼女に向かって突進
した。
「遅ぇ……跳び膝蹴り、腎臓撃ち、サッカーボールキック」
 口の中で、彼女を自分に置き換えシミュレートする。
 ボソボソと危ない独り言を言っている俺を気にする者はもういない。初めは周りが俺
を気味悪がった。まぁどちらにせよ取るアクションは変わらないが。
 勝負は一瞬だった。
 一合目、男が彼女に掴みかかった直前だった、それまでは階下の連中も目で捉えられ
ただろう。誰もが決着を確認出来たのが、連中が次に見た光景だろう。
 男は喉仏から血飛沫を上げて、ゆっくりとうつ伏せに倒れた。
「疾い……」
 先程までけたたましく響いていたブーイングを一瞬で鎮めてしまった。間を置いて、
今度はザワザワとしてきた。あまりの早業に戸惑う者、大枚をドブに捨ててしまった者、
そして俺も含めたこの試合を見ていたここの選手達が口々に何かを言っている。
 金網のドアが開けられ、そそくさと控え室へと向かう血まみれの少女。その目は先程
同様、闘う者だけが持ちえる力に溢れていた。
「さて……ブーンと俺も行きますか」
 大きく伸びをして、VIPルームを出る。
「さー愛する女神様のためっ」

 頑張ろう。



     



 薄暗い廊下を少年が歩いている。履いている突っ掛けサンダルが、一歩進むごとにペタ
ペタと音を鳴らす以外は、静かなものである。
「おっ……」
 出口の方から少女が、少年の方へ歩いて来た。彼女の右上半身は、ドス黒い返り血に染
まっていた。
「お疲れ様です……見事な貫き手ですね」
 彼は擦れ違いざまに会釈した。
「どーも。あなたが次の試合の人?」
 彼女は真っ直ぐ少年の目を、射抜くような目で見つめて、訊ねた。
「えぇ、まあ。良かったらモニターでご覧になってください」
 少年は口元だけで笑い、答えた。それすらもかなり笑顔が際どい。
「あなた……名前は?」
 彼を見る彼女の目に、初めて興味の色が浮かんだ。それを見た少年は機嫌の良い顔で
「悪いな、賭けに公平を規するため自分の事は話しちゃいけないルールなんだ、ここでは」
「そう……」
 少年は苦そうな顔で頭を掻き、少女に背を向けて出口へと歩き出した。
 二、三歩歩いてから、足を止めて彼は振り向かずに彼女に言った。
「試合でも見て……好きに呼ぶと良い。俺もそうするさ」
「そう……。それじゃぁ頑張って」
 彼女は彼の背中にそう言った。
(あの貫き手が見えてるってのには驚きだね……やはりここは侮れない)
 少年がドアを開くと、薄暗い廊下に光が鋭く射し込んだ。同時に、鼓膜を突き破らんば
かりの大歓声が廊下を突き抜けた。



                 *



「おいおい……人の事を言えた身ではなかった」
 相手の顔を見るのに、ここまで首を仰け反らなければならないのなんて初めてだ。
「アンドレじゃねーっつの……」
 先程のあのコとあんな遭遇イベントがあった手前、負けたりしたら格好悪すぎる。
 倍率はどんぐりの背比べ……ここなら学校と違って俺も人気者だ。向こうはその結果に
えらく不満のようだが。
「やっとキミと当たったよ……日頃の行いが良いみたいだ」
 大男の声は耳より先に俺の脳天に降りかかっている。
「期待するのは勝手っスけど、さっきみたいな試合勘弁っスよ」
「ははっ……そうだよなー血は臭いもシミも一度付いたら取れんて」
「まぁ顔面が腫れるのも似たようなモノですけどね」
 肩をすくめてそう答えると、大男は豪快に笑った。
 この電車を乗るにも極端に屈まなければならない生活をしている男は、確か古流柔術の
達人だ。二年前のデビュー戦では見事な関節外しで相手を戦闘不能に追い込み、極力相手
に血を流させない闘い方からクリーンファイターとして観客の人気を集めている。
(まったく、この人の何処がクリーンファイターなんだか……)
 何でもアリのルールにおいては馬乗りになった状態からの技術の長けている者が圧倒的
に有利だ。この男の場合、芸術的な柔術技術に加え常人離れの腕力を持っている点で、こ
のルールは最適と言える。
(本当に綺麗な戦いをする人はあんな目をしねーっての)
 関節を外し、遂には立てなくなった相手を見下ろす彼の目は、ゾッとする程冷たい。そ
の行為を彼は十数秒の間続け、その後周囲に体裁良く白い歯を見せながら勝ち名乗りをす
る。やられた方にとっては生き恥を晒しているようなモノだ。彼に復讐を果たそうと燃え
ている選手も少なくない。
「最前列でご観覧の皆さんは血飛沫にご注意くださーい」
 スピーカーから、そんなアナウンスが聞こえた。金網に張り付いて観ている連中のほと
んどは、前の試合の選手達が跳ばした血飛沫を浴びて、体の何処かしらが赤く染まってい
る。
 周囲を一瞥し終わる頃には、八角形の檻の中の空気は、その外の何十倍もの密度で張り
詰めていた。柔術着に身を包んだ彼との距離は、目方で三メートル程、お互いが踏み込め
ばすぐに必殺技の応酬になるだろう。構えた状態でお互いがピタリと止まる。
 右手を前に突き出し、左を顎の横で止め照準を合わせる。踵をやや浮かせた右足を前に
して、俺はゆっくりとフットワークでオクタゴンの壁を背に、円を描くように横移動をす
る。
 申し合わせたように向こうも円を描くように移動し、間合いを確保している。
 四半周を超えた。
 お互いの間がジリジリと詰まるのを理解しだした客が、言葉を失い、息を詰める。会場
が段々と静まり、張り詰めた空間は遂にオクタゴンを越えてフロア全体を侵食してしまっ
たのだろう。豪快な組み打ちが展開される事が多いここだ、こうやって静まり返る試合は
珍しいから、試合をやっている俺でもすぐ分かる。
 彼の持つ必殺の領域は一目瞭然、俺よりもかなり広い。ある程度の奇襲のタイミングさ
え距離を確保すれば潰せる。あとは遠慮なく距離を詰めてくるだろう。

 案の定。

 素早い掴み手が、前方に突き出した俺の右手をガッチリと捕まえて思い切り引き寄せた。

 ゴリッ

 いつまでも耳に残ってしまいそうな程に不快な、他に表現の見付からないような音と一
緒に、強烈な痛みが俺の脳天を貫いた。
 肘の関節を外された。肘関節周辺の感覚は……これまた表現が難しかった。
「へっ……」
 痛みで歪みそうな顔で無理矢理笑う。
 一瞬、彼の早業に大いに盛り上がりの色を示した観客達であったが、すぐに異変に気付
いて、ザワザワとなり、再び張り詰めた空気の中黙ってしまった。
 彼が掴んでいた俺の右手首を離し、土気色の歪んだ表情でその場にうずくまったのだ。
「ぐふっ……」
 やっとこさで漏らせた吐息は、同時に何か固形物を吐き出しそうな程に不自然な音だっ
た。
 敢えて右手を捨て、俺は関節外しと同じタイミングで彼の水月に足尖蹴り……爪先を固
めた前蹴りを放った。
 あんな化け物を相手にするには……これしかなかった。
 肉を斬らせて骨を絶つとは……よく云ったものだ。

 ゴリッ…

 捻じ込むように関節をハメる。まったくもって不快な音だ。気絶しそうなくらい痛いし。
ハメるのはAVの世界だけにして欲しい。
「おぉぉー!!立ちやがったぁ!!」
 独りの観客のそんな歓声を皮切りに、オクタゴンを取り囲む連中のテンションが急激に
ヒートアップした。大騒ぎである。
「あーあー……寝てろよなぁ」
 苦しそうな顔で、彼がすっくと立ち上がった。
(しまったな、追い討ちをかけるべきだった……)
 とは言え古流柔術の達人だ、下手に倒れた相手に跳びかかるのは感心出来ないか。
 本当なら今のでKO勝利だったのだろうが……
「なるほど……確かに血は落ちにくいや」
 前の試合であのコが放った貫き手のお陰で、さっきまでこの闘場の床はどろどろの不健
康そうな鮮血まみれだったのを思い出した。ここの客は試合と試合の間が空き過ぎると客
同士で喧嘩を始め、挙げ句バーカウンターの設備を滅茶苦茶にしてしまう。血を拭き取る
時間なんて十分に作れない。足の裏越しに、まぁ慣れてはいるが……気持ち悪い感触が伝
わる。血糊が相手に地の利を……つまんね。
「足場に負けたなぁ……」
 関節をハメて、動く事には動くが……
「参った……慌てて無理にハメたからか、関節周辺の筋肉をヤッちまったな」
 動かせない程ではないが、ひどく痛む。
 お互い手負いではあるが、このようなルールで動ける範囲は限られ、しかも達人同士の
戦いにおいては追い詰められて尚、戦える者の方が有利な場合がしばしばある。手負いの
獣は我が身を省みずに、そして手段を選ばず相手の息の根を止めにかかる。武術の達人に
おいてそれは、渾身の力を込めた禁じ手のような技である事が多いのだ。
「ふぅ~」
 根の深そうな呼吸が、彼の口から漏れる。と同時にぐぐっと背筋を伸ばしながら、姿勢
を低く構えた。手前に構えられたその両手の照準を下半身に絞ったのが、そんな動作から
分かった。相手に狙いがバレようが関係無い。どうせ、必殺技なのだから。
 構えない。
 下手に構えれば達人の技だ、上手い事ガードを潜ってくるだろう。
 最速の攻撃で仕留める。
 そう決心して相手を見据えたその瞬間、低弾道ミサイルと化した大男が一気に突っ込ん
できた。
 上手く俺の虚を突いた。追い詰められていてもそこは達人だ。本能的に冷静になってい
る。

 ビシャッ……

 相変わらず気持ち悪い。生温かい鮮血を頭から被った。



       

表紙

ウド(獅子頭) 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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Neetsha