Neetel Inside 文芸新都
表紙

2P SG "THE GOLD"
Life…中

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「ノックアウトー!!」

頭上のスピーカーから興奮気味の、けたたましいアナウンスが聞こえる。観客達は、押し

合い圧し合いに少しでも金網に近付き、試合の勝者を見ようとしている。最前列に陣取っ

ていた観客達は、阿鼻叫喚といった状況である。その最前列の者達は、決着の一撃で飛び

散った新たな血飛沫を顔面から浴び、社交界の有名人であるにも関わらず、もはや誰が誰

なのかすら判別不可能な身形をしていた。

「ふぅ・・・」

タカハシはズキズキと痛む右手で丁寧に、目の周りについた血糊を取り除いた。

「よし、辛うじて見える」

(あーあ・・・こりゃこの後の試合やる人は俺より苦労するよ・・・)

彼が見下ろした闘技場のマットの本来の色は純白なのだが、今となってはそんな事は到底

信じられないような有り様である。そこに、身長二メートル超の大男が横たわっている。

取り除いた血糊を落とすために、タカハシは空気を斬って右腕を振った。

「うぅーイテテテテ・・・」

早く手当てさせて、彼はそう訴えるような目で、スタッフに金網フェンスの扉を開くのを

急かす。

そして、扉が開くと同時に

「あ、出血はヒドイけどね、さっさと手当てすれば大丈夫だから早く大っきな担架用意し

てあげてね」

そう言い残して、タカハシは足早に人混みを掻き分けて控え室へと消えていった。その途

中声をかけてくる観客の科白は

『おい、一体どうなったんだ?』

『早くてみんな分からなかっただろうな、俺は分かったぜ。良い蹴りだったぜ』

大きく分けると、この二種類だった。

といった感じで、タカハシは苦笑してしまった。

閑静な、薄暗い廊下を独りタカハシは歩く。その足音は試合前のペタペタといったもので

はなく、くちゃくちゃといったあまり気持ちの良い音ではなかった。

「お疲れ様・・・」

それまでは下を向いて歩いていたタカハシであったが、その声に彼は面を上げた。

「あ、さっきの」

「スズ」

「え?」

「そう呼んで頂戴」

「じゃぁ俺の事はなんて呼んでくれる?」

スズと名乗った、その少女の身形は、今では綺麗なものだった。べったりと張り付いてい

た血糊は、さっぱりと洗い流されていた。

タカハシはにこりと、笑ったつもりだったのだろうが、何分痛みで表情は歪んでしまって

いて、およそ適切とは言えない笑顔になってしまった。

「・・・・・・じゃぁ・・・ハヤテ君で」

「由来を訊いて良い?」

(あまりネーミングセンスが良くないのか・・・それともハナっからやる気ないのか)

「さっきのアレ、お見事だった・・・そんなトコかな、理由は」

「見えてたんだ」

「あんな馬鹿な攻撃を一合目にしてくれれば、次の攻撃は嫌でも注目するし」

(じゃぁあの前蹴りも見えてたんだ・・・)

タカハシの心で、彼女に対する驚きと警戒の念が浮上した。そしてそれを遥かに越えるス

ケールで興味の念が二つの先頭に踊り出た。その表情には出さないが。

「相手の渾身の超高速タックルを迎撃した、あれがキミの最速の攻撃?」

「まぁね。状況的に迎撃しか道はなくてね」

「低弾道のタックルから相手の足元で体勢を急浮上・・・正直キミがやられたと」

「そのまま低く来られてたら・・・もっと綺麗に勝てたんだけどね。急浮上もハッキリ言

って速過ぎて普通の人じゃ見えなかっただろうね」

「確かに。でもキミの体幹で発生した円運動をより中心に近い位置で放てる技はよっぽど

の使い手でも見える人が限られてくると思うね・・・」

さっきの知ったかぶりとは違う、タカハシはバレないように生唾を飲み込んだ。

(危険な存在だなー)

先程から浴びせられている彼女の射るような目線は、タカハシの背筋に嫌な汗を流させていた。

「その肘・・・痛くなかった?」

スズが、タカハシの右肘を指差して訊ねた。

「まぁね・・・痛過ぎて泣きそう」

化かし合いをやっていたつもりのタカハシがポロリと本音をこぼす。

「アタシの貫き手よりもよっぽどタチが悪いと思うよ」

話し過ぎだな、タカハシはそう考え、彼女の横を通り過ぎた。擦れ違い様に

「あ、あのフィニッシュの肘打ちね、あの状況での最速技ってだけだからね」

そう言って。それを聞いたスズは口元だけで笑い、自分の控え室に下がった。

あの時

手負いの大男は低空の高速タックル放つと、タカハシの足元に来たところで猛烈な勢いで

急浮上し、タカハシの喉目掛けてフライパンのような両手を伸ばした。タカハシはその急

浮上した彼の脳天を目掛けて、傷んだ肘を振り下ろしたのだった。おそらく彼は何をされ

たのかすら分からずに倒れただろう。観客達が、大男のそんなノックダウンを確認出来た

タイミングというと、タカハシが攻撃を終えて構え直し、遅れて彼の動きが止まったとこ

ろであろう。

近年、格闘技の興行が華やかに彩られ、ブラウン管を通して家庭に放送されるようになり、

格闘技に明るい者達が増えた事で、肘の攻撃の脅威も知られるようになった。タイ式のキ

ックボクシングなどでは専ら相手の肉を、肘の硬い骨で切り裂くために使われる。当然、

その過激さ故、家庭に放送されるような興行になるとそれは反則として固く禁じられる。

(あの様子じゃ・・・二ヶ月くらいは休場かな・・・)

控え室に戻るなり、シャワールームに突撃するように入って、タカハシは勢い良く蛇口を

捻った。間もなく温かい湯が勢い良く彼の頭に降り注ぐ。

「うわっ!やっぱ落ちねーよ!無駄話すんじゃなかったよ」

スポンジで力強く、胸板をゴシゴシと擦る。血糊自体は程なくして排水溝の闇へと消えて

いく。落ちないのは、わずかな、常人であれば特に気にもならない程度に香る、血の匂い

だった。

(・・・・・・香水は嫌いなんだけどなぁ・・・)

シャワーを止め、とろとろとした足取りでシャワールームを出ると、部屋に広がるシャン

プーの香りの中わずかに、しかし確かに血の匂いが自己主張している。

「これじゃぁ会いにいけないな・・・」

バスタオルで頭をかきむしったお陰でタカハシの頭の中ではキンキンと何かが張り詰める

ような音が響いている。

(そう言えば・・・スズからは血の匂いがしなかったっけ・・・)

ソファに仰向けに横たわり、ぼんやり思い出す。

(女の秘密メイク道具とかなのか?)

拭き出しながら勢い良く立ち上がる。乱暴に私服に着替え、どっかとソファに深く腰掛け

た。テレビモニターの向こうでは、達人同士の熾烈な殴り合いの様子が窺えた。

(色気のない金曜の夜に・・・)

観客が床を踏み鳴らす度に、タカハシが寝転がっているソファが微妙に跳ねる。

(うー戦いたくねぇな)

天井へと、負傷した右腕をかざす。とてもいびつな彼の肘には、もはや痛み以外の感覚が

無かった。

(これじゃぁやっぱり今夜は会えないかね・・・)

かざした手を見れば、指の間から漏れる蛍光灯の明かりが目に入る。

「スズ・・・ね」



     



どうやら俺の肘は、骨は亀裂が入った程度で済んだが、周囲の筋肉組織は・・・

「ボロボロね・・・」

まるで峰不二子のような、ここ地下闘技場専属のお医者様がナンとも楽しげに俺の腕を上

に引っ張ったりブルンブルン振りまわしたりしながら眺めている。

「あの・・・痛いンスけど」

「ああーやっぱり!!」

「ネーさん楽しい?」

闇医者の世界じゃ五指に入る程の名医なのだが、いかんせん性格が悪い。

何をどうすればそうなったのか、謎が多い話のひとつに、この人はトモハラさんと共に俺

の教育係をしていたという・・・殺し屋として機械を組み立てるような育て方をされてき

たのだが、この意味の分からない色気は俺が物心付いた頃には既にあった。二人に言える

事だが、この十数年まるでその容姿が変わっていない。二人共、美人は美人なのだが、そ

の種類は正反対で・・・陰と陽に・・・と言うか淫と・・・。無論、本人は意識している

ワケではないらしく、色んな意味で『仕方ない』らしい。

ちなみにこの人も俺より強い。どうやら中東紛争で傭兵として雇われた軍医という経歴が

あるらしく・・・。

「アンタの自己治癒力なら全治に一ヶ月ってトコね」

ぐにぐにと肘の周りの筋肉を触診し、そう言った。ここまで仕草ひとつひとつに色気を感

じると、ある意味芸術だ。特に凄いところは、別にこの人はセックスアピールをするよう

な過激な服を着ているワケではない事だろうか。現に最近は俺の服を勝手に着ている。今

なんて俺のリーバイス・・・メンズだ、俺のTシャツ・・・俺より似合ってやがる、一体

いつの間に俺のタンスから引き出しているのか。

「ん?・・・アンタ香水してる?」

「今日は特に血浴びたからね」

「・・・・・・それだけ?」

「だけだよ・・・。・・・・・・ん?」

この人の勘ぐりは時折見事な的外れをやらかしてくれる。

「そう言えば・・・女の子が今日は出場してたね、ふふん・・・」

「あまり良い展開を予想出来ない発言ですね、相変わらず・・・」

彼女は俺の発言を無視したのか・・・はたまた自分のペースを乱す発言は本能的に理解し

ない機能でも搭載しているのか・・・。

「随分可愛いコだったけど・・・色気付きやがったか・・・」

否定するのも面倒なのだが・・・

「いや・・・もういいんだよ」

「はァ?」

「下手に香水付けても・・・エリスは気付いちゃうからね」

「・・・・・・」

ふー、といった感じのわざとらしい溜息を吐いて

「この怪我ならしばらくは大人しくいなきゃならないから・・・明日にでもゆっくり話しな」

そう言った。無論、そうするつもりだ。

「んだけど・・・あのコは可愛い小娘じゃないの・・・ありゃDカップはあ」

カポッ

「くふっ」

みなまで言わさずに、彼女の口を手の平で塞いだ。それなりにTPOを弁えようとしてい

るそうなのだが、びっくりするぐらいにこの人の発言が危ない時がある。

「ふふふふ・・・」

長年の付き合いの経験上、この人の仕草で唯一色気をまとわずに魅力的なのが、こうして

笑う時の表情だろう。呆れ顔の俺の頭をくしゃくしゃに撫でる・・・これだけはいつまで

変わらない気がしている。

「それじゃ、俺帰るよ」

「うん、お大事に」

ふらふらと医務室の外に出て、薄暗い廊下を歩く。ひんやりとした空気が漂い、スニーカー

のトコトコという足音が向こう側のドアから跳ね返ってくる。この地下を出て、デタラメ

を誤魔化して回る世界に戻る事を想像すると、ぞっとしてしまうし安心もする。無論、外

が熱帯夜だという事を思い出せば、それにもゾッとして・・・お笑いだが冷や汗が出る。

オクタゴンを真ん中に、だだっ広いフロアは今、静寂に包まれている。床には所々に、白

い粉や紙幣、そして血をはじめとする人から出たのだろう臭い汁が散らばっている。あと

一時間もすれば掃除屋が来て、リフォーム同然の修繕が為される。何せ、来る度にここの

壁に描かれている絵は変わっている。

足元に注意しながら歩を進める。

「よぉ良い腕輪だなぁ」

出口の前に立っている、先程の門番が意地悪そうな笑顔でそう言う。

「早く出せ」

「けっ」

俺のスカシがよっぽど気に入らなかったのか、男が紙飛行機を投げ付けてきた。これを取

りこぼして床の汚いモノにでも突っ込もうモノなら・・・タダ働きだ。

本気で気に入らなかったようだ、腕を引っ掴まれて外に追い出された。怪我した方だ。

「この野郎!いつかシバいてやっからなーこの腐れジャンキーが!!」

流れ作業で乱暴に閉められた、核シェルター用の扉を本気で蹴飛ばす。

「けっ・・・」

ポケットに手を突っ込んで、地上へと続く階段を登る。冷静になったトコロで全身から汗

がぶわっと・・・

ハニーマイルロードは未来型都市開発計画の中心地より若干離れていて、丑三つ刻も眠ら

ない中心地とは違い実に静かだ。この時間なら無数の星が望める程に暗い。未だ空から地

上を窺っている天の川を見上げて感慨にふける時間はたっぷりあるのだが

「あちぃ・・・」

路傍にあるコカ・コーラの自販機の前で、先程受け取った紙切れを眺める。

ひとつ・・・。

ふたつ・・・。

みっつ・・・。

よっつ・・・。

「ふふ~ん」

毎度の事ではあるが、いつもいつもここで額面に書かれたゼロの数を確認してしまう。

地下闘技場の戦士に払われるファイトマネーの金額は一律一千万円・・・勿論選手によっ

てはそれ相当のドルであったりユーロであったり・・・または金やプラチナになる事もあ

る。ただ、地下に集う武道家達はお金よりも名誉、といった感じで心根が生粋の武士なの

で、こうやってありがたく賞金を貰う俺は地下闘技場戦士の中では変り種だ。当然、時折

金目当てで参戦する者を見るが、哀しいかな大抵は返り討ちにあってしまう。

殺し屋を辞めて以来、俺はこの方法で生活を支えている。何もこんな過激な職業の渡り歩

きをしなければならないワケじゃない。まだ中学生というのもあり、以前より湯水のよう

に使えちまう程の援助を知り合いから受けている。しかし、それに手をつけた事はない。

それについての話になると、決まって

「ガキのくせに頑固だ」

とクラタに言われたモノだ。



夏休みが始まって早一週間。

俺は、特に遊び狂うワケでもなく、すだれの掛かったベランダで本を読んだりして日々を

過ごしている。遊んだ事と言えば、トシアキに誘われて自転車で知らない街まで走った事

だろうか。面白そうだったので彼の舵取りに全てを任せたトコロ、見事に帰り道を見失っ

てしまい、見慣れない山道を夜遅くまで彷徨った。

彼が「も~だめだ~」と半泣きになったトコロで、俺は彼から舵を奪った。「なら早く言え」

と言わんばかりに殴られた。

残り、この一週間の半分以上の時間はエリスの所で遊んでいる。いつものようにエリス、

トモハラさんの三人で何か話したり、エリスのピアノに合わせて俺がブルースハープ吹い

たり・・・。俺の『日常』の時間が長くなっただけである。

戦って、エリスの所に行って・・・それが俺の日常なのだ。



     



シュッ

ザッ

日が昇る。

彼是二時間、彼女は日が昇るまでの間、暗い原生林の中で空気を切り裂いていた。

彼女の周辺に在る、肩の高さの草花は皆一様に彼女の放つ『凶器』の威力に巻き込まれていた。

息を吐いて上下するナナコの細い肩からは、木々の間から射す朝陽に照らされて蒸気が

上がっているのが見える。

(まだ・・・まだまだ・・・かな・・・)

首を横に振る。

そして悪戦苦闘しながら、ひたすらに彼女は『肘』を振り続ける。

(あのコの肘は・・・まるで音がしなかったのに・・・)

あの夜の、一瞬の出来事の映像を、彼女は何度も脳味噌の中で再生している。フロアで生

観戦をしていた他の闘技場戦士から聞く限りでは、タカハシの放った一撃は無音の攻撃で、

ナナコ以外にそれを目で捉えた戦士もごくわずかであった。

剣の達人の素振りは、空気を斬った時の音がならない。

(つまりはあの一撃は剣の達人のそれのレベルだって事だね・・・)

見た目は何処にでもいるような少年のタカハシが何故あのような危険な場所にいて、達人

の奥義すらも凌ぐ一撃を放てるのか、ナナコはそれを目撃してから三日、ひたすらにその

謎について考えていた。

(歳は・・・絶対アタシと大差ない・・・て言うか絶対年下だ・・・)

タカハシは声変わりすらしていない。

ナナコが今の今まで修行に費やした時間、そして何よりその内容において、彼女は決して

他の追随を許すつもりはない。ましてやそれが年下の少年とあっては。

(今まで散々・・・さんっざん!!)

確かに現実問題として戦いにおいて男と女の差は無視出来ない。彼女はそれを認識してい

る。だからこそ勝つために、人として何事にも対等はある事を証明するために。

(・・・それにしても・・・スズってのはどうかと・・・もう)

タカハシに向かって彼女が咄嗟に名乗った名前は、幼い頃に読んだマンガのヒロインの名

前だ。典型的な勧善懲悪で愚にもつかない内容ではあったが、とても心に残っている。そ

して、タカハシを名付けたハヤテという名も、そのマンガに出てくるヒーローの名前だっ

た。強くて、でもいつもふざけているヒーローと、やはり強くてそのヒーローに手を焼く

幼馴染のヒロイン。それは彼女にとってはもっとも大切な仮名であり、もっともやる気の

ない命名でもあった。

(ま・・・でもイメージは遠くない)

学校のない、こうした休みはきっと彼も血反吐も出なくなるような稽古を積んでいるのだ

ろう、そしてその実力を、日々の生活で必死に隠しているはずだ。彼女は再び疾風の如き

一撃を、まぶたの裏で再生し、空気を切り裂き始めた。



                    *



確かに俺の日頃の行いは褒められたモノじゃない。

だからってこれはないだろ。

「あ・・・」

目さえ合わなければ良かったのだろうが・・・

無理矢理に目を逸らして、滅茶苦茶に無理のある振りで隣のトシアキに話しかける。

なんとかやりすごせ・・・。

「こらっ!なんで無視すんの?」

擦れ違うトコロでガッチリ肩を掴まれる。そりゃーもう、あーもう・・・並の握力じゃあ

ないワケで・・・。


「何?タカハシの知り合い?」

びっくり、といった顔でトシアキが訊いた。

「あ、うん・・・まぁ・・・」

おどおど・・・そんな感じに見えるだろう。

素早く彼女に耳打ちする。

(ちょっと今はマズイんだよ!)

彼女は、はぁ?といった感じの表情だ。

「あ・・・あーあー・・・じゃぁ俺先にゲーセン行ってるかんなっ!じゃっごゆっくり!」

ぴゅ~っと・・・トシアキが行ってしまった。上手い事勘違いしてくれたのか、下手を打

ったのかは分からないが。

「はぁ・・・」

「ちょっと、挨拶ぐらいしたって良いと思うんですけど」

キツイ口調で自称スズが言う。その目も相当キツイ。

「ちょっとついて来い・・・」

「え、あ・・・ちょっとっ!」

往来をすり抜けるように駆け、雑居ビルの裏にある、人気のまるでない駐車場で俺は足を

止めた。

「あのさ・・・一体どうして」

俺に遅れること数秒、スズが駐車場に入ってきた。

「マズいんだよ」

「え?」

「あの地下闘技場の戦士はプライベートで会ってはいけない・・・そうしろって注意され

なかったか?」

「・・・・・・」

新入りには必ず、念を押して説明する事だが・・・彼女は俺の顔を見て絶句、といった感じだ。

「その現場を誰かに見られてみろ、賭けが公正に行われなくなる心配がある」

「あ・・・べ、別にそんなつもりじゃ・・・」

憤慨した様子だ。確かに俺も始めはこんな感じだった。

「まーそんな感じではないのは分かるよ。でもな・・・それが善意であれ第三者が見れば

疑念を抱いて然るべき場所へ報告しに行く事だって考えられるだろ」

「何それ、すごい理不尽」

「まーな。確かに・・・このルールは『暗黙の了解』であって公式のハナシじゃねーから

な。でも、あそこを干されたら困るだろ?ムエタイの業界じゃよくある事だし。俺は生活

のためにも金が必要だし・・・」

彼女の眉がピクッと動く。おっとしまった。頭が良い事。

「あんた・・・ハヤテ君・・・一体何者?」

「ハヤテにスズ・・・あぁ思い出した。マイナーなマンガ好きなんだな」

「質問に答えて」

彼女の緊張が伝わる。場の空気が一気に凍りついた。

スパイなんかのハナシだと、秘密を知られたら即座にソイツを始末する。それを警戒して

いるのだろうか。

「だから言ってるだろ・・・言えない。言わないんじゃなくて、言えない」

憮然としている。て言うか俺の正体なんて人にいう程のモノじゃない。むしろ知らない方

が良い。これが他の戦士達だったらベラベラ喋ったって良いのだろうが。何せ何処かの武

術の達人で、業界ではある程度の有名人だったりするワケだから。

彼女の表情に段々と怒りの感情が見えてきた。

「・・・・・・おあつらえ向きにだだっ広くて人目につかない場所だね」

「いや、まったく。女の子を連れてくるような場所じゃなかったね、失敬」

ほとんど抑揚のない科白を吐く。

「地下のコンセプトは?」

「・・・・・・弱肉強食だな」

俺がそう答えた瞬間、彼女は地面を蹴って、こちらに突進してきた。

なるほど、力ずくって事だ。

電光石火の貫き手が俺の目玉目掛けて飛んでくる。

パンッ

掌底で必死にそれをいなす。直後、後頭部に殺意を感じる。

ブォンッ

「くっ・・・!!」

咄嗟に真横に転がって何とか殺意の行使を回避出来た。貫き手から間髪置かずに廻し蹴り

が延髄を襲おうとしていた。

「おいおい・・・それじゃぁ俺死んじゃうよ」

慌てて彼女が一足跳びで寄れそうもない距離に離脱する。

その直後に見た彼女の顔には、驚き・・・が浮かんでいた。が、すぐに感情の見えない能

面ヅラに変わった。どうやら相当自信のあるコンビネーションだったのだろう。

向こうがこれから殺人技の波状攻撃を仕掛けてくるだろう事は容易に想像出来る。だけど

今の俺の腕の状態では、これ以上は戦えない。人の喉笛をいとも容易く貫くような技は片

手一本で防げるようなモノじゃない。

それじゃぁどうすれば良い。

上手く体裁きで攻撃を回避してカウンターで・・・一撃で・・・。

再び彼女が攻撃を仕掛ける。

鋭い横蹴りも、なんとか足運びでギリギリに回避する。

隙を見つける。

だめだ。

ザッ

「・・・・・・」

歩幅を等間隔に、また彼女との間に距離を作る。

「・・・・・・なんで・・・なんで?」

射るような彼女の視線、そして訝しさの感情がこもった言葉

「アンタ今・・・わざと隙を見せただろ・・・?」

「そんな事はどうでもいい・・・なんで攻撃をしない!」

彼女が声を張り上げる。雑居ビルに挟まれたこの空間で、声がギンギンと響く。

「るっさいな!仕方ないだろーが!」

一体理不尽なのはどっちだ?と自分に問いたくなる。憮然としたいのは彼女の方なのは十分解る。

「女だからって?そう言いたい?」

彼女の眉根がピクピクと引きつる。そりゃぁ女って理由で手を抜かれれば怒るだろう。

でも、俺はそれドコロじゃなかった。

「そ・・・そ・・・」

「何?ハッキリ言いなよ」

モゴモゴと言葉を出し惜しみしているように見えたのだろう。明らかに数瞬前とは様子の

違う俺を見て彼女が苛立たしげにそう言った。

「うるせぇな!!」

「は?」

彼女の顔がきょとん、とした。弁解の台詞でも聞けるかと思っていたのだろう。それがい

きなり『うるせぇ!!』だ、そりゃそうだ。

「その顔!そのガタイ!んで・・・んで・・・」

後は野となれ

「その嫌でも目に入れちまうその揺れるデカイ乳!!」

山となれ。

「本能的に体が止まるんだよ!!文句あるかコンニャロ!!」



     



彼は・・・手前の命名のハヤテ君は今、目の前で顔を真っ赤にして理解不能の開き直りで

セクハラ発言をした。しかもかなりの絶叫で。

「はぁ・・・?」

もはやこの空間に、緊張は存在しない。

「えーと・・・だから・・・・・・ごめんなさい」

絶叫を終え、肩で息をしながら彼は急にモゴモゴとそんな事を言い出した。いまさら何を

弁解しようというのだ。何かと困惑したいのはこっちの方だ。

つまり彼が攻撃出来ないのは、こっちに責任があると・・・?

自分の胸の大きさについて言われた記憶といえば通っている女子高の同級生にからかい半

分で言われた事と、ナンパをしに近付いてきた頭の悪そうな男が褒めているつもりで言っ

た言葉・・・ぐらいだ(悪質なセクハラに頭にきて、確か・・・殴り倒した記憶がある)。

しかし・・・あんな絶叫で、あんなに赤面して、逆ギレされながら言われたのは初めてだ。

まさかそんな理由だったとは。

そう考えると、急に腹の底から『それ』がこみ上げてきた。



腹を抱えて笑う女と、オロオロしている少年。

まさか、現代にこんな可愛い理由で逆ギレする男がいたとは。あの危ない世界の住人だっ

て事を思い出すとセクハラ発言云々よりも、そっちの事が可笑しい。可笑し過ぎる。

でも

「それとこれはハナシが別!」

ピシャリと、彼の鼻先に人差し指を立てて、言った。

「・・・俺は搾取される側なの?」

「ルールの中でならね・・・ここはあんな穴蔵じゃないよ」

「でも・・・お願いだ、俺はあそこで戦い続けなきゃいけない理由があるんだ」

彼の目に、急に必死さが見えた。

「まだ・・・まだ俺には・・・」

あの場に集う武道家達は、そのほとんどが腕試しをしたい人達だ。その中にいる彼にとっ

てあの場所は、そんなに必死さを訴える程の価値があるのだろうか。

「お金が・・・?そんなにお金が欲しい?」

「・・・・・・痛い目付きだね」

苦笑してしまう。守銭奴はこれまでにたくさん見てきたが、命を賭けている人間は初めて見た。

「それじゃ、俺は友達を待たせてるから・・・」

振り返り、彼は行ってしまった。

彼が最後に見せた目は・・・金だけが大事な人間の見せる目とは到底思えなかった。

そう思うと、好奇心という名の分泌物を脳味噌が一気に噴出したような気がした。


     




「おい、知ってるか?おしくらまんじゅうって泣いたら反則負けらしいぜ」

「はぁ?」

自称スズ、ナナコがエスプレッソの泡が貼り付いた唇をひん曲げる。

「その顔はやめようぜ、まるでオッサンだよ」

通じ名ハヤテのタカハシがストローに歯を立てながらそう言う。

喫茶『ナイトフライト』の薄暗い店内では、壁に描かれた赤い飛行船がブラックライトに

照らされて光っている。

「あのさ、こっちはそういう事聞きたくてわざわざ君を尾行したワケじゃないんだけど」

「ちなみに尾行には気付いてたよ。一体アンタは何故こんな時間の浪費をするんだ?」

ずずずー、と音を立ててタカハシの咥えているストローにジンジャーエールが吸い尽くされた。

「病院の待合室で君を見つけた時はびっくりしたよ」

「まぁ・・・見舞いされるのは俺の方かもしれんけど・・・」

眉間にしわを寄せてタカハシはずるずるー、とカーペットに背をもたれ腰を落とした。



二人が街で偶然出会った翌日、ナナコは足を運んだ病院でタカハシの姿を見つけた。始め

は腕の治療に来たのだろうと、彼女はそう思った。しかし、彼のその手には豪華な花束が

握られ、足運びは待合室を通り過ぎ、意識は明らかに階段に向いていた。

興味をそそる現場に居合わせてこれ幸いとばかりに、ナナコは気配を殺し、タカハシの背

を追いかけた。彼はどんどん階段を登る。二階、三階、四階・・・エレベーターを使うべ

き階数を登り、彼は階段が終わった踊り場に到達した。

「・・・?」

踊り場の奥には頑丈そうな扉、それ相応の権限のある人物でなければその向こうさえ臨め

ない、いわゆるVIP病棟の入り口であると判断するには、扉の横に付けられた電子式の

キーは十分の説得力を持っていた。

カードリーダーにカードキーを通すと、タカハシはかったるそうに階下の踊り場を振り向いた。

「いいから来いって・・・」

ガチャリ、と重厚な音を立てて扉がスライドする。

「・・・・・・」

「あのなぁ・・・そんな趣味の悪い事はするモノじゃないぜ」

肩を落としながらそう言うタカハシを驚愕の表情で見つめるナナコは、蛇に睨まれた蛙の

ような挙動だった。

「病院は人の気配以上に物の怪の気配が多くてね、それなりに分かるヤツならそいつ等の

談笑の内容で自分の周りに誰がいるのかはすぐに分かる」

観念したような表情で、ナナコが階段を登る。

「観念したのはこっちの方だよ・・・」

頭を横に振りながら、タカハシはナナコを扉の奥に促した。

「え?」

「俺が戦う理由、この奥にあるぜ。その代わり、それで納得したらもう俺の事は放ってお

いてくれ」

タカハシの目は真剣だ。

ナナコに続いてタカハシが扉をくぐると、ドアは自動的にしまる。二人の目の前には清潔

な廊下が奥まで延びている。

「ここの病室は、そこらのホテルのロイヤルスウィートとさほど変わらないレベルの設備

で患者を受け入れている。政治家、マフィアの親玉、フィクサー・・・そんな奴等を万全

のセキュリティーと医療設備、見事な快適さで治療している・・・一般的には承認すらさ

れていない最新医療技術を駆使してな・・・まぁ患者のほとんどが例外なく難病持ちなんだ」

「下にも苦しんでいる人は幾らでもいるのに・・・ヒドイ話だね」

「まったく・・・反吐が出るよ。でもここが救う命はごくわずかなんだ」

感情のこもらない声でタカハシがぼやいた。

晩年ナナコが気付いた事だが、この感情のこもらない科白こそ心の中からフィルターを通

さずに口から出た、タカハシの本音であった。

二人の背後では、モップの足を持つドラム缶が忙しそうに二人の靴が落とす埃を拭い歩い

ている。

「ここだ」

カードキーの必要な扉の前で立ち止まる。それまでの病室の入り口には厚い扉は見えたが、

そのような警備体勢は見受けられなかった。

機械にカードの持つコードを認証させる。数秒後にするすると、扉がスライドした。

「わっ・・・」

ナナコが口を開けて、息を洩らした。

「驚いたろう・・・」

清潔な部屋であるが、まるで病室とは思えなかった。

「映画に出てくる富豪の寝室みたい・・・」

「そんな感じだけどな・・・」

そう言って部屋の奥に進むと、そこでは窓際から延びるコードに繋がる計器類と睨めっこ

している看護師の一団がいた。タカハシはその連中に軽く会釈をする。

奥に見える窓際に二つの

「ボブスレーのソリみたいだろう」

「カプセル?」

カプセルが置かれ、機械から延びるコードは二つのそれに繋がっている。

「・・・・・・この人は?」

「ニナ・・・それとポール・・・仲の良い夫婦さ」

カプセルの傍らに置かれた台上にある花瓶から萎れかけた花束を取り出し、手際良く持参

したそれと交換しながらタカハシがそう言った。

「・・・・・・コールドスリープってヤツさ。冷凍型生命維持装置っていう代物。通常の

生命維持装置では代謝による老化は避けられない現実だが、これは低温下で人間の代謝を

抑制する。脳には特殊な電波を送って低音下でも脳の活動だけは最低限の水準を保つ」

「・・・・・・」

「これは未だ安全を立証出来る要素を拾えていない技術だ・・・だけどな、危険であって

も俺にとって希望であるんだ」

そして、彼は皮肉っぽく付け加えた。

「結局人が永遠の夢として掲げる不老不死はこれくらいのリスクを負わなきゃ実現しねぇ

んだよ・・・まぁこの装置を取れば脳死、それ以上は避けられないんだから例外を除いて

死の影は常に付きまとうんだな、人間には」



「いやらしい話、あの装置の維持費ってのがね・・・あそこの一試合分のファイトマネー

くらいの額のお金がなきゃ払えないくらい高額なのだよ」

「どのくらい・・・?」

午後二時の喫茶『ナイトフライト』は薄暗い雰囲気のお陰で客の気配はほとんどない。

「そうだな・・・超友人価格で月一千万円ってトコロかな・・・二人いるから二倍」

「ぶっ」

ナナコがエスプレッソを吹きこぼす。

「何があるかも分からないからな・・・大変なトキは毎週戦って貯金したよ」

「・・・・・・」

「・・・・・・あの人達はね、俺の大切な人の両親なんだ。ある事件がキッカケでああな

っちまったんだ・・・それからというモノ、維持費を賄うために殺し屋をやってた」

「・・・・・・」

タカハシは背もたれの頭に肘をかけて、深く溜息を吐く。

「どうして・・・それを話してくれる気になったの?」

「ナンでかな・・・もしかしたら誰か・・・敢えて縁もゆかりもない人に話して、知って

もらいたかったのかもな・・・正直な話、何度も全部ダメにしちまいたくなったよ。何も

言えない彼女と何処かに逃げちまいたくなったりな・・・」

「?」

「俺は・・・あの人達が目覚めて、俺の憧れた時間の過ごし方出来るようになるまでは金

が必要なんだ・・・」

突如出現した三人称にナナコは困惑の表情を見せる。

タカハシの目は今、まるで光を持っていない。

「でも・・・その腕」

そう言われて、頭を振りながら挙手する。肘まであるヒップホップ風シャツの袖が落ちて

図太いギプスに巻かれた腕が露わになった。

「うん、常人離れした俺の治癒能力を以ってして全治一ヶ月。参ったね・・・生活は出来

てもこれじゃぁ・・・」

そこまで言って、タカハシは腕を下ろし・・・目を閉じた。

「とも言っていられないようだな」

「まったく・・・情報が早すぎるけど・・・」

タカハシをじろりと睨む。

「俺じゃあねぇよ」

「粛清みたいだね・・・」

ふー、と二人で深く息を吐く。タカハシがニヤリとしながら

「分かってたクセに。周囲に危害が及ばないようにわざとこんなオシャレなサ店まで選んでさ」

意地悪くナナコに言った。

「それはお互い様。でもハヤテ君の場合は本当に稼げなくなりそうね。ごめんなさい」

『ナイトフライト』の入り口が、けたたましく鈴を鳴らして勢い良く開いた。

「いいよいいよ、スズさんの困った顔は苦手なんだよ・・・まったく」



       

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