Neetel Inside 文芸新都
表紙

2P SG "THE GOLD"
Life…後

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「ちょっと・・・生きてる?」

全身に痛みが走る。なんだか心地の良い揺れが感じられて、狸寝入りを決め込みたいトコ

ロだった。

「あ・・・うん・・・」

「ちょっと、本当に大丈夫?」

生返事に不安色の問い。『ナイトフライト』での大立ち回り、左脚にまともに銃弾を喰らっ

た俺は、気が付くとスズさんの背中におんぶされていた。

「うん・・・ごめんよ」

人に背負われたのは生まれて初めてだ。俺の体温が下がっているからなのかもしれない、

彼女の背中に触れている部分が温かい。

「あのさ・・・」

「ん?」

唸るような俺の返事は、さぞ心ここにあらずのように思わせるだろう。

「殺し屋・・・って言っていたよね?」

「あぁ・・・うん。俺の過去なら何でも話してあげるよ・・・どっちにしろもう・・・

あそこには戻れない」

夕陽を背に浴びて、俺達の影が長く伸びている。

「何処で・・・ソレ・・・覚えたの?」

「ん?・・・母性本能のくすぐり方?」

「違う、そんなモノはない」

背の上で揺すられ、位置を直される。

「まったく・・・無様な姿だよな」

「あのさ・・・」

「・・・まともに記憶があるのが四歳くらいからだね・・・その頃には二人の教育係の世

話で暮らしてて・・・当たり前に殺人術の訓練やサバイバル術を叩き込まれてた。実はさ、

ガキの頃の記憶ってそれくらいしかないんだ・・・マジでおもちゃの兵隊だったね。周り

の話しじゃ、初めて人を殺したのは六歳とかだったかな」

「・・・・・・」

「自我・・・に目覚めたのは一年前くらいかなぁ、覚えてないんだ何を起こしてきたか・・・

でも、殺し屋業をやるようになったのもその時だよ」

「それは・・・維持費のために?」

「そう。命の重さに気付いて、これ以上しに・・・人間離れしたくないってね。皮肉なの

はそれで自分の力で出来る金になる仕事が殺し屋くらいしかなかった事だね」

ふー、と深い溜め息を(彼女の耳にかけないように)吐くと、アバラ骨がビキッと軋んだ。

一本二本三本・・・本当にボロボロらしい。

「殺した人間の顔も・・・覚えてない?」

挑戦的な口調の質問は・・・これがなんかのテストである事の現われなんだろうか。

「なるべく、顔は見ないで・・・やったよ。おそらく・・・およそ自分と関係の無い、殺

される人間の顔を見ていたら・・・多分確実な方法でじさ・・・自壊していたよ」

結局俺は自身の事を人間と言えない。人間としてありたいだなんて、それは結局ヒトのセ

リフじゃない。自我を持とうが持つまいが、そこを納得しかねる限りは、自殺ではなく自

壊でしかない。

「やたら自分の事を認めていないようだけど・・・」

「そうでもない。怒りっていう感情で人を殺した事もある」

「怒りは人の感情ね・・・」

「『罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない』」

「はぁ?」

「旧約聖書創世記第四章。多分人類で最初の殺人事件だ。そして最初の裁きでもある」

彼女が足を止めた。

「とにかく、お茶ぐらいは出すからウチで消毒しなきゃ」

「お互い格好に色気がねぇな・・・」

みるみる内に俺達の影の輪郭がぼやけていく。とにかく、今はぐっすりと寝ていたくな

る程に背中の上に安心を覚えていた。



     




スズさんの部屋は、ワンルームマンションに一人暮らし。打ち捨てるようにベッドの上に

近所の女子高の制服が広がっている。お世辞にも片付いた部屋とは言えなかった。生活観

はあるが

「男のニオイがねーなー」

ゴスッ

彼女の拳が顔にめり込んだ。

「傷をこれ以上増やしたい?」

いえ、もう十分です。俺は心の中でそう言った。

リビングに置かれた座布団に、俺達は向かい合うように座った。

彼女の体も大分手ひどく傷付いたが、俺程ではなく、まず俺に目隠しをさせた状態で手早

く自分の手当てを済ませてしまった。(目隠しを取ったら・・・殺す!!と言われた)

俺の怪我は、もはやこの場では現状を維持させる為の応急手当くらいしか出来そうにない

ので、軽く添え木を当てたりテーピングをしたりといった程度で済ませた。というか根本

的な部分で女の子に裸を触られるのが苦手なのに気付いた。そりゃぁ医者でもない男に優

しく、半裸のまま治療されるのも想像すら嫌な光景だが。まぁ裸で殴り合ってる世界にい

るのだが。

「粗茶ですが」

「いえ、お構いなく・・・」

「・・・・・・」

カチ・・・カチ・・・カチ・・・

秒針が時を刻む音だけが聞こえる。時が音によって進んでいく毎に、場の緊張感が二人の

間で膨らんでいくようだ。

「で・・・」

俺が切り出すと、彼女の体がびくっと震えて、反応した。

「何かを確かめたくて・・・俺を連れてきたんじゃないのか?」

「え・・・?」

「応急手当をしてくれたのは感謝している。でも今のスズさんの顔は何かを見極めようと

して緊張してる人の顔をしている・・・」

「・・・・・・・・・いつから気付いたの?」

後頭部をガリガリと掻きながら、俺は腹からそれを吐き出した。

「最初に疑ったのは・・・あの闘技場さ。あの肘の攻撃を見抜く事は・・・ハッキリ言っ

て誰にも出来ないと思っていた・・・ある人達を除いてね」

語尾を強めると、彼女の反応は明らかなモノになった。

「確信を持ったのは『ナイトフライト』での大立ち回りだよ。スズさんは実力の半分も出

してなかった・・・出せなかったんだろうな、だから俺がかばう事になった」

「何を言っているのか分かってる?」

「あんたの能力は、一対多で最も使える能力だからだ。だが・・・」

「・・・・・・」

「いや・・・ごめんなさい。俺がいたお陰であんたは能力を使うワケにいかなかったんだ

よな・・・その傷は・・・」

彼女の身の震えが止まる。俺の中であの光景が蘇る。

「俺の事に興味を持ったのは・・・実は義務感だったんだな・・・本当に仕事熱心だな公

安特機って・・・組織独自に内偵調査をしているとは気付かなかったよ」

溜息を腹に戻すように、俺は熱い緑茶を喉に流し込んだ。茶とは緊張を和らげる効果があ

るのだから・・・生まれて初めて茶にありがたみを感じた。

「俺の肘打ちに気付ける人間は・・・そのスピードを鮮明に覚えている人間だけだ・・・

一度似た技を喰らっている人とかな・・・抜刀術なんかよりは若干遅い技だしな」

俺の正面のソファに座り、組んだ膝の上に置かれた掌は脂汗でべっとりと湿っているのが

よく分かった。唇も渇き気味なのが分かる。震えは止まったが、見えない何処かで抑えた

分のターンオーバーが起こっているのか・・・空気伝いに分かる緊張感がそれを教えてくれた。

「あの傷でよく今立っていられるな・・・生きてるとは思わなかった」

「殺せたハズなのに・・・ハヤテ君は・・・タカハシ君、アナタがわざと急所を外したか

らじゃない・・・しかもあんな名刀でね、傷の治りがあまりに早すぎてビックリしている

のはこっちだよ」

「やっと名前を呼んでくれた・・・部屋の様子から見ると・・・それが本当のアンタの姿

なんだろうね・・・ナガタ・・・・・・さん。急所を外したのは俺の不注意だよ」

「・・・・・・」

「・・・・・・」

俺はうつむいて言った。

「報告するのか・・・」

同じくうつむいていた彼女が、驚いた感じで面を上げた。

「え?」

「あの二人さ・・・俺のアキレス腱だ。あれさえ本部に報告すれば俺は容易くアンタに屈

する事になるよ・・・」

「・・・でもアナタは・・・死神はここで私を殺す理由がある」

「お互い様だ・・・でも俺には『スズ』さんは殺せない」

「!?」

「本当の事を言えばな・・・」

一気に茶を飲み干した。実は震えを必死に隠しているのは俺も同じだ。

死にたくないし殺したくない。

彼女の様子が演技なのか本物なのか、まるで分からないが・・・既に彼女は殺せないとい

う何かを俺から勝ち取ってしまっていた。

「疑問なんだ・・・お上の支持でクラタを暗殺したあんた達が・・・なんでお上の足元を

地面ごとぶっ壊すような事をしたのか・・・」

「それは・・・」

観念したかのように、彼女は口を開いた。しかし

「待て!喋るな!」

ズキンと痛む膝が上げた悲鳴を無視して、俺は彼女に突進すると、掌で彼女の口を塞いだ。

文字通り目と鼻の先に寄った彼女の顔には驚きの表情が浮かんでいたが・・・

「ぐっ・・・」

素早く動いた彼女の手はバタフライナイフを握り、その切っ先をわずかに俺の水月に刺し

込んでいた。ほとんど反射的にやったのだろう。片腕が絶好調ならしっかりと防御してい

たのだろうが・・・

プルプルと震える手で人差し指を立てて、唇に当てる。

『数箇所から監視されている』

手を下ろして声を出さずに唇を動かしてそう言う。

俺は後ろ手に傍らの卓の脚に指を這わせた。

『あった・・・』

それを彼女に見せる。

あっ、といった感じで彼女の目が開く。俺は指先でワイシャツのボタン大の黒い物体を挟

んでいる。盗聴器だ。

「今持ってる武器はどれくらいある?」

盗聴器を握りつぶして、訊ねた。彼女の咄嗟のリアクション、それはこれが彼女にとって

も予想外だという事なのだろう。

「・・・チンケな拳銃が二丁・・・ヤバイかな」

地下闘技場組織の粛清工作の時に既に違和感を覚えていた。あまりに人数が多すぎて、し

かも準備が大袈裟過ぎた。だが、これで合点がいった。奴等が粛清に乗り出したのは、俺

達がプライベートで会っている事についての咎ではなかったのだ。

「公安の内偵調査がアソコにいる大物にバレたってワケだ・・・」

彼女は青い顔でガタガタと震えている。おそらく、公安特務機動も今対応に追われている

トコロだろう。彼女にとっては数少ない、ミュータントである自分を受け入れてくれる場

所なのだから、それがなくなる事が恐ろしいのだろう。

「伏せて!!」

言うが早いか、俺は彼女の頭を強引に床に抑え付けて、ベランダに向かって彼女の腰に装

着されているスローイングナイフを投げ付けた。階上のベランダからロープを垂らし、サ

ブマシンガンを構えて降りてきた連中の顔面にぐっさりとナイフが刺さり、連中はブラー

ンとその場にぶら下がった。

「ちっ・・・」

発射された数発の弾が頬をかすめた。

「立つんだ!」

ナナコさんを引きずるように、俺達はシステムキッチンに潜り込んだ。

「包丁くらいしかねーよな・・・やっぱり」

「あいつ等は?」

「おそらく時差で来る!ベランダはもうないだろうけど・・・次は玄関をこじ開けて手榴

弾を仕掛けるハズだ!」

彼女は黙って目を瞑り、脳天から変身を始めた。

「よせっ!」

「でも」

「俺が見分け付かなかったら意味がないだろう!」

「えっ・・・」

彼女の反応を確かめず、俺はキッチンを飛び出して、玄関に続く廊下に奴等が現われるの

を警戒しながら歩を進めた。

「奴等『ブラック・マーク』だ!くそっ同業でも一番タチが悪い」

数十人で構成される、地下闘技場で売買される麻薬のほとんどの卸を請け負っている組織

のバックアップによる豊富な武器装備で、手段を全く選ばない・・・殺し屋時代にもっと

も俺が警戒した、もっとも的確な仕事をする奴等だ。

「靴を履くんだ!窓からしか逃げられそうにない!」

「で・・・でもここ九階・・・」

「何とかする!」

無理矢理に彼女の腰を捕まえて、ガラスを蹴破ってベランダに突っ込むと、ロープにぶら

下がっている死体に取り付けられているそれを外して、自分の履いているカーゴパンツの

ベルトループに繋げた。

「絶対放すなよ!!」

彼女の耳元で怒鳴ると、俺は柵を跨いで空に跳び出した。

その直後、頭上で猛烈な爆風と爆発音、鼓膜の感覚が一瞬麻痺する。

そして・・・予想はしていたが、選択の余地がなかったために、俺達はまんまと罠にはまった。

シュッ

その音に気付いた時には、降下速度の調節のためロープを握り締めていた俺の腕に激痛が

走っていた。ライフルの弾丸がかすめた。音速の二倍強の速さの弾を音で認識してしまっ

た。満身創痍のお陰で殺気に気付く余裕がなかったのかもしれない。

反射的に俺の拳は開き・・・地面へと落ちていった。

「クソッ・・・」



     




(この高さじゃ受身は・・・)

地面はすぐそこにある。タカハシはナナコの体を包み込むように抱き締めると、自分の背

中を地面に向けた。

二人は固く目を閉じた。

(クッ)

タカハシはしたたかに地面に叩きつけられると判断した瞬間に背中でゴソゴソした感触を

覚えた。そして刹那の後

ボゴッ

鈍い音と共に、全身にだるい痛みが走った。

「し・・・がはっ」

(アジサイのお陰で・・・助かった!!)

九死に一生を喜んでいる場合ではなかった。ナナコを抱えるように起き上がったタカハシ

は周囲に注意を払いながら立ち上がった。

「大丈夫か?」

「あ・・・うん、お陰様で」

ナナコの注意力が散漫になっている事が、タカハシにとっては不安でならなかった。お互

いの腕に、背中を任せなければ、プロの殺し屋達を相手に生きてはいられない。

「そう遠くには逃げられないハズだ!追え!」

二人の頭上で、怒号が飛んでいる。

「それは、スズさんが持っていてくれ」

足元に転がっているサブマシンガンに目を向け、ナナコを顎で促した。先程タカハシが仕

留めた賊の持っていた銃だ。

「そんなっ・・・そんなハンドガンで」

「追われているなら背中を固めなきゃいけねぇだろ」

膝の埃をバタバタと払いながらタカハシが言った。しかし、実はその動きが落下の衝撃で

未だに感覚の鈍い脚に気付けを加えているのを、ナナコは分かっていた。

「行くぞ!」

タカハシは身を低く構えると、周囲を見回してからナナコを促した。

(一番下・・・二本・・・さっきの傷も助かって完全に折れてるか・・・)

走りながら、脇腹を押さえている。

(右足も・・・折れちゃぁいないけど・・・)

機動力戦では万に一つも勝ち目はない、タカハシの様子を背後から見たナナコも彼のダメ

ージ具合を把握している。

「何処か、向こうの数の利を潰せる場所あるか?」

「え、え~と・・・え・・・」

(これじゃぁ無理か・・・)

先程から青ざめた顔のナナコは、今ではもはや状況を把握して考えるという作業の出来る

状態ではなかったのをタカハシは認識した。

ツタタタタタタタ・・・

消音された機関銃の銃弾が、頭上を通り過ぎた。民家の外壁に弾痕が付いた。

「うわったぁ!!」

着弾に思わず悲鳴を上げて、タカハシは大きく仰け反る。

「走れ!!・・・何してる急げ!」

携帯電話のディスプレイと睨めっこをして、足運びの覚束ないナナコの腕を、苛立たしげ

に引っ張って、タカハシは走り出した。だんだんと、脂汗で拳銃が握れなくなるのを彼は

必死で頭の中で否定している。

「専用回線か・・・通じないのか?」

ナナコの無言は、肯定を伝えるに十分な返答であった。

「今は生き残る事を考えろ」

「う・・・うん」

要領を得ない返答は、タカハシの表情を苦々しいものに変えた。

(ここなら・・・)

深夜の住宅街を駆け抜けた二人の目の前に、雑木林が現われた。行政の土地なのだが、手

入れが行き届いていない様子で、二人の立っている場所からは広大な土地の中心部の様子

が窺えなかった。

「奴等の人数で・・・この林の中じゃ俺達を囲んで集中砲火とはいけないハズだ・・・」

タカハシがズカズカと暗闇へと足を踏み入れた。

「二手に分かれて・・・各個撃破だ・・・公安特務要員の腕の見せ所だぜ」



                  *



『俺が見分け付かなかったら意味がないだろう!!』

初めて会った時の、あの目の印象しかなかった自分にとって、ここ最近の彼絡みの出来事

は大いに混乱を呼び起こしてくれるモノだった。極めつけはそんな科白。

すっ、と気配を殺してから、能力を発動させる。相手の油断を呼ぶ姿に変身して奇襲攻撃

をかける能力と思われがちだが、こういったシチュエーションがもっとも真価を発揮する

能力だ。黒尽くめの格好に化けるのだが、それは劣化コピーでいい。反射出来る可視光線

が少なければ少ない程、この能力は楽に済む。何故なら反射する可視光線の波長を体に当

たった瞬間に無理矢理変えてしまう能力で、人間程見た目が複雑な対象に化けるとなると

ミリ単位でそれを行わなければならないが、暗闇なら手抜きで済むのだ。物理的に完全に

姿を消せるワケではないが、反射する可視光線を均一にするのは非常に容易い。

シュッ

追跡者の喉笛を貫き手で掻っ切って、素早く地面に押さえ付ける。血飛沫が空気中に飛散

してしまえば、銃撃の格好の目印だ。

つまり彼はそういう事を言ったのだ。

始めからこのシチュエーション、この能力がもっとも活かせる場所で戦う事を想定して、

あの場での発動を止めたのだ。あの場で能力を見られていたら、ここに行き着く事すら叶

わずに嬲り殺しにあっていただろう。

ツダダダダッ・・・ダダダ

遠くの暗闇で銃声が聞こえ、すぐに途切れる。この状況では無駄な発砲は自分の位置を敵

に知らせてしまい、その方向を狙われる。サブマシンガンの銃声が途切れた事、それはつ

まり彼の方がゲリラ戦では殺し屋達より一枚上手という事だ。

それにしても・・・

交戦が少なすぎる。

敵の数はそこまで多いワケではないが、単純に二分しても自分の方を狙う刺客の数があま

りに少ない。こっち側にも見合った数の人員を送り込むはずだ。

しかし、まるで自分に向けられる殺気が感じられない。

それはつまり・・・

数十人の人員のほとんどが彼を倒すために集中しているという事だ。

こっちはほとんど無傷。

彼は擦過傷、裂傷、亀裂骨折、完全骨折、肘関節の損傷、おそらくアキレス腱も限界のはずだ。

「信じらんない・・・」

じりじりと、気配の多い方へと・・・



     




この目を、アタシは覚えている。

血飛沫に邪魔されて見えるモノが鮮明に捉えられなかった目が、あの時唯一鮮明に認識し

た、ぞっとする程に冷たい目。

肺に入っていって、胃袋の中のモノを無理矢理突き上げるような、それ程にまで気分を害

してしまう、強烈な血と脂の臭い。

これを覚えている。あの時は、かつての同僚と自分のそれではあったが。

瘴気といえる。

これまで、この目を持つ者を殺すために必死になっていたのに・・・今は動けない。圧倒

的な覆りようのない差が、はっきりしていた。それは実力というモノでもあり、何より彼

がこの数日、自分に与えてくれた・・・

「うっ・・・」

刺客達の殺気は、既にこの場から消えている。

さっき傍らに転がる肉塊の致命傷を確かめた。見事だった。

「・・・ハヤテ・・・君?」

こっちを真っ直ぐに見る彼の目は・・・行動を共にした、「ハヤテ」ではなかった。

これが・・・死神の本当の姿だ。

「スズさん・・・逃げ」

そこまで言って、彼は前のめりにどさり、と倒れた。

「!?」

彼が倒れ、その場に見えたのは

「まったく・・・人間だって言ったのに・・・」

よく知っている人物であった。彼の教育係で、地下闘技場のメディカルスタッフ・・・

「ヒドイものでしょ、このコ」

「この人数を独りで?」

「生まれてからずっと・・・殺しの腕を磨いて・・・立派に死神になったこのコの精神の

根底は、この通り。やっと人間として生きる事が出来るようになったけど一度スイッチが

入ってしまえば・・・自分に殺気を放つモノに反応して正確に攻撃する・・・」

つまり二手に分かれた理由は

「アナタを傷付けない為・・・というワケ。自己中心的でしょ?」

「・・・・・・」

ぐうの音も出なかった。出せない。

「大丈夫、アナタは元の組織に戻れる」

「え?」

そんな科白が浴びせられるとは思わなかった。

「向こうがそういう権限を使うなら・・・こっちも・・・このコの持つそういう権限を使

わせてもらったの。あんな場所に通うような小物の権限なんてどうでも良かったワケ」

「どういう事?」

「・・・・・・あっちがこういう手を使うならこっちも手段を選ばなかっただけって事。

あそこの考えでは金は手段だったけど・・・このコは不服だろうけど、このコの持つ『信

頼』をこっちは手段にしたというワケよ。本当の信頼は金が及ぶトコロじゃないからね、

常にお天道様の公平な評価が付いて回るの。全ては元通り。あなたの周りは」

「・・・?」

「このコの食い扶持が消えるだけね、かわいそうな話だけど」

「そんな・・・」

どれだけ自分に許された権限を使い彼の事を調べても、こんな事が可能な人物だという情

報を自分は一切確認していない。およそ考えられる現実の中において、こんな彼の生活程

誰かの空想や妄想にすら当てはまらないモノはないのではないか。

「本当ならこのコの苦労を水泡に変えたアナタを撃ち殺したいトコロだけど、それはこの

コの心意気に水を差すから・・・お願いだけ」

「・・・・・・」

「もうこのコには近付かないで」

無論、そのつもりだ。ここまで足を引っ張ってしまうと、すまなすぎてそんな事出来やしない。

黙ったまま立ち尽くすと、彼女はハヤテ君を担いで振り返った。

「最後にひとつ聞かせて・・・・・・」

振り向かずに、彼女は訊ねた。

「圧力に屈してクラタを切った公安は・・・何故あんな内偵調査を敢行したの?」

「彼に言うの?」

「お望みとあれば控えますけど」

咽返るような血の臭いが、風で流されていく。

遂にアタシは、この死線巡りのツアーを、彼に手を引かれて大事無く終えられた。

さようならだろうか、ありがとうだろうか、何を選ぶべきだろう。

「はじめは・・・厚生労働省麻薬対策課から応援要請で隠密的な調査をしていた・・・そ

の中で地下闘技場へはかなり早い段階で辿り着いていた・・・その時点で、これが罠であ

るという事もね」

「内閣府の一部があなた達の存在を前々から疎ましく思っていたのは知ってる。公安のお

荷物と面倒事を寄越す大臣を同時に抹殺する方法だったワケね」

「捜査の中止でも、続行でもお取り潰しは免れない状況だったワケ。だったら・・・そん

なハナシを聞いてやる必要はない・・・そう思った・・・といったトコ」

「じゃぁ・・・」

「このコに近付いたのは興味と嫉妬・・・はじめはナイスタイミングで見付けたから復讐

のチャンスだと思ってたんだけどね・・・死神のクセに」

「変なトコロで子供だったりオトコだったり・・・ズルいでしょ?」

「または容赦がないっていう感じ」

肩をすくめて、溜息混じりにそう言った。木々の間から月明かりが射し、足元のひどく美

的でない風景を鮮明に見せてくれた。



     



起きた。

起きていたのかもしれないけど。

「お体の方は如何でしょうか?」

トモハラさんが、傍らに座っている。

ここが俺の部屋の、俺のベッドであるのに気付いた。

「あっ・・・痛ぅっ・・・」

妙に重量感のある頭痛、体の節々は錆び付いた歯車のようにギリギリと音を立てている、

右腕には先日よりも無様なギプスが着けられていた。

「その状態で死神を起こしてしまったわけですから、それくらいのターンオーバーで済ん

だだけ良しとしましょう。私が何を言わんとしているか、それくらいはお分かりでしょう?」

「ごめんなさい」

窓の外を眺めると、どんよりと曇った空から大粒の雨が降っている。

「そっか・・・俺・・・フラれたんだな」

ぼんやりとそう言うが、彼女から返事は返ってこない。俺がここに倒れているという事は、

俺には彼女の手助けが出来ないという事だった。

「彼女は俺に怒ってなかった?」

「ご存知でしたか」

「短い付き合いだったけど・・・それくらいは分かるよ。クラタの高潔さもそんなトコロ

だろうし」

「これからはまた・・・元の商売敵ですね」

「でも彼女には会えないよ・・・きっと。彼女は多分・・・俺の知らない誰かになるよ」

彼女が・・・俺が彼女を殺せない事を利用して俺を、仕事として俺の命を狙ってきたのな

ら・・・それはそれで俺と彼女の間に何も変わった事がない事を意味していて、少しだけ

過去に戻るだけだ。魅力的でもある。

「彼女・・・クビにならないよな」

「強い女の子だと、姉から聞いていますから・・・きっと」

これで夏休みはおじゃんだな、夏に振る冷たい雨が妙に寂しい。

とりあえず・・・元の鞘に収まったようだが、きっとこれからはあらゆる組織を敵に回し

たお陰で仕事がやりにくくなるはずだ。

まったくタチの悪い話だ、冗談じゃない。

俺達のやっていた事がいつの間にか終わっていた。

残った事といえば・・・これからの不安だろうか。不思議と、彼女に対する怒りが沸かな

かった。そもそもの不安の原因は彼女なのに。女に弱いと言ったらそれまでの、笑い話だ。

俺は元の鞘には戻れ・・・戻りたくない。

物質じゃない、人と人との繋がりはどんな時も最後の財産になる。

トモハラさんがそう言っていた。そう言えばクラタも言っていた。


       

表紙

ウド(獅子頭) 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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