Neetel Inside 文芸新都
表紙

2P SG "THE GOLD"
サイクリング・ダイアリー

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「いってらっしゃい」

 トモハラさんの声に押されて、階段を降りていく。体の回復していない今、俺はエリス、

トモハラさんの三人で生活している。俺にとっては嬉しい限りである。

 殺し屋軍団との激しい戦闘での傷は、八月の一月では全快に及ばずといったトコロで、未

だに内臓や骨、体の何処かしらが痛む。学校に通って・・・といった生活には特に影響は

ないだろうから

「いい薬でしょう」

 というトモハラさんの言葉が的を射ているかどうかは怪しいトコロだ。楽しむ事をやめる

つもりなんて毛頭にない。今日から学校、楽しむつもりだ。



 それは三日前の事だった。

 一本の電話だった。

 震える声で電話をしてきたのはトシアキだ。

 なんでも、彼の祖母が免許の更新に行ったきり帰ってこないらしい。当然警察にも電話を

したのだが、そこのところを彼に訊ねると何とも要領を得ない。

 直接彼に会って詳しく話を訊くと、正直俺はなんとも言えなかった。

 どうやら、彼の祖母だけでなく祖父までもいなくなっているという。おまけに姿を消した

のは二人だけではなく、彼の家のマイカーもその直後から見当たらないそうだ。

警察に相談したはいいが、二日経った今、警察から何ら連絡が届かないそうだ。

「あー・・・乗ってったんだろうなぁ・・・」

 始めは聞いていても要領を得られず、なんとも困ったモノだ。

 彼の祖父母とは、俺も面識がある。彼の家に遊びに行くと、時に何かと世話を焼きたがる

二人が印象的だった。逆に俺は両親とは面識がない。

 今思えば友達のように仲の良い、毎日毒の吐き合いする二人だった。

 車がなく、二人はいない。そして一人は免許の更新に行ったきり帰ってこない。

こ れだけ分かっていればすぐに見付かるだろう、始めはそう考えていた。



 違和感を覚えたのは警察の動きがあまりに緩慢であった事に気付いた時だ。

 俺がすぐさま調べると、これはまた呆れてしまったのだった。

 トシアキの両親と祖父母の仲は予てより冷め切っていて、あろう事か捜索願を出していな

いという。というのも、トシアキの母方の家が極端に世間体を気にする職業なので(それ

に関しては調査済みだが)放置、という状況なのだ。

 当然、おばあちゃん子のトシアキが納得するハズもなく、家出同然に祖父母を探そうと俺

に相談してきたのだ。

 情報があまりに表層的な事もあり、俺達は先ず、最後にその姿が確認された場所へと向かった。



「なーんか・・・やりきれないよなぁー」

 スターバックスのオープンカフェで向かい合って座り、グレープフルーツジュースをすす

りながらそう言うが、トシアキは塞ぎこんでミルクで濁ったコーヒーを睨みつけたままだ。

免許交付所の受付で聞き込みをすると、先日敷地内で大騒ぎしたという老婆を目撃した何

人かの人から話を聞けた。情報を総合すると、どうやら三次大戦後改訂された道路交通法

によってささいな障害を抱えるその老婆の運転免許の更新を公安委員会が却下したのが原

因らしい。

 言うまでもなく、トシアキの祖母である。

 彼の話では実直な性格で、曲がった事には全力で反抗する人らしい。



「じいちゃんはさ・・・」

 オープンカフェから見える往来を見つめながらトシアキが口を開いた。

「昔あった中東の戦争でさ、復興活動と称して派兵された自衛隊の部隊にいてさ、その中

でも一番の激戦地で難民の社会復帰支援をしていたんだ。当然、表向きは非戦闘地域って

言われていた場所だけど毎日ヒドイ攻撃にあってた。教科書に書かれないけど、戦闘を経

験した部隊の中でも一番過酷だった中にいたんだ。お陰で任期を終えて帰ってきた頃には

今と変わらねー・・・恐怖で髪の毛が真っ白になっちまってた。当時三十路をちょっと過

ぎたくらいの歳だったのな。ボケたトコロがあっても・・・俺にとっちゃ格好良いじいち

ゃんなんだ・・・」

 もはや語るに落ちている彼に、俺は何も声をかける事が出来ない。

「・・・・・・よし、行こう」

 一瞬、視線を落としてから、トシアキがすっくと立ち上がった。

「何処に?」

「俺が探す。警察も親も動いてくれないんならナ」

「俺達だろ?まったく分かってて言ってるんだろお前」

「そーなんだよ、だから俺タカハシって大好きなんだよなっ!!」

 薄く開かれた腫れたまぶたの奥と、そんなわざとらしい大声で空元気の中から搾り出した

笑顔が妙に眩しかった。



 こうして、今年の夏休み最後の冒険が、マウンテンバイクのスタンドを外す音で始まった。



「ここもスカ、あそこもスカ・・・なんだか熱射病になりそうだなー・・・」

 行動的な彼の祖父母が日常的に通っていた場所を一つ一つ回っていく。

 四軒目に訪れた居酒屋でもこれと言ったモノは得られず、周囲の心配をその数だけ引き継

ぐ結果だった。去り際に店主のジーサンが言った。

「お前の故郷の地酒、やっと手に入った。伝えといてくれよ」

 トシアキが生まれた頃も通っていた居酒屋、トシアキが彼等にとても可愛がられているの

を、カウンター横の壁に貼られたヤニで黄色く変色した写真が物語っていた。

「人騒がせなのはここに来た頃と変わらねぇ」

 捜索費用なのか、単なる小遣いなのか、万札数枚を貰って、俺達はロングドライブを決行

した。目的地は二人が去年行った温泉宿。帰って数ヶ月、毎晩夕飯の度に延々と同じ話を

するぐらいに気に入った宿であったそうだ。その話を聞いていたのは家族の中ではトシア

キだけで、俺も一度ではあるが耳にしている。

「あー暑い・・・しかし・・・前もこんな事あったな」

 県境を越え、峠を二つ越えた所にあったライダーズストップで休憩しながらの事だ。

「あぁ・・・あの時はお前が帰り道を覚えていなかったら遭難してたんじゃないかな」

 ポカリスウェットを飲み干して、トシアキがそう言った。

「あれに比べたら・・・今度は滅茶苦茶遠いぜ~大丈夫か?」

 いやらしい口調で言ってみる。

「そんときゃ・・・なるようになれだ。どうせ二人を見つけるまでは帰らないし・・・そ

んときゃ備え付けのカーナビがあるだろ」

 この夏でコイツは随分と神経の太い男になった。

「そんじゃま・・・行きますか」

 ペットボトルをホルダーに差し込んで、ペダルをひと漕ぎ。緩い下り坂の峠を生温かい

風を切って行く。



 一方、俺達がその日の宿を探しに(一日で到着出来ない事は分かっていたが、実はトシ

アキがいなければ半日くらいで到着出来る距離ではあった)奔走していた時間、トシアキ

の両親はバッチリとトシアキの捜索願を出していたという事を俺はトモハラさんからの連

絡でかなり早い段階で知っていたが、それを彼に伝える事はなかった。

     



 結局一晩野宿をする事になる。

「俺・・・野宿って初めてなんだよな!」

「嬉しそうに言うな。こんな山道じゃ何処かに身を隠さないと危なっかしいぜ・・・」

 自転車を引き摺りながら、獣道を進む。山の中での寝床の確保は意外と大変だ。

 天気は変わり易いし、夏とは言え朝晩の冷え込みはなかなか体に堪える。しかもしっか

りと睡眠出来るかどうかも重要だ。先程見付けた蛇の抜け殻、ヤマカガシがいる事も分か

った。神経毒を有するのだから噛まれた場合はなかなか深刻なのだ。

「なぁーそれこそこんな山の中でちゃんと明日道に出られるのか?もうライトの灯りだけ

で何も見えねーよ」

 隣でトシアキがぼやいた。

「ん~ここでとりあえずいいか・・・地面は柔らかいし」

 俺達を取り囲むように木々が枝を頭上に伸ばし競っている。そんな中少しスペースのあ

る、ちょっとしたエアスポットだ。自転車を木に立てかけてそう言うと、俺は足元の小枝

や松ぼっくりを拾い始めた。

 程なくして種火を灯し、そしてゴミと一緒に太目の枝を焚いた。

 やっと灯りに包まれ、ほっとしたトシアキの顔が浮かび上がる。

「さて・・・」

「おいちょっと・・・何処に行くんだよ?」

 踵を返した俺の背中をむんずと掴むトシアキ。

「小便だよ。行けるときに行かないと野外は怖いぞ」

「・・・・・・」

「ん?怖いのか?ん、ん?」

 意地の悪い喋り方でからかうと、闇に浮かび上がるトシアキの顔が真っ赤になった。

まさに返す言葉なしといった感じでトシアキがうな垂れた次の瞬間

 ガササササ

茂みを揺する音が聞こえた。

「なななな何っ?くま?くま?」

「とある期間でもない限りはー・・・こんなやかましいトコには来ないよー」

 まるで殺気が感じられない気配に俺の臨戦態勢はゆるゆると緩まっていった。

「ぬあぁぁぁ!!」

 トシアキが身の毛をよだたせて俺に抱き着いてきた。

「あーあー・・・何処かの部族の踊りかい?そんなに興奮して」

「脚・・・脚っ!!なんか触ったた!!」

「脚・・・?あ・・・」

 恐慌状態に陥ったトシアキの足元に、黒いかたまりが見えた。

「あぁぁ・・・イヌ科には変わらないのかなーこれって」

 俺はしゃがみこんで、その黒いかたまりを撫で回した。

「え?え?え?」

 ツバと一緒にトシアキの狼狽が頭に降ってきた。

「タヌキだよ・・・こんなに人に慣れてるなんてな」

「うわ・・・本当だ」

「初めてか、見るのは?」

「そうだね・・・生で見たのは初めてだ。こんな近くにいるなんて」

「東京でもわずかだけど生息が確認されてるんだぜ」

 喉の辺りを撫でると、ぐでんと仰向けになった。

「でもなんで・・・こんなに人に慣れてるんだ・・・?」

「それはアレだろうな・・・」

 顎で、その方向を示す。

 その先に見えるのは、観光とは何の脈絡もないこの山の中に建てられた一軒のログハウ

スが発するわずかな灯りだった。

「アレ?」

「こういう場違いなログハウスって・・・大抵は『そのスジ』の人達が使ってんだよねぇ」

 当然ゴミとかは辺りに埋めるなどして、教科書通りの不法投棄で片付けているだろうし、

面白がってタヌキ達に与えているのかもしれない。

「あぁやってヤクザが住んでいって・・・金儲けの算段がついたらここも整備されちゃう

んだろうなぁ・・・」

 光の射す方を眺めながらトシアキがぼんやりとそう言った。

「大丈夫だよ、こいつ等は」

「そうかなぁ?」

「昔からタヌキってのは人を化かすくらいに頭が良い生き物なんだ。今でも地方に行けば

タヌキが祀られている土地があるんだぜ。大丈夫だよこいつ等は、人間の浅はかな自然破

壊なんかには絶対負けないよ」



                    *



 次の日、夜明けと共にタカハシは目を覚ました。体の節々を解すようにくねらせてから

身の周りの焚き火を含む、人間の過ごした形跡を、軽くいびきをかきながらまだ寝ている

トシアキを起こさぬように、丹念に消していく。

 太陽が昇り、薄らと額に汗が見えるようになって、トシアキが目を覚ました。

「よぉ・・・おはよう」

 眠気眼を擦るトシアキを横目に、自転車のギア部分を手入れしながら、タカハシがそう

言った。

「あ・・・うん、おはよう」

「目を擦るならそこの沢で顔を洗いな。思う以上に手は汚いぜ」

 タカハシに促されると、トシアキは体中に張り付いた落ち葉を払いながら身を起こして

ズルズルと小川へと歩いていった。

「それっ」

傍らの枝を即席スタンドにして浮かせたマウンテンバイクの後輪を、ペダルを手で勢い良

く回し、回転を確認する。

「さて・・・そろそろかな・・・」

 そう呟いたタカハシは、ある事を懸念していた。それは子供に関して若干ヒステリック

な一面を見せるトシアキの家族なら、祖父母を追って家出した彼等の行く手に警察を待ち

伏せさせているかもしれないという事だ。容易に彼等の向かう先が想像出来よう。

 タカハシは一晩中神経を尖らせたが、ロングディスタンスな峠道である眼下の道路に、

その心配が無い事だけは分かっていた。地理的な条件で言えば、この峠道は封鎖するには

昨夜彼等が野営したスポットの周辺が適していて、それを除いてしまえば長い下りを抜け

て国道と合流する地点しかない。それを見越してタカハシは、今いるこの場所での野営を

昨夜決めたのだ。

「さて・・・さてさて」

 すぐそこの小川の冷たい水で顔を洗うトシアキを見張りながら、タカハシはふかふかの

地面に腰を下ろし、地図を広げた。座標情報を確認すると、タカハシは左のポケットから

タバコの箱大の黒いハンドGPSを取り出した。米軍特殊部隊にも採用されているそれはナ

ビゲーションシステムを搭載していて、カーナビとほとんど遜色なく、しかも対象物の特

定を変更すれば、発信機の受信端末としても使用出来る。

 地図上の情報とハンドGPSの情報とを見比べながらしかめっ面をしている。

「ん~やっぱり国道に出る時が問題だなぁ」

 広げた地図上の峠道を指でなぞる。国道に出るまでの道程をまるまる三往復すると、タ

オルで頭を掻きながらトシアキが戻ってきた。

 トシアキの濡れた顔を眺めていたタカハシが、急にニヤリと表情を変えた。

「せっかくの夏休みだもんな・・・大冒険だぜ」

「ん・・・何か言ったぁ?」

「うんにゃ、なんでもねー」

 意地の悪そうな笑顔のタカハシを、トシアキが訝しい目で見る。

「さ、行こうぜ!」

 笑いが込み上げて止まらない様子で立ち上がると、タカハシはマウンテンバイクを押し

て歩き出した。

「・・・・・・出発だ」


     



「ふー・・・」

 タカハシの前髪が風で持ち上がる。

「下り坂だから風が気持ちいーなー・・・昨日と違って上り坂がねぇや」

 峠道を、ペダルに足を乗せただけの状態で下っていく。トシアキの着ているTシャツが

はためく。

 トシアキが風に負けないように声を荒げる。

「もうすぐ国道だぜ!もう少ししたら休憩しようぜ」

「あ、じゃここで」

 ブレーキを一気に握り締めて、タカハシが靴底をアスファルトに擦り付けて強引に停ま

った。

 ガシャァーっと音を立てて、トシアキが下り坂をマウンテンバイクと一緒に転がってい

った。

「・・・・・・・・・休憩ですか?」

 ボロ雑巾のように地面に這いつくばるトシアキが訊ねる。

「どーでもいいから戻ってきてー」

 掌でメガホンを作って呼びかけるタカハシに、多大なる殺意を抱くトシアキ。

 ヨロヨロとした足取りでトシアキは、一転上り坂となった峠道でマウンテンバイクを押し

ながらタカハシの元へと足早に戻った。

「なんか問題でも?」

 かなりの不満な表情を浮かべ、トシアキが訊ねた。

「うん、コース変更じゃ。多分じゃが国道の出口は警察がやんわりと張ってるきに・・・」

「やな予感」

「・・・・・・ここを行くんじゃ」

 そうタカハシが指差した先は、峠道の谷川のガードレールを越えていた。覗けばそこは、

ウォータースライダーもかくやといった傾斜の獣道が、はるか下に見える田んぼのあぜ道

に伸びていた。

「おっしゃる意味が分かりかねますが」

「百聞は一見にしかず!!」

 タカハシは軽々とマウンテンバイクを担いだ。そして、身軽にガードレールを跨ぐと、

再びサドルに腰を下ろし

「お先にっ」

 そう言って、獣道を下っていった。

「あ・・・お、お・・・おい」

 なす術を見失ったトシアキは、オロオロした末に、タカハシに倣った。

「舌を噛まないようにしろよ!!」

 はるか下で、そう叫ぶような声が聞こえた気がした。

 ガタガタガタガタガタ・・・・・・

 サドルから腰を浮かしている体は、浮き上がり、沈み、左右に振られ、無限に続くので

はないか振動は、トシアキの意識をどんどんと薄れさせていった。

 ハンドルを握る手は、段々と握力を忘れていく。

(あれ・・・俺何してるんだっけ)

 トシアキが前後不覚に陥ったその時、鞭打ちのような衝撃が彼の体を襲った。

「おまっ・・・」

 衝撃に目を瞑った彼が次に見た光景は、マウンテンバイクごと彼を抱えるタカハシの猛

アップの顔面だった。

 トシアキの視点は、優に二メートルの高さがあった。

「まったく、自殺ならともかくあんなトコロで目を瞑るんじゃねぇよ」

 トシアキの都合など完全にお構いなしといった溜息を吐いて、タカハシはそう言った。

「・・・・・・このような作戦をおとりになった意図をお聞かせ願えると、こちらとして

も大変助かります」

 ドスン、と荒い砂利の農道に下ろされたトシアキが開口一番、猛烈な殺意を込めて訊ね

ると、タカハシがすらすらと流れるように答えた。

「この不毛な抗議を無視するつもりでいたハズの大人達だが、きっと俺達の行動を止める

為に祖父母、孫共々を検問で捕まえる気なんだ。ドライバー無線を聞いて、普段じゃ考え

られない多数の位置で謎の制服警官数人ずつが発見されたそうだ・・・」

「まさか・・・」

「そ。大人達はお前のジーサンバーサンが何処へ行くか、そして俺達が何処へ向かうくら

いの見当はついたワケで・・・当然」

 上を親指で示す。

「国道への出口ではひっそりと張っているワケだ。で・・・お前のジーサンバーサンが捕

まってるのも考えられるワケだが・・・」

「・・・・・・」

「まぁもはや時間の問題ではあるけれど」

「でもウチの親戚は見付けたら見付けたで何しやがるか分からないからな」

「んで、捕まっていない・・・というか現段階でそんな情報は入っていないとのスポンサー

からの情報がありますので、とりあえず行ってみるべきだと思います、その祖父母思い

出の温泉宿へ」

 トシアキの顔が急に晴れ渡る。

「ちょっと遠回りではあるけど・・・この畑道を走って国道に出ればきっと捕まらない」


     



 山肌の坂に造られた温泉街は、夏休みも終わりというのに家族連れの観光客で溢れかえ

っていた。夏の活気というのか、炎天下の縁日が盛り上がっている。

 長く続く石畳、石段と段々畑のようなそこを登っていく途中、幾度となく足を止めて自

分達の登ってきた石段を見下ろす。その度にトシアキは首を横に振った。

夕方になる頃、山の頂上付近にある一軒の温泉宿に着いた。

トシアキが遠慮なく門扉を潜り、中に入ってフロントに手を掛けるなり、綺麗な和服に着飾っ

た女の人がカウンターの奥からパタパタと出てきた。開口一番、トシアキの名を馴れ馴れ

しい声に出した。中学に入るまではほぼ毎年、家族揃ってこの旅館を訪れていたからだろ

う、勝手知ったる人の事情に話題が変わるのに時間を然程必要としなかった。

 トシアキの予想通り、彼の祖父母は、この思い出の温泉旅館に宿泊した。

 予想はしていたが、この旅館にもトシアキの両親からの連絡が着ていた。そんな一連の

流れを予想しているかのように、彼の祖父母は今日の昼頃にチェックアウトしたという。

 当然だが、女将さん以下従業員達に帰宅する事を強く勧められたが、それを適当にかわ

しているトシアキの様子を見るに、この冒険が続くのは想像に難くなかった。

 そういう事もあるので、彼女がトシアキの祖父母のこれからの行く先を知っていても俺

達に話す気がないのが容易に分かった。

そこで役に立ったのが、トモハラさんに習った誘導尋問法や言葉の端々に現れるキーワ

ードで判断する方法だった。もともと説得に応じない相手や拷問を施せない場合に使う技

術だったのだが、まさかこんな事に使うとは思わなかった。

 やんわりと旅館従業員とのやりとりを終え、温泉街を抜けて県道に出る道をマウンテン

バイクで流していると、さっきのは催眠術か何かなのか、と鼻の穴を膨らまして興奮気味

のトシアキに訊かれた。人間は意外と嘘を吐くのにストレスを感じる生き物なんだよ、と

説明するが、トシアキは眉をひそめていた。

 トシアキの祖父母は、ここ温泉街より車で一時間程の場所にある漁場町へ行くと言って

いたらしい。自殺かも、とトシアキが顔を青くしていた。

 立ち漕ぎの状態で再び峠道を走る。海が近付いているのだろう、先程から俺達の頭上を

覆う木々がクヌギやナラ、スギなどから段々とアカマツに変わってきている。

 下りの勾配は更に急になり、トシアキが身を前に乗り出し、車体を左右に揺らしながら

潮の匂いが混ざる空気を切り裂いていった。







「寂れた漁村だなー・・・」

 曲がりくねった路地を、国道の脇の歩道から除く。

「昔は活気のある猟師町だってテレビで言ってたけどなー・・・過疎化の波はここにも及

んでいるだな」

海沿いの道は、俺とトシアキ以外、先程から車一台通っていない。追い抜かされる事も

なければ対面する事もない。海を左にして、カラカラと自転車を押しながら進む。

 トシアキ曰く

「漁場町でなんか新鮮な魚とかを食うかも」

 だそうで、先程からあちこちを見回しながら、祖父母が乗っている逃走車を探している。

しかし、そんな彼の予想とは反して、町は静まり返っていて、海側に見える漁港からも人

の気配が感じられない。

「ここを通ったのは分かるけどさー・・・・・・あまりの過疎地にスルーしたんじゃねぇ

かなぁ・・・・・・どう思うよ?」

「そーかもなー・・・・・・」

 海面すれすれを滑空しているカモメ達を眺める。四,七キロ先の水平線が微妙に丸みを

帯びているのが、そこに沈む夕陽の光がそれに沿って溜まっている事で分かった。

「・・・・・・・・・」

 ややあってから、トシアキがサドルに跨って、そして走り出した。

車道に出ながら併走するかたちで、しばらく二人共無言で潮風を感じる。

「・・・・・・そろそろ暗くなる。どっかで飯でも食おう」

 そう俺が言い出すまでには、随分と時間が経った。トシアキは焦っているのか、空腹す

ら忘れて常に俺を先導していたのだ。

 過疎に悩む漁村といえど、やはり漁師達の集まる食事処というのはお決まりのようにあ

って、それなりに賑やかで、酒臭かった。

 かなり場違いな人種が入ってきたので、大漁旗ののれんをくぐったときは、かなり怪訝

な目で、中の人間全員に挨拶するカタチになった。そこで、自分達は夏休みの思い出に自

転車旅行をしていると簡単に説明すると、気に入られたのか胃の中に納めるには他の臓器

に転職を願い出る必要があるのではないかと思う程の魚料理を振舞ってもらった。

 そこでも、それなりに聞き込みをする。ただ、今回は事情を知らない、しかも自分達の

立場も半ば偽っているという事もあり、何か変わった事はなかったか、という本質を逃し

かねない質問だった。

「いや、まさかビンゴだったな」

「とりあえず会計を済まそう」

 猛烈な安さにしてくれた食堂を後にする。扉を閉めても過疎化に悩む漁村で、漁師の年

齢層がかなり高いはずの彼等の高らかな笑い声は、開いているとはほとんど変わらない大

きさで聞こえる。

「たくましい人達だったな」

「くよくよしてたって仕方ないんだろうよ・・・・・・格好良いじゃねぇか。地に足着け

るってのはああいう事なのかもな、迷いがねぇよ。後継者がいるといいな」

 酔っ払いのビジネスポリシーを聞かされながら(しかも同じ内容を三度話そうとしてい

た)も聞き出した情報は、意外にも重要で、しかも緊急を要する好情報だった。

「まだ捕まったっていう情報はない、トモハラさんには常時チェックをしてもらう事にな

ったよ」

「でも捕まるのは時間の問題かもしれない・・・・・・急ぐさ」

 その情報を最初聞かされた時俺はつい

「まったくダイ・ハードみたいな二人だな」

 と正直な感想を漏らして、トシアキにぶん殴られた。

 厨房を預かる女将さんが鼻の穴を膨らませながら解説を加えてくれたその情報とは、つ

いさっきの事、ここから程近い場所で、警察に職務質問を喰らった老夫婦がその途中にも

関わらず、警官の目を盗んで乗っていた車で逃走したというものだった。

 あまりに心当たりがありすぎるため、トシアキは相当に渋い顔をしていた。そのお陰で

再び漁師達にかなり怪訝な目で見られたりもした。

「はい・・・・・・あぁ、そっちはどうなった?」

 携帯電話にトモハラさんからの着信。イヤホンマイクを取り付けている携帯は腰のポー

チの中に、海沿いの道を疾走(トシアキのペースなのだが)している俺達。

 海岸線沿いに立ち並ぶ街灯は岬の先端まで延びて、その向こうへと消えている。トシア

キの必死な瞳は岬の先端一点を見つめていた。

「・・・・・・・・・」

『聴いていますか、タカハシさん?』

「あぁ・・・・・・分かった、ありがとう」

 通話が終えて、若干前を行くトシアキに追い付く。

 額に汗する彼の双眸は、時折垂れてまつ毛に溜まる汗に力のこもった瞬きを繰り返して

いた。

「トシアキ・・・・・・ダイ・ハードってのは冗談じゃねぇかもよ。五キロ先の県境に張

られた非常線をお前のじーちゃんばーちゃんが強引に突破したらしいぞ。まったく老人の

やる事かよ、ってな」

「・・・・・・・・・公務執行妨害、道路交通法違反」

「そして逃走の際に、色々と物壊してるだろうなぁ・・・・・・突破するのに」

「頭・・・・・・痛ーい」

 ニヤリと、己の祖父母のした蛮行に唇の端を吊り上げたトシアキ。俺もそれにつられ

「追われている身としちゃぁこっちも一緒なんだけどな」

 苦笑しながらそう言った。

「まったく格好いいぜ」



     



 いつの間にか岬の先端まで来ていた。突端部分のヘアピンカーブから、その問題の事態

の舞台になっている街が臨めた。先程の漁村と違い、街中から灯りが見えていて、賑やか

なのが一目瞭然だった。

 警察による検問を強行突破した老夫婦は、現在海沿いの道をカッ跳ばしながら逃走中で、

道の途中所々に仕掛けられた第二、第三の検問も車体ごと路肩に乗り上げたり、または華

麗なスピンターンを披露したりと、マニュアル車の性能を九割以上駆使しているらしい。

 そろそろ警察によるマスコミの抑えつけに限界が見えてきたため、テレビ局のヘリコプ

ターが出動して、アメリカのニュース番組ばりに全国に生中継でその様子が放送されるだ

ろう、トモハラさんが言っていた。

「なぁ・・・・・・あれならー・・・いや、免停だな」

 どうやら二人に近付くのは無理なようだった。

 岬の突端には、煉瓦造りの灯台が建っていた。入り口に錆付いた南京錠が、ここは人の

出入りがしばらくなかったという事を物語っていた。難なく南京錠の許しを貰い、今俺達

は灯台の灯火部分で、備え付けの望遠鏡を構えて、ぼんやりとボニー&クライドの劇中の

ような様子を眺めていた。

「うん・・・・・・でもあのばっちゃんなら免許の更新を断る理由はないよなぁ」





 意外と鮮明に筒の向こうから見えた光景は、翌日の朝刊にギリギリセーフで載った仲の

良い老夫婦の逃避行の様子だった。

 この夏一番の珍事と騒がれ、この出来事に勇気を貰ったのか、しばらくは元気な老人達

の起こした騒動がニュース番組を賑わせた。同時に、高齢者の自動車教習ブームが到来し

て、事件直後はマスコミに叩かれ放題だった事件の発端となった教習所も、今となっては

複雑な表情をしている。

 そして、トシアキの祖父母は当然の事ながら未だに拘留中だが、拘置所での生活を案外

楽しんでいるらしい。

 ちなみに、トシアキの両親はというと、二人のカーチェイスの一報が届いて間もなく夫

婦揃って急性胃潰瘍にかかって未だに入院している。その息子は息子で、病院と拘置所を

往復して、もれなくクラスメート全員の注目を浴びている状態を、ちゃっかりと楽しんで

いるようだった。

 今日から学校、楽しむつもりだ。



fin

       

表紙

ウド(獅子頭) 先生に励ましのお便りを送ろう!!

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