03.ヴェルニースの街、冒険者
同刻、ヴェルニースの酒場。
粗忽なザナンの下級兵士が交わす杯の音で、ヴェルニースの酒場は久々の活気を取り戻していた。
酒に酔い、力を持て余した若い兵士が一人のみずぼらしい男に因縁をつけ、時々、威嚇するような大声をあげ、拳をふるう。
部下の騒ぎに気づいた赤髪の仕官は、溢れんばかりのクリムエールの杯を飲み乾すと、静かに席を立った。
「何事だ?」
その赤髪の男こそ、“ザナンの紅血”ロイターであった。
彼の声に、さきほどまでは酔っ払っていた兵士も、気を引き締めた。
「これは隊長。なに、たいした騒ぎではありません。このボロ布をまとった不審な男を尋問していただけのことで。なにしろ皇子直々のご遊説、警護を申しつかった我々としては、例え酒に興じている最中でも、怪しいものを見過ごすわけにはいきませんからな! ……おい、お前のことだぞ。聞こえているのか?」
そう言って兵士は、乞食のようなみずぼらしい男を引っ張った。
「この男は……」
「ご覧のとおり、ふてぶてしい野郎です。もう少し痛い目に合わせて追い返して見せましょう。危害はないにせよ、目に付くだけで我らの飲む酒がまずくなりますからな」
兵士がそう言うと、後ろで酒を飲んでいた兵士たちがばっと笑った。なにが皇子の警護であろうか。彼たちはただ酔いの相手としてこの男を選んだだけである。
対照的に、その男の顔を見たロイターはさきほどから意味深な表情をし続けていた。笑うでもなく、憐れむのでもない。それは怖れであり、また、どこか懐かしむような表情でもあった。
「やめておけ」
「しかしね、隊長、脚の一本でも折れていたほうが、むしろ物乞いに箔がつくってもんです」
「誰のために言ったと思っている? “ザナンの白き鷹”、それがお前の目の前にいる男だ。……しばし二人だけにさせてもらう」
兵士は納得のいかない表情を浮かべながらも、男を離し、元の酒の席へと戻っていった。
「こんな所に埋もれていたとはな。そのなりはなんだ、世捨て人にでもなったつもりか」
「…………」
「人は変わるものだ。国中の誰もがその才能を羨み、功績を讃え、貴族の特権まで与えられた“白き鷹”が、小汚い酒場の隅に隠れ、死人の目で空を見つめている。貴様がザナンを出てからは、何事も張り合う相手がいなくて困る」
「…………」
「ふっ、憎まれ口の一つでも叩いたらどうだ。仮の自分にうんざりだと、昔俺に言ったのを覚えているか? 富と名声を脱ぎ捨てた、その薄汚い乞食のような姿がありのままの姿だと吹くのなら、とんだ笑い種だ。あるいは、欲望を捨て、罪人のように暮らすことがあの娘の供養になるとでも?」
「その話は聞きたくない」
「エレアの小娘……エリシェといったな、貴様の言葉を借りれば、あの娘さえも己の仮面の一部だったのではないか?」
「問答に付き合うつもりはない。あのまま殴られ牢に入っていたほうが、まだ静かでいい」
「では、望みどおり身柄を拘束させてもらおうか、ヴェセル・ランフォード。ザナンを出た貴様以上の危険分子は他に居まい」
ザナンがそう言って、しばらく彼を見ていると、“虚空を這いずる者”は黙って酒場を去っていった。
*
一方その頃、無事に再会を果たした旅人たちは――。
「頭いてぇ……」
「どうした、頭痛か。悩み事か」
「あんたのせいだよっ! 悩み事だとしてもあんたのせいだろうねっ!」
一瞬の気絶から這い上がったエーヴィヒと、武器をようやく手に入れてご機嫌なイーリスは、街全体の把握も兼ねて店通りを歩いていた。
イーリスもこの街に入ったのは昨日のことらしい。エーヴィヒのノースティリスでの家がこの街の近くであるということをかろうじて覚えていた彼女は、エーヴィヒがこの街に顔を出すことを信じて待っていたという。
「しかし、お前が生きていて助かった。あのまま武器も手に入れられないようなら、本気で酒場で働こうかと思っていたくらいだ」
「えっ、酒場って、もしかして娼h……」
ふと殺気を感じたエーヴィヒは、言葉を途切らせた。
「……エーヴィヒ、わたしはいまとてもこの買ったばかりの大槌で腕ならしをしたいと思っているんだが……」
「じょ、冗談だよ! イーリス! 冗談に決まってるだろ! でも、イーリスなら別に武器がなくたって素手でモンスター退治くらいできたんじゃないの?」
「わたしは別に格闘スキルなんて持ってないぞ?」
「マーシャルアーツ技能とかないの?」
「ない」
「え、じゃあ、さっきのラリアットは何なのさ」
「あれはただの体当たりだ」
「え……」
そんなことを話していると、ふとイーリスが足を止めた。すぐ隣を歩いていたエーヴィヒも足を止める。
「どうした?」
そんなエーヴィヒの疑問に答えるように、イーリスの鎧の下から「ぐうぅ」というくぐもった音が聞こえてきた。そんなイーリスが見つめる先にはパン屋の看板がある。
「エーヴィヒ、腹が減った」
「だいたいわかってるよ」
「何か持ってないのか」
「旅糧とかなら荷車にあったと思うが、いま持ってるのはクリムエールくらいかな」
「お、いいもんを持ってるじゃないか。わたしがパンでも買ってくるから食事としよう」
「いや、それ俺のお金……」
しばらくして、イーリスは大量のパンを持って店から出てきた。
「また、ずいぶんと買ったもんだな……」
「食いもんはいいもんを食べないと体が鈍るだろう」
「だからって、お金を全部使うことはないだろ……」
エーヴィヒはイーリスから返されたまるで重みを感じない財布を見て、ため息をついた。
「お金くらい、すぐにわたしがどうにかする。どうせお前一人じゃロクに仕事も見つけれなかったのだろう」
「うっ……そんなことは……」
「まぁ、いい。ちょうど良さそうな仕事をひとつ知っている。飯を食べたら酒場に行くぞ」
エーヴィヒたちはしばらく石階段に腰を下ろして、通りの人々を眺めながら食事をした。
通りすぎる人々のなかには物珍しげな視線を送ってくる者も多かったが、おそらくイーリスの姿を見てのことなのだろう。
この街にはガードやザナンの兵士の他にも、冒険者たちの姿が多く見られた。
「そういえば、なんでこんな冒険者が多いんだ? この街は」
「何やらさいきん、近くにネフィア(ダンジョン)が発見されたらしい。いまではそこの探索のための拠点にもなっているというわけだ」
「なるほど……なかなか上級者らしき人もたくさんいるし、何か訊いてみるのもいいかもな」
「わたしはともかく、お前みたいなロクに装備も揃ってないやつが話しかけたところで相手にしてもらえないだろう」
「え、でも今から酒場に行くんだろ? そういう情報収集のためじゃなかったのか?」
「いや、酒場に行くのは仕事の当てがあるからだ。それに、いま酒場はザナンの兵士が呑んだくれてるだけだ」
「詳しんだな、さてはもう行ってきたのか?」
「昨日にな。ついでに酒場で働いてみないかともその時誘われた」
「やっぱり、sy」
「看板娘としてだ」
二人は詰め込むようにパンを食べ、腹を満たすと腰をあげて軽くほこりを払った。
「そろそろ行くか」
「ああ。ところでその仕事ってのはどんなやつなんだ」
「なに、ただの退治の依頼さ」
そこへ通りの向こうからやってきた外套を深く被った男が、エーヴィヒの横を通り過ぎようとして肩をぶつけた。
「あ、悪い」
エーヴィヒは自分が余所見をしていたこともあって、咄嗟に謝ったが、男は立ち止まる様子もなくそのまま過ぎ去って行った。
そんな男の行き先を、イーリスはなぜか注意深く見つめていた。
「? どうした、イーリス」
「……いや、なんでもない。この大陸にはやはり面白そうな奴が多いなと思っていたところだ」
「あー、お前の言う“面白い奴”ってのはどうせ強いやつのことだろ」
「ふむ、わかってるじゃないか。まあ、いい、さっさと行くぞ」