「本当に、好みの相手に出会えるんですか?」
と、あたしは言う。
「ご安心ください。弊社のマッチング成功率は99・8%。お客様満足度も業界ナンバーワンです。絶対にご満足いただけますよ」
目の前に座るスーツの男はそう言ってにっこりと笑う。
けれど、疑念はどうしても晴れない。
最初は、期待していたのだ。
だが、この部屋……。
五メートル四方の広さで、床も壁も天井も白一色。簡素な白いテーブルと椅子以外には家具もない。窓さえもない。
いくらなんでも、結婚相談所と言うには少し殺風景すぎやしないだろうか? これではまるで、研究施設か何かのようだ。
初芝と名乗るこの結婚アドバイザーも、さっきから『必ず』『絶対』という言葉を繰り返すばかりで、具体的な説明は何もしない。恋愛に絶対なんてないことは、今までの経験で知っている。『運命の相手に出会える』という売り文句も、たちの悪い冗談に思えてきた。
やっぱり、帰ろうかな。
あたしは腰を浮かしかける。
「実は、貴方に会ってもらいたい男性がいるんです」
そのタイミングを見計らったように、初芝さんが言った。
「えっ、もう?」
あたしは思わず声を上げてしまう。
「だってあたし、さっき検査を受けたばかりなのに……」
「スピードも、弊社の魅力の一つでして」
初芝さんはそう言って懐から一枚の履歴書を取り出し、すらすらと喋りだした。
「先ほどの脳スキャンの結果を踏まえ、貴方にぴったりの男性を選び出しました。広告の通り、代金はマッチング成立から一か月後で構いません。試しに一度だけでも、いかがでしょう?」
あたしは考える。
それが彼らお決まりのセールストークなんだろうと予想はついた。
でも……タダという言葉には弱い。
あたしは黙ってまた腰を下ろし、差し出された履歴書を受け取った。
プロフィールに目を走らせる。
身長――合格。
体重――ちょっと太めだけど、許容範囲。
年収――うーん、ま、こんなもんか。
勤め先――地方電力会社のエンジニア。安定はしていそうだ。
それぞれの項目は、確かに合格ラインのようだった。
だけど……。
あたしは困惑して顔を上げる。
「あの、この履歴書……写真がないんですけど」
「ええ、そうなんです。弊社の履歴書は、写真を載せていないんですよ」
初芝さんは当然のように言った。
どういうこと?
あたしはますます混乱する。
今は仕事に打ち込みたいし、休日は趣味に使いたい。家庭を持つのは、もう少し落ち着いてから……。そう考えているうちに、気付けば三十一になっていた。
キープしていたつもりの恋人は、結婚を匂わせた二日後に別の女を作り、姿を消した。
焦った時にはもう遅い。友人の多くが結婚し、合コンの面子はなかなか揃わない。ネットで相手を探すのはちょっと怖い。ナンパ? そんな年齢でもない。
これはもう、一生独身で過ごすしかないか。
そう腹を括ったが、あいにく母が許さなかった。
「いい加減、孫を見せてちょうだいよ」
実家に帰るたびにネチネチと言われ、父の仏壇の前で呟く恨み言を毎夜聞かされる。正直げんなりするが、あたしは一人っ子。将来母の介護をすることも考えると、一生独り身というのもやはり少し不安だ。
あたしはしぶしぶ婚活を始めることにした。あくまで母のため、だ。
しかし、ことはそう簡単じゃなかった。
ロクな男がいないのだ。
言っちゃなんだが、あたしは面食いだ。デザイナーの仕事は順調だし、貯金もそこそこある。顔と性格が合えば、男の収入はさほど気にならない。だが、婚活イベントで出会うのは理想と真逆の男ばかり。つまり、収入もあり仕事も安定しているが、顔がいまいちパッとしない。あれこれと品定めをするうちに、貯金だけがどんどん減っていく。
もう、無理かもしれない……。
そう半分諦めかけていたある日、あたしはその広告を発見したのだった。
『成功率99・8%! 脳スキャンとSR技術で、運命の相手をマッチング。一か月以内に別れた場合は、代金は頂きません!』
こんなうさんくさい文面、普段ならすぐに読み飛ばすのだけど、その時のあたしにはピンと来るものがあった。
まず、脳スキャンという言葉。少し前、雑誌である実験の話を読んだ覚えがあった。脳の活動を調べ、その人の好みに合う顔をCGで作るというものだ。その結果、二千人の被験者ほぼ全員が、作ったCGが好みのド真ん中だと認めたという。そんな技術があるのなら、あたし好みの男も見つけてくれるかもしれない。
また、「見つからなかったら無料」ではなく、「一か月以内に別れたら無料」という点もポイントが高かった。つまり、マッチングに関しては絶対の自信があるってことの裏返しなんじゃないだろうか。
ネットで調べてみたが、悪い評判もなさそうだった。もちろん中には、
『やっぱり何かが違う気がして、別れました』
とか、
『すっっっごく好みのイケメンだったのに、結婚してこんなに顔が変わると思わなかった! ちくしょー(泣)』
とか、そんな不満も少しはあったけど、詐欺だとか、すぐに別れたっていう話は見当たらない。
少し迷って、あたしはそのサービスを利用することに決めた。料金は割高だったけれど、一か月続かなければタダなのだ。変な男を掴まされたら、とっとと別れてしまえばいい。
詳しいプロフィールと相手に求める条件、面談希望の日時を書き、自分の写真を添付してメールで送る。返信はすぐに来た。
そして、いよいよ運命の日。
あたしは、メールに書いてあった住所を訪れる。六本木にある小奇麗なビルの七階だった。受付を済ませると、『検査室』とドアに書かれた小さな部屋に通される。
そこであたしは、コードがたくさんついた装置を頭に被り、スクリーンで様々な男たちの写真を見せられた。ハッとするようなイケメンから、嫌悪感を覚えてしまうようなブ男まで……。年齢も顔立ちもバラバラな男の写真が、次々とスクリーンに現れては消えていく。新たな顔が現れるたび、その顔がどのくらい好みかを十点満点で答えさせられた。
装置のコードの先はモニターに繋がっていて、白衣の男性が手元の紙に何かを書き込んでいた。あたしの脳の活動を調べているのだろう。
検査は四十分ほどで終わった。
その後通された面談室で、あたしは初芝さんに会ったのだ。
「はじめまして、初芝です。今日はよろしくお願いします」
名刺を受け取りながら、あたしは自分の胸が期待に膨らむのを感じていた。
これだけ本格的なら。
今度こそ。
もしかしたら。
本当に、運命の相手に出会えるかも――。
それなのに、だ。
これだけ大仰な検査をやらせておいて、履歴書に写真を載せていない?
「なんのつもりですか?」
あたしは初芝さんを睨み、語気を強める。
だのに、初芝さんは落ち着いたものだ。
「見ての通りです。弊社は男性の履歴書に写真を載せていないんですよ」
そう言って、口には笑みすら浮かべている。悪戯をする前の子供のような笑み。ふざけているとしか思えなかった。
無邪気に期待していたあたしが、これじゃあ馬鹿みたいじゃないか。
考えるほどに腹が立ってくる。もうこれ以上、付き合っていられない。
「あっ、ちょっと」
立ち上がったあたしを見て、初芝さんが慌てた顔で制止する。
「あたし、これで失礼します」
「いやいや違うんです。聞いてください。確かに写真はありませんが、その代わりに弊社はもっと画期的な……」
「知りません。なにが『運命の相手を探します』ですか。からかうのもいい加減にして」
テーブルの引き出しから何かを取り出そうとする初芝さんに背を向け、ドアへと向かう。背後から追いすがる声が聞こえた。
「待ってください――」
もう何を言っても遅い。絶対話なんて聞いてやるもんか。あたしはノブに手をかける。
その瞬間、視界が真っ暗になった。
部屋の電気を消された? いや違う。フルフェイスのヘルメットのようなもので頭をすっぽり覆われたのだ。
「なに? なんのつもり? 外して!」
あたしは身をよじり、大声で叫ぶ。
「違うんです。これは……」
初芝さんの声が、ヘルメット越しにくぐもって聞こえる。あたしはヘルメットを脱ごうとしたが、上から押さえつけられていて、できない。やがて初芝さんが何かのスイッチを入れたらしく、「カチリ」という音があたしの頭の上で響いた。
と――。
視界が急に明るくなる。部屋のドアが目の前にあった。外の音も鮮明に聞こえる。ヘルメットが外された? いや、頭を覆われた感覚はそのままだ。ヘルメットの内側に外の景色を映しているのだということに、少しして気がついた。
「ちょっと、これはどういう……」
振り向いたあたしは絶句した。
殺風景だった部屋が、お洒落なカフェを思わせる内装に変わっていた。簡素な机も、いつの間にかアンティーク調のティーテーブルになっている。
そして、さっきまで初芝さんが座っていたはずの椅子には、全く別の男性が座っていた。
少し離れた場所からでもよく分かる。その顔立ちは――。
「いかがです?」
ぼーっとしているあたしの耳元で、突然初芝さんの声がした。同時に、あたしの肩に手が置かれる感触。
「え、なに? 初芝さん? へ? どこ?」
あたしはパニックになる。だって、肩に手を置かれている感触はあるのに、初芝さんの姿はどこにも見えないのだ。
「あっ、すみません。初期設定だと私は消えているんでした。ちょっと待ってくださいね」
またカチリという音。すると、突然目の前に初芝さんが現れた。
「ひゃっ!」
思わず叫んだあたしに、初芝さんは苦笑する。
「すみません。本来はまずこのヘルメットの説明をしてから、実際に『見て』もらう予定だったのですが……」
そう前置きして、初芝さんは説明してくれた。
「つまり、これが弊社のシステムなんです。男性会員の皆さんには、モニター付きのビデオカメラをお渡ししていて、弊社の呼び出しに応じて、自分の姿を撮影してもらっています。その映像を、今被っているヘルメットのスクリーンを通じて、貴方の視界にリアルタイムで合成しているんです。一方で、貴方の姿も、男性が見ているモニターに表示されています」
あたしは少し考える。つまり、あの人はどこか別の場所にいて、その姿をヘルメットのスクリーンがあたしの視界に映しているということらしい。同時に内装の映像も合成して、全く別の部屋に見せているのだ。
「じゃあ、向こうにはあたしのヘルメット姿が見えてるんですか?」
あたしはヘルメットの中で赤面する。初芝さんはくすりと笑った。
「ご心配なく。そのヘルメットの内部にはセンサーもついていて、貴方の顔立ちや表情の正確なデータを相手のモニターに反映しています。向こうの男性には、ヘルメットをつけていない顔が見えているはずですよ」
だが、それを聞いて、あたしはますます赤面してしまう。
「では、私は今度こそ消えますね。もちろん、盗み聞きするような無粋はいたしません。マッチングは二時間を予定しております。どうぞ、ゆっくりご歓談ください」
そう言って、初芝さんはまた、カチリという音と共に消えた。ワンテンポ置いて、背後のドアが開き、閉まる音。
正直、まだ疑っていた。初芝さんは出て行ったふりをして、まだ部屋にいるのかもしれない。ドアを開け閉めしただけかもしれないし、ヘルメットのスピーカーを通じて「ドアを開け閉めする音」を流した可能性だってある。
目の前の人だって、本物かどうかは怪しい。もしかしたら、他の人や……ううん、あるいは精巧なCGを画面に映しておいて、誰か別の人が操作をしているだけかもしれない。それとも、顔だけ別の人に置き換えているのかも……。
だけど、あたしは部屋を出なかった。それどころか、引き寄せられるようにテーブルへと歩いていく。
座っていた男性がゆっくりと立ち上がり、あたしを見た。
視界に合成されている『彼』の姿は少し粗く、時々ちりちりとノイズが入る。
それでも、疑いようがなかった。
切れ長の涼しげな目。
スッと通った鼻筋。
皮肉屋っぽく、少し持ち上がった口角。
引き締まった細い顎。
「こんにちは」
少しハスキーな声が、スピーカー越しに耳をくすぐって。
「はじめまして。……三田と申します」
にこっと微笑むと、少し冷たそうな印象が、一気に人懐こい感じに変わった。
……ドンピシャだ。
誰もが認める美形というわけではない。どちらかと言えば、世間的には「普通」の域に入ると思う。しかし、その顔はあたしの胸をかき乱してやまなかった。これがあたしの好みなのか、と自分でも再発見する思いだった。
「どうぞ、おかけください。本当は椅子を引いてあげたいんですけど、そういうわけにもいきませんね」
彼はそう言って、手をテーブルの上で動かしてみせる。手はテーブルをすり抜けた。
「あっ? ああ、はい。そうでしたね。えっと、どうもおかまいなく……」
あたしはとっさに澄ました顔を作ったけれど、そばから頬がだらしなくゆるむ。
いけない。
こんなみっともない顔を見られたら幻滅されてしまう。これならいっそ、ヘルメット姿を見られた方がマシだ。
だけど、そんなあたしを見て、彼……三田さんは、少しはにかみながらこう言ったのだ。
「あの、会ってすぐこんなことを言うのも変かもしれないですが……笑った顔、素敵ですね。とってもかわいいです」
その言葉がトドメだった。
偽者だろうと本物だろうと構わない。
実体だろうと合成映像だろうと構わない。
ただ、この人と少しでも長く一緒にいたい。
……ドラマや小説の中だけの話だと思っていた。
出会った瞬間、恋に落ちるなんて。
夢みたいな時間が過ぎていった。
三田さんは喋るのは不得意そうだったが、不器用でもあたしを楽しませようと一生懸命な姿が伝わってきて、話せば話すほど、ますます好きになっていた。
あたしたちはいつしかすっかり打ち解けている。まるで何年も前から互いを知っていたように。途中、初芝さんが持ってきてくれたティーバッグの紅茶(もちろんそれは本物だ)の香りが、いつもより一際甘く感じられた。
できればいつまでもこうして二人で話していたい。いや、本当は彼に触れて、抱きしめて、それから……。さすがに気が早いと思いつつ、本気でそう期待してしまう自分がいる。
だけど。
一方で、最初に浮かんだ疑念が、まだ頭にこびりついていた。それは、彼への好意を自覚するたびに強くなり、やがて恐怖に変わっていく。
もし彼が……本当は全くの別人だったとしたら?
実際には、存在しなかったとしたら?
あたしは何度も否定する。
こんなに生き生きとした姿が、偽者なはずがない。
だけど、所詮はスクリーンの映像で、幻なのだ。人間のCGだって、最近は本物と見分けのつかないレベルになっている。その気になれば誤魔化しなんて、いくらでもきくのだ。
手触りが欲しかった。彼が実在するという手触りが。
でも、それは叶わない。触れようとすれば、その手はすり抜けてしまう。
気分は舞踏会のシンデレラだった。十二時が来れば、夢のようなひと時は消えてなくなってしまう……。王子様の存在すら。
そして、二時間が過ぎた。
「お楽しみ中のところ、申し訳ありません」
初芝さんが唐突に視界に現れ(さすがに三回目だったから、驚かなかった)、あたしたちに終わりを告げる。
「待って! もう少しだけ……」
「申し訳ありません。皆さんそうおっしゃいますが、時間の延長はできないんです」
「そんな……」
泣きそうになるあたしに、三田さんは優しく言った。
「大丈夫です。すぐにまた会えますよ」
「でも、でも……」
言えない。
貴方は本当に存在しますか? なんて。
すがるような思いで、もう一度初芝さんを見る。
おや、と思った。
彼はまた、あの悪戯っぽい笑みを浮かべていたのだ。
初芝さんだけではなかった。三田さんも、同じような含み笑いをしている。
不安の雲が心に広がる。
やはり、あたしは騙されたのだろうか?
「とにかく、規則ですので」
だが問い詰める前に、初芝さんがそう言ってあたしのヘルメットに手を伸ばした。
あっと言う間もなく、カチリという音。
同時に視界が暗転し、また戻る。
元通りの、白い部屋。
空になった紅茶のカップが二つ載った、簡素な白いテーブル。
にこやかに笑う、初芝さん。
そして――。
「三田……さん?」
そこには、三田さんが立っていた。
急いでヘルメットを脱ぐ。
それでも変わらず、彼はそこにいた。
「本物なの?」
こわごわ伸ばした手を、彼の手が掴んだ。
あたしは彼の顔を見つめる。
その優しい眼差しも。
かわいらしい鼻も。
男らしい唇も。
がっしりとした顔も。
確かにそこにあった。
「ほら」
ハスキーな声で言って、彼はニコッと笑う。
「すぐに会えるって、言ったでしょう?」
「……はい」
あたしは戸惑いと喜びでふわふわした気持ちのまま、やっとのことで、そう言ったのだ。
初芝さんが説明してくれた。
つまり、彼はすぐ隣の部屋にいたのだ。あたしと同じようにヘルメットをつけて。あたしたちは実際には、わずか壁一枚を隔てて、仮想空間で会っていたということになる。
そして、どのタイミングかは分からないが、彼は部屋に入ってきた。その瞬間だけ、あたしのヘルメットには彼のCGが表示されていたのだろう。時間が来るころには、あたしは仮想ではなく、本物の彼と話していたのだ。
なんでそんなことを? と聞いたら、初芝さんはやっぱりあの悪戯っぽい笑みを浮かべ、
「これが弊社の演出なんです」
と言った。
……さすがに、ちょっと回りくどすぎないだろうか?
まぁ……あたしは結局、その演出にばっちりハマってしまったのだけれど。
彼とはその後も順調だ。無料期間の一か月はもう過ぎたが、幻滅するどころか、ますます好きになっている。彼の優しさも誠実さも、あの日話した時から変わっていない。
もちろん、お金は払うつもりだ。今日、三田さんが二人分のお金を払いに行くことになっている。
皆は、面食いのあたしが、いたって普通な顔立ちの男に惚れこんでいるのを見て不思議がった。「結局妥協したんだ」なんて陰口があることも知っている。
だけど、誰に何を言われようと気にしない。
彼はあたしにとって、間違いなく運命の人なのだから……。
「初芝さん、色々ありがとうございました。これ、少し多めに入ってます。受け取ってください」
「そんな、困りますよ三田さん。我々は料金通りのサービスをしただけなんですから」
「いえ、ぜひ受け取ってください。僕があんな美女とお付き合いできるなんて夢みたいです。ブスが来たら承知しないなんて、失礼なことを言った自分が恥ずかしい。これは謝罪とお礼の気持ちです」
「しかし……」
「もし会社で受け取ってくれないというのなら、初芝さん、貴方がもらってくれればいい。お願いします」
そう言って彼は無理やり私に分厚い封筒を押し付け、引き止める声も聞かずに面談室から出ていった。自信に溢れた足取りだった。私はそれを見て、追いかけるのをやめる。
どうやら、二人はその後も順調のようだ。
封筒から札束を抜き出し、数える。銀行振り込みで構わないと言ったのだが、本人がどうしても直接渡したいと言って聞かなかった。おそらく最初から、心づけを渡すつもりだったのだろう。
余分に入っていた金を抜き出し、少し思案してから、スーツの胸ポケットに入れた。実のところ、こういうケースは少なくない。上司に報告したところで、理由をつけて取り上げられ、部署の飲み会代に使われるのがオチだ。たまには自分の小遣いにしてもバチは当たるまい。
今回もうまくいった。
女性の方が説明の途中で帰ろうとした時は少し焦ったが、怒らせた分だけ感動も大きかったようだし、結果オーライだろう。
しかしつくづく、人の好みなんていい加減なもんだな……。
そんなことを考えながら部屋に戻り、机のノートパソコンを見る。
画面には、三田さんのプロフィールが表示されていた。
パソコンのキーを一つ叩いて画面を切り替え、彼の顔写真を表示する。
眠たげに厚ぼったい瞼。
ちょっと上向いた団子鼻。
一文字に結ばれた大きな口。
ホームベースのような顔。
全く女性に縁がないと嘆いていた彼の顔は、なるほど確かに野暮ったい。我が社のメイクやヘアカットのおかげで、どうにか「普通」の範疇に収まっている感じだ。
もう一度、パソコンのキーを叩く。
三田さんと入れかわって、別の男性の顔が表示された。
切れ長の目に真っ直ぐな鼻筋。皮肉めいた笑みを浮かべた口。ちょっと冷たそうな印象を受ける男の顔がそこにあった。目の覚めるほど……とまではいかないが、先ほどの三田さんと比べれば、ずいぶんと美男子だ。
思わず苦笑が漏れる。
「どっからどう見ても、別人だよなあ」
こんな実験がある。
女性の写真二枚を男性に見せ、好みに近い方はどちらか指差してもらう。その後、選んだ写真を男性に手渡し、どこが好みか改めて詳しく説明してもらうという、単純なものだ。
ただし、この実験には一つからくりがある。
男性に気付かれないように写真をすり替え、実際には、彼が選ばなかった方の写真を手渡すのだ。つまり、男性が受け取る写真には、自分の好みではないはずの女性が写っていることになる。
だが、被験者の大半は、なんと写真が変わったことに気付かない。それどころか、すり替えられた写真を見ながら、どこが好みに感じたかを当然のように説明しだすという。
「自分で選んだ」という認識が、その後の判断を歪めてしまうのだ。我が社のサービスは、この実験の応用版とも言える。
あの女性の視界に最初映っていた男は、脳スキャンの結果から我が社が作った、彼女の理想の男性像だ。それをマッチング中に、徐々に三田さん本人に変えていったのである。
一瞬の入れ替えでさえ騙されるのだ。ゆっくり時間をかければ、どれだけ大幅に顔立ちが変わってもまず気付かない。だが、出会った瞬間の強烈な第一印象と、その後の会話で育った好意だけは、そのまま残る。
その結果どうなるか。
脳は現実と感情との辻褄を合わせようとして、元々の好みの方を変えてしまうのだ。
さらに、仮想だと思った人間が、いつの間にか本物になっているというサプライズ……。燃えるようなロマンス一丁あがり、というわけである。
本来存在しない映像を視界にリアルタイムで合成し、現実を書き換える。
SR――代替現実(Substitutional Reality)と呼ばれる技術だ。脳スキャンとこの技術を駆使し、脳の錯覚を利用して、出会った相手が運命の人だと思い込ませる。これが、我が社が高いマッチング成功率を誇る本当の理由だった。
もちろん、いつもうまくいくとは限らない。
顔が好みでも、性格がどうしても合わない場合もある。その時は人と顔を変えてやり直しだ。理想の顔パターンなんて、脳スキャンで傾向を掴めばいくらでも量産できる。
長く付き合ううちに違和感に気付く人もいるが、脳が恋にのめりこんでいるうちは大丈夫。その期間は短くても約三か月半と言われている。
恋から醒めた時には、無料期間は過ぎているという寸法だ。
……恋愛とは、なんだろう。
ぼんやりとそんなことを思う。
白馬の王子様。
赤い糸で結ばれた人。
ビビッと来た相手。
ある人はそれを手に入れ、ある人は徒労に終わる。喜び、悲しみ、時には妥協しつつも、誰もが「まだ見ぬ運命の人」を追い求める。
だがそんなものは全て、脳が作り出した幻に過ぎないのだ……この仕事をしていると、そのことをつくづく思い知らされる。
手元のパソコンの画面には、今は一人の美女が映し出されていた。
ぱっちり開いた愛らしい目。
小さくバランスのとれた鼻。
優しげな笑みを浮かべた口元。
アイドルのようなその顔は、三田さんの脳スキャンの結果から作った、彼が理想とする女性像だ。
そう、彼もまた、価値観を書き換えられている。相手の女性と同じように。
だが、それがなんだというのだろう?
たとえ、機械が作り上げた幻想だとしても。
二人は互いに、相手が運命の人だと信じていて。
そして、少なくとも今は、間違いなく幸せなのだ。
疑いようもなく。
部屋のドアが小刻みにノックされた。次の面談相手だ。
私はパソコンを操作してクライアントのデータを表示し、ドアを開ける。
入ってきたのは、派手な格好の女性。
若作りをしているが、実年齢は四十近い。厚く塗ったファンデーションも、顔の小皺を隠しきれてはいなかった。
名刺を渡すが早いか、彼女は椅子にどかっと腰掛け、無遠慮な声で言う。
「あんた、好みの相手に絶対出会えるってのは本当なんでしょうね? あたし、ブ男は絶対イヤなのよ。イケメン出して、イケメン」
やれやれ。
私は内心溜息をつきながら、表面上は満面の笑みを浮かべつつ、言う。
「もちろんですよ、お客様。弊社の最新技術を信用してください。貴方の運命の相手は必ず見つかります。……必ずね」