番外編「ロデオ・スター・メイト」
新年が始まる鐘の音を聞いて、鳴海は目を覚ました。
重たい身体を起こして壁掛けの時計に目を向ける。時刻は0時ジャスト。こたつの上には空き缶やボードゲームが無造作に転がり、向かいでぐっすり眠る沙原はアコースティックギターを抱え「ありがとう武道館」と寝言を口にしている。普段から口癖のように言っていたし、むしろ今言っている方が正しいのかもしれない。寝言は寝て言え。
上体を起こすと、右隣りには一升瓶を抱えて雪彦が、左にはどうしてかジョニーが眠っている。一体どんな組み合わせだ。いや、まずは雪彦から一升瓶を取り上げるほうが先だろう。未成年の飲酒は厳禁だ。証拠隠滅、俺達は何も見なかった、いいね。鳴海は抑えた声量で転がる三人に呼びかけ、抜き足差し足でワンルームから廊下へと避難した。
玄関へと続く廊下の途中にある小さなキッチンも荒れ放題だ。一体何を作ろうとしたのか粘性の濃い緑色の液体が鍋の中で凝固している。恐る恐る取手を掴んで、コンロから持ち上げ、斜めに傾けてみたが、液体はゆっくり、ゆっくりと傾けた方へと流れていく。無臭だ、しかし緑色だ。
俺達は一体何を生み出そうとしていたのだろう。
鳴海は鍋をシンクに置いて上から水をぶっかけ、流しに捨てる。年は明けた。去年犯した過ちから目を逸らしたって誰も文句は言わないはずだ。
それから換気扇を回し、鳴海はキッチンの引き出しから煙草を取り出すとそれに火を付け、一服する。靄のかかっていた頭がスッキリする。胸いっぱいに煙を吸い込みながら、鳴海はふと昨日どうしてこの状況になったのかを、思い出した。
三十一日。
留年も確定したことから、鳴海は早めに実家に謝罪と挨拶し、逃げるように帰って年越しの準備をしていた。年末年始もいなさい、と言われたが向こうで年越しの約束をしてしまったと特にありもしない嘘をついて早々に切り上げた。
単純に、後ろめたくて家にいられなかったのだ。
実家を出る時、母は不意に鳴海に向けてこう言った。
「自分を大切にしなさいね」
「突然どうしたの?」
「どうせアンタ、今回もなんか首突っ込んで巻き込まれたんでしょう? そんくらい父さんにも母さんにも分かるわよ。昔っからそうやって貧乏くじばっか引いてんだから」
そうだったかな、と思うが、確かに何かにつけて問題は起こしていた気がする。流石に警察沙汰ではないが、少なくとも自分の身に何かしら災難が起こるタイプのやつを。
「大丈夫、無理はしないよ」
「ちゃんと、自分の手でどうにかできることだけやりなさい。共倒れが一番良くないんだからね」
「分かってる、そんな心配しなくても平気だよ」
「でも、背負うからには、最後まで背負いなさい」
母の言葉に、鳴海は振り返った。じっと自分を見つめる母の顔は、とても険しく、そして、力強かった。
よく目元は母さん似だと言われることが多かった。でも、こんなに真剣な眼差しをすることは、どうしたって出来なかった。多分、抱えているものの違いなのだろう。
幼い頃から言われていたことだ。責任を持つなら、一生持ちなさい。でも、自分で抱えられる範囲にしなさい、と。
「……ちゃんと守ってるよ、心配しないで」
それに、今度は一生手放したくないものなんだ。
鳴海の言葉に、母は呆れ顔を浮かべ、それから鳴海の背中を強く叩く。
「いってらっしゃい」
「いってきます」
思えば、あれからもう数日経つのか、と鳴海はビールを飲み、適当にこしらえたつまみを口にする。テレビでは毎年恒例の特番が流れている。紅白の目ぼしいのは見終わったし、お笑い番組は録画して後から見るつもりだから絶対にチャンネルを回していない。
去年まではサークル仲間と馬鹿騒ぎしていたのか。そう思うと、なんだか寂しい気もする。とはいえ沙原を含めたバンドメンバー達は今首都圏某所のライブハウスでカウントダウンライブの真っ最中だったと思うから誘えない。かといってモッシュピットの人間を誘おうかと言えば、あまり気が乗らない。
律花に関して言えば、連絡すら入れていなかった。父親によろしくされた手前、高校生を、深夜の、それも男の部屋に呼ぶなんて出来るわけがない。下手をすると今度は自分が叩き折られるかもしれない。妹と兄に順にベースを折られ、終いには父親に自分自身を真っ二つにされるなんてゴメンだ。
ふと、テーブルの上の携帯が鳴った。ディスプレイには律花の名前。丁度彼女のことを考えていたからか、しばらく出るべきか迷った。何か察して電話をかけてきたのではないか、電話に出たらお父さんかもしれない、と根拠の無い不安に駆られながら、恐る恐る電話に出た。
『寝てた?』
「いや、全然」
『なら早く出てよ。遅い』
「ごめんごめん。それで、何?」
鳴海の尋ねる声に、律花は少し黙り込む。どうやら向こうで何か考えているようだ。
『ねえ、今夜、約束ある?』
「今夜?」一瞬声が裏返った気がして、鳴海は深く咳き込むと、改めて尋ねる。「今夜って、年を越してからとか、そういうこと?」
『うん』
「別に、何もないけど?」
『初詣行かない?』
「俺が?」
『じゃなきゃあんたに電話なんかしないでしょ、ばか』
「いや、構わないけど、いいの?」
『いいから誘ってるんでしょ、じゃあ場所は……○○神社って分かる?』
近所だ。そういえば去年も皆でそこに初詣に言った記憶があった。
「分かるよ」
『じゃあそこで待ち合わせね。多分電話出来ないかもしれないし、0時半に入り口で』
それじゃあ、良いお年を。そう言って律花は電話を切った。
通話の切れた電話を片手に、鳴海はしばらくこの誘いの理由を考えていた。つまり、これは脈ありと見ていいのだろうか。何かしらあると考えてもいいのだろうか。
しばらく考えてみたが、単純に近くて誘えそうな知人が自分だけだったのだろうという結論に至る。至らないと変な妄想で悶えてしまいそうだから、ここで終わることにする。
さて、じゃあここから新年まで眠りに落ちてしまわないように気をつけなくては。
そう思っていた矢先、ベルが鳴ったのだった。
こたつを出て、玄関に向かい、覗き窓を覗き込む。
「なーるーみくーん、あーそぼーう」
ジョニーと雪彦と、沙原だった。顔を真っ赤に上機嫌に鼻歌を歌うジョニーと、同じく顔を真っ赤にして虚ろな目をしてこちらを見つめる雪彦。そしてそんな二人に抱えられるようにして既にぐったりと顔を伏せている沙原。まるで未知との遭遇だ。
「何してんだよお前ら!」慌てて開けると、鳴海の言葉も構わずに雪崩れ込むようにして三人が部屋に入り込んできた。
「年末ってのにソロ活動とはちょっと寂しいなあなるみくん、え、そうだろう、カウントダウンだよ、フェスにも行かなかったのかい? さみしいなあ、なるみくん」
ジョニーはふらふらと部屋の奥へと土足で踏み込んでいく。靴くらい脱いでくれと訴えると、彼ら三人は廊下に脱いだ靴を放り投げた。鳴海がそれらを片付けている内に、三人はすっかりこたつの中へと収まっていたのだった。
「一体なんですか、この面子は」
「いやあ、雪彦くんを含めプレイヤーで今年のブッキング締めとしょうしたパーてーをしていてね、ほら、君帰省かなんかでいなかっただおう? まーがれっとちゃんもつかまらなかったからてっきり二人でよろしくしてるとおもったんだけどねえ」呂律が全く回っていない。
「だからいったじゃないですか。鳴海さんはそういうところはちゃんとしてうんです。りつかさんとのこうさいらってしっかりとてじゅんをおってですね……」
「とね、ゆっきーがこういって聞かないからじゃあ確認にって思ってきらのさ」
「いや、いいんですけどね、雪彦にも飲ませたんですか?」
顔を顰める鳴海に対し、二人は顔を見合わせると、腹を抱えて笑う。
「まさかー」
「そんらわけないれしょー? だってぼくこうこうせいれすもん」
「呆れた……」陽気な二人に呆れながら、鳴海はとにかく水を用意しようとキッチン横の冷蔵庫へ向かうために廊下へと踵を返す。
返してから、最後の一人に関してまだ聞いていなかったと、鳴海は首だけ捻り、二人に沙原に関して尋ねようと口を開いた。
その口につっこまれたのは、果たして何だったのか。考える間もなく鳴海の頭は真っ白になった。おそらく、相当キツいものを思い切り飲まされたのだろう。
最後に憶えているのは、ぐったりとしていたはずの沙原が満面の笑みで鳴海の口に瓶を突っ込んでいることと、その後ろでハイタッチをする雪彦とジョニーの姿だった。
覚えてろ、お前ら。
それが鳴海が記憶している、今年最後の言葉だった。
・
外に出ると、骨身を削るような冷たい風が鳴海の頬を撫でていった。大分着込んだがそれでも寒い。トレンチコートのポケットに手を突っ込み身体を縮こまらせて、鳴海は家の鍵を閉めると神社までの道を歩き出した。
流石に新年ということもあって人通りはかなりあった。ご近所と顔を合わせる度に挨拶を繰り返し、途中ホットコーヒーを一つ買って飲みながら歩いた。不思議と酔いも頭痛も無かった。睡眠と寒さである程度は抜けたのだろう。シャワーを浴びたのも少し良かったのかもしれない。
神社は既に人で溢れかえっており、すれ違う人すれ違う人みな着物姿で、自分も何か着るべきだっただろうかと少し思ったが、後の祭りとコートの首元を寄せた。
律花はどこだろうか。きょろきょろと周囲を見回してみたが、どうにも見当たらない。しばらく入り口で探してみたが、それらしき姿は無かった。時刻は0時半丁度だ。もしかしたら、寝坊だろうか。
「ねえ」
隣から声がして、鳴海が左に視線を向けると、着物姿の女性がこちらを見上げていた。紺色に薄っすらと月の模様の入った着物と身につけ、唇には朱を差し、マーガレットの柄の入った巾着を手に提げていて、彼女は不思議そうにこちらを覗き込んでいた。
しばらく彼女の姿に見とれ、ほんの少ししてから、鳴海はぽつりと「律花?」と言葉を漏らした。目の前の彼女は目を丸くして、それから信じらんない、と怒りに目を細めた。
「いや、ごめん、一瞬気付かなかった」
「別にいいよもう……どうせこういう姿イメージと違うと思ったんでしょ」
不機嫌そうに俯く律花に、鳴海は頭を掻きながら、言うべきかどうか少し迷った。
迷った末に、ええいままよとそっぽを向いたまま、深く息を吸い込んだ。
「いやその、すごく綺麗で、びっくりしてた」
脛に強烈な蹴りが一発。身動きの取りづらい着物でよくあんな鋭い蹴りを出せるもんだと思いながら目に涙を浮かべ足の心配をしていると、彼女がそっと手を差し伸べた。鳴海がその手を見つめていると、ねえ、恥ずかしい、と律花が急かすように言った。
鳴海はその手を取った。取ると同時に、彼女の手がぎゅっと鳴海の手を握り締めた。
「……あけまして、おめでとう」
視線を逸らしたまま律花は言った。握られた彼女の手が少し熱い。
「今年もよろしく」
うん、と頷く彼女の横顔を眺めながら、鳴海は微笑む。参拝終わったら甘酒を飲みに行こう。彼がそう提案すると、律花は顔を伏せたままもう一度、うんと小さく返事をした。
「そういえば、この間の話、聞いた?」
「この間?」甘酒を片手に鳴海がそう聞くと、帰省してたもんね、と律花が甘酒を飲んで、満足そうに吐息を一つ漏らした。
「なんか変なプレイヤーがこの近辺に来てるらしいのよ」
「変なプレイヤー?」
「そう、なんでも『音撃しか使わない』プレイヤーだそうよ」
「音撃だけ? そんなので勝てるの?」
「有名になってるくらいだからね、多分腕は確かなんだと思う」
鳴海は腕組みをして音撃のみという縛りについて考える。
「戦法としては面白いけど、実際厳しくないか?」
「私もそう思う」
音撃とは、自らのエネルギーを、楽器を弾くことで音に変換して飛ばすものだ。言うなれば魔法と同じもので、それなりに消耗もある。威力が高く、接近戦で不利になった際の切り札として使うか、小さな音撃を飛ばして牽制の手段とするのが一般的なプレイヤーの手法とされている。
「音撃をメインなんて、そんな無尽蔵なスタミナを……」
「それとね、もう一つ。多分、こっちの情報の方が、鳴海は気になると思う」
「その情報って?」
甘酒を一口飲んでから、律花は顔を上げた。
「なんでもそのプレイヤー、相手の音に合わせて音撃を撃ってくるらしいのよ」
・
新年を祝う街中を、流れに逆らうようにしてラスト・ホリデイは歩いていた。
彼にはもう祝うものはない。大事な人を失ってから、彼が幸福を感じるとすれば、それはプレイベート・キングダムへの到達ただそれだけであり、他はどうでも良かった。アジトでは自分を除いた四人がパーティを開いているそうだが、祝う気が無いと水を差すのもなんだか悪いと思い、気分転換に一人街をぶらついていた。
不意に、彼は路地裏に目がいった。奥に誰かが転がっている。薄汚い毛布を被って、手にはウイスキースキットル。顔はテンガロンハットで隠していて分からない。
ラスト・ホリデイはなんとなく、そんな彼のことが気になったのだった。路地裏に足を向け、転がる彼の頭の辺りまでやってくると、なあ、と声をかけた。
「こんな寒い中、そんな毛布一枚で寝ていると、死ぬぞ」
もぞもぞ、と毛布が動き、テンガロンハットが転がった。無精髭を蓄えた短髪の堀の深い顔が現れる。日に焼け、砂に塗れてはいるが、それでも二十代だろうとラスト・ホリデイは思う。毛布から飛び出た足先は紺のダメージ・ジーンズとウエスタンブーツで固められ、更にその足元に転がっている麻袋からは楽器の姿が見える。形状的に、バンジョーだろう。
どこまでもウエスタン気取りな奴だとラスト・ホリデイは思う。ただ、面白い奴を見つけたとも思った。これなら深夜の退屈な時間を凌げそうだと、彼は少しだけ喜んだ。
「なあ、ウエスタンな君、ちょっと君に興味が湧いたんだ。良かったら一杯飲みにでもいかないかい? 奢ってもいいぜ」
自分と同じ、新年を祝う気のない奴がいた。それだけでラスト・ホリデイは少し嬉しかった。
毛布にくるまっていた無精髭の彼は、飲みという言葉に釣られたのか、毛布をひっくり返して起き上がると、スキットルのキャップを開けて一飲みし、それから顔を上げてラスト・ホリデイをじっと見つめる。
「君、名前は?」
「俺か? 悪いがあまり本名は名乗らないことにしている」
「へえ、奇遇だな。自分も同じさ、周りにはラスト・ホリデイと名乗るようにしてる」
ラスト・ホリデイ、ね。悪くねえな。彼はテンガロンハットを被り、足元の麻袋を掴むと立ち上がり、言った。
「プライマー・ビート」
「プライマー・ビート?」繰り返すラスト・ホリデイに、彼は頷いた。
「俺の偽名さ、イカしてるだろう?」
大げさな身振り手振りで彼は言うと、再びスキットルをあおる。
「笛と酒と女が大好きな、ただの旅人、それが俺、プライマー・ビートさ」
彼はそう言って指をぱきん、と鳴らし、ラスト・ホリデイを指差すと不敵に笑みを浮かべたのだった。