『物語る彼と彼の物語』
「――で、どうよ?」
と、隣に座った男、|染草《そめくさ》なつめは言った。
「どうよ、って何が」
「いや、感想とか。ねぇの?」
「いい話だと思う、すごく」
僕は至極無難な返答をした。これでもずいぶん真面目に考えたほうなのだけど。
「あぁ……うん、いや、いい話ではあるんだ、それは俺もそう思う……ただ俺が訊きたいのはそうじゃなくて、そう、そうじゃないんだよ、何て言うか――本当に何て言えば、何て訊けば俺が聞きたい答えが返ってくるのか分からないんだけど」
「答えそのものをキミが言えばいい」
「茶化すなよ、聞きたい答えってのはそうじゃねェ。訊きたい質問の答えだ、分かってんだろ」
少しいらついたような声と視線を投げてくる彼に、ニマッと笑って返す。
「分かっちゃあいるけどね、相手の質問内容を推定して、その上相手の気に入る答えを即座に返せるような人間はそうそういないンじゃないかな」
「お前ならスッと返してきそうなもんだが」
「買いかぶりってやつだよ、それは」
買ってくれているのは、嬉しいけれども。
僕は椅子の背もたれに体重を預け、両の肘を肘掛けに据えると、薄目のままで少し、今読んだ話を咀嚼した。
「……うーん、そうだなぁ。キミは、この話をいい話だと思ってる」
「ああ、そうだ」
「でもそれは、キミには起こり得ない話だからだ。無いものねだりというやつ」
なつめの眉間に皺が寄るのを薄目の端に映しながら、僕は続ける。
「キミと、キミのお|義《ね》|姉《え》さんの話は聞いた。だから分かるンだけど――幼馴染だの仲間だのという関係はすでにキミには存在していないよね? キミのお義姉さんにも。強いて言うならお互いが|そ《・》|う《・》なんだろうけど、もうキミたちの関係性は変化している。義姉と義弟だ。気心のしれた相手ではあるけど、仲間、ではないよなァ……」
軽く握った右拳の、第二関節のあたりを自分の額にコツコツ当てながら、僕は言葉を接いでゆく。
「家族は血縁によって構成されるか、社会的な制度として保証される。当人にはどうしようもない位置で決められる枠組み、だと思うンだよ。
一方で仲間というのはお互いの意志があって成り立つ関係だ。繋がりを支えるモノが希薄で脆弱だからこそ、それを破るまいと各人が努力する。
もちろん両方を持ってる人もいるが、キミにはもう仲間に成り得る相手はいないし、今後もまた作る気はないだろう? だから、キミには得られようのない仲間を持ち、それを切り捨てざるをえないとなったときに涙する彼らを、その涙を、美しいと、いい話だと思うわけなンだな」
渋面のなつめが、何か言いたげに口を開きかける。
「|ち《・》|が《・》|う《・》」
先んじて、僕は言葉を発した。
「キミとお義姉さんは同じ方を向いてなんかいない。誤るなよ、なつめ。
キミらは互いに向き合って、相手のことを見てる。麗しい|姉弟《きょうだい》愛だと言いたいところだが、仲間というのはそれと違うンだ。
同じ方向を見てなくちゃいけないンだ、分かるか? その障害になるなら、目的に対しての敵であるなら、切り捨てることさえしてのけるのが仲間だ」
なつめは、出そうとした言葉を引っ込めたらしい。少し浮かせた尻をまた、椅子に着座させた。
「これは断言してもいいが、キミがもし、お義姉さんを切り捨てなければならなくなったとき――それ以外に解決の方法が見つからないとき、キミは切り捨てられないだろうよ。切り捨てることだけが唯一確実にお義姉さんを、その魂を救える方法だったとしても、キミにはできない。それはキミが別の方法を最後まで模索しているからでもなく、|ま《・》|し《・》|て《・》|や《・》|お《・》|義《・》|姉《・》|さ《・》|ん《・》|の《・》|こ《・》|と《・》|を《・》|愛《・》|し《・》|て《・》|い《・》|る《・》|か《・》|ら《・》|で《・》|も《・》|な《・》|い《・》」
今度は制止する間もなく、なつめの拳が|過《あやま》たずに僕の頬を打ち抜いた。ぼぐっ、という鈍い音と、来るだろうと思って噛み締めていた歯が、それでもグラついたような感触。勢いよく捻転させられた首も、じんわりと熱を帯びてきた頬も、ひどく痛む。骨がどうにかなっていることはないだろうけど。
「僕は格闘のことはよく知らないけど、いいパンチなんじゃないかな。素手で顔面を殴打するのは、自分も危ないらしいけどね。手は大丈夫かい?」
口を開閉し下顎が上下するたび、歯車のズレた時計をムリヤリに動かしているような、関節のぎこちなさを感じる。
|加害者《なつめ》はといえば、荒い息遣いのまま、自分の右拳をさすっている。ああ、右で殴られたんだ。分からなかった。はは、ひどい顔をしてる。「何で自分はコイツを殴ったんだろう」って顔。
「キミはただ諦めてるだけだ」
構うことはない。僕が殴られようが、なつめが激怒しようが、知ったことじゃない。
僕は想像し物語る。そうすることをなつめが求めて、僕はそれを請けた。
なら僕はただ、僕に想像しえたことを吐き出していくだけだ。
始まれば終わるまで、止まりはしない。容赦もしない。息の根止められようが、枕元に化けてでも語ってやる。
「これでいいのだと、今以上の幸せなんてありはしないのだと、そうやって諦めてるンだ。上も前も、下も後ろも見ないで、隣に立ったお義姉さんだけじっと見てる。お義姉さんも、今はキミを見てる。けどどうかな。キミよりは前に踏み出せる人なんじゃないかな? 踏み出した結果としてキミは救われたわけでもあるし?」
何故ならすでに、『僕は僕を規定している』。そのように生きるのだと、そのような存在であろうと。
世の中のあれもこれも関係なく、僕はそのためになら命を差し出してもいいと。
とっくのとうに、決めつけているのだから。
「前を向いて進みだしても、きっとお義姉さんはキミのことを見てくれるさ。その頻度は今よりずっと落ちるだろうけどね。それが嫌なら、キミもまた同じように、進んでいかなくてはいけない。お義姉さんの視界の中に居続けるために。そうなればそもそもの話として、キミが、キミの在り方が、変わってしまうのだとしても。お義姉さんに見ていてほしいという気持ち自体が、薄れていってしまうとしても」
長い沈黙のあとで、なつめは部屋を出ていった。
彼との関係は、これで壊れてしまったかもしれない。かなり致命的なヒビを入れてしまった手応えがある。
まぁ、いい。そんなことはどうでも。
僕はそういうものだし、そうありたいと願うし、そうでなければいけない。
『外れた』ときにどうなるのかは、自分にも分からない。
けれど、何がしかの破滅の予感がある。自分の命が失われるより、もっと悪いことの予感。
だからこれも、語らなければ、言葉にしなくてはいけなかった。
『……もしくは、お義姉さんの前に立ちふさがればいい。どこにも行けないように、他の何も見えないように。キミが敵になれ。お義姉さんが前に進もうとするなら、キミを見て、そして見られたままでキミは粉砕されるだろう。それも嫌だというのなら、お義姉さんの|足《・》|を《・》|止《・》|め《・》|て《・》|し《・》|ま《・》|え《・》|ば《・》|い《・》|い《・》|さ《・》、|永《・》|遠《・》|に《・》』
なつめは、どういう自分でありたいと思うのだろう。
僕はまた想像を始める。いつか誰かに物語るために。
僕がありたいと思う僕であるために。