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第十五話 『人間だ』

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 呼吸も荒く踏み込みも浅い。そんな状態で繰り出す一撃など大鬼茨木童子にとってはなんてことのない小事でしかない。
 普段の茨木童子であれば。
「ぐぅっ……!?」
 反応速度は変化ない。だが茨木童子は守羽の決死の突撃への対応が遅れた。
 原因は二つ。
 一つは久遠静音の予想外の一手。“復元”を利用した、防御力の一切合切を無視無効とする脅威の割り込み干渉の物体復元攻撃。これにより大鬼は自らを中心に支配していた流れを完全に崩された。
 もう一つは、酷い動揺。
「は、はぁっ。この、人間風情がァッ!!」
 大鬼という存在は、その極めて高い硬度によって通常まず傷つくことがない。だからこそ、いかな不意打ちだろうと急襲だろうと『してやられる』ことがほぼ無い。
 それ故に長いこと肉体の負傷、ひいては痛みというものから遠ざかっていたことが災いした。
 意識していなかった、突然の外傷。しかも胸部への貫通創。
 傷を受けるということ自体久しい上に致命傷に近いこの負傷は、大鬼という立場からして大いに動揺を誘う事態であった。
 この二つの原因によって、追撃への警戒と迎撃は極端に集中力を欠いたものとなり、
「ハァあああああ!!」
 結果として、守羽の振るった右手の一閃は大鬼の右腕と脇腹を消し飛ばした。
「―――カ、ああァアアあああああ!!」
「あがっ!ごっふぉお!」
 後退しながら激痛に目を剥く茨木童子と、渾身の一手を放ち膝から崩れ落ちる守羽。
 共に片腕を失い、しかし切羽詰まっていたのは守羽の方だった。
(仕留め、損ねたッ…!!)
 汗と血を垂らしながら、震える右手で地面を握る。ガクガクと両足が制御を半分失い、左腕の切断面から鮮血が滴り落ちる。頭が割れんばかりに痛んだ。
 だがまだだ。まだ引っ込むわけにはいかない。
 もはや気力のみで意識を強引に『僕』たる神門守羽で固定し、不自然なほど痙攣する全身を動かして地面に着いた両膝の右から持ち上げていく。
「その力、……斬魔ですか…!?貴方は、退魔の家系か!く…ただの異能力者ではないと思っていましたが、ここまで異端でしたか」
 大鬼が斬魔と呼ぶ、退魔師が扱う魔を断つ光の太刀。先程茨木童子の脇腹と右腕を消し飛ばした一閃がそれだ。
 退魔、異端。
 聞き逃せないワードを耳に入れて、響く頭痛はさらに悪化する。耳鳴りがして、尋常じゃない冷や汗が血を洗い流す勢いで噴き出す。
「ち、がう……ぼく…俺は、」
「何も違いませんよ。その力は鬼に届く、私達と同じ化物の力を宿した一派じゃありませんか。『陽向』でしたか?まさかこんなところで出会うとは思いませんでしたがッ…」
 忌々しそうに吐き捨てる茨木童子が、残った左手で消失した脇腹を押さえる。右腕は肩まで消え失せ、肩口から白煙を立ち昇らせていた。脇腹も同様に。
「ばけ、もの…?同じ…?お前、たちと…?ちがう…」
 揺らぐ瞳で深手を負った茨木童子を睨み、守羽は微かに首を振るう。瞳の色が、不意にブレたように変わり掛ける。
「ああ、違う。だから揺れるな、『俺』。もう、しばらく、僕に任せっ…オイ!」
 右目と左目が、それぞれ別個の意思を持っているかのように違う方向へ動く。左の眼球の色素が変化し、僅か琥珀の色を宿す。
 一つの肉体の内で、違う人格同士が主導権争いをしているようだった。
「ああ違う、化物じゃない、同じじゃない。テメエら人外共と同じなんかじゃ…ないッ!!」
 片膝を着いて叫ぶ守羽の周囲の地面が弾ける。空気が発火点を越えて複数の火球を生み出しては消え、大気中の水分が集いては霧散するを繰り返す。
「テメエなんかと一緒にするな、絶対に違う、人間だ、人間だ。人外じゃない人間だ。人間なんだ…………俺はぁっッ!!!」
 ドォッ!!!
(……ちっ)
 何か得体の知れない力の片鱗を解放した余波で吹き荒れる砂塵の中、絶叫する守羽の内では押し負けた『僕』が静かに舌打ちした。最後の余力を振り絞って、右腕を持ち上げ大鬼へ向ける。
 意識の奥底へ引き戻される直前に、無理矢理に口を歪め声帯を震わせた。
「…“|切九字《きりくじ》・|護法《ごほう》|牢格《ろうかく》”」
 高速で虚空に指先で縦横九の線を引く。指から放たれた光が宙へ縦に四と横に五の九本線の網目模様を描き、光は散って茨木童子の四方を囲った。
 光で構成された正方形の網目牢獄に閉じ込められた茨木童子が苛立ちに青筋をこめかみに浮かべた。
 全て振り絞り、守羽の意識は完全に『俺』へと切り替わる。
(……|切九字《ア レ》もどうせ、長くは保たねえ。こっから先はもう、賭けだ。せいぜい『俺』に頑張ってもらうしかねえや……まったくあのクソ鬼。余計なこと言いやがって…)
 深層意識へ張られた強固な拒絶意思を前に、『僕』は当分出て来られないことを確信しながら神門守羽の意識の深奥で目を閉じた。
「斬魔と同じく、魔封じの結界…ですか。全くしつこい!」
 左手を握り光の牢獄を殴るも、やはり一撃で破壊出来るほど脆くはないようだ。立て続けに片腕一本で連打を叩き込みながら、茨木童子は視線だけを周囲へ配る。
(死に掛けの退魔師が一人と、手土産の女…のみですね)
 相手の少年が退魔の家系と知って他の退魔師の増援を危惧してみたが、そんな気配はこの近辺にはなかった。
 ギロリと視線を向けると、自身の胸に鉄材を貫通させた小癪な人間の娘がびくっと体を竦ませた。
「手、出すな。テメエ…!」
 そんな茨木童子を、全身汗だく血塗れの守羽が牽制する。既に致命傷に致命傷を重ねた死人の体。立つどころか動くことすら困難なのは見た目からでも容易に判断できる。
 だが、奇妙なブレを発生させていたその両目は安定し、未だ敵意と殺意を絶やさず燃やしているのが大鬼にとっては心底不思議だった。
「人間にしては、本当によくやりますが……本当に人間ですか…?」
 風前の灯と化している人間のその内側に、大鬼茨木童子は退魔師以外の何かの性質を見た気がした。この大鬼の身を震わせるほどの、強大な何かを。
「なんだっていい、だろ…。んなことはどうでもいい、ただ…テメエは…」
 一瞬だけ横目で久遠静音の無事を確かめてから、霞む視界に鬼を捉えて口から怨嗟の呪詛を吐き出す。

「テメエは殺す。大鬼だろうがなんだろうが、その人には手出しさせねえ。絶対にテメエだけはここで、俺が!なんとしても殺す…!!」
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