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第11話

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日曜の夜は、競馬専門紙トラックマンにとってもっとも気分が解放される時間である。馬券の結果があまりに悪ければまた話は変わってくるものの。
朝川ら『駿馬』トラックマン陣は、朝川行きつけの中華料理屋で、今年の東京開催終了の労いの会を開いていた。
飲み会といっても、話題はもっぱら競馬のこと。基本的に競馬馬鹿しかいない職場なので当たり前なのだった。だが、この日は少しばかり様子が違っていた。ジャパンカップのような大レースが行われた日だというのに、競馬の話がまるで出てこないのである。
「アリスちゃんってさ--安斎君と何かあるのかな?」
「…なんとも、言えませんが……どんな関係なのか、少し、気になりますね……」
戸田と吾妻が隣同士で顔を突き合わせて、ずっと一つの話題について話し続けている。
伊藤有栖と安斎咲太の関係について。
「朝川クン、あんたあの子の教育係でしょ? なんか訊き出してないの!?」
戸田はそう言いながら熱燗をグイと飲み干した。うーん、と朝川は片目をつむって考えている風を見せた。
「俺も検量室前で内心驚いてたし、気になりましたよそりゃあ。でも訊けないですよね、何となく」
「まあ、ねぇ。デリケートな話題だったらイヤだしねえ」
「…有栖さんは、東京育ち、でしたか? 学校の同級生、というわけでは、ないか……」
「先輩方、ホントに分からないんですか?」
3人の話に突然入り込んできたのは五島だった。
「ゴシくんには分かるの?」
「当たり前じゃないですか! アリスちゃんは伊藤さんの姪っ子なんだから。その伊藤さんが想定班時代に家族ぐるみの付き合いしてたのが安斎厩舎、つまり安斎騎手の親父さんの厩舎でしょ」
「あ、そうか!」
朝川は膝を打った。朝川が入社した時代には、伊藤はすでに時計班に変わっており、想定班時代の姿を直接見たことはなかったので、頭になかったのだった。
「小さかった頃の、って今もちっちゃいですけど、もっと小さかった頃のアリスちゃんが、オジさんに連れられて懇意にしてる厩舎に遊びに行ったって別におかしな事じゃないですよ」
「確かにねぇ」
「…五島君の、その分析が、正しければ、安斎騎手と、有栖さんは、幼馴染、ということに、なるか……」
吾妻の黒霧島を飲み干すスピードが過去最高クラスに速いことに朝川は気付いた。
「ちょっと、吾妻さん、大丈夫ですか」
「…安斎騎手は、23歳、有栖さんも、ストレートに、大学を出たなら、同い年……方や、騎手、方や、競馬記者……」
そう言った後に、残りを飲み切って、吾妻は机に突っ伏した。
「ノリちゃん?」
戸田の問い掛けに、吾妻は寝息で答えた。
「…空いてる」
朝川は黒霧島のボトルを軽く振った。何の音もしなかった。

五島は酔い潰れた吾妻を負ぶって、朝川とともに吾妻のアパートに向かって歩いていた。戸田は家が反対方向だったため、飲み屋を出た際に別れている。
「吾妻先輩も、こんなに飲むなんて、何か思うところがあったんですかね?」
「さあな。まあ、元々酒は好きだし、色々考えてるうちに進みすぎちゃっただけじゃないか? 吾妻さん、集中すると、そうなりがちだし」
東京でも少し外れの方で飲んでいると、帰りに星がたくさん見える。秋の澄んだ空気にマッチして、酔いどれの心に沁みる。同じ飲んでいて見る夜空でも、美浦で見る空と東京で見る空は違って見えて、朝川自身不思議に思った。
「…俺は、なんでもいいと思うんだ」
朝川は、ぽつりと呟いた。それこそ、夜空に吸い込まれて消えそうな小さな声だった。
「誰だって、理由もなしに頑張ることは出来ないよ。動機も、目的も、人それぞれ、自由でいいじゃないか。最終的に、それで結果が出さえすれば、何だっていいと思う」
「僕らにとっては……予想の的中ですね」
五島も、気持ち目線を高く上げて言った。
「そう。駿馬を買ってくれるファンに馬券的中をもたらすことが、唯一かつ絶対の目標だろう。それに繋がるなら、過程は問われない」
「それ、アリスちゃんのこと喋ってますよね?」
五島の推察に、うん、と朝川は軽く頷く。
「競馬を知らない彼女が、なんでこの世界に入ってきたのか。その理由は分からないけど、もしも、安斎騎手がそれに関わってるんだとしたら……そのために、頑張ればいいんじゃないかな。彼に今から追いつくのは、とてつもなく大変なことだけど」
「現時点で、もう関東のトップジョッキーになりつつありますからね……安斎は」
朝川には、五島が最後の言葉に少し強く感情を込めているように感じられた。
「あーあ、アリスちゃんは安斎が好きなのか。せっかくフリーの若い子が入ってきてくれたと思ってたのに!」
こいつ、そういうことか! 朝川はやっとそのあたりに気付いた。
思えば、飲み会で話に入ってきたあたりもおかしかった。いつもはソーシャルゲームをやってばかりでロクに会話に入ってこないような奴なのに。
「珍しく話に食いついてきたと思ったら、お前、そういう……」
「朝川さんはヨメさんいるからいいですよ〜。僕だってそろそろ結婚したいわけですよ、もう33っすから」
「10歳差だぞ……それに、お前とアリスじゃ身長差も30センチくらいあるだろ」
「どっちも関係ないもん。可愛きゃなんでもいいんです!」
面食い。33まで独身なのがこれほど納得いく理由もない。良い男ではあるんだが。朝川は苦笑いで、そう思った。
「まあ、まだそう決めつけるのは早いんじゃないの? 今日話したことは、全部推測に過ぎないわけだから……」
「あー、そうですね……! 考えすぎは何につけても良くないですね!」
五島は声を高くして朝川の慰めを肯定した。もしかして割と本気なのか、と朝川は何故か慌て出す。なにせ恋愛などもう長い間していない。今の妻とは交際期間も長かったし、仕事が忙しすぎて記憶もあまりない。
でも、確か、俺も、一目惚れだった気がする--。
懐かしいツボが刺激されて、甘酸っぱいような恥ずかしいような気持ちになってきた。なんで今日はこんなことになってるんだ、と見えてきた吾妻のアパートを見ながら思う朝川であった。
「着きましたよ、吾妻先輩! 起きて下さい、先輩!!」
氷点下に届きそうな空気の中を、恥ずかしさを誤魔化すような五島の声が響いていた。
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