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「GOD」忌野清志郎

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動画はこちら(なんだこの衣装)
https://youtu.be/MaK1CQb7opE

 
ゲームを楽しんでるのか
好き放題思いのままに
あいつの気まぐれだけで
人々の未来が消えていく


 遠藤周作の短編集「哀歌」を読む。江戸時代の日本におけるキリスト教弾圧に絡んだ話が多い。少し前に読んだ三浦綾子からの繋がりでもある。遠藤周作の作品は高校時代に読んだ「深い河」以来だ。私自身に全く信仰心はないが、ドストエフスキーにしろ森内俊雄にしろ、キリスト教に深く関わっている作家で好きな作家はけっこういる。だから「悪童イエス」みたいな作品も書けたのかもしれない。

 たびたび書かれる殉教、棄教(ころび)、ころんだもののまた仲間のもとに帰ってきて牢に繋がれるもの、おぞましい拷問、それらの全ての機会に、信者のもとに神の手は救いには現れなかった。そもそものイエスが十字架に磔にされた際に、そのような手は届かなかったではないか。


地球は爆発しそうだ
ストレスでお腹が一杯だ
あいつは今夜も気まぐれだ
何をしでかすかわからない


 最終出勤日前日にこの文章を書いている。
 足掛け十一年働いた勤め先を退く。
 あまりにも多くの事情があり、たくさんのことがいっぺんに今年降り掛かってきたせいもある。
 だがほんとはずっと前からそうするとは決めていた。
 娘の発達障害が発覚した頃から?
 自分の勤めている会社に初めて絶望した日から?
 あるいはもっと昔、十六歳の頃、引っ越しの際に出てきた父親の蔵書の筒井康隆を読みふけった頃から?

 同僚たちと一緒に朝礼に出たくなくて、出社時間ギリギリに会社に着くようになった。
 彼らがこれから拷問にあい、焼き殺されていく殉教者の群れに、ふと見える時があった。
 私はそこから去っていく。いや、逃げていく。これからどんどん仕事は楽になっていく方向へと進むのだろう。これまでのことはなかったことにして。


 Hey GOD 偉大なる全能の持ち主
 今夜も火の手があがってる
 女の体が燃えている

 退職金を含めてどれくらいの間食い繋いでいけるだろう。それが尽きる前にどうにか食っていけるだけの手立てを構築しなければいけない。殉教者たちに救いの手が伸ばされなかったように、信仰心すらない私を神が救うわけはないので、自分の手でどうにかしなければいけない。会社から離れて、若くもない体で。家族を抱えて。

 起床と同時に「どうして辞めるなんて決めてしまったのだろう」と後悔した日々もあった。それもいつの間にか過去に変わり、不安以上の期待もある。「何でも出来る」「何でもしてやる」「何があってもどうにかしてやる」という。

 忌野清志郎とアベフトシが亡くなった2009年、勤めていたバイト先が潰れて、ほとんど家に引きこもるようになっていたあの頃からもはや十二年経つ。あの時死んでいれば今の自分も子どもたちもいなかった。今書いているこの文章も、これまで書いてきた小説のほとんども存在しなかった。

 同級生からの暴力が恐ろしくて学校に行けなくなった娘は、私の貸したスマホでコマ撮り動画の撮影を始めている。与えた三脚でカメラを構え、手持ちの人形たちに演技をさせる様は、既に監督の貫禄がある。
 ろくな学歴も資格もない私は、とりあえず文章を書く。
 いや、とりあえず、ではない。
 とにかく、書く。
 清志郎は亡くなったが、まだ歌い続けている。
 

(了)
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