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「Fire」G-FREAK FACTORY

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動画はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=dG5yez39NP8


 午前中、和室に射し込む太陽の光が以前より強くなった。カーテンを開けておくと、炎にガラス窓を灼かれているようだ。いくら外気が冷え込む季節になったといっても、その陽射しだけで熱中症になりそうだ。窓に面した道の少し先にあった、背の高い建物が工事で崩されたからだった。家の目の前で行われる工事ではないので気にしていなかったが、思わぬ形で我が家へも影響が出てきていた。

 日曜日の午前中、カーテンを閉めた和室で、私と三歳の息子の健三郎は二人で遊んでいた。ふと顔を上げて健三郎が「ママとねえねは?」と私に訊く。
「今日は帰ってこないよ」
「そうなのかー」
 あまり分かってなさそうだ。

 妻の父が亡くなった。九十歳だった。
 東京で行われる葬儀に一家で出る予定だったが、健三郎に咳の症状があり、前日の夜には左足の甲が痛むと言い出し、大事を取って、私と大阪に残った。
 娘のココとは、今の健三郎ぐらいの歳に会ったことがある。あまり覚えていないようだったが、写真では知っている。妻の母の顔は知らない。ココだけではなく、健三郎も、私も、妻も。
 妻の母は、妻が物心つく前に、夫と三人の子どもを残して家を出て戻らなかった。晩年はアルコール依存症と痴呆を発症していた。妻の姉夫婦が庇護していたが、昨年、施設の中で息を引き取った。もうすぐ亡くなるかも、という状況の時に、会いに行きたいかと妻に訊ねた。妻は首を横に振った。義父は、かつての妻が生きていたということを知らないまま逝った。
 義父の場合、会いに行きたくてもコロナ禍で会えない状況が続く中、コロナ禍が落ち着く前までに命が保たなかった。


不公平な平穏 混ざり合う雑音
傷ついた島の暮れそうな日々を
途方にくれた 誰かがくれた
見慣れた知らせ 夜の数だけ
あの時と同じ 綴られた人に
覚めるはずの夢 震え出した声
覚えた祈り かじかんだ手を
合わせて enough too much


 義父は男手一つで子どもら三人を育てた。鉄工場の下請け工務を、住居兼工場で作業していたため、家族皆難聴になった。妻の左耳はほとんど聞こえない。妻の親類が集まると大声が響き、ボソボソ話す私の声は無きに等しい。

 義父は三年前にも一度危ない時があった。その時生きる側に戻ってこれた理由を、医師は「生命力の強い方ですね」という言葉で表現していた。生まれて間もない健三郎の写真や動画を妻のLINEで送り、見舞いに訪れた親類がベッドで横たわる義父に見せていた。お礼の動画をいただいたりもした。
 もうそのような時は訪れない。


無条件な平凡 混ざり合う爆音
傷ついた島の暮れそうな日々を
何を無くした? 誰を隠した?
耐えがたいしらべ 夜の数だけ
あの時と同じ 綴られた人に
殺してきた夢 絞り出した声
奏でた怒り しまいこんだ手を
咲かせて enough too much


 健三郎がかなり眠そうだったので、軽い晩飯を早めに済ませ、私は歯を磨いていた。健三郎が玄関まで歩いてきて泣き出した。
「ママとねえねは? もうおそいよ?」
 明日の夜帰ってくるよ、と説明はしていたが、「明日」は「今の次」ぐらいの感覚なので、今日帰って来ないとは考えていなかったようだ。
「ママに電話してみようか」
 疲れて早々に寝入ったか、お風呂に入っているか、電話は繋がらない。
「健ちゃんが声聞きたがってるから、電話出来る時になったら電話して」とメールを送る。私はLINEを使用していない。
 着信音をONにしていると、何かのニュース速報が入るたびに、メールの着信音と同じ音が鳴る。そのたびに「ママから電話きた?」と、眠そうな目で健三郎が尋ねてきた。
 ようやく妻からの電話がかかってきたが、やはり疲労の色が濃い。声を聞いてしまえば安心したのか、妻と健三郎のやり取りは手早く済んだ。ココに替わってもらうと「もう寝るところー」と、全然寂しそうな声ではない。
 明日の段取りの話を少しして通話を終える。

 その後は「片付けるよ、着替えるよ」という私の声を、健三郎は素直に聞いてくれた。歯磨きの前に「しゅっぽの本、読んで」と言われ、図書館で借りている絵本を読み聞かせた。「しゅっぽくん 作・絵 つしまひろし」という絵本で、道路に線路の落書きをしていたら、遠くから「きかんしゃこぞうの しゅっぽ」という子どもが落書きの線路の上を走ってきて……というお話。
 昼間私が、「しゅっぽ、しゅっぽ、しゅっぽ、しゅっぽ」と読んでいた時に、健三郎がおならをこいた。すぐさま「しゅっぽ、ぶっぶ、ぶっぶ、ぶっぶ」とおならの音を取り入れたら大受けして、絵本も気に入ったようだった。

 寝る時も、「すぐに遊びに行こうとするおじいさんを捕まえるおばあさん」の話を私が手で演じると、二回ほど笑いを取れた時点ですぐに寝てくれた。
 
 遥か遠くの地で明日荼毘に付される義父のことで、私が書けることは少ない。その場にも行けない。いくつかのことをこうして書き留めておくだけだ。好きな曲に乗せて。追悼出来ているかなと不安になりながら。

 健三郎は和室に一人で寝ている。昼寝以外でそんな状態は案外初めてかもしれない。男二人の組み合わせでは家の空気も緩み、洗い物に手を出せていない。健三郎が昨日みたいに夜中起き出してしまったら、誰もいないことを怖がって間違いなく大泣きするな、と思うから、私は洗い物を明日に回して、そろそろ眠るつもりだ。念の為のモーニングコールを妻から頼まれてもいる。

 お義父さん、どうか安らかに。あなたの娘さんと孫を、幸せに出来ているかの自信はありません。毎日笑わせるようにはしています。ご冥福をお祈りします。

(了)
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