動画(静止画)はこちら
https://www.youtube.com/watch?v=erw9ifDPkGg
ライブ版
https://www.youtube.com/watch?v=YVxB8dO9lW0
姉弟揃って同じ黒猫に威嚇された過去がある。残っている写真からすると、二人とも二歳あたりのことだ。近所にある大きな公園の側にある家で飼われている猫で、今回たまたま素性を知ることが出来たのだが、元は公園に住み着いていた野良で、現在は去勢されている。威張り屋で、人を近付ける割には、近付きすぎると威嚇する。他の猫に対してもそうらしい。久しぶりに公園で子どもたちと遊んだ帰りに、触らせてくれた犬の飼い主さんと、その公園に集まる猫を愛でる仲間たちさんに教えてもらった。
猫の寿命は十五年というから同じ猫だろう。似た風貌のやや小ぶりの猫たちがいたから、去勢前に種付けした子どもたちかもしれなかった。
猫は九回生き返るという。
それだけしぶとい生き物だとか、神の御業の恩恵を小さな生き物でも受けることが出来るとか、行方不明になっていた猫が子猫になって帰ってきたとか(親猫が亡くなり、後釜に自分の子を寄越したのだろう)いう話が元になって出来た、英語のことわざである。
という知識はエアロスミスのアルバム「Nine Lives」発売時に知った。1998年当時、私はアナログ・レコードをいくらか買い集めていて、エアロスミスの初期アルバム「ROCKS」などを安く手に入れたりしていた。初期が好きなので「Nine Lives」の出来自体はあまり満足していなかったが、タイトル・チューンはジャケットに描かれた猫のイラストと共に心に残った。エアロスミスで書くなら「Walk This Way」「Back In the Saddle」「Janie's Got A Gun」という手もある……と考えているうちに「Nine Lives」を思い出した。思い出すだけで話は思いつかなかったので、先にギタリストのジョー・ペリーのソロ「Shakin' My Cage」で書いた。
https://neetsha.jp/inside/comic.php?id=21721&story=114
娘の不登校が始まった頃の話である。
今回も娘のことになる。
九歳になった。
ということは来年には十歳である。
昨日までは八歳だったのに。
九回生まれ変わるわけではないが、九歳にはなれる。
娘が産まれて間もない頃に書いた文章を読んでみると、私が傷めつけられていた。あまり今と変わりなかった。
私の人生は決して順風満々とは言えない。世間一般的な、進学-就職-結婚-出産といったコースは辿っていない。「あそこであっちの道に進んでいれば」「皆と同じように進路を真面目に考えていれば」「あの無駄な時間を有意義に過ごしていれば」といった思いはいくらでもある。各転機となる場面に立ち戻って、今とは別の選択をしていれば、もっと違った人生を送れていただろう、と何度も思った。
しかしそうして人生をやり直せたとして、今と同じ子どもたちを授かることは無理だろう。今とは違う誰かと出会って、全く別の子どもを育てて。もちろんその子どもらも愛するのだろうけれど。その子たちはココでも健三郎でもないのだ。やはり今の子どもたちを失いたくはない。九回生まれ変われば、九回とも同じ子どもを育てたい。
九歳といえば難しい年頃だ。と簡単に言葉で片付けられるほど容易な問題ではない。年々難しくなってきている。関われば鬱陶しがられ、関わらなければ何で弟にばかり構うのだと怒り出す。思えば私も妻も末っ子なので、長子の気持ちを分かっているとは言い難い。「クレヨンしんちゃん」でしんのすけがひまわり相手に奮闘する姿に娘は共感している。
健三郎が「おばけなんてないさ」を延々リピートして歌っている。そういえば私も子どもの頃この曲が好きだった。
ココが集団に馴染めないのも、好きなこと以外に興味を持てないのも、私と似ているといえる。私をもっと尖らせたのがココだとも。
そこでエアロスミス繋がりで、「ジョジョの奇妙な冒険」第五部に出てくるナランチャの台詞が思い浮かぶ。
「トリッシュはオレだ! オレなんだ! トリッシュの腕のキズは、オレのキズだ!」
父親であるボスに殺されそうになったトリッシュを守るために、組織を裏切ったブチャラティ、ジョルノ、ミスタ。彼らに付いていくのをナランチャは躊躇う。だがトリッシュに自分との類似点を見出し、水に飛び込んでブチャラティたちを追いかける。ココも健三郎もかつての私で、かつ私のようにしてはいけない存在でもある。
少し前まで、子どもたちが大きくなった時の、自分の生きている姿が想像出来なかった。
それが近頃は、ボロボロになった自分の姿を想像出来るようになっている。
誕生日だということで特別に、これまで拒否し続けてきた、ココからの「だっこ」攻撃に立ち向かった。抱えあげることは、出来た。身動きは取れなかった。娘を抱えてどこにも踏み出せない、という不吉な兆しと取るか、娘を持ち上げられるくらいに腰は問題なくなってきた、と前向きに見るか。
公園で遊んでいる最中、空には晴れ間が見えているのに、雨に降られた。家に帰ろうと公園の入り口に戻ると、巨大な虹が見えた。
「空からの誕生日プレゼントだね」
「ココ、虹って一回しか見たことなかった。どうして?」
「たまにしか見られないし。ほら、今もすぐに消えていく」
家に着くまでに雨は降り止んだので、また遊びに戻った。そして冒頭に書いた猫の話に繋がる。
昨年のバースデーケーキのロウソクは、健三郎に二回吹き消された。今年はどうなるか。
(了)
※結果
健三郎、無事に姉が火を吹き消すのを待てました。