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「忘れてしまおう」サニーデイ・サービス

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https://www.youtube.com/watch?v=AjsxmrWxuWs


 何もかもを捨てて何もかもを忘れて何もかもを失くしてしまった男が何かを書いている。

 人は記憶を失っても、生きるのに必要な事柄や、本能になるまで刻み込まれた習慣などは、記憶喪失になる前のように続けることが出来るという。自分でやっていることの意味も分からないままに。

 闇雲にタイピングしているように見えても、文章になっている。繋がりもある。だが段落が変われば違う話が始まっている。しばらくして元の話に戻るわけでもなく、何かの伏線というわけでもない。誰かの幼年時代の思い出の次に、複雑な工業用機械のマニュアルが書かれ、次に老いた独裁者の遺書となる。一人の男の手記ではない。あらゆる人物なり機械なりが彼の指に宿って書かせている。

「読書会」というありふれた名前を持つ秘密組織の所有するビルの一室で、男はタイピングを続けている。世界中にメンバーのいるこの会の活動資金は膨大である。創設当初はその名の通り、グループで読書を楽しむだけの会であったのが、メンバーの一人であった天才科学者の提供した技術により、現在のように秘密組織化した。
 その技術とは、意図的な「記憶消去」である。
「何度も読み返した本を、初めて読む時の気持ちで触れてみたい」という、死に近い老人の望みから、その技術は完成された。老人が金を持ち過ぎていたことと、研究者の才能があり過ぎたことが、科学者の暴走の一因でもあった。
 記憶を司る脳の一部分を自由に操れるようになった組織は、当初の目的以外にもその技術を使用し始めた。

 技術の暴走の成れの果ての姿を私は見つめている。
 タイピングを続ける男の記憶は空っぽにされ、前述のようにタイピングマシンとなっている。意図的に記憶を空白にされた脳は、受信装置として働くようになる。この世界に飛び交う「これから書かれる予定の文章」を受信し、自動書記でタイピングしていく。人間はいともたやすく家電に成り下がる。このような人間の監視はこれで五人目である。

「これまでずっと小説を書こうとしてきましたが、気付いたのです。私には書くべきことが、何もないと。かといって他で働く道もありません。私はどうなってもいい。妻子に金を残せるなら、この身体も脳も差し出します」
 裏世界で出した求人に引っかかったこの男の家族に、男の死により支払われる生命保険料の倍額にあたる金額を振り込む。男は愛する者の顔も懐かしい思い出も全て失くしてしまったが、自動書記機として生命活動は続けている。
「美容整形と似たようなものです。顔形を変えるか、脳を変えるか」
 私にこの仕事を指南した女がかつてそう言った。

 男の打つ文章は全て自動保存されていく。書かれるのと同じ速度で私も読む。適度に男の動きを止めて、自らの意志のない男に食事を与える。排泄は身体に繋げた機器に任せている。溜まった便の入った袋の交換も、慣れてしまえばどうということもなかった。
 
 男は書き続け、私は読み続ける。受信された文章の中から、目当ての物を発見すれば上に報告する。私はまだ人間だが、男とそれほど大きな違いがあるとも思えないでいる。


*

ひとり飲むコーヒーは終わったばかりの恋の味
窓際にきみの写真 悲しみに暮れる日曜日
ぼくはただふらふらと だれも知らない海辺まで
風景と静けさの中 水平線を眺めてた

すると海に真赤な太陽がザブンと飛び込んで
突然の冷たい水しぶきが目を覚まさせる
ここがどこかなんて 忘れてしまおう


*


 娘のココの登校再開から二週間経った。
 多くの人の顔を忘れていたらしく、二年間みっちり付き合った支援の先生にまで「誰?」と言って傷付けてしまったとか。クラスメイトの大半の顔と名前は一致しなかったとか。
 きっと途中からは相手の反応を面白がってのものが混ざっているのだろうが、事実忘れてしまっている人もいるのだろう。
 元々覚えていなかった人も。

 息子の健三郎と二人で買い物に行った際に、店の中で健三郎はチューリップの歌を歌いだした。

チューリップ
チューリップ
チューリップの花が

 違う。咲いた咲いた、だ。チューリップという歌だからといってチューリップしか歌詞がないわけではない。
 家に帰ったら今度はカーペンターズ「イエスタディ・ワンス・モア」である。

エビシャラララー
エビなんです

 なんです? え? ふと気付く。はっぴいえんど「風をあつめて」の歌詞の一部「蒼空を駆けたいんです」か「海を渡るのが見えたんです」からの繋がりである。ケロポンズの「エビカニクス」もやや混じっている。

 うろ覚えの歌詞が混濁するというのはよくある。
 うろ覚えの記憶が混ざるのはよくある。
 小説の中のエピソードを自分の記憶と勘違いすることもある。
 フィクションとノンフィクションを混ぜて書いた文章を、後から読み返すとどこからどこまでが事実でどこからが虚構だったか分からなくなることがある。
 全て事実だった気もする。

*

 今回の私の任務は、漠然とダイヤの原石や、機密文書の類を探るためのものではない。男の指には、違法ルートで手に入れたある人物の指が移植されている。最近急逝した小説家のものだ。死の直前まで旺盛な執筆活動を続けていた彼には、まだまだこの世界に作品を残す義務がある、と「読書会」の上のメンバーは考えているようだった。自動書記機と化した男に最早人権がないのと同様に、死者となった作家の指にも人権はないのだろうか。死してなお作家として働かせようとは、編集者さえ考えないことだろう。新しい作品を望む読書家の貪欲さに、一般の人なら恐怖を抱くことだろう。あいにく私にはその願いは理解出来てしまった。私もまともな人の範疇からはとうに外れてしまっている。

 一ヶ月以上、雑多で面白みのない文章を読み続け、私の脳も溶けそうになっていた頃、男の書く文章に繋がりが見え始めた。文体の統一が現れた。とうとう始まった! 私は上層部へと連絡し、私の見ているのと同じ画面を多数でも見られるように設定する。先日急逝した私小説家の、まだ書かれていなかった時代のエピソードが、一行一行、一文字一文字増えていく。肌が泡立つ。自動書記機の男の指が、初めて活き活きとして見える。

 ごたごたしていて、男の飯を用意するのを一食分忘れてしまった。しかし男は当然不平も漏らさず、ただただタイピングを続けている。ずっと同じ表情で。私が男の観察を始めてからずっと顔に貼り付けている、薄ら笑いを浮かべたままで。

*

夕立ちが黒くアスファルト濡らす
この道がどこへ行くかなんて忘れてしまおう
忘れてしまおう

すると空に大きな黒雲が肩をいからせて
突然の大粒の雨がぼくを襲うよ
すると海に真赤な太陽がザブンと飛び込んで
突然の冷たい水しぶきが目を覚まさせる
ここがどこかなんて 忘れてしまおう


(了)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E6%9D%91%E8%B3%A2%E5%A4%AA

西村 賢太(にしむら けんた、1967年(昭和42年)7月12日 - 2022年(令和4年)2月5日[1])は、日本の小説家。私小説の書き手として知られる。
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