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第26章 羊の泉

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 ウォルトたちの危機を知らないジテンたちは、どんどんフローリアから離れていく。苔むした古砦を出て封印のほころびを通り、再び禁術汚染地帯に入った。
 鬱蒼とした森は光を閉ざし、早朝のしっとりとした空気がまとわりつく。地面は倒木やら瓦礫やらで歩きにくい。
 少しでも歩きやすいほうへ歩いていく。針葉樹林よりは葉が落ちて木漏れ日の差す広葉樹林、広葉樹林よりはヤブの中。
 普段ならば背の高いヤブは通らない。ヤブにひそむモンスターと鉢合わせになるからだ。
 しかし禁術汚染地帯にはモンスターはおろか虫一匹いない。モンスターも虫刺されも気にせずにヤブの中を歩けた。
 調子に乗って走っていたら、目の前に木杭が出てきてぶつかってしまった。木杭には知った名前が書いてあった。
「シメオンここに眠る……お墓……シメオンさんの」
 ジテンは確かめるように口に出して読んだ。そして自分の無礼を悔いて、墓の周りの草を刈る。
 死は不意に訪れる。藪の中の墓のように。
「ジテン、しっかりしろ。しょげてる場合じゃないぞ。墓があるってことは墓を作ったヤツがいるってことだ」
 追いついてきたショーコがジテンの背中を押す。
「生き残りが近くにいるってことですね。行きましょう」
 ジテンは再び歩き始めた。
 ヤブの先から日が差してくる。その光の先、ヤブを抜けると一面の荒野だった。遮るものが何もないから、朝日が全身を照らし暖かい。
 何もない荒野に見えたが、朝日が赤い機体を照らし出す。
「ヴェルトロさんの飛行機だ」
 ジテンは少し南に行ったところに遺棄されていた飛行機に駆け寄った。
「まだ近くにいるはずだ。探そう」
 ショーコはジテンに向けて言ったのだが、飛行機の中から返事がした。
「近くにも何も、ここにいるよ」
 コックピットで横になっていたヴェルトロがぼさぼさ頭のまま飛行機から降りてきた。
「よかった、無事だったんですね。それなら他のみんなも……」
 ヴェルトロはジテンがぬか喜びの後の末がっかりするくらいならと、気を持たせず真実を打ち明けた。
「俺とシメオンは敵将丙武の狙撃に失敗した。その後、燃料が切れて合流できなかったから、みんなのことはわからない。わからないが、丙武が生きている以上剣闘士たちは無事では済まないだろう」
「そうですか。ヴェルトロさんだけでも無事なら、ウォルトさんたちも喜ぶと思うんです。今からでもフローリアに来ませんか」
 ヴェルトロは耳を疑った。
「フローリアに?」
「そうです。なんとフローリアが難民を受け入れてくれたんです」
「それはまずいんじゃないか。丙武たちは剣闘士の討伐を終えれば、きっとフローリアに戻ってくるぞ」
 ヴェルトロの言葉にジテンの血の気が引く。
「戻ろう、フローリアへ」
 ケーゴはすぐに決断した。ケーゴの意を汲んでアンネリエがヴェルトロの腕を引っ張る。
「ちょっと待て、お嬢ちゃん。飛行機を飛ばせない俺が行っても役に立たないさ。俺は飛行機とともにここに残る」
「何レビさんみたいなこと言ってんですか。あなた自身が必要なんです。ヴェルトロさんも行くんですよ!」
 ジテンにそう言われて、ヴェルトロは目からうろこが落ちた。
 レビはその頑固さで失敗したんだった。墓守でもしようかと思ったがまだだな。それまでさよならだ、シメオン。
 ヴェルトロは心の中でそっと別れを告げた。
「歩きながら話そう。レビと言われて思い出したことがあるんだ」
「来てくれるんですね」
 ジテンたちにヴェルトロは空から見たことを語った。レビが丙武の最初の狙撃に失敗した後、ひとりで食い止めようと無謀のも丙武軍団に突っ込んで行ったこと。丙武はどういうわけかレビを生け捕りにしたこと。
「レビさんも生きているんですね」
「ああ。丙武は羊の泉にいる後詰のマンジにレビを預けていた。羊の泉はここから北西に半日歩いた距離にある。ちょうどフローリアに向かう途中だ。レビなら俺よりも役に立ってくれる。助けてやってくれないか」
 ジテンはみなの顔を見回した。アンネリエは何度もうなずいていて、ケーゴは黒曜石みたいに目を輝かせている。ベルウッドとメン・ボウはめんどくさそうに、ショーコは黙々と武器の準備をしていた。聞くまでもないだろう。
「助けましょう」
 羊の腸のように複雑に曲がりくねった山道を、ジテンたちは進んでいく。半日という話だったが、太陽はとうにてっぺんを過ぎて山の間に落ちていった。
 馬の鞍ような峠を越えると、すり鉢状の地形に出る。その一番低い中心部に小さな泉を見つけた。
 泉の周りを囲むように甲皇国軍の天幕が張られている。泉のほとりにはレビの剣が突き刺さっていた。ここが羊の泉に間違いない。
 天幕の数は百以上ある。どの天幕にレビがとらわれているかはわからない。
 ジテンたちは道脇の茂みに身をひそめたまま、何もできずにいた。みなが頭をひねる中、ベルウッドが自身なさそうに手を挙げた。
「あのー、こういうのはどうかな。夜に忍んで、リビングウッドの胞子を泉にばらまくの。混乱した隙に助けに行ったら?」
 道具箱から赤い実を取り出すと、ジテンが思い出してくれた。
「味方が死者に見えるようになるあの赤い実だね。ずっと持ってたの?」
「売ったらおこずかいになると思って」
 怒られるかと思って、ベルウッドはちらりとケーゴと視線を交わした。
「いい手じゃないか、ベルウッド。ここは禁術汚染地帯の中だから、敵以外は泉の水を飲まないだろうし。敵もこの場を離れれば正気に戻るだろうし」
 そこまで考えていたわけではなかったが、ケーゴにほめられるのは悪い気がしない。つい調子に乗ってとんでもないことを言ってしまう。
「そうそう、すべて計算づくよ。あたしが簡単に泉に胞子をばらまいて来てあげる。ちょちょいのちょいよ」
 引っ込みのつかなくなってしまったベルウッドが、夜の闇にまぎれて天幕に近づいた。密集した天幕の周りを木造の柵が取り巻いている。後備の宿営地のためか警備の人数は少ない。出入り口に歩哨が五名立っているだけだ。
 ベルウッドは出入り口の反対側の柵から侵入を試みる。柵の間隔は広い。小柄なベルウッドは少し柵の下を掘っただけで、通り抜けることに成功した。
 横をすり抜けると、影が天幕に映る。兵士たちは弛緩しきっているのか、天幕にはみな明かりが灯っていた。楽しげな鼻歌まで聞こえてくる始末である。
 難なく中央にある泉にたどり着いたが、ひとつ気になることがあった。泉のすぐそばの天幕だけ明かりがついてないのである。
 ベルウッドの何がしかのセンサーがこの天幕に反応していた。
 天幕の中に入るとそこにレビはいない。食料。酒。燃料。弾薬。ここは軍需物資の保管庫だった。
 ベルウッドのセンサーは物欲センサーである。金目の物がないか、すぐさま物色を開始。探しながら、片手間に樽から果物を取ってかじった。なにせフローリアを出てからろくなものを食べていない。ネズミのように食い散らしながら、金品をあさった。
「誰だー、お前」
 背中から何者かに声をかけられる。夢中になりすぎて近づかれるまで気がつかなかった。
 ベルウッドは頭巾をずらしてエルフ耳を隠してから振り返った。
 赤い顔をした狼の亜人兵が千鳥足で近づいてくる。しめた、酔っ払いだ。
「あっしは戦でお疲れになった殿方にお酌したくて参上したけちな野郎でやんす」
 すっかりできあがっていた狼亜人はころっとベルウッドの言葉に騙された。
「そりゃいい。こっちに来て酌してくれ」
 狼亜人はベルウッドをかっさらうと自分たちの天幕の中に引き込んだ。
 泉からは離れてしまったが問題ない。ベルウッドはリビングウッドの胞子の汁をこっそり酒樽に入れた。
 蜂蜜酒を飲んでいた熊の亜人がそれに気付いてマズルをひくつかせ言う。
「今、酒樽に何を入れた。酒を汚すのは許せん」
「この赤い実の汁を入れると風味が良くなるんでやんすよ、ははは」
 ベルウッドの苦しいいいわけに「どれ」と亜人兵たちはおのおのの杯で樽の酒を飲んだ。
「おお、これはうまい」
「昇天しそうだ」
「他の天幕にも持って行ってやろう」
 酔っ払いでよかった。何を飲んでもうまいと言う。
「それでは、あっしはこのへんでおいとまさせてもらいやす」
 早くこの場を離れようと、ベルウッドはあいさつして天幕を出た。
「待て。この酒ぜひともマンジ隊長に飲ませたい。持って行ってくれ」
 固辞するべルウッドを無理やり狼亜人が連れて行く。他の天幕の二つ分はある大きな天幕に放り込まれた。
 広い天幕の中には二人しかいない。そこには黒い鎧に身をつつんだマンジと手かせ足かせで柱にはりつけられたレビの姿があった。
「あー殺したい殺したい殺したい。こんなヤツは殺してしまったほうがいいのに。伝説の剣を引き抜けそうな唯一の人間がこんなヤツだとは。どうだレビ、今日は剣を引き抜けそうか?」
「今日こそはいけそうな気がする」
 剣を引き抜かせるため、マンジはレビのかせを解いた。
 黒い鎧に天幕の中でも兜を着けていて表情はわからない。
 しかし、この世のものとは思えない禍々しさが皮膚感で伝わってくる。
「たてこんでいるようなので出直しやす」
 ベルウッドはなんとか声をひねり出して、退散しようとする。
「なんだ貴様、酒なぞ持って。俺は飲まんぞ。生ものどもと違って水すら必要ないからな。いや待て、レビに飲ませよう。その盃を持って来い」
 まずいことになった。マンジは酒を飲まずに、レビに飲ませようとしている。
「そんな捕虜に飲ます酒なんてありやせん。捕虜に飲ますくらいならこうだ」
 ベルウッドはレビに幻覚作用がある酒を飲ませまいと、盃をひっくり返した。
「貴様気に入ったぞ。レビに飲ますくらいなら、地面に吸わせたほうがいい。このまま衰弱したとて、死んだら死んだだ」
 マンジはいたくご満悦である。
 どうにかばれずにレビを守ることができた。ところが次なるピンチは身内からもたらされる。
「お前、ベルウッドじゃないか。なんでこんなひどいことするんだ?」
 レビがベルウッドに気付いて話しかけてきたのだ。
「人違いでやす」
 ベルウッドはぶんぶん頭を振って、なんとか言外の意味に気付かせようとしたがダメだった。レビが忖度なんてできるわけがない。
「何だ、貴様まさかレビの仲間か」
 あわやというところで、狼亜人が天幕の中に怒鳴り込んできた。
「ゾンビだーーーー。ゾンビを殺せーーーーーーーーー!!!」
 幻覚作用のある酒がようやく回り始めていた。
 狼亜人が持っていた猟銃を撃つと、黒い鎧に銃弾が食い込む。
 マンジはためらいもせず、大剣を振るって狼亜人の腹を切り裂いた。
 そして天幕を出て、騒がしい外の様子を見る。
 あちらこちらの天幕から火の手が上がり、亜人兵たちは同士討ちをしていた。
 焼け出された副隊長を見つけ、呼び止める。
「どうなっている副隊長」
「敵襲です。死者の群れが押し寄せて来ました」
「死者の群れなどどこにもいない。冷静になれ副隊長」
「私は冷静です。死者には炎しか効きません。だから燃料をかけて、すべての天幕を焼き払いました。死者が来る。死者が死者が。さてはお前も死者だな」
 副隊長がマンジを指差して言う。その腕をマンジは切り落とした。
「ちっ。こいつも狂ってやがる」
 そう吐き捨てると、マンジはレビのいる天幕に戻った。
 ところがレビたちがいない。逃げられた。
 レビの剣への執着を知っているマンジは、焦らずに伝説の剣の突き刺さった泉のほとりへと赴く。
 混乱に乗じて敵地へと乗り込んだジテンたちとマンジは鉢合わせになった。
 絶好の機会の到来にジテンは啖呵を切った。
「ここで決着をつける!」
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