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第八十九話 無駄

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【9日目:夕方 屋外中央ブロック】

 若駒ツボミは自他共に認めるほどに慎重な性格である。
 無理な事はしない。
 無茶な事はしない。
 無謀な事はしない。
 この生徒葬会においても、ツボミは基本的にはそのスタンスを崩していない。
 いや、こんな状況だからこそ、よりそのスタンスに忠実に行動している。
 自分がもう少し大胆に行動すれば、あるいはもっと早いペースで表紙を集めることができていたかもしれないが、もとよりそのつもりはない。
 それはなぜか。
 ――ツボミは自分が、感傷と無縁の精神構造の持ち主であることを自覚している。
 恐怖や動揺をほとんど感じることのない心は鋼鉄のように強く、氷塊のように冷たく、そして、それゆえに鈍い。
 人間、否、生物は、多少臆病なほうが生き残りやすいという。
 死や失敗への恐怖があるからこそ、それを回避するための思考が捗るのだと。
 そういう意味で、自分は生き残りにくい生物だ。
 恐れも痛みも希薄だから、やろうと思えばどこまでも無謀に動けてしまう。
 しかしそれでは駄目なのだ。
 この生徒葬会においてはなおのこと。
 だからこそツボミは意図的に、慎重に思考し、慎重に行動するようにしている。
 そんなツボミにとって、立花百花がリベンジに来ることは厄介ではあったが想定内。立花繚が百花を命を賭して逃がした時点で、そういった場面が来ることは目に見えていた。
 だからこそ、百花の能力と性格を考慮した複数の対策を練り、返り討ちにできた――まあ、百花の火事場の馬鹿力とでも言うべき土壇場での抵抗により、またしても逃走を許してしまったが、あの傷では長くはもたないだろう。
 しかし、ツボミにとっての想定外は、むしろその直後。
 『楽園』のリーダー・霞ヶ丘天が、文字通り降臨したことにあった。
 ツボミは『楽園』の内情をよく知らない――あの校内放送で説明された以上の情報は持っていない。だが、天が中心的な人物であることは、天が現れた瞬間に確信できた。
 とはいえそれはツボミに限った話ではなく、中央ブロックにいた『楽園』メンバーと思われる連中の反応を見れば一目瞭然だったので、他の生徒たちも、天使のような翼を広げて宙に浮かんでいる少女こそが、『楽園』のリーダーであることを察していることだろう。
 そして、彼女があの翼を用いて飛翔する能力と、羽ばたきにより強風を起こす能力とを持っているということも。
 ――それだけなら、ツボミにとって脅威ではなかったが。
「――霞ヶ丘。お前の『それ』はどういったカラクリだ?」
 ツボミは――今は地上から三~四メートルほどの高さにまで降りてきている天に向かってそう問うた。
 この距離なら、お互いの声も届く。
 天は、屈託のない笑みを浮かべて答えた。
「カラクリなんて言葉は美しくなくてイヤだなあ。ほら、見ての通り今の私って天使みたいだし、神様の加護っていうのはどう?」
「――戯言だな。所詮は借り物の『能力』だ――私も、お前も同じだよ」
 ツボミは、そう言って右の掌をかざす。
 これまで使っていた剣は、すでに天の起こす強風によってどこかに吹き飛ばされている。
 しかし、この距離なら剣を補助に使わずとも、『座標』の計算はそう難しくない。
 ――ツボミの『斬次元(ディメンション・アムピュテイション)』は、攻撃を発動する箇所が自分からX軸およびY軸でどの程度離れているかを脳内で計算し、思い描いた数値と実際の数値との誤差が一定以内でないと発動しない能力だ。
 実際に自分と対峙した百花も、能力の発動に制約があることは察していたが、このような条件であることまでは分からなかったはずだ。
 なお、この座標計算は当てずっぽうの総当たりができない。
 いや、できないわけではないが、発動に失敗すると一定時間能力が使えなくなるのだ。
 なので、できることなら日が落ちる前に勝負を付けたい。
 ツボミは自分の深視力と空間認識能力が高いことを自負しているが、それでも、日中と夜間とではさすがに座標計算の難易度はかなり変わる。
 しかし。
「どうしたの? 若駒さん。さっきから、何もしてないみたいだけど?」
「……。それが、『加護』なんだろう?」
「ふふっ、そうね。きっと神様も無駄な血が流れることを悲しんで、この『楽園』の存続を望んでくださってるんじゃない?」
「お前の矮小な優越感と承認欲求を満たすためにか?」
「私には、若駒さんが何を言っているのかわからないな」
 天が懐から小型のナイフを取り出す――指と指の間に挟む形で、三本。
 それらを宙に放ると共に翼をはためかせ、すると強風に運ばれたナイフが凄まじい勢いで飛来する。
「天使ならもっと神がかりなことをしたらどうだ? こんな下らない小細工に頼らずに」
 ツボミは、風に体の自由を奪われないよう、地面に足を付けたまま、摺り足でナイフの軌道から体軸をずらして回避した。
 ――ここで問題になるのは、『斬次元』がすべて失敗扱いになっているということだ。
 天めがけて、『斬次元』の発動を試みたのは一度や二度ではない。
 そしてその際、座標の計算を誤差の範囲内に収められなかったとは思わない。
 にも関わらず、なぜか『斬次元』は発動しなかった。
 戦いの最中、試しに天以外の場所に向けて使ってみたから分かるが、天に対して発動しようとしたときには、発動が失敗しているようなのだ。
 ペナルティのタイムラグが発生していたからそれは確定だ。
 発動しているのに効いていない――のではなく、何故か発動しない。
 それもまた天の『能力』によるものである可能性が高い。
 だからこそ、こうも自信満々に大勢の敵対者がいるこの場所に姿を現したのだ。
 自らの天使のような翼と、その力を誇示するかのごとく。
 そして実際、天を殺そうとした生徒のうち、すでに二名が絶命している。
 一人は強風に吹き飛ばされたとき、壁に頭から突っ込む形となり、脳漿をまき散らして死んだ。
 一人は先ほど自分がされたように、天が風を利用して飛ばしたナイフをかわし切れず、首元に刺さったことによる出血が致命傷となり、数分間は転げ回っていたが今はもう動かなくなっている。
 この場所では他にも数名の生徒が生き残っていて、自然と天を中心に円を描くような形を取っていた――天という脅威を優先し、ひとまず消極的な共闘体制が出来上がった形である。
 天以外の『楽園』の生徒は、天の指示により『楽園』の入口を固めに向かった――ここに残っている『楽園』のメンバーは、天のみ。
 しかしその天を、この場にいる生徒の誰一人として、打ち破れずにいた。
「でもよ若駒、その『小細工』もバカになんねえぜ……! こっちはそいつの起こすバカ強い風でどんどんバテてんだ――そのうちそこに倒れてる奴みたいに食らっちまう」
 そう言ったのは、ツボミから見て右斜め前にいる男子生徒だ。
 同級生であり、夏に引退するまでは野球部に所属していた鹿嶋鳴人(かしま・なるひと)だ。
 野球部を辞めてから伸ばし始めた、しかしまだ短髪程度の髪が、風によって微かに揺れている。
 鳴人は、自分が投げたものをある程度自由にコントロールできる能力を持っているようで、最初はバッグに詰めていた野球ボール、それが底を尽きてからはその辺りに転がっているレンガやコンクリート片を用いて天に投げ付けていたが、そのことごとくが外れてしまっている。
 外れたボールを操り、再び天めがけて飛ばしても同じだった。
 コントロールできる時間には制限があるようで、何度か試しているうちに投げたものは失速して地面に落ち――それを何十回目にしたか分からないが、ただ一つ言えるのは、鳴人が投げたものは一度として、天を掠ることすらなかったということだ。
「私たちの『能力』も全然効いてない……!」
 ツボミから見て左斜め前、つまり鳴人の正面には、痩せた双子の女子生徒がいるが、どちらも同じように狼狽した様子だった。
 その台詞から察するに何かしらの、視認できない、あるいはしにくい類の『能力』を試しているようだったが、自分と同じように発動していないか、あるいは発動しているが効いていないのか――いずれにせよ、彼女たちも打つ手なしのようだった。
「こんなの、どうすりゃいいんだよ……!」
 ツボミから見て天を挟んで正面にいる男子生徒が歯噛みしている。
 彼もまあ、同じようなものだろう。
 ――自分を含め、五人の生徒がそれぞれに『能力』による攻撃を試みているのにも関わらず、天に対しては一切通用していないという事実。
 その事実に、誰もが狼狽し、焦燥している――しかし。
 ただ一人ツボミだけは、至極落ち着いていた。
「――これ以上は無駄だな」
 ツボミのその呟きに、天は勝ち誇ったように、見下すように、口元を歪めた。
「これ以上以前に最初から全部無駄だったよ。あなたたちに私を、『楽園』を倒すことなんてできないんだから」
「そうだな、霞ヶ丘。今の私には、お前の『能力』を破ることはできない。いくつかお前のそのカラクリに関する仮説はあるが、それを実証するためにこれ以上お前と対峙するのもリスクが大きすぎる」
「ふうん? つまり逃げるつもりなんだ――逃げられるとでも思ってるの?」
「――ああ、思っている。お前が脅威なのはお前のその『能力』だけだ。お前自体は脅威じゃない――お前から逃げる隙など簡単に作れる。例えば――こうしてな」
 ツボミは、すでにこの状況に見切りを付けていた。
 暁陽日輝を助けるまでに、乱戦で死んだ生徒の制服からいくつか手帳も回収しているし、特に警戒すべき生徒の一人である百花に致命傷を負わせることもできた。
 『楽園』のことは、残っている連中に任せればいい。
 恐らく自分と同じ仮説に至ることのできる生徒は他にもいるはずで、その内の一人くらいは、生き残るためにその仮説を実証しようとするだろう。
 それで天が倒されればそれでいい――この生徒葬会においてキルスコアは重要ではない。あくまでも、表紙を百枚集めた生徒が生還できるというルール。
 ここで、正体不明の能力を持つ天と、無理にやり合う必要などないのだ。
 だから――ツボミは。
 天にではなく、その背後にいる男子生徒に対して、『斬次元』を発動させた。
「うぎゃあああああ!!」
 突如、自分の胸から腹にかけてを斜めに切り裂かれた彼は、自身から噴き出す血を見てもなお、状況を理解することはできなかっただろう。
 だが、あえて即死しないように座標を調整したことで――いい悲鳴を上げさせることができた。狙い通りだ。
「なっ――!?」
 鳴人や双子だけではなく天も、振り返ってそちらに視線を向ける。
 そこを攻撃しようとは思わない――天が意識を向けていなくとも、あの『加護』とやらは発動する可能性がある。
むしろあの自信満々な態度からしてその可能性のほうが高いだろう。
同級生なのでツボミは霞ヶ丘天のことを少なからず知っている。
 天は所詮小物だ。
 強力な『能力』を手にしたことで増長しているだけに過ぎない。
 とはいえ、増長するのも無理ないほどの厄介な『能力』であることには間違いがない――そして、天の意識を逸らすことができるのはほんの僅かな時間。
 ならばその隙に一か八かの攻撃を仕掛けるよりも、自分がすべきは――この場から逃れることだ。
「若駒、お前ッ!?」
 鳴人が信じられない、と言わんばかりに叫んだが、すぐにその声も遠くなる。
 ツボミは全力疾走でその場を離脱していた――天が何か叫んで、また強い風が吹くのを背中で感じたが、その直後には、ツボミは本校舎の角を超えていた。
 ――残された鳴人と双子がどうなるかは分からない。
 恐らく天に殺されるだろう。
 天も、自分の逃走を許したことで、より苛烈な攻撃を鳴人たちに加えるはずだ。
 ――だから、自分が最初に逃げる必要があった。
 他の生徒に逃走されてからでは遅いのだ――もしその気配があれば、その時点で天を倒すことを諦め、逃げるつもりでいたが、思いのほか鳴人たちが粘った形だ。
「さて――藍実と環奈を迎えに行くとするか」
 あの名前も知らない男子生徒には気の毒だが、『楽園』を攻略するために集まっていた生徒の一人ということは、彼もまた生きて帰るために他人を犠牲にする心積もりだったということだ。
 もっとも、それは誰だって同じことではあるが。
 あの『楽園』の連中だって、どこまでの人数がどこまでの本気なのか分かったものではない。
 案外、内部の反乱因子によって『楽園』が崩壊するということもあるかもしれない。
 そんなことを考えながら、ツボミは藍実と環奈を待たせている場所へと向かって歩き始めた。
 背後から風の唸る音に混じり、複数の悲鳴が聞こえたが、すべて無視した。
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