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第百六話 囚人

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【10日目:朝 南第二校舎一階 廊下】

 窓から差し込む光が、その明るさを増している。
 すでに早朝と呼べるような時間帯ではない――しかしまだ昼というほどではない。……はずだ。
 暁陽日輝は、辻見一花をおぶったまま、廊下を歩き続けている。
 時折足を止めつつ、体感時間ではすでに二時間は経過していた。
「ハア……ハア……ハアッ……」
 汗の滴が頬を伝い、ぽとぽとと床に落ちる。
 一花をおぶっているので、それを拭う余裕はなかった。
 一歩一歩、踏み出す足が重みを増していく。
 顔を上げると視界の右側には、それぞれ男子トイレと女子トイレを示すプレートが上部に取り付けられた、二つの扉が入り込んだ。
 そしてその中間、扉と扉の間の壁にもたれかかるようにして、三つ編みの女子生徒の死体がある。
 見覚えの無い顔なので一年生か三年生だろう――三年生なら一花とは面識がある可能性は高いが、一花が心神喪失状態にある今、確かめる術はない。
「……また、か……」
 陽日輝は思わずそう呟き、死体とは反対側の壁に一花をもたれさせるようにして下ろして、自分もその隣にもたれ込んで座った。
 陽日輝は、ここでようやく額に溜まった汗を手の甲で拭った。
 それからチラリと一花のほうを見やる。
 もちろん一花は汗をかいてはいないが、前回の休憩から時間が経っている――陽日輝はバッグからペットボトルを取り出し、フタを開けた上で一花に手渡した。
 一花はそれを感情の失われた瞳のまま受け取り、ゆっくりと口に運ぶ。
 陽日輝は、一花から三つ編みの死体へと視線を移した。
 ――この死体を見るのは、これが初めてではない。
 というより、すでに両の手で数えられる回数を悠に超えている――陽日輝は、この南第二校舎の校舎内を、体感二時間以上も彷徨い歩いていた。
 隣の校舎――南第一校舎において、西寺汐音を追っているという正体不明の生徒を撒くために、安藤凜々花・四葉クロエと別れて校舎外に逃げたのち、早朝の屋外は目立つという懸念から、目的地である南第三校舎に行く前に、一旦南第二校舎に入ったのだが、それが間違いだった。
 恐らく、何者かの『能力』がこの南第二校舎には作用している。
 ――どの扉からもどの窓からも、外に出ることはできなくなっていた。
 すべての扉および窓は、この南第二校舎内の別の扉および窓に繋がっており、その繋がりは毎回ランダムに変わる。
 例えば、目の前にある男子トイレの突き当たりの窓からの脱出は四度ほど試したが、それぞれ三階の女子トイレの窓、二階の屋外非常階段へと繋がるはずの扉、同じく二階の教室の窓、そして一階の突き当たり――自分たちが最初にこの南第二校舎に足を踏み入れたときに使用した扉へと繋がった。
 ありとあらゆる扉と窓がその有様なのだから、方向感覚までおかしくなりそうだ。
 試しに一度、壁を『夜明光(サンライズ)』でぶち抜いて外に出ようとしてみたが、結果は同じだった。
 元から存在している出入口以外なら『能力』の穴を突けるかもしれないと期待したのだが、この『能力』、南第二校舎を完全に掌握しているらしい。
 根岸藍実の『通行禁止(ノー・ゴー)』が中に入れないための結界なら、これは外に出さないための結界。
 であるならば、『能力』を使用している生徒を見つけ出して仕留めればいい――とも考え、一階から三階までありとあらゆる場所を探し尽くしたが、見つかったのはこの三つ編みの生徒と同じような死体が何人分かだけだ。
 この『能力』の使い手は、南第二校舎の外にいる。
 となると、自分たちとは無関係に別の生徒によって殺されてくれることを祈るしかない。
 しかし、そうも言っていられなかった。
 クロエは気絶していたし、凜々花もそのクロエを背負って逃げている。
 西寺汐音を追っていた生徒を始めとする別の生徒に襲撃された際に、不利な状況にあることは間違いなかった。
 だから自分は、一刻も早くこの南第二校舎から脱出する必要がある。
「……そろそろ行くか……」
 数分の休憩ののち、陽日輝はそう言って一花をおぶろうとした。
 ――しかし、一花がこちらを見つめたまま動かないのに気付き、手を止める。
 その瞳が、ほんの僅かに揺れているような気がして、陽日輝は思わず「辻見さん……」と呟いていた。
「…………おいていって」
 ――ぎょっとする。
 一花が昨日ぶりに言葉を発した――それに、その言葉の内容にも。
「置いて――いって、って。何、言ってるんですか――辻見さん」
「わたしはもう……いいから」
 一花の精神はまだ治り切ってはいない――しかしだからこそ、今、ほんの僅かに自我を取り戻した彼女の口から発された言葉は、紛う事なき本心だろう。
 そして、一花には生に絶望する理由なんていくらでもある。
 東城一派や『楽園』からの耐え難い仕打ち、そして仲間の死。
 しかし――だからといって。
「……よくないですよ。俺に抵抗する余裕も無いでしょうし、無理やり連れて行きますよ」
 少し意地の悪い言い方になってしまったが、実際その通りだ。
 一花は精神面を抜きにしても、体力的・肉体的にもかなり消耗している。
 事実、陽日輝が一花を再びおぶっても、抵抗らしい抵抗はなかった。
 ほんの少し身じろぎしただけで、すぐにこちらに体重を委ねてきた。
「……恨んでくれてもいいですよ。俺がこうしたいだけですから」
 死にたいと願う人間を生かすことはエゴなのかもしれない。
 どうせ最後に生き残るのは三人だけな以上、彼女には、恐怖と緊張と絶望が付き纏う生徒葬会という地獄を、不必要に長く味わわせてしまうだけかもしれない。
 それでも――今、こうしておんぶしていると、後ろから彼女の息遣いが、体温が、重みがしっかりと伝わってくる。
確かに生きている辻見一花という存在を、見捨てていくことなどできない。
「……それに、この『能力』の破り方は思い付きました。対照的な、よく似た能力の持ち主を知っているんで――それと弱点が同じなら、ですけど」
 一花からの返答はもうない。
 無視しているのか、それともあまり複雑な会話はまだ理解できないのか。
 陽日輝は少し歩いて、近くにある教室へと足を踏み入れた。
 そしてその中にある掃除ロッカーをおもむろに開け、中にあったホウキやバケツ、雑巾の類をすべて外へと出す。
 さらに、ロッカーを引き倒してから転がして、扉が上向きになるようにした。
「狭いですけど我慢してくださいね。すぐに開けますから」
 陽日輝はそう言って、一花を空になったロッカーの中へと押し込んだ。
 一花は何も言わず瞬きする――しかし、抵抗はしなかった。
 まるで棺桶のようで不吉だが、これから自分がすることを考えれば、この中にいてもらうのが一番安全だろう。
 陽日輝はロッカーを閉じると、再び廊下へと出て行った。
 さて――自分の読みが正しいかどうか、勝負の時間だ。
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