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第七話 始動

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【8日目:未明 北第三校舎三階 図書室】

 北第三校舎三階奥に、図書室があることを知る生徒は意外にも少ない。
 基本的にこの学校では、中央ブロックにある本校舎が主として使われており、特別教室や部室棟などの現役で使用されている施設も、東西南北それぞれの第一校舎に集中しているからだ。
 第二校舎はそれでもまだ一部の授業や行事で使われたり、一部の同好会の部室としてあてがわれていたりするものの、第三校舎は裏山近くの旧校舎とさして変わらない扱いである。
 北第三校舎の図書室も、より正確に言えば『旧図書室』とでもいうべきだろう――蔵書が多く生徒の利用が多いのは、本校舎にある図書室であり、北第三校舎の図書室は、滅多に人が来ないため、図書委員も常駐しておらず、本の貸し借りも机の上に置かれたリストにセルフで記入してもらう形式である。
 もっとも、盗む価値があるほどの本はここには無いので、その形式が問題視されたことはなかった。
一年から三年まで図書委員である彼女――月瀬愛巫子(つきせ・まみこ)でさえ、この場所に足を踏み入れたことはそう多くはない。
 だからこそ、生徒葬会における拠点として、この場所を選んだのだ。
「能力の追加、ね。後出しで随分、厄介なルールを組み込んでくれるわね」
 愛巫子は、引き出しの無い丸テーブルの上に置いた古ぼけた本を読みながら、先ほどスピーカーから流れてきた『議長』による放送の内容を思い出し、独りごちた。
 愛巫子はまだ、自分以外の誰かの手帳を手に入れてはいない。
 そのため、『投票』にも第二の能力の入手にも、遠い状態だった。
 しかし、彼女に焦りはない。
 現在進行形で行われている生徒葬会という名の殺し合いゲームの中とは思えないほど優雅な佇まいで、彼女はマグカップに入れたコーヒーを口に運んでいた。
 スティックタイプのキャラメルラテだ。
 愛巫子はブラックコーヒーが苦手で、家でもお店でも基本的に甘ったるいカフェラテやキャラメルラテを飲む。この旧図書室の棚にも、彼女専用のマグカップとスティックコーヒー、そして電気ケトルが置かれており、普段からこの場所を訪れたときには甘いコーヒーを嗜みながら読書をしていた。
 ……愛巫子は、三年間図書委員を務めている。もっと言えば、現在の地位は図書委員長だ。そのため、図書室という場所に限定すれば、ある程度の自由と特権が与えられている。本校舎の図書室にも、同じくマグカップやスティックコーヒーが置かれているが、本校舎は他の誰かと遭遇する可能性が高いと考え、生徒葬会開会後はまだ一度も足を踏み入れていない。
 まあ――この旧図書室だけで十分だ。
 愛巫子は、テーブルの上に積んだ十数冊の本を眺める。
 この旧図書室にある蔵書は、すべて読んだことがある――とまでは言わないが、どこにどんな本があるかは把握している。
 そのため、愛巫子は開会後、自分の能力を把握するや否や、すぐにこの旧図書室を目指した。
 幸い先客はおらず、この一週間、水と食料を調達するために何度か外出した以外は、ほとんどこの場所で安寧に過ごすことができた――そのおかげで、『下準備』はあらかた済んでいる。
 愛巫子に与えられた能力、その真価を、十二分に発揮するための準備は。
 と――そのとき、廊下のほうから、誰かが歩いてくる音が聞こえた。
 足音を殺している様子はない。
 と、なると、よほど迂闊な奴か、もしくは自信のある奴か。
 すでに一週間経っている以上、後者である可能性のほうが高いだろう。
 つまり、近くにいる誰かに自分の接近を悟られても、問題にならないと考えている――そう考えるに足るだけの能力を持っている者。あるいは、そう思い込んでいる者。
「……この一冊くらい読み終えておきたかったけど、まあいいわ」
 愛巫子は、読みかけの本をパタンと閉じ、静かに立ち上がった。
 透き通るような色白の肌に、背中まで伸びた艶のある黒髪。
 銀色の細いフレームの眼鏡が、程よく知的に程よくお洒落に、彼女の『深窓の令嬢』のような雰囲気の演出に一役買っていた。
 愛巫子は昔から、誰かとおしゃべりしたりスポーツに励んだりするよりは、教室の隅で読書をしているほうが性に合っていた。
 本を読むのは好きだった。
 小説に限らず、エッセイや詩集、伝記や実用書の類に至るまで。
 そんな自分に、この能力が与えられたのは、天恵といってもいい。
 愛巫子はそんなことを考えながら、近付いてくる足音に耳を傾けた。
 足音は図書室の前で止まる。
 そして、数秒の静寂の後で、図書室の扉は開け放たれた。
「誰かと思えば月瀬か。こんなときまで図書室にいるなんてよ、よっぽど本が好きなんだなァ」
 呆れ半分嘲り半分のせせら笑いを浮かべながら現れたのは、愛巫子の同級生・石倉悟(いしくら・さとる)だった。
 本なんて漫画くらいしか読んだことがなさそうな、粗野な男子生徒。
 そのブレザーは、誰かの返り血でグラデーションのように染まっていた。
 そしてそれは、ほんの少し前に付着したものではない――変色し、固着している。
 愛巫子は目を細め、石倉が武器の類を持っていないことを確認しながら言う。
「すでに誰かを殺してるのね」
「はっ、そりゃそういうルールだからな。俺は割り切りが早いんだよ。実際にやってみたら、そんな大したモンでもなかったしな、殺人ってやつも」
 悪びれなくそう言いながら、石倉は右の掌をかざしていた。
 武器は持っていない――となると、その掌から何かしらの攻撃をするような類の能力か。
「お前こそ、のんびりコーヒーなんて飲んでいい身分じゃねえか。生き残りの人数が減ってから動くつもりだったのか? だとしたら誤算だなァ、新しく追加されたルールのせいで、後になればなるほど複数の能力を持って手強くなった奴らで溢れるんだから」
「……そういうあなたにとっても、誤算なんじゃないの? 手帳の能力説明ページ、最初から集めてたりしてなかったでしょう」
 愛巫子の指摘に、石倉は「ハンッ」と鼻で笑って見せた。
 それがどうした、と言わんばかりの態度だが、その目の奥には隠し切れない苛立ちの色がある。
 どうやら図星のようだった。
 そういうものだ。
 弱い人間、浅い人間ほど、自分のことを棚に上げて、自分が言われたくないことを他人に対して得意げに言ってくる。そのくせそれが原因で手痛い反撃を受けたりすると、タチの悪い逆切れをしたりするのだ。
「俺の能力は強えからよ、そんなことは痛手になんねえよ。第一、今からお前をぶっ殺して手帳をもらうんだからよ」
「……そう。じゃあ、やってみたら?」
 愛巫子が言うのと、石倉が右の掌を真下に振り下ろすのとは、ほぼ同時。
「!」
 瞬間、愛巫子は全身を押さえつけるような見えない力を感じ、床に突っ伏していた。
 まるで空気が重さを増して、ありとあらゆるものを地面に押し込もうとしているかのような――そうだ、これは。
「重力……かしら?」
「さすがは図書委員長、ハクガク? ハクシキ? だなァ。俺の『重力掌射(グラビティシュート)』は掌をかざした先、半径二メートルの重力を大きくできる能力なんだよ。ま、内臓潰したりするほどの重力にはできねーんだけど、身動き取れなくするには十分ってワケ」
 ……確かに、指先ひとつ動かせないほどの重さを断続的に感じ続けてはいるものの、骨が軋んだり内臓が潰れかけたり、といったほどの危機は感じない。
 とはいえ、このままではなすすべなく殺されてしまう。
 そう――『能力』を使わなかったなら。
「……石倉君。一応忠告しておくけど、見逃してほしいなら今が最後よ。この安直なネーミングの能力を解いて、尻尾を巻いて逃げるならね」
「はっ、トカゲみてーに突っ伏した状態で言われても説得力がねぇなァ! そうだ、お前は首を踏み折って殺してやるよ。俺としても、これ以上返り血浴びるのも気持ち悪いしなァ」
「……はあ。前々から思っていたけど、あなたってやっぱり下品で野蛮ね。そんなあなたのために可愛い本を一冊犠牲にするのは気が引けるわ」
「あぁん? 何言ってんだ、おま――」
 石倉の台詞が途中で止まり、その表情が凍り付く。
 無理もない。
 身動きひとつ取れないはずの愛巫子が、跳ねるように起き上がり、自分に向かって突っ込んできていたからだ。
「な、こ、このォォ!」
 石倉は狼狽しながら、再度愛巫子めがけて掌をかざす。
 今度は下に振り下ろすのではなくまっすぐ――重力を横向きに発生させて、吹っ飛ばそうとしたのだろう。しかし。
「残念ね。私は吹っ飛ばないの」
「な、なァァ!?」
 愛巫子の宣言通り、愛巫子は『重力掌射』の影響を一切受けず、そのまま石倉の眼前にまで迫っていた。
 ――そのときになって、石倉はようやく気付く。
 愛巫子が本やマグカップを置いていた丸テーブルが、まるで上から強い力を加えられたかのように、真っ二つに割れていたことに。
「冥土の土産に教えてあげるわね。私の能力は『身代本(スケープブック)』」
「…………!」
 愛巫子は、石倉の首に、隠し持っていたハサミを深々と突き刺していた。
 肉の反発が思った以上に強かったが、渾身の力を込めることで、なんとか突き破ることはできた。
 ぶじゅ、ぶじゅ、っと、ハサミの先端と傷の隙間から血が噴き出す。
 それでもなお、石倉は執念で掌を愛巫子の腹に当てた。
 だが――それと同時に吹っ飛んだのは、テーブルの上に置かれていた本のうちの一冊だった。
 あさっての方向に吹っ飛んだ本は、本棚にぶつかって開いたまま落下する。
 それが目に入っているのかいないのか、石倉はそのまま、愛巫子の胸に顔を埋めるようにして倒れた。
「人の体に軽々しく触れないでほしいわね。……まあいいわ、この返り血も、私の可愛い本に肩代わりしてもらうわ。一冊どころかこれで四冊だけど、まあ、『ストック』はまだまだあるわ」
 愛巫子はそう言いながら、石倉を心底邪魔な物を扱うように、振り払うようにして床に転がし、彼の首から飛び散って、自分のブレザーを汚した血を見やり――次の瞬間には、その血は一切消えていた。
 それと同時に、割れたテーブルの近くに転がっている本のうちの一冊が、真紅のグラデーションに彩られる。
 愛巫子は石倉の左胸から手帳を抜き取り、中身を確認した。
 表紙は、石倉本人のものを含めて二枚。
「……なんだ、大層なことを言っておきながら、一人しか殺してなかったのね。それであれだけ得意げになるなんて、これだから考えなしの馬鹿は困るわ」
 愛巫子は、二人分の表紙と、石倉の分の能力説明ページを破り取り、自分の手帳に挟み込む。
 愛巫子からしたら、これが初めての殺人だったが。
 なんてことはない、今まで本で読んできて、散々目にしてきた描写と変わらなかった。
「私の『身代本』は私に対するありとあらゆる物理的影響を、私が読み終えた本に転嫁することができる能力なの。重力を下にかけられようが横にかけられようが、何を浴びようが何が触れようが、私の好きなタイミングで転嫁できるの」
 弱点は、本を最初から最後まで一言一句読み飛ばすことなく、読破しなければ、この能力でスケープゴートとする『ストック』には加えられないこと。
 しかし、愛巫子には時間があった。
 一週間、誰も訪れることのない旧図書室に籠り、ひたすらに読書を続けることで、愛巫子はすでに百冊近くの『ストック』を持っている。
 本当ならば、さらに読書を続けて数百冊分の『ストック』を得た状態で、満を持して動き出したいところだったが、先の放送で追加された新ルールは、否応なしにゲームの進行を加速させる。
 それに、石倉を殺したことで、この場所も血の匂い、そしてしばらく経てば死臭が漂い、快適な拠点とは言えなくなってしまう。
 すでに自分は九十数回分の命を得たも同然なのだ、そろそろ頃合いだろう。
「誰も私を殺すことはできない――私は本に守られているのだから」
 愛巫子は酷薄な笑みを浮かべ、旧図書室を後にした。
 石倉の死体だけが、本たちと共に残された。
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