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第7話 青春の終わり

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第7話 青春の終わり

 保健室には誰もいなくて好都合だった。わたしはいつかちゃんをベッドに誘導して、横になるよう促した。いつかちゃんは特に何も言わず従ってくれた。
 いつかちゃんはきっと疲れているんだ、と思っていた。わたしにはわかる。“普通の女の子”を演じているのだ、無理に。本当のいつかちゃんは別の世界で生きている。いつかちゃんの周りには学校も友達も先生もいないのだ。ただ、波動を感じようとしている。
 わたしはずっと訊きたかった。いつかちゃんは波動の意味をちゃんと知ったはずだ。ただ、辞書に書いてあることといつかちゃんが感じ取ろうとしていることが一緒なのかはわからなかった。それを知っているのは本人だけだ。だから、訊きたいと思った。でも、体調が悪いのにあれこれ訊くのもおかしいことだ、と変に冷静な自分もいたのがなんだか不思議ではあった。
「……いつかちゃん、大丈夫? つらくない?」
「……へいき。よくわからないけど」
 よくわからない、とは何がわからないのだろう。いつかちゃんは、心なしか恥ずかしそうに、私の立っているのと反対側の白い壁の方に視線を向けているように見えた。
「よくわからないけど、つらいの?」
「…………」
「……学校にいるのが?」
「え」
「わたしは、公園でお祈りみたいなことしてるいつかちゃんが本当のいつかちゃんだと思ってる」
「…………」
「違う?」
「……その話は、しないでほしい」
「え、な、なんで」
「……もうそれはいいの」
「……いいって」
「辞書の意味、ありがとう。読んだよ。わかったよ。でも、だからなに、って今は思う……」
「よ、余計なことしたかな……」
 わたしはショックだった。だからなに、と言われたことじゃなくて、“もうそれはいい”と突き放されたことだ。わたしの中のいつかちゃんは、公園の砂場で背筋を地面と垂直に伸ばして額を砂に擦り付けている、あの姿だ。それが音を立てて崩れ落ちていくのを感じていた。わたしはショックだった。もういいのかー、と思った。
「……そんなことはないけど。でも、今は、本当にもういいの。どうかしてたんだよ、私」
「……わたしは、ずっとすごいなーと思ってたけどな……いつかちゃんが言ってた“波動”の意味を、ずっと知りたいと思ってた、ていうか今も思ってて、でも、もういいんだ……」
「……ごめん、調子が悪くて」
 見ると、いつかちゃんの顔色はさらに悪くなっていた。わたしは保健委員なのに、調子の悪いクラスメイトのことをさらに追い込んでしまった気がして慌ててしまった。
「あ、ご、ごめんなさい! 先生呼んでこようか……?」
「……いいの、でも、一人にして……」
 いつかちゃんの目にいつの間にか涙がうっすら光っているのが見えた。なんとかしたいと思ったけれど、その原因がそもそも自分であるのだとしたら、どうやってなんとかすればいいのか。そうか、原因が去ればいいのか。
 わたしが保健室から出ようとした時、消え入りそうな声で自分の名前が呼ばれたのが聞こえた。
「所さんって、変わってるね……」
 わたしは、保健室を出た。苗字で呼ばれた、と思った。
 いつかちゃんから初めて名前を呼ばれた日は、あんなに気持ちがよかったのに、今日はなんだかあっさりと耳から声がすり抜けていったように感じられた。

 ひとつ分かったことは、わたしはいつかちゃんに対してだいぶ見当違いをしていたということだった。それは、貴重で苦々しい発見だった。
 薔薇色の日々を想像した小学校最後の一年間は、灰色の日々で終わった。
 好きな人に、自分のせいで泣かれたことによって、わたしは心が重くなってしまったような気がした。何を見ても感動しなくなったし、美味しいものを食べてもさほど興奮しなくなった。ふうん、とか、へえ、が口癖になった。そのうちに友達もつまらなくなったのか、わたしの周囲からだんだんと人がいなくなっていった。
 いつかちゃんとはその後、ほとんど話した記憶がない。いつかちゃんはわたし以外の人達とどんどん仲良くなって、冬のある日には、男の子と二人で道を歩いている姿も目にした。それも、ふうんと思うようになっていた。
 中学生になったら、なにか変わるのだろうか? わたしは相変わらずクラスの中でも背が低いままだ。そう言えば、あの日男の子と一緒に歩いていたいつかちゃんはだいぶ背が伸びたし、胸も大きくなっていたような気がした。わたしはとくに変わらない。
 このままではいけない気もするのだが、実際どうすれば良いのかはわからなかった。
7

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