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第8話 エル子

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第8話 エル子

 中学生になってもこれまでと何も変わらないと思っていた、そんなわたしは物事をあまり深く考えないタチなのかもしれない。かもしれないというか、以前からしずくちゃんに散々指摘されていた部分ではあったのだけれど、そんなことはない、わたしはいつもちゃんと考えている、と内心憤慨していた。でも、しずくちゃんは正しかった。今更ながら謝りたかったが、残念ながら彼女は私立の中学校に進んでしまっていた。これからは会おうとしなければなかなか会えないだろう。
 中学生になるというのは、実際これまでとは大違いなのだった。一番違うな、と思ったのは、女子がみんなスカートだということ。これまではどちらかというとパンツスタイルが優勢だったし、わたしもそちら側に属していた。丈は長くてもどことなく落ち着かないものだった。風が吹くと怖い。
 そして何より違うのは、みんなが少し“大人っぽく”思えるようになった。小学校の頃は先生から信頼されていたかなえちゃんが、ちょっと悪っぽい感じのする子達とつるんでいたりする。それがなんとも“ぽく”見えた。
「あの子、エル子なんだよ」
 廊下の端に寄りかかって、ただ歩いているだけのわたしを笑いながら眺めている。その姿からは、小学校時代の面影は感じられなかった。
 他の二人も同調して、ふーん、なんかアレだね、ハマってそうな雰囲気出てるね、なんてしゃべっている。エル子? それがわたし? よく分からない。分からないけど蔑まれているのかも、と感じてはいた。感覚は大抵間違っていない。蔑まれていると感じたらそうなのだ。だけど、理由が皆目見当もつかない。
 小学生の時、よほど重荷だったんだろうか? 先生に、クラスメイトに頼られるということが。中学生になったのを機に本来なりたい自分へと舵を切ったということだろうか? かなえちゃんの前を通り過ぎる時に、そんなふうに思った。視点は真っ直ぐに。
 すべては憶測にすぎない。けれど、事実として、わたしはエル子と呼ばれていた。

 母親の背後三メートル程度離れて歩く。
 母親は大きな紙袋の中に、保湿液や洗剤、それに豆の袋をぎゅうぎゅうに詰め込んで、それを脇に抱えて軽やかに歩いている。側面にはロゴマークが描かれていて、それがあまりに個性的だからか、すれ違う人がたまにこちらを振り返ったりするのが楽しい。だけど、自分には向けられたくない視線だな、と同時に思う。
 行き先は、いつかちゃんの家だった。正確には、いつかちゃんのいないいつかちゃんの家だった。母親の来る日は事前にわかっているから、そのタイミングでいつかちゃんは外に出かけているようだった。わたしは、やっぱりいつかちゃんに会いたかった。だけど、いつかちゃんに会うためだけに家を訪ねる気にはなれずにいた。結果、母親について来ている。
 玄関に入って、靴箱の上に男の人の写真が飾られているのに初めて気付いた。いつから置かれているのだろう? モノクロ写真ではないけれど、どこか黒っぽい写真だった。写真立ての前には、羽毛のように軽そうな一輪の花がそっと横たわっていた。
 母親は、いつかちゃんのママと向かい合ってひたすら話している。わたしはその会話の内容を聞いていないように見せて聞いている。
「 須崎さん、ESPとしての活動慣れました?」
「……いいえ、全然……」
「最初は難しいですよね。私も上手くいきませんでした。どうしても必死になってしまうんですよね」
「……そうですね、ええ。在庫を捌けないんじゃないかと思って、追い詰められるような思いがして」
 周囲を見渡すと、いつかちゃんの家なのに、どこか自分の家の風景に見えた。
「これはビジネスなので、在庫のままであれば赤字になるわけなのですが――その思いを、一度捨て去ることが大切です」
「それは、難しいです……」
「私もそうでした。そんなにお金に余裕があるわけでもありませんし」
 母親は、自分のお金で買っていたのだろうか? お父さんの苦虫を噛み潰したような表情を思い出すと、どうも違う気がした。
「ですが、必死になってはいけないんです。思考は常にシンプルに整えておく必要があります。つまり、まず商品の良さを伝えるんです。エルピード関連商品の品質は世界的にも高く評価されているという事実を、顧客となり得る方々の脳に最短距離で届くように意識することが最重要と言えます」
「……そんなこと、私には難しいです」
「出来ますよ! 初めは全然売れなかった私でも、そのことを学び、努力し続けた結果、ESPとしての活動でプラス収支を達成出来たんですから」
「……エルピードの、品質の良さを伝えるんですね?」
「それが事実ですから。事実がこの世で最も強いものであることは疑いありません」
 プラス収支。そうなのか。だからストレートブラシをわたしに買ってくれたのだろうか。お父さんからのお金ではなく、母親自身の稼いだお金で。
 それと同じことがいつかちゃんのママに出来るんだろうか? とてもそうは見えなかった。母親は指導役として他にも何人か面倒を見ているけれど、全員が上手くいっているようには見えなかったし、上手くいっていない人はやっぱり向いていないのだと思う。わたしには、いつかちゃんのママはこの商売に向いていないようにしか見えない。痩せているし、陰気だし、自信がなさそうに見える。悪いけど、でも、本当にそうとしか。
 出された麦茶は、昔飲んだ時と比べたら美味しく感じた。
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