「こっち回ったと思ったのに!!どこ行ったんだ!?」
「クソっ見失ったぞ!」
「そもそも何で藤咲希春がこんな所にいるんだ?」
「何かの番組じゃねーの? 知らんけど」
タッタッタッタ
僕と希春は雑居ビルの影に隠れて、野次馬が走り過ぎるのをやり過ごしていた。
希春は胸に手を当て呼吸を整えながら
「ハァハァ。
なんだヒツジくんって走るの速いじゃん」と僕に微笑む。
「そりゃあんなゾンビの大群みたいに追ってこられたら、自然と体が動いちゃうよ」
「はー♪でも楽しかった」
「うん、なんか変なテンションになった。
ハァハァ、希春のせいだよー」
「あはは。ヒツジくん心開いてくれた感じになったね」
「あんな事されちゃうと心を開かざるを得ないというか。
でもこれからどうするの?
もう表を歩けないから食事だって行けないし、この街から出られないよ」
「ヒツジくんってクルマ運転出来る?」
「うーんバイトでちょっとは乗るけど……」
「よっしゃー!!じゃ今からドライブ行こー!!」
僕たちは隠れながら路地裏を大通りに沿って歩いた。
「ほらコッチコッチ!
今なら誰もいないから」と希春に手を引かれ車のディーラーに入った。
「え、ここロールス・ロイスのお店……?」
「うん、お父様の系列会社なの」
入り際に野次馬に見られてしまい、店の外はあっという間にすごい人だかりになっている。
しかしさすが超高級車店に入ってこようという人はいないようだ。
「希春お嬢様、お久しぶりです。どうされました?」
執事のような風貌の中年男性が深々とお辞儀をする。
「店長さんゴメンなさい♪
ちょーっとね、トラブっちゃって♪ここから脱出するのに車を一台お借りしたいの」
店長さんはにこやかに
「左様でごさいますか。ちょうど新型ファントム・クーペの試乗車をおろしたばかりです。
保険の手続きをしたらすぐお乗り頂けます」と言う。
地下の駐車場に案内されるとメチャクチャ威圧感のある大きな車が鎮座していた。
確か家一軒買えるくらいなんですよね、コレ。
「さっ、ヒツジくん行きましょ」
「う、うん」
乗り込もうとドアを開けようとすると???ドアハンドルが前にある!?
ガチャリ
わっ!!ドアの開き方が前後逆なんだ!!
え? あっ!
アチャー! こっち助手席だったんだ!?
恥ずかしい……と固まっていると
「ヒツジくんありがと。
エスコート慣れてらっしゃるのね」と希春は微笑んで、優雅に助手席に乗り込んだ。
店長さんは
「お若いのに洗練された振る舞いですな」と誉めてくれた。
いや、全然知らんかったけど。
「どうぞご自由にお使い下さい」と店長さんに見送られて、地下駐車場から裏口を出た。
店の表通り面にはまだ人だかりの列をなしている。
「アハハハみんなバイバーイ」と希春は野次馬に手を振るが気づいた人はいないようだ。
こんな超高級車に藤咲希春さんを乗せて運転してるなんてメチャクチャ緊張する……
「ヒツジくんって運転上手いね」
「まぁ……周りの車が勝手に道をあけてくれるからね」
僕達を乗せたロールス・ロイスの周囲には車はいないどころか、対向車も避けるように車線変更して走っている。
そりゃ、こんな超高級車が走ってたら怖いよね。
「希春とりあえず……どうしようか?」
「うーんそうね、海見よ!
ねっ海連れてって♪」
「う、うん」と答えると、希春はナビを操作し始めた。
「うーん陽の光が写り込んでよく見えない……」と言いながら希春は僕の肩に頭を預ける。
白桃のような甘い匂いがしてクラクラする。
「あーもう!
見えにくいよぉ」と希春は言いながら更に頭を倒すと、胸元から紺のおブラがチラり。
ゴクリ
「これでよしっと
♪ラララ~ン」と希春は持ち歌をアカペラで歌い出す。
脳を撫でられるような甘く美しい歌声だ。
こんな贅沢なドライブなんてあるのだろうか!!きっと他のファンに知られたら車裂きの刑に処せられそう……
フィーン
何とか高速に乗った。
「ねぇヒツジくんって、いま彼女いるの?」
「い、いないよ」いたこともないです。
「授賞式でずっと横にいたあの綺麗な人は?」
「え?あの人は田所さんといってカミナリマガジンの担当さんだよ」
「そーなんだ。お似合いだったから心配しちゃった」
ご冗談を……でも澪奈さんとお似合いなんて言われたのこれで何度目だろう……
「ま、ヒツジくんはあたしの彼氏になったんだし妬かない妬かない」
「え?え?」
「はいヒツジくん、口あけて」と言ってキャンディを僕の口に放り込む。
うー彼女がいたらこんな事してもらえるのか!
希春はやたらとウキウキしながら、前方の赤いスポーツカーを指差した。
「ねぇ、ほら、あの前の車追い抜いてみて!」
希春のどんなお願いだって聞いてしまいそうだけど……
「いやいやダメだめ。
もう法定速度になっているし、それにスピード出すと危険度はぐっと上がるんだから。
それに何より君を危険な目に会わせたくないんだ」
そう言うと希春は真面目な顔をして黙ってしまった。
うーん、シラケさせて嫌われたな……けど、まぁいい。
僕はきらびやかな芸能人をエスコートできる人間じゃないんだ。
希春は
「あたしを車に乗せてれば大抵の人は良いところ見せようとしてムキになって飛ばすけどヒツジくんは違うんだね」と言った。
「ははは……ゴメンね。つまらない人間で」
「そんな事ないよ!!
本当にあたしを一人の人間として大切にして貰えてるんだなって……嬉しい!!
ヒツジくん大好き!」
そう言って雫は僕の首に抱きついた。
「わわわ!止めっ!
心臓止まっちゃうから!危いよ!!!!」
何とか事故も無く海にたどり着いた。
ザザー
誰もいない砂浜で水平線を見ていると、なんだか気分が晴れてきた。
「ほーらアタシの言った通りでしょ♪
あとは美味しいものを食べたらネガティブな気持ちなんて消えて無くなるんだから!」
本当に希春の言う通りだ。
それから二人で近くの漁村に行って小さな料理屋に入って遅い昼食をとる。
お店はお婆さん一人でやっていて他にお客はいないようだ。
値段の割には豪勢な魚料理を楽しんだ。
希春は
「あーファンに追いかけ回される事もないし自由満喫ー」と叫んで座敷に寝転んだ。
お婆さんが
「ウチ希春ちゃんのファンなんよ。サインしなっせ」と色紙を差し出す。
僕達は顔を見合わせて大笑いした。
ようやく藤咲希春の本当の才能に気がついた。
彼女は元気を与える天才なんだ。