第9話『再会衝動』
「アホか。膝痛めとるんやろうが。蹴りやって全然力入ってなかったわ。あんなん百発喰らってもぴんぴんしとるわ、ボケ」
乱闘の後、再びベッドにベルトで固定された俺は、なぜか腕組みをしたトシに説教を喰らっていた。屈辱的だ。何度も唾を飛ばして抵抗したが、全て避けられた。そのうち半分はヤブ医者に命中する。病室の床に散乱した寿司をトシはほこりも払わずに食っていた。
「……何しにきたんだよ」
「見舞いや、ボケナス。お前こそ、何しくさっとんや。いきなし飛び掛かってきやがって」
「……さっさと帰れ」
「何や、その態度は。先輩がわざわざ来てやったんやぞ。少しは労ったらどうなんや」
「知るか。勝手に先輩面すんな」
俺はとにかくやつの顔はもう見たくなかった。向こうから来てくれたのは願ったりだったが、戦うにはまだ早い。目潰しは完璧な不意打ちだったが、それでも勝てなかったし、手加減されたことにも気づいていた。こいつは最初の飛び蹴りに反応していた。それをキャッチして脚関節をとらなかったのは、俺の膝の負傷を知っていたからだ。怪我人扱いしやがって。ムカつくが、今は耐えるしかなかった。
「はぁー……まぁ、ええわ。俺は心が広いんで有名やからなぁ、今日のところは大目に見たるわ。坊主、見舞いにメロン持ってきたんや。食わへんか?」
メロンは襲われたときに落としたせいで、砕けて床に飛び散っていた。トシはそれを拾って俺の口の中にむりやり押し込んで来た。思わずむせて吐き出してしまった。
「あー、もったいなぁ。ちゃんと食わな、治るもんも治らんぞ」
やっぱり今すぐ殺してやろうかと思った。
トシの言い張る話によると、俺がこの前の戦いで中国拳法かにボロボロにされたので、金髪から格闘技の手ほどきをしてやっとほしいと頼まれたらしい。恐らく、それは事実ではないだろう。いくら金髪が低能なチンピラでも、自分の肩を外したやつと再会した俺がどういう行動にでるかぐらいは想像がつくはずだ。
性格からして、俺を指導しようというのは恐らくこいつ自身の思いつきで、本人的には百パーセントの善意から来るありがた迷惑というところだろうか。やめろと言ってやめるようなやつではないので、金髪も放置しやがったのだ。こいつの脳ミソには「勝手にしろ」という言葉を「ぜひともお願いします」ぐらいのポジティブな意味に自動変換するという構造的欠陥がある。俺は短いトシとの会話の中でその推測が正しいと確信していた。やつもまた頭のネジが二、三本足りない人種らしい。俺だけじゃなくこんなキチガイも相手しなければならない金髪には少しだけ同情しかけたが、俺のほうにそのキチガイを当てがったので、やはりいつか前歯を全部へし折ってやろうと思った。
「誰がお前に教えなんか乞うかよ」
俺はやつの申し出をきっぱりと断ったが、その言葉は全面的に無視され、それから四週間、やつは毎日見舞いに来ては俺に襲われた。バックチョークで俺を落としてベットに縛りつけて説得するというお決まりのパターンは、数週間後、脱臼した右肩のサポーターが外れた日に変化した。
やつは裸締めで俺を落とすと、そのまま病院外に拉致した。
目が覚めると俺は見覚えのある場所にいた。最初に殴り込みをしたトシの野郎の格闘技ジムだった。
俺が寝かされていたのは、壁際のベンチの上だった。ジムには俺以外に人はいない。時計を見ると、午後十時を過ぎている。半日以上寝ていたようだ。今頃、病院では俺がいなくなって騒ぎが起こっているかもしれない。警察には連絡しただろうか。いや、ヤクザと繋がっている病院だから、きっと血相を抱えるのは金髪だろう。いい気味だ。
安物のベンチの上でずっと寝ていたせいで、身体が固まっていた。いつトシが帰って来ても戦えるように、天井からぶら下がっていたサンドバック相手にウォーミングアップを始める。正拳突きを百本打ってから前蹴りを打つと、一発目でサンドバッグに穴が開いて中の砂が出てきた。俺のつま先蹴りに耐えられなかったようだ。安物を使いやがって。だが身体は十分に温まっていた。
ジムの入り口から誰かが入ってきたのはちょうどそのときだった。
トシではなかったし、金髪やあのハエ野郎や口原でもない。だが見覚えのあるやつだった。俺が前にジムに来たとき、鳩尾一発で沈めたトシのスパーリング相手だ。
そいつは俺を一瞥すると背負っていたリュックを肩から下して、俺のほうへと投げた。パスするような軽い感じに見えたが違った。完全に油断していたせいで、キャッチした瞬間に俺はよろけてしまう。異様な重さのリュックだった。その隙を狙ってやつは間合いをつめていた。
右ストレートが俺の顔面を捉える。
そこそこ骨に響く打撃だった。俺を倒すには全然足りていなかったが。
俺はクソ重たいリュックをやつに投げ返した。もちろんそれは囮で、狙いはリュックを避けたやつの足元への蹴りだった。まずは機動力を潰す。そいつの体格は前やったキックボクサーと近かったし、総合のジムなら現代的な打撃の立ち回りは使えるはずだ。
カンがいいことに、相手は脚を上げて俺のローキックをカットしていた。特に問題はない。膝の負傷が完治していないので威力は八割といったところだが、俺と同じレベルまで蹴られ慣れてないやつならしばらく脚が痺れて踏ん張りが効かないぐらいの威力は出る。俺は間合いをつめて、右の正拳突きでアバラを決めに行く。いつもの一撃必殺だ。
ところが、思わぬ手段で攻撃は阻止された。
間合いに踏み込んだ瞬間、やつの長い右腕が俺の足に触れていた。テイクダウンに警戒して注意が下に向いた瞬間、逆方向から伸びてきたロングフックが再び顔面に打ち込まれる。カウンター気味に決まったので、さすがの俺も一瞬ひるんだ。小賢しいが、初めて体験するフェイントだった。感心すると同時に俺はキレていた。
破れかぶれに放った右は狙いを外れ、その脇下を相手の腕が通る。やつは前進して、俺の身体に組み付いていた。抱き合うような体勢は、ボクシングでいうクリンチの状態だ。いや、相撲の四つ組みと言ったほうが適切か。やつは脚をひっかけて腰を起点に俺を投げていた。
胴に組み付いたままで、押し倒されたような体勢になる。むこうにとって俺はおあつらえむきのクッションというところか。俺はさらにキレたが、衝撃を緩和した分相手のほうが速かった。右腕を取られたと思ったと同時に、やつの片足が俺の首の上を跨いでいた。
腕ひしぎ十字固めだった。俺でも名前を知っている関節技だ。おかげで対応できた。
俺は自分の首にかかったやつの足の指の爪の隙間に、自由な左手の指先を差し込もうとした。ジム内では裸足だったのが幸いした。剥がしきることはできなかったが、喰い込みは十分。痛みに反応したやつは、関節が極まり切る前に俺から離れ距離をとった。今が攻めどきだ。むこうが立ち上がり切る前に、俺は近くにあったダンベルを投げつけ追撃をかけた。やつは身を屈めてそれを避け、同時に前方に倒れ込むような胴タックルを仕掛ける。だがトシのに比べれば足りない動きだ。
俺はなんとなく相手を分析していた。こいつには実戦でも頭を回転させる冷静さと度胸がある。たが、それは恐らく総合格闘技の試合という競技の中で培われたものなのだ。だから、土壇場に来て自然に出てくるのはルールに守られているやつの動きだった。ガチの殺し合いの喧嘩でそれは致命的だ。
ジムの一角にあるトロフィーや賞状の飾ってあるショーケースのガラスに俺たちは突っ込んだ。むこうとしてはダメージ狙いだろうが、俺には無駄だ。そのまま床に倒されたが、やつはまだ組み付いた体勢を維持したままだった。頭を下げて相手の胴体に組み付くということは、人体の急所である頸椎を無防備にさらしているということだ。トシならそんな不用意なことはしない。わざと倒さずコントロールしながらバックを取るか、倒した瞬間に次の技が決まっている。
俺は肘を上げ、やつの頸椎に狙いをつけた。
頭部に蹴りを喰らったのはその直後だった。もちろん、胴体に組み付いたままで蹴りを喰らわすなんて人間の骨格では不可能だ。蹴ったのはトシだった。
蹴りの威力でぶっ飛んだ俺は、胴体に組み付いたままの相手ごと割れたガラスの上を転げまわり、壁に当たって止まった。
「人がうんこしとる間に何やっとんのや、アホかお前ら」
トシは呆れたようにそう言ったが、それはこちらも同じだった。俺が目を覚ましてから、すでに三十分以上が経っている。脅威的なクソの長さだ。もしかして胃腸が弱点なのかもしれない。
「ぶっ殺す」
俺は叫んでから、近くにあった無駄にでかいトロフィーをトシに投げつけた。そのまま立ち上がり一気に間合いをつめようとしたが、もう一人のやつが胴体にしがみついたまま邪魔をしてきたので、逆にトシのドロップキックを顔面に喰らい床にのびることになった。
「トシさん、こいつどうしますか。埋めます?」
「埋めんわアホ。なんで喧嘩なっとるんや。連れてくるって前言うたやろが」
「いや、顔見たら何かムラっときて」
「思春期の中坊か、いらんわそんなボケ」
「恐縮です」
俺を見下ろしながら、やつらはそんなふざけた会話をしていた。
「……てめーら二人とも殺す」
頭に二発もらってまだ起き上がる気にはなれなかったので、俺はそれだけは言っておいた。もう一人のやつが舌打ちして俺の頭をサッカーボールのように蹴るのもガードしなかった。
「やめーや、ユキト。殺るんやったらジム以外で証拠残らんようにやれや、オヤジに迷惑かかるやろ。ええかげんにしいや」
「トシさんが言えたことじゃないですよね、それ」
「俺はこの前ベンツ買ったったからそれでチャラや」
「ああ、あれってトシさんのプレゼントだったんすか。趣味悪いっすよ」
「オヤジの趣味に合わせたんや。大喜びでニタニタ笑いながら乗り回しとるやろが」
俺はトシに肩を担がれ、ベンチに座らされた。ペットボトルのミネラルウォーターを無理やり飲まされたので、気管に入ってむせてしまう。それからトシに顔を叩かれて、質問された。
「坊主、意識はっきりしとるか。今日何月何日や」
「知るか」
「じゃあ頭に何発蹴り喰らったか数えれるか」
「そこのクソのも入れたら三発だ」
ユキトと呼ばれていたやつは俺の言葉にまた舌打ちして「四発にしてやろうか」と言っていた。俺もトシも無視した。
「……つっこみどころ多すぎてどうでもよくなってきた」
「坊主、つっこみは重要やぞ」
「うるせぇよ。てめぇは何がしたいんだよ。勝手にこんなところに連れてきやがって」
「いや、自分投げ対策一つもできてへんから、マットあるとこで教えたろう思てな。病院の床やと怪我するやろ」
「てめーがこんなところに連れて来たせいで、もう怪我してるだろーが。その目は節穴か。死ね」
「ユキトのことは勘弁しとけや。そっちかて前来たとき不意打ちであいつのことのしとったやろ。お互い様やぞ」
「くたばれ、ハゲ」
「やんちゃなやっちゃなぁ。若いうちはそれぐらいでちょうどええんかもしれんけど、まぁテイクダウン・ディフェンスのイロハはうちで覚えてけや。タフなんは分かるけど、毎回投げられっぱなしやったら仕舞には持たんくなるぞ」
「余計なお世話だ」
「トシさん、やっぱこいつぶっ殺しましょうよ」
「やめーや、ユキト。大体お前やって、俺が助けに入らんかったら危なかったやないか。頸椎肘で狙われとったぞ。展開迷ったら何も考えずにタックル行く癖直せっていっつも言っとるやろうが」
「……」
「説教喰らったとたんしょんぼりすなや、ガキかいな」
「てめーらぶっ殺すぞ」
結局、その日はトシが金髪に連絡を入れてそのまま病院に帰ることになった。金髪は俺も含めて今日見た中で一番威勢よくキレていたが、悲しいことに大して迫力がなかった。仕事疲れのサラリーマンみたいな虚しさが後姿には漂っていた。
それからというもの、俺は二日に一回のペースでトシに拉致され、相変わらずユキトに襲われ、怪我のせいもあったがやつは弱点を補正して四、五回目ぐらいからこちらが一方的にボコられるようになったので、一か月で根負けしてやつらのジムでテイクダウン・ディフェンスを学ぶことにした。