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ロックンロール・ファンタジーⅢ

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◇"マネー・フォー・ナッシング" ドラマー:相田誠が語る話◇


凛里は自らの内に秘めた何かーそれは未だにハッキリと解るものでは
ないのだがーを表現・発露する手段を知らず知らずのうちに
模索していたのではないかと思っている。

今のように唄うことを始めるまで、彼女のそれまでの人生は
決して不幸ではなかったにせよ(むしろ家は裕福なぐらいで、一般的な
目で見れば十分幸福に映っていたに違いない)、何か中身の欠けた
果実のような、ある種の空虚さに支配されていたようだ。
思春期の少年・少女なら、誰でも一度はそういった空しさを感じた
ことがあるだろう。
だが、彼女のそれはそこら辺の同年代の若者が抱いているものより
ずっと深刻で大きな問題だった。少なくとも、俺にはそう見受けられた。
これ迄の人生で出会ってきた人たちと比べても。


「曲を自分で書いてみたらどうだ?」ある日、俺はそう提案した。
「今までクラシックしかやってこなかったんだろう?」
「ええ。ピアノは4歳の頃から中学を卒業するぐらいまではずっと習ってきたし、
 ここ半年は独学でギターをやるようになったけど、クラシックしか
 弾いたことがないわ。自分で曲を作るなんて、
 そんなこと考えもしなかったもの」
「なら試してみる価値はあると思うがな。ショパンでもベートーヴェンでも
 埋めることの出来なかったものを満たしてくれるかもしれん」
「………」
「どうだ?」
「…分かった。やってみる」
「よし。別にインストゥルメンタルでも歌ものでもどっちでも構わんから
 もし曲が出来たら聴かせてくれ」
「ええ。完成したら、一番にあなたに聴いてもらうわ」





その翌日、曲を書き上げた凛里が家にやってきた。
どうもかけ足で来たようで、俺の家の玄関先で彼女は
アコースティックギターを入れたケースを床に下ろしながら
肩を大きく上下させていた。
「とりあえず水でも飲むか?」俺がそう声をかけると
「…ええ…一杯…ちょうだい」と、息を切らしながら答えた。


凛里を部屋に招き入れ、コップに入れた水を渡してやると、
彼女はそれをごくごくと一気に飲み干した。
「ありがとう」
「もう曲が出来たのか?」まさか昨日の今日で曲を作ってアポもなしに
いきなりこちらにやって来られるとは思っていなかったので、
俺は面食らっていた。「まぁこうして無事会えたから結果オーライ
だったが、外出している可能性とか考えなかったのか?」
「ええ、全然。一秒でも早くあなたに曲を聴かせたいと思って、
 急いで来たのよ。途中で何回もすっ転びそうになっちゃったわ」
「そこまで急いで来ることはないだろうに」思わず笑ってしまった。
「それじゃあ、早速だが聴かせてもらおうか」
凛里は頷くと、ハードケースからアコギを取り出し直ぐにチューニングを始めた。
弦の調整がひとしきり終わると、彼女はふぅ、と一度大きく息を吐き、
呼吸を整えた。そして、ややあって部屋のやや上空に目をやり、
何かを確認したかのように首を縦に振ると、その曲を弾き始めた。




「何ていう曲だ?」
「『神無き細い道』っていうの」
「神無き細い道」俺はそのタイトルを復唱した。
「それは、どういう意味があるんだ?」
「私にもよく分からないわ。何となく感覚で、ふっと出てきたものだから」
「ふむ…」確かに、聞こえてきた歌詞も抽象的な表現が多く使われていた。
これこれこういう意味がある、とは説明し難いものがあるのだろう。
それはそれとして、正直俺はこの時、彼女が唄い終えたばかりの
歌に完全に打ちのめされていた。
あのメロディー、あの歌声…あれが、目の前にいる16の少女の音楽か…。
凛里により一晩で産み落とされたその曲は、
何人たりとて侵すことの出来ない神秘性を湛えながら、
すでに「普遍」を感じさせる輝きを放ってこちらの胸を焼き付けた。
何という才能をもっているのだろう、この娘は。
俺は心底感銘を受けた。あの衝撃は今でもハッキリと覚えている。



凛里は、驚くほどに一般的な音楽について疎かった。
両親がクラシック愛好家だったのでその類のレコードなら家に溢れるほど
あったし、自身でもずっと演奏してきたとの事だが、
これ迄にいわゆるポップミュージックというものに触れる機会は
殆どなかったのだという。

ビートルズ?ああ、それなら聴いたことがあるわ。『イエスタデイ』とか
『ラブ・ミー・ドゥー』とか唄ってる人たちでしょ?素敵な音楽よね。
ローリング・ストーンズ?ニルヴァーナ?名を耳にしたこともないわね。

なので俺はそれらの音楽を凛里に聴かせた。
おまえが今憧れを抱きつつあるロックンロールという音楽は、
こんなにも素晴らしいものなのだと純粋に知ってもらいたかったから。
ロックを通して俺達の仲は急速に深まっていった。
彼女は瞬く間にそれらの音楽の虜になった。

前述したストーンズやレッド・ツェッペリン、ザ・フー、キンクス
といった古き良き(という言い方は現役のストーンズに対して失礼か)
ブリティッシュ・ロックから始まり、
ヴェルヴェット・アンダーグラウンド、テレヴィジョン、
ソニック・ユースといったNYパンク、それにキング・クリムゾン、
ジミ・ヘンドリックス、ジョイ・ディヴィジョン、ザ・スミス、
セルジュ・ゲンズブール、ピクシーズ、レディオヘッド、
フガジ、カン…といった俺が渡した数々のアルバムを、
彼女はまるでそれまでの分を取り戻すのだと言わんばかりに、
貪るように聴き込んでいった。   
そして、それらの中で特に気に入った曲をよく弾き語りで
聴かせてくれるようになった。

彼女の歌声は世界中の誰とも似ておらず、純粋で、美しかった。
俺は聴くたびにその素晴らしい歌声に強く惹き込まれた。
そして、いつしか彼女とバンドを組みたいと思うようになっていた。

何故だろうか?
俺はそれまで、完全にフリーなミュージシャンとして活動してきた。
それなりに名の知れたアーティストのアルバム制作に参加したこともあるし、
インディー・メジャーを問わず、知り合いのバンドのライブ時に
サポートメンバーとして招かれることもあった。
自分一人食っていく分には十分な収入が得られていたということもあり、
どの仕事もそれなりに充実してはいた。
が、その反面今とはまるで違う世界に身を置いてみたいという欲も
多からず持ち合わせていたからに違いない。
それは、過去に抱いていた夢のかけらだった。
「自分の音楽を表現出来ればいいのに」という想いが、
常に心のどこかにあったのだ。
その舞台こそが、目の前にいる少女のバックに用意されているような
気がしてならなかったのだ。

どれだけ才能に溢れているアーティストでも成功するとは限らない。
この世の中、志半ばで潰えていくバンドなんて星の数ほどあることは知っている。
それでも、彼女の後ろでドラムを叩きたいと切に願ったのだ。

「凛里」
ある日、俺は彼女に声をかけた。
彼女はその時、俺の部屋で寝そべりながらアイスカフェ・ラテを飲み、
カート・コバーンに関するロッキングオンの記事を読んでいた。
俺の声を耳にした凛里がふと顔を上げ、視線が交わったのを確認して言った。
「俺と一緒に、音楽をやる気はないか?」
おそらく、普段見せたことのないような真剣な顔をしていたと思う。
彼女はその言葉を聞くと、こちらの緊張なんてどこ吹く風といった面持ちで、
まるでそれが、さも日ごろ当たり前に使用される日常会話であるかの如く
「ええ、いいわよ。一緒にやりましょう」と答えた。
あまりにも返事があっさりしていたので、少々動揺してしまった。
「おい、本当に良いのか?」
「良いって言ってるじゃない。私は高校一年生で16、まだまだ先の見えない
 未成熟なひとりの人間。対しあなたは32歳、若い頃からずっと音楽を
 生業として生きてきたミュージシャンよね?そんなあなたが、
 本気で私と音楽をやりたいと思ったんでしょう?こんな風に自分を
 捉えたことはないんだけど、今…私は私自身を誇りに思っているわ」

こちらの思いは十分伝わっていた。
彼女の言葉を聞くや否や、すぐさま利き手を差し伸べていた。
「これからよろしく頼むぞ」
「こちらこそ、誠さん」
寝そべったままの凛里と硬く握手を交わす。

こうして俺は、マネー・フォー・ナッシングのドラマーとなった。

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