お題:大富豪って、どれぐらい?
[大富豪の話]
あたしは何の取り柄も無い、唯の学生やった。
偏差値的に比較してみても、“まんなか”程度といえる高校を、やっぱし“まんなか”ぐらいの成績で卒業した。
進路も適当に考えてた。というよりは、何も考えていなかった。
自分の成績と、親の出せるカネとの折り合いで、なんとかなりそうな大学を見繕うのが精一杯。
しかしそれでも、当時のあたしは、充分な努力をしたとは思う。
そして合格発表の当日。緊張からまともに眠れず、欠伸を噛み殺しながら、ネットを立ち上げた。
「あぁもう、とっろくさいなぁ……!」
アクセスが集中しています、そんなこと言われたかて、どないせっちゅーねん。
イライラしながら、繋がるのをひたすらに待った。バカみたいに、1時間ぐらいかけて。
努力は、報われんかったけど。
しばらく呆然としたあたしは、それから目が覚めてしもうた。
自分でもちょっとびっくりするぐらい、カラッポになったキモチで、お気に入りのサイトを巡回して、その一日は終わった。
それからのあたしは、何もしてない。
予備校? 面倒くさいから行ってない。
じゃあバイトは?
―――そんなもんに時間を費やすぐらいなら。まぬけな奴の財布を盗ればいい。
他人の財布はあたしのもん。あたしの財布もあたしのもんだ。
平日の昼間。季節および天候は秋晴れ。風が気持ちいい。
いやぁ、絶好の“読書の秋日和”ってやつかね。
コンビニで“拾った”ジャムパンと牛乳を持って、公園のベンチに座る。
傍らには本屋で“借りてきた”文庫本。ささやかな幸福。
どこかしらで昼ごはんを調達して、公園のベンチで暇を潰す。
これがあたしの最近の日課になっているわけだが、昨日はこの場所で、変なおっさんと出会った。
懐からいきなり、警察手帳でも取り出したのかと思えるぐらいには、面白いオヤジやったな。
頭の血の巡りがよろしゅう無いあたしでも、よお覚えてる。
「僕は、300円あれば、すぐにでも大富豪になれる」
どこからどう見ても、ホームレスのオヤジやったね。
色あせまくった、ボロ布のような服をきて、髪はぼさぼさ、体臭は近寄んなと言いたくなるほど臭かった。
だけど年は若くて、まだぎりぎり20代に見えなくもない。
そう思えたのはたぶん、背丈も顔も標準以上で、ちょっと格好良かったからだろう。
「大富豪って、どれぐらいの大富豪なんや?」
鼻を摘まんで、眉をしかめながら聞いてみた。オッサンは真顔で答える。
「一週間あれば、札束で、すれ違った人々の頬全員を、引っ叩けるかな?」
「そりゃ、気前がえぇなぁ――アホくそうて」
予想外に素敵な返しだと思ったが、あまりにも似あわなすぎて、却って嘲笑しい。
おっさんもつられて少し笑う。くそ、ホームレスの癖に、爽やかさがえらい鼻につく。色んな意味で。
「しゃあない、なけなしの300円貸したる。そやから、今すぐにでも大富豪になってみせぇや」
「じゃあ、ついてきなさい」
「へぇ、何処に、つれていってくれるんや?」
「君、そんなに自分がカワイイと思ってる?」
「……死ねボケ」
ムカツクが、あたしの容姿なんて、十人十色―――あれ、これはそういう意味や無かったっけ。まぁいいか。
あたしは言われたとおり、微妙な距離を取って、その後ろをついてった。
そうして公園の外側にある、何処にでもありそうな、宝クジ売り場に辿り着く。
「スクラッチ、一枚ください」
「はい、300円になります」
あたしの300円は、その瞬間に消失した。
ちょっと待てや。このクソオヤジ。
「おっさん、とりあえず三百発、殴らせろ」
「落ち着きなさい、とりあえず削るから」
垢の溜まった、見るに堪えない爪。紙切れの上に張り付いた銀箔が、ガリガリ削られてく。
「……ったく。それって、その場で当たるやつ?」
「そうだよ。最高額は一万円」
「あっきれた。おっさん。それで大富豪になるつもりなんか?」
「そうだけど? ……はい、一万円ください」
おっさんが、あまりにも当たり前に、無感動に、そう言った。
その時、あたしは、何が起きたんか分からんかったし、売り場のオバサンも同じやったやろ。
「は? え? あ、うそ、大当たり?」
「そう、一万円だけど、大当たり」
「え、えーと、お、おめでとうございます」
「はいどうも」
なんや、この訳のわからん会話。
唖然としとった私に、おっさんが近付いてきた。くさい。
「じゃあ、とりあえず昼ごはんを食べようか。奢るよ」
それは構わん。気兼ねなく昼飯が食べられるのは、こっちとしても大歓迎や。ただ、
「おっさん、先に銭湯いってこい。くさい」
そんな訳で、昼ごはんを食べておっさんと別れてから、あたしはまたここの公園にやってきた。
変わらずベンチに座って、読み損ねていた文庫本に目を通す。
「―――やぁ、まだここにいたのかい」
「まぁ、暇やしなぁ……って、ちょっと待て、あんた、誰やねん!?」
「さっきあったばかりだけど、もしかして相当に頭悪いのかね、君は?」
「頭良くても、分かるかボケっ!」
おっさんは、なんかストライプの入ったスーツを着ていやがった。靴もきちんと皮靴で、不気味にもよく似合ってやがるわ。
正直、にこりと紳士めいた笑いを作り、一歩踏み出してきて、ちょい背筋が寒くなったな。
とはいっても、おっさんは私の隣に座るだけ。漂ってきたのは悪臭やのうて、なんや高級そうな香水の匂いやった。
「……たった一万円で、それだけ買い揃えたわけ?」
「君、自分が頼んだ昼食の料金、覚えてる?」
「一万超えてたのは、なんとなく」
「そのまま、トイレに行くと言ってから、風のように走り去ったのを覚えてる?」
「はて。そんなこと、あったっけ?」
「まったく大変だったよ。君にサイフを盗まれたと言い訳したりしてね」
「ははっ、そりゃ愉快な話やな!」
私は笑いながら、いや、正確には笑った振りをしながら、おっさんのポケットに指を突っ込んだ。
間髪入れず、抜き出す。……なんやこれ、たいそうなブランド物やないか。しかも、えらく重い。
「あげるよ。30万ぐらいしか入ってないけど」
ぞっとする―――というのは、きっとこういうことなんだろうと思った。
「君の300円のおかげで、とりあえず、1000万ぐらいには資産が膨れ上がったからね。明日の今頃には
手持ちが“億”になってるかな」
「……何、言ってんの」
「僕はさ、昔から凄いツイてるんだ。幸運の星は、僕を中心に回っているのかと思えるぐらいに」
あながち、冗談とは思えんかった。
もう誰でもいいから『ドッキリでしたー!』って言え。……それぐらい、意味が分からへん。
「じゃあなんで、無一文のフリしてたんや……本当はどこぞのボンボンなんやろ?」
「そうでもない。そうしないと、この世界のカネというカネは、全て僕の元へと集まってくるからね」
「へーえ?」
ダメや、このおっさん。頭おかしいわ。
「僕は、この星すべての“シアワセ”を食いつくすんだ。全ての富が僕の元へと集まった時、世界はバランスを保てなくなって、やがて崩壊する」
「ほーお。アンタ、頭大丈夫? それ、本気で言うてる?」
「真実だから、仕方ないだろう」
「はいはい、ご愁傷様で………したぁ」
なんか分からんけど、言葉が震えた。
罵詈雑言は大得意やのに、なんか知らんけど、泣けてきた。
誇らしげでも、得意気でも無い、あまつさえ嘘つきでもない―――困ったように笑う、そのおっさんの顔を見て。
「……だから僕は、ある程度のカネを貯めたら、無駄遣いをしてから、引き籠ることにしてるんだ」
「引きこもるて、どこに?」
「今は、この公園にテントを張っている。数日後には、またボロ服を着て、何処かで寝転がっていると思う」
「ふーん……」
あたしは、おっさんの方へと身を寄せた。なんでかは分からん。分からんが、また臭くなってしまうなら、今のうちかと思うたんかもしれへん。
「よしよし。いい子だよ、君は」
「……やめれ」
頭の上に掌が乗る感触がして、顔が火照ったように熱くなる。
「大丈夫。僕のように幸運でも無いけれど、嘆くような不幸の星にも、生まれたわけじゃない」
「……」
なんか悲しくなってくるし、泣けてくるから、やめれ。
あたしは、何のために生きてるか、分からんなるから、やめれ。
ぐすっ。いつもは絶対に立てないような子供の声。やかんで湯を沸かしたように、体が火照って仕方ない。
不覚にも、あたしって、意外にも女の子らしいやんか。……とか、すげぇ馬鹿なことを思ってしもうた。
「……おっさん、アンタ、何者なんよ」
「僕? 僕はねぇ……」
最後の言葉は、耳元で呟かれた。
くすぐったくて、死ぬかと思うた。
そして目を閉じると、世界はゆっくりと、まどろんでいく。
―――この日以来、あたしはおっさんと出会っていない。
ただ、頭の血の巡りがよろしゅう無いあたしでも、おっさんが最後に言った一言は、よく覚えてる。
『福の神って言われたら、君、信じるかい?』
あたしの考える大富豪。それは、ささやかな幸福にも縁の無い、そういう連中を指すのだった。
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※ コメを頂いていたので、ちょびっと手直しして、再度うpしました。