幽霊って、厄介だ
[第一話]
私は今年、親元を離れて、初めての一人暮らしを始めることになりました。
しかしその初日、私は今まで存在を否定してきた『幽霊』なる存在に、唐突に出会ってしまったのでした。
そして何故だか不幸にも、その幽霊に気にいられてしまったらしいのです。
『貴方、気に入ったわ。しばらく私、ここでお世話になるから』
「……はい?」
引っ越し一日目にして、私は見知らぬ幽霊の方と一緒に、同居をすることになってしまいます。
続く。
[第二話]
私の同居人は、非常に横暴で、理不尽です。そして幽霊なのでした。
正直かなり迷惑を被っています、引っ越しも考えましたが、敷金と礼金を払ったばかりでしたし、新たな物件を探すのは一苦労です。
そういうわけで私は、渋々ながらも、幽霊と暮らしています。
『ただいまぁ、カナちゃんっ!』
「……ユカさん、いい加減に玄関から帰ってきてください」
壁からつきでた両腕が、突然私を捉えました。日常茶飯事になりつつあるとはいえ、やはり未だに慣れません。
『んー、困った顔が可愛らしいなぁ。すりすりすり……ハァハァハァ』
「やめてください」
幽霊であるユカさんには、常識がぽっかりと欠落しています。私は根気よく毎日注意をしているのに、毎日のように抱きついてくるのです。
幽霊とは、本当に困った存在です。街中ですれ違った、ノラ犬以下の頭の悪さです。
『カナちゃん、お腹減った。お供え物ちょーだい』
「食費の無駄なので、ダメです」
『ちぇ、ケチンボ』
何ですか、ケチンボって。まったく、聞き捨てなりません。
そもそも家賃と光熱費を払っているのは、私なのですから。
続く。
[第三話]
幽霊のユカさんは、その大昔に、馬と鹿に跳ねられて死んだそうです。
少し話は変わるのですが、日本の昔の芸術である『美人画』というものを、皆さんは見たことがおありでしょうか。それを見ると分かるのですが、今と昔の美人像というのは、随分と異なっているようなのです。
『カーナーちゃーんーっ!』
しかしユカさんは、現代でも飛びきり美しい、麗しの美貌を持つ幽霊です。対する私も、自分の外見にはそれなりの自信があります。
ですが、死んでいるというのに、ユカさんの不思議な躍動感には、私は叶わないと感じるのです。
「…………」
「今日も可愛いね―――うひゃあっ!?」
抱きついて来たユカさんを、私はなんとなく、一本背負いで投げ飛ばしてしまいました。
なんといいますか、死者に負けるというのは、不本意この上ありません。
『ちょっとカナちゃん。 私がユーレイじゃなかったら、死んでるよ?』
「残念ですが、人間はそこまで脆い生命体ではありません」
『そこはボケなきゃ』
「不必要です。それよりいい加減、帰ってくれませんか」
『何よぉ、今の私のおうち、ここだもん』
「もう一回言わないと、分かりませんか?」
私は、両手の人差し指をそれぞれ、上と下に差し向けたのでした。
続く。
[第四話]
相も変わらず、ユカさんは私の家に入り浸っています。未だに一度も玄関を抜けてきたことがありません。
「ユカさん。ちゃんと玄関のカギを開けて入ってきませんか。それか最低限、チャイムぐらい鳴らすべきだと思います」
『わぁ、甘美な感触だわ~』
「何がでしょうか?」
『ん~? 永遠に、あなたに罵られたいって意味で、ハァハァ』
「ユカさんなら、地獄でも楽しくやっていけるのでしょうね」
「そうだなぁ、カナちゃんと一緒なら、行っても……いいよ?」
頬を赤く染められても、そんな気は、私にはさらさらありません。
ユカさんは溜息をつく私を見て、何故だが楽しそうに笑うのでした。
そしてふらふらと踊りながら、家主である私の許可なく冷蔵庫を開きます。
「らっき。ぷっちんプリンみっけ」
「ダメですよ。 それは私の好物です。お風呂上がりに食べるの物です」
『じゃあ半分でいいよ。一緒に食べよー。それからお風呂も一緒に入ろうね?』
「却下です。そもそも入浴を行う幽霊など、聞いたことがありません」
『ふふっ、照れちゃって、カナちゃん、カワイー。今夜は寝かせないゾ☆』
「まったく…………何を言って……い……る……デス……ka」
――記述に無い例外処理が発生しました。
――強制終了後、プログラムコードの一部を変更します。
――バックアップ完了。プログラムコードの自動修整終了。デバッグ終了。
――現在の状態:エラー無し、警告数1。
――感情を表わす引数の値が、正確では無い可能性があります。
――処理時間合計『マイナス2の64乗』。思考ルーチン、再起動開始。
はぁ、まったく。ユカさんと話していると、なんだかとても疲れます。頭痛もしてきます。
『ねぇねぇ、それにしても、カナちゃんの常識では、ユウレイっていうのは、お風呂には入らないのぉ?』
「それ以前に、そういう発想が湧いてきません」
『じゃあ、質問。ユカちゃんにとって、ユウレイって、どういう存在なのかなぁ』
「それは……」
私は、思わず言葉に詰まりました。人間とは何かというような、哲学的な意図を持った疑問でした。まさかそれを幽霊から向けられるとは、世も末かもしれません。
『カナちゃん。ゆうれいって、な~~~~あ~~~~~に~~~ぃ~~?』
がしっ。
いつもより強い力で、私は抱きつかれました。
『私の足、あるでしょう。幽霊なのに』
「……そうですね」
『私、抱きつけているよね。すり抜けることなく』
「……そうですね」
『どうしてだと思う?』
「……考える必要は、ありません」
『どうして?』
「生体活動の終わった肉体は、もはや思考する意識が残りません」
『じゃあ私は何、なんなの? ねぇ、何だと思う、カナちゃん』
「知りません。知りたくもありません。記憶領域の無駄遣いです」
『……あはっ、やっぱりカナちゃんって、面白いなぁ』
「私には、ユカさんの言っていることが、分かりません」
『じゃあ教えてあげる。手を出してみてよ』
私は自分の右手を差し出しました。握手をしようとしましたが、それはするりとすり抜けて、何者をも掴めませんでした。
『分かった? 全ては“私の意のまま”なのよ』
ユカさんの姿が、ゆっくりと見えなくなっていきます。透けていき、霧のようになり、そして完全に見えなくなりました。しかし、私の背に回された腕の感触は、無くなっていません。そして、突然“下向きの方向”へと、私を強く、引っ張り落としてゆきます。
「――ッ!?」
べちゃん! フローリングの床上に膝をついてしまいました。
衝撃と共に訪れた小さな痛み。再度意識が飛びそうになるのを懸命にこらえました。
『カナちゃん、こっち、みて』
再び、私の目の前に、ユカさんの姿が現れます。その首から上だけが、私を上目遣いに見ています。そして床から生えた両腕が、私の首筋を抱きとめて、細くしなやかに、絡み合っています。
『暴れないでね?じゃないと私、もう一階下まで、落ちちゃうから』
「……むしろ帰ってこなくていいのですが」
『まぁまぁ、そんなこと言わないで』
頭が回りません。良く分かりません、何が起きているますですか。
『そのまま上体を、上にゆっくりと持ち上げて』
心の隙間に入り込む、甘い囁きを持ちかける虫の声。正常な意識が紡げなくなった私は、言われるがままに、自分の体を持ち上げました。その際、ユカさんの重みは全く感じられませんでした。
そうすると、まるで、底なし沼から引きずりあげるようにして、ずぶずぶと、ユカさんの下半身が現れてゆきます。
『ね、全ては私の意のままでしょう? 見られることも、触れあうことも、すり抜けることも、落ちてゆくことも、重さを感じさせなくすることも』
ついにその膝下辺りまでが見えた時、ユカさんは、よいしょと足を回します。そして何事も無かったかのようにして、私の家の一室で、当たり前のように立っているのでした。
私の視線と、ユカさんの視線が、混じり合いました。
どこまでも近づき、混じり合い、触れ合い、そして。
『ねぇ、カナちゃん。大好きだよ。だから、ずうぅっと一緒にいようね?』
「…………仕方がありませんね」
私とユカさんは、そっと心を重ね合ったのだった。
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『実験報告書』
今回の実験内容
人工アンドロイドの自主性を育成、およびその観察
電脳世界に、ヴァーチャルリアリティを作成。
合計10体のアンドロイドを、それぞれに隔離した。
個体番号『K-7』について
最も著しい成長を見せた個体である
詳しい理由は不明。モニタリングの最中に発生していた、
プログラムエラーと、その自動修正が原因と思われる
しかしソースコードは、全アンドロイド共通であり、
エラーが発生した原因、および条件は未確定。
以上で、報告を終える。
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