フェラトレード
フェラチオを強要する。いや、そうではない。それは単に日常的な決まりごとを行うだけである。しかしそれは――眼下にある男根を咥えた頭――なんとも侮辱的だろう。
それはちょうどフェアトレード商品を買うような、およそ無意識的ではあるがそこには確実に優越感を伴うものである。人々はその商品の質がどれだけ優れていないものかを語るように、ある一定の基準に向けて物事を上昇させ、時には下降させ――まだ風呂に入っていないそれを咥えさせるのはなんとも快楽である――自分達がどれだけ優れているかを語ろうとするのである。
私にとって最も幸福なのはフェラチオが日常性を帯びていることなのか、それともフェアトレードが市民権を獲得していないことなのかよくわからない。そして根本的な転換とはそういったところに潜んでいる。私は彼女が――じゅぼじゅぼと音をたてている――アフリカでコーヒー豆を栽培している少年達に奉仕するのを想像する。恥垢を溜めた浅黒い、しかしまだほんのりとピンク色のそれをしゃぶる。何千何万何億と――かすかにカリ首に歯が当たる――奉仕を続ける彼女は何かを感じ取るのだろうか、そこには何らかの快楽はあるのだろうか、単に義務的なものではないのだろうか。
そう思ったところで彼女の頭を手で引き寄せて奥まで咥えさせる――その果てしない欲望の終わりには何があるのだろう――そして私は果てた――彼女はそれでもまだ前後運動を続けようとする――私の気持ちなど理解できるわけがないのだ――そして私が彼女に与えられるものがあるとしたらこの精液だけなのではないだろうか。
おそらくこういった関係に異を唱える人は多いだろう――私だってそう考えていたこともある――何もしないままで一晩中隣に寝たこともあった――けれどその隆起したペニスが二人の身体を分かつのだ――私はそういった人に尋ねてみたい――その次の日の朝に絞ったグレープフルーツの果肉のように凝固した精液が時々詰まりながら尿と一緒に這い出てきたのを見たことがあるのか――と。