三話 闇より深し狂気 四章
4.因縁、接触
蒼夜は電車の中で外の景色を見ながら、過去を思い出していた。いや、実際は思い出さないように他の事を考えようとした。しかし、振り払おうとすればするほど、焼きついた記憶が目の前に現れた。
目の前にいるのは父、母、そして妹の三人だ。三人はこれからの旅行について笑顔で話し合っている。
妹が絵のコンテストで金賞を取った記念にと、決まった海外旅行。せっかくなら絵の勉強にフランスに行けばよかったのに、妹は頑なにアメリカに行くと言った。
理由は何だったか・・・。『世界中を見て回りたいから、まずはアメリカに行きたい』と、そんなことを言っていた、ような気がする。その時は何か考えながら話していたから、次の旅行のことを計画しているのかと思ったが、今思えば、ただ、本場の某ネズミのいる夢の国に遊びに行きたかっただけかもしれない。
そこから、視界が変わった。・・・ああ、トイレに行ったんだ。特に行きたい所もなかったから計画の話なんか出来ない。第一、英語が話せない者にとって海外旅行というものは不安でしかない。
そして、ここから・・・
トイレを出ると聞こえるはずの話し声が聞こえない。
だが、今まで聞こえなかった機体の揺れる音が聞こえる。そして何か引きずるような音―――。
嫌な予感がする。結果は予想できない。したくもないし、そんなはずは無い。
あえてドアに付いている窓から中を覗かなかった。それは恐怖もあった。それと同時に不安を取り除こうとする姿勢でもあった。
ドアに手をかけようとして、一瞬戸惑った。いつの間にか手の平から滴るほど汗が出ていた。それに気づいて途端に体が熱くなった。
あるはずが無い。そんなはずが。・・・馬鹿だ。自分は大馬鹿野郎だ。
――――早く・・・、このドアを開けろ――――
引きずる音が近づいてきた。
意を決してドアを―――――開けた。
ほら、やっぱり。
大丈夫だったじゃないか。
三人は俺がトイレに行ったときのまま、笑っているじゃないか。
・・・深い赤に染めて―――
「ああああああああああああああ!!!」
叫びながらそこにしゃがみこんだ。認めたくない現実と迫り来る恐怖に耐え切れずに。
ゾワ!?・・・バチャッ
何かが落ちる音がする。気配がこちらを見ている、そんな気がする。
ザク・・・ザク・・・ザク・・・
近づく。今まで感じたことが無い感情。それが今自分に向けられている。
――――純粋な殺意。
見なければ楽に死ぬことが出来るだろう。すぐに三人と会うことが出来る、でも・・・・・
「グルルルル・・・」
その身を真っ赤に染めて、大人二人分より大きな巨体。あらゆる場所から鋭利な棘が飛び出し、鋭い眼光が真っ直ぐ自分を貫く。
・・・普通じゃない。怖い。足がすくみだしそうだ。
「ククク・・・まさか生き残りがいたとは。・・・まだ手を出すな。」
急に男の声が聞こえたかと思うと、軍隊の制服のような格好をした男が立っていた。
男は、周りを見渡した後、ニヤリと口元に笑みを浮かべて俺を見た。
・・・・コイツが。急に怒りが湧いてきた。
確証は無い。・・・だが、こいつのせいでみんな死んだ。
「いい。実に良い目だ。殺意に満ちているその目、良い。・・・欲しいなぁ、君の体が。」
男は静かに笑う。そして片目を手で覆った。
人を殺しといてなぜコイツは笑っていられる?なんとも思わないのか?なんでこんな奴に俺の家族は殺されなきゃいけなかった!?
体が震える。だが、恐怖で震えているのじゃない。
体が急激に熱くなるのと同時に頭の中で火花が散った。
「さて、準備は整った。そんなに怯えなくてもいい。・・・すぐに理性は失くなるから。」
男は笑いながら近づき、目から手を離した。どす黒い眼球が現れた。
心臓が横に揺さぶられるような感覚が体を走った。何かが体に染み込んでいく。
吐き出したくなるような嫌悪感。
それでも、男の顔の前に手を突き出した。
すると何も無い空間から火花が散り、火となり火柱を上げ、男の目を焼いた。
「グゥオ!!?」
男は目を押さえながら、後ろに跳んだ。そして勢いよく逆側のドアにぶつかった。窓ガラスが割れて男に降り注いだ。
男は自ら跳んだんじゃない。目の前の怪物に投げ飛ばされたのだ。
「ぐうぅぅっ!!このガキ・・・お前も能力を持っていたとは!!・・・くっ。殺れ!」
頭から血を流しながら、男は怪物に命令する。怪物は口から荒々しい息を噴出しながら、目をぎらつかせた。
能力。この火を出す力のことか―――
もし、今の言葉がそういう意味なら、あの男を生かしては置けない。絶対に。
その前に、目の前の怪物を倒さないと男のもとにはたどりつけない。しかし、・・・・
俺の体にはもう力が残っていない・・・
怪物は手を振り上げ、横にある座席を削りながら横に振り払った。
後ろに逃げ道は無い。とっさに横に跳んだ。しかし間に合わなかった腹を棘がえぐる。その棘がささった状態で腕を振り切られ、俺は斜めに飛ばされ、壁に打ち付けられた。
背中と腹に激痛が伴う。
「ぐはぁッ!」
思わず嗚咽が口から出る。
痛い。体が動かない。手に痺れが出始めた。
怪物は、獲物を追い詰めたときの蛇のようにジワリ、ジワリとにじみよってくる。
朦朧とする意識。気を抜いたら一瞬で飛んでいってしまうだろう。それでも、この意識を途切れさせるわけには行かなかった。
『世界中を見て回りたいから』
叶わなかった。小さな思い。それが消えそうな意識を支えた。
目の前の通路に何か置いてあるのに気が付いた。その正体に気が付くと不自由な体を一生懸命に動かそうとした。
―――まだ希望が残っている!
怪物は射程距離に入るや否や、すぐに鋭い爪を突き出した。
「俺は・・・まだ、死ぬわけにはいかねーんだよ。」
俺は体中から火花を飛ばした。その火は体の下にある、アルコールが入っているサーバーに飛んだ。
でかい破裂音と共に辺りを光が覆った。爆風で体が席に押し付けられる。
光は一瞬で消え、すぐに周りを見えるようになった。
「・・・・やったか?」
怪物の姿は無い。ふらつく足で立ち上がるとすぐに怪物の姿は見つかった。逆方向に一つの通路をまたいで飛ばされていた。腕や足が吹き飛んでいてピクリとも動いてなかった。
怪物はやったらしい。・・・そこで安堵に浸ろうとしたときに思い出した。
「そうだ、アイツは!?」
男がいた場所をみるとそこには血の跡しか残っていなかった。
その血の跡は横のドアまで続いて途切れていた。
「逃げられたか・・・クソッ!!」
おもむろに壁を殴りつけた。そのとき機体が急激傾いた。
ちょっとした浮遊感を感じ、機体が墜落していくことが分かった。
「結局、ここまでかよ・・・・」
力を抜いて、慣性に身を任せて倒れた。
まだやりきれない思いはあったが、もう立ち上がる気力も無かった。そして意識はそこで途切れた。
アナウンスが駅に到着したことを伝えた。
どうやら、いつの間にか眠っていたらしい。ずり下がったサングラスをもとの位置に戻した。立ち上がってジャケットのしわを伸ばして、ドアに向かう。
そう、あの日から。今日まで捜し、憎み続けていたあの男。
・・・・・決着をつけるために。
熱いものが心を揺り動かした。それに乗せて蒼夜は駅を歩き始めた。
もし、今の言葉がそういう意味なら、あの男を生かしては置けない。絶対に。
その前に、目の前の怪物を倒さないと男のもとにはたどりつけない。しかし、・・・・
俺の体にはもう力が残っていない・・・
怪物は手を振り上げ、横にある座席を削りながら横に振り払った。
後ろに逃げ道は無い。とっさに横に跳んだ。しかし間に合わなかった腹を棘がえぐる。その棘がささった状態で腕を振り切られ、俺は斜めに飛ばされ、壁に打ち付けられた。
背中と腹に激痛が伴う。
「ぐはぁッ!」
思わず嗚咽が口から出る。
痛い。体が動かない。手に痺れが出始めた。
怪物は、獲物を追い詰めたときの蛇のようにジワリ、ジワリとにじみよってくる。
朦朧とする意識。気を抜いたら一瞬で飛んでいってしまうだろう。それでも、この意識を途切れさせるわけには行かなかった。
『世界中を見て回りたいから』
叶わなかった。小さな思い。それが消えそうな意識を支えた。
目の前の通路に何か置いてあるのに気が付いた。その正体に気が付くと不自由な体を一生懸命に動かそうとした。
―――まだ希望が残っている!
怪物は射程距離に入るや否や、すぐに鋭い爪を突き出した。
「俺は・・・まだ、死ぬわけにはいかねーんだよ。」
俺は体中から火花を飛ばした。その火は体の下にある、アルコールが入っているサーバーに飛んだ。
でかい破裂音と共に辺りを光が覆った。爆風で体が席に押し付けられる。
光は一瞬で消え、すぐに周りを見えるようになった。
「・・・・やったか?」
怪物の姿は無い。ふらつく足で立ち上がるとすぐに怪物の姿は見つかった。逆方向に一つの通路をまたいで飛ばされていた。腕や足が吹き飛んでいてピクリとも動いてなかった。
怪物はやったらしい。・・・そこで安堵に浸ろうとしたときに思い出した。
「そうだ、アイツは!?」
男がいた場所をみるとそこには血の跡しか残っていなかった。
その血の跡は横のドアまで続いて途切れていた。
「逃げられたか・・・クソッ!!」
おもむろに壁を殴りつけた。そのとき機体が急激傾いた。
ちょっとした浮遊感を感じ、機体が墜落していくことが分かった。
「結局、ここまでかよ・・・・」
力を抜いて、慣性に身を任せて倒れた。
まだやりきれない思いはあったが、もう立ち上がる気力も無かった。そして意識はそこで途切れた。
アナウンスが駅に到着したことを伝えた。
どうやら、いつの間にか眠っていたらしい。ずり下がったサングラスをもとの位置に戻した。立ち上がってジャケットのしわを伸ばして、ドアに向かう。
そう、あの日から。今日まで捜し、憎み続けていたあの男。
・・・・・決着をつけるために。
熱いものが心を揺り動かした。それに乗せて蒼夜は駅を歩き始めた。
「それにしても・・・一言言っておいたほうがよかったかぁ?」
日が暮れて、暗くなり始めた空を見ながら、蒼夜は呟いた。
「俺が突然居なくなったからって、別にサツに届け出るとは思わねーが・・・」
金もほとんど置いてきたから、食費には困らない。大量に買い置き(カップラーメン)だってしてある。でも何か不安になる要素が残っている気がする。
不安なこと。例えば・・・
「俺が死んだら、アイツラはどうなる?」
行く宛ても、帰る宛ても無い。もしかしたら三重が引き取ってくれるかもしれない。そうじゃなくとも、政府がどうにかしてくれるかもしれない。
昔、絶から聞いた持論を思い出した。
『何か、”行動”を起こすときには”責任”が伴う。”責任”は行動者の”かせ”になり、動きを制限する。』
俺の行動といえば、アイツラを引き取ったこと。
責任とは、アイツラを守り続けること。
かせとは・・・・
蒼夜はタバコを口に咥えたまま、火力を上げて燃やし尽くした。それで、思考も一緒に燃やした。
「くだらねーな。・・・ヤツを見つけてすぐ帰りゃあ大丈夫だろ。」
いつの間にか暗くなった夜道を歩き出す。その道は少し外れればすぐに迷いそうな、うっそうとした森に挟まれていた。
時折、カラスが不気味に鳴いて森を飛び回った。それは警告だったのか、それとも・・・。
ザザッ
突然右の茂みから草を掻き分ける音がした。蒼夜は冷静にゆっくりと右に体を向けながら、ポケットからタバコを取り出した。そしてそのまま、口に運ぶ。火は運ぶ途中で指先で点火された。
少し間を置く。茂みからは音が聞こえてこない。
まだ、間を置く。もしかしたら茂みの中で何かが息を潜めているのかもしれない。それともカラスが騒いだだけか。
フウっと一息吐き出す。風が一筋流れただけだった。
ザワワワワワワッ!!!
今まで静かだった森がいきなりざわめいた。その音に、―――殺気に背筋に嫌な汗が伝った。
振り返ると、三メートルも無い距離にソイツは立っていた。見覚えがある姿。記憶と違うことを上げるとすれば、前より一際大きいのと、口から溢れる唾液のような液体の量が多い。
「グウウゥウゥルルル・・・・」
ソイツは、猫がのどを鳴らすように唸った。次第にジリジリと近づいてくる。
「あいつはどこにいる?」
蒼夜はソイツに聞いた。まともな反応を期待してはいない。しかし、飛行機内の怪物は確かに、あの男の命令を聞いていた。もしかするとまだ話せるほどの知性は残っているかもしれない。その疑問のための問いだった。
しかし、ソイツは何の反応も示さないまま、牙をむくだけだった。
「はなから期待はしてなかった。・・・・燃やしてやる。」
蒼夜は懐に手を入れると絹袋を取り出して、怪物に投げた。怪物は投げられた袋をさっきまでのノロノロとした動きに反して、素早く袋を鋭利な爪で引き裂いた。
「ググゥル?」
ズタズタになった袋から、細かい粒が空中に散らばった。
蒼夜は手に持ったタバコを急激に燃やしてその中に放り込んだ。怪物は袋から出てきた粉に集中していて投げ込まれたタバコを見ていなかった。
タバコの火が粉の範囲に入った。その瞬間点火された粉が上に火柱を上げ、そのすぐ後には粉から粉へ、広範囲に爆発を起こした。
もちろん、側にいた怪物もその爆発に巻き込まれた。
体が赤く染まった。
「その粉はデンプンで、粉塵爆破ってんだが・・・分かるわけねえか。」
蒼夜は独り言を呟いたがすぐに気を引き締めた。
火から転がり出てきた怪物の姿があったからだ。怪物は体の至る所に火傷を負い、肌は黒焦げ、肉が飛びその傷跡が高熱の火によって、蝋が溶けたあとのようになって、骨が見えている場所もあった。
だが、怪物の目には、目の前の獲物が敵だと認識した、純粋な悪意のこもった闇があった。
「話す余裕もねぇな。」
蒼夜は革ジャンのポケットから透明な液体の入ったビンを取り出した。
「ギシシャァァァァ!!」
怪物もしなやかに体を捻り蒼夜に飛び掛った。
一方、絶たちは蒼夜を追って、蒼夜の赤いポルシェを三重が運転して事件のあった村へと向かっていた。
乗る際、三重が
『私、こっちの方は苦手なんだけど』
と、言っていたから、『バイク以外を運転すること』か『外国車を運転すること』のどちらかが苦手なのかと一人考えていたが、乗って3分もしないうちにポルシェは制限速度を軽く蹴散らしていた。
後ろ方で藤木と月宮が乗っているパトカーのサイレンが鳴っているのが分かるが、どこからどう見ても交通違反を取り締まっている警察である。
ところで―――『G』がすさまじい・・・
「えす・えー・びー・えふって何をしてるんですか?」
車の間を縫うように追い越すのも加えて、さながらジェットコースターに乗っているような気分だがムゥは楽しそうに三重に話しかけていた。
対する三重もとてつもないハンドル捌きを片手で行いながら、空いた手でコーヒーを飲みつつ
答えた。
「そうねぇ・・・・確かSAT(警視庁特殊部隊)のさらに特殊っていうか、変な位置にあるんだけど、仕事はやっぱり・・・能力による犯罪の防止と事後処理かしら。」
三重は淡々と言っているがムゥの頭には『?』が浮いているのが後ろからでも分かった。
「あの、もう少し優しく・・・。」
少しの間考えていたが、ついにムゥは根を上げた。
「えーと、例えば・・・私たちが初めて会った、夏のあの事件。覚えてるわよね?あの事件の犯人、『霧宮 直実』は被害者の殺害状況などから、異常と上が判断してこっちに回ってきたんだけど・・・そんな風に回ってきた依頼を調査して、能力を持っているようなら干渉して、敵意が無いか調べるの。」
相変わらずムゥにとって難しそうな漢字が並べられたが、ムゥは分かった風に頷いているので何も言うまい。
三重も乗って?きたのかすらすらと喋る。 ――――前も見ずに。
「それで敵意が無さそうだったら、様子見。ま、判断は何日か、かかるけどね。それで能力が優秀そうなら、うちの部隊にスカウトするの。」
スカウト・・・?
それが何かを考える前にムゥが質問する。
「えっと・・・スカウトって、えす・えー・びー・えふ、のですよね。」
「うん。そうよ。」
「軍の部隊にゃのにそんにゃに簡単に入れるんですか?」
つまり、ムゥの言いたいのは、『一般人でもいきなり入れるのか』と聞いているのだ。
「そうよ。」
何か補足を加えるかと思った矢先、三重は三文字で合意した。
「て、言ってもまだスカウトしたこと無いんだよねー!」
・・・・・・・・
「「ええー!?」」
絶とムゥの声が重なった。
二人をよそに三重は一人ため息をついて、いつもとは違う雰囲気で独り言を呟くように話し出した。
「なんかさ、能力を持っている人って大抵どっか壊れてるんだ。・・・心が。ツギハギだらけで――――隙間がある。だから、能力を持っちゃう、弱みに付け込まれるように。」
心の隙間・・・。その言葉が絶の胸に静かに沈んでいった。
あのときの俺は。 心が すきまだらけ
だから、 そこを つかれた? あいつに・・・
自問自答を始めた絶をよそに三重もまた続けた。
「能力が発現したときって、・・・なんていうんだろう?その人が強い思いを持っているとき、なんだ。そう、例えば、怒っていたり、悲しかったり。心が不安定だと、いつもは抑えきれるような思いの波も、心を大きく揺さぶる。だから抑えきれない思いが具現化して、能力として表れた。・・・そう、考えると私達は精神力がまわりの人よりもろい。とても。」
三重の能力の精神論は何の根拠も証拠もない。机上の空論だ。・・・だが筋が通っている。だから苦しい。
あの時 公園で 俺は あいつ 会った 俺は とても もろい だった
気持ち 黒い ここち いい
全てを それに 任せて 眠り 起きて
俺は おれは オレは 俺が おれの オレに 俺も おれで オレだ
絶は無意識のうちに自分の顔を覆っていた。右手は両目を塞いだ。左手は胸をつかんだ。
黒い衝撃。乱れる呼吸。黒い衝動。
頭の中で景色が回る。焼け付いて離れない、黒い記憶。
心が壊れていく。自分が自分じゃなくなる。錯覚じゃない。黒に覆われ、黒しか見えない。
怖い・・・独りになるのが。
肩肘張って生きてきて、まるで何もいらないかのように、周りを受け入れない。
自分には出来ないと、何もせず、ただ押し返す。
やりたいことなんてない、そう思い込み、興味を示さない。
今までやってきたことは、全て自分を認める。
面倒なだけじゃなかった。その根本はただ・・・・・ただ、怖かっただけだ。
人の輪に入っていくのが怖かった。
責任を負うのが怖かった。
自分の壁を見るのが怖かった。
それで大丈夫だと思っていた。それで生きていけると思っていた。それなら続けられると思った。
でも・・・それを『否定』されてしまったら、それを続ける気力がなくなってしまったら。
自分は――――――誰だ?
絶は黒に染まる前に頬に何か暖かいものが伝うのを感じた。それが両目から手の間を抜けて一筋の跡を残して流れていく。
何故泣いているんだ。もう終わる。苦しみも何も無い場所に行き着く。この黒い何かに飲み込まれて。なのに俺は何故泣いている?
そして、気がついた。体が・・・暖かい。体を包み込む小さな体。力強い暖かさ。
「ムゥ・・・」
かすれた声で名を呼ぶ。ムゥは何も言わず、さらに抱きしめた。
「苦しかったら・・・押し付けちゃえばいいんだよ。重要なことも、些細なことでも。人間は誰だって自己中心的で、だから人間なんだ。一人で生きてはいけるけど、独りでは生きていけない。悩みは分かち合う。喜びは伝え合う。あふれ出しそうなら、救ってもらう。人とつながって、そのつながりを強くする。それで私達は互いに強くなる。それで君は次に進むことが出来る。」
三重の言葉が車内に透き通った。それで、涙は戸惑いの無いものになった。
絶はムゥに体を預けて、過去を語り始めた。そこに黒いものは残っていなかった。