13『お嬢様と使用人』 作:no name
「失礼いたします」
丁寧な口調を発し、そして僕はゆっくりとドアのノブを回して部屋へと入る。
「あら、今日も来てくれたのね……」
広々とした部屋の真ん中にどっしりと構えるそれから、小さな頭は飛びだした。
「お客様のお世話が私の仕事ですから」
彼女はにっこりと笑みを浮かべてから布団を押しのけて起き上がると、ゆっくりとベッドの縁に足をぶらんと下ろすかたちで座った。本当にちょこんと、その煌びやかな装飾品の一つとして存在するかのように彼女は綺麗だった。
だが、その病的なまでの白さは異常だ。異常なのだ。僕は多少心を痛めながら、用意してきた道具と一冊の書物を乗せたワゴンと共に彼女へと歩み寄る。
「お薬の時間ですよ……」
注射が、ゆっくりと彼女の病的なまでに白い肌に付き立てられた。ゆっくりと内容された液体が押し出されて彼女の体内へと流しこまれていく。このときだけ、彼女はとても辛そうな顔をするのだ。
「やっぱり注射は痛いなぁ……」
「我慢してください」
「うん。頑張って早くお父様とお母様に元気な姿を見せるんだもの」
そうですね、はやくよくなりましょう。と僕は形式上の笑いと共に彼女に向けて言葉を放つ。彼女の表情から察するに、僕の言葉に「なかみ」が無い事に勘付いているだろう。だが、それでも笑みを濁してはならないのだ。彼女は生き延びなければならない。だからこそ僕はここで使用人として彼女に仕え続けている。彼女が死んだら僕に仕事はなくなってしまうのだ。
「お嬢様は、病が治ったら最初に何がしたいとお考えですか?」
彼女は病的なまでに白い指を唇にあてて視線を上方へと向ける。彼女は何かを思考するとき必ずこうするのだ。僕はその女性らしさを感じる仕草を見て、胸が安らぎを得るのを感じる。毎回のように見ている仕草だ。その後に彼女が応える言葉も僕は知っている。
「あなたと一緒に外を見てみたい」
「……そうですね。私もお嬢様と外の景色を見てみたいと思います」
彼女は僕のそんな返答を聞いて嬉しそうに頬を赤らめる。
じりりり。と、そんな他愛のない会話を破り捨てるかのような音が響く。
「時間です。お嬢様、ゆっくりとお休みください」
「もう時間なのね」
「申し訳ございません」
あなたが謝ることではないのですよ。と彼女は呟き、そして寝台へと横になる。僕はその華奢な彼女に布団をそっと被せてから、静かに踵を返し扉へと歩み寄るとドアノブに手をかける。
「ねぇ、使用人さん?」
ふと、彼女が小さな声で僕を呼ぶ。
「なんでしょうか?」
「寂しくて死にそうです……」
潤んだ声だ。彼女は今間違いなく涙を流している。僕は目を数秒閉じて、自らの心に「決心」という言葉を掲げ、そして目を強く開いた。いつも通りの景色が広がっている。
「私は、毎日、あなたを見ていますよ……」
彼女の嗚咽に対し、胸を強く圧迫されるような感覚を覚える。たった一人で閉じこもり続ける彼女を見続ける事ができるのは僕だけなのだと、自らに言い聞かせ、そしてその病的なまでに綺麗な髪をゆっくりと二度、三度撫でつける。
「私、死にたくないよう……」
「大丈夫です。死なせませんよ……」
僕はベッドに静かに腰を掛け、彼女が泣き疲れて眠りに着くまで、言葉を一言も発さずにひたすら彼女を撫で続ける。
「僕はあなたのお世話をする使用人なんです……。あなたがいなくなったら、僕の仕事はなくなってしまいますから……」
「う、うう……」
嗚咽は、数分間ずっと、ずっと二人ぼっちの部屋に響いていた。
「……お嬢様?」
僕は静かに瞼を閉じた彼女に声をかける。返答はない。が呼吸はしている。眠っているだけだ。
「良い夢を……お嬢様……」
なるたけ振動を起こさないように慎重に腰かけたベッドから起き上がり、今度こそドアノブを捻り、廊下へと出る。
異臭、異臭、異臭。
そこら中に散乱する腐乱死体をゆっくりと一つ一つ一瞥していきながら、僕はワゴンと共に廊下の突き当たりの部屋へと歩いていく。パキリ、どしゃりと足もとの肉や骨の砕ける音が響くが、僕はそれを一切無視して突き当りの部屋のドアのノブをぎゅうと回し、押し込んだ。
ぎいい、と錆びた鉄が擦れる音と共に、電灯の一切存在しない部屋が外部からの光で照らされた。
「ごきげんよう。父上様、母上様」
骸骨のようにやつれ、髪がすっかり抜け落ちた男と女が、鎖に繋がれている。男は虚ろな目を僕へと向けている。腕に刺してある栄養剤はまだ量が残っているようだ。
「……あ……あ……」
「喋ることができないのですね。最早そこまでウイルスが侵食しているとは思いもしませんでした」
僕はゆっくりと男と女の前でワゴンを止め、注射器を二つ取り出すと、二人の腕に刺し、そしてピストンを思い切り引いてゆく。真紅の液体が注射器内に充満していくのが良く分かる。
「……ありがとうございます。これで彼女は一か月近くは生命を保てますよ」
男と女の絶望に満ちた目をそれぞれ見てから、僕はワゴンに二つの注射器を置く。多少毀れてしまったが心配はないだろう。
「これで一時的なワクチンがまた作れますよ。では」
僕は二人に背を向け、そして扉を閉めてからゆっくりとワゴンを押す。
ハラリ、とワゴンに乗っている
――○月×日
船は未確認のウイルスによる感染で客室乗務員は三人を残し全滅。船は静かに海上を揺らめいている。男と女に言われたとおり「彼女」のみを守ることにする。それが使用人としての使命である。
――○月×日
現存する資料を元にワクチンの精製に成功。そのワクチンを作る為に、男性と女性の二人が必要不可欠であったため、生き残っていた二人に治療を施し、ワクチンの苗床として採用。
――○月×日
彼女の感染が一時的にストップするも、肌の色が抜け、視界がぶれてものが見にくくなっていることが発覚。ワクチンの投与を続ける事で症状を抑えてはいるが、いつワクチンの効果がなくなるかは不明。
死体の上を歩き続け、また今日もワクチンを作ることに精を出すとしよう。
そう思った刹那、ギシリと、僕の身体が軋む。
ワゴンが押せない。腕が固まる。足も動かない。視界に暗幕が下ろされ、赤い文字が点滅している。
――バッテリーが尽きました。
終わり