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デブシマ3話『勝負の行く末』

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 初戦こそシマが制したものの、両者の勝ち分はほぼ拮抗していた。
 シマは常に厚く張った。これでもかとばかりにチップの山を惜しげもなく動かすたびに歓声が上がる。
 けれど時折思い出したように張りを下げることがあり、二度ほどディーラーのブラックジャックを回避していたが、そんな時に限って勝ってしまうことも多くデブチィとの差をなかなか開けられない。
 対するデブチィは小難しい顔をしながら頻繁に張りの額を上下させていた。そしてほとんどの勝負で彼の意図は効を奏していたのだった。
 獰猛な狼じみたシマの攻めと、達磨のごときデブチィの見事な受け流しが彼らの実力の高さを歌っている。
(もう少し……)
 デブチィは額に浮いた汗をむっちりした腕で拭った。冷房が利いていようがいまいが、勝負の最中は汗の流れが激しくなる。
(ここさえ耐えれば、来る頃だ……)
 ゲームが始まって約30分が経過した頃、そのテーブルの上はチップの樹海と化しており、監視カメラでその光景を見ていたチーフリーダーが貧血を起こして倒れていたのだが勝負の最中の二人が知る由もない。
「ピザ、わたしも食べたいな」
 シマが人差し指を唇に当てながらデブチィが今まさに喰らい付こうとしたピザを物欲しげに見ていた。
 するとデブチィが噛み付きかねない勢いでシマを睨んだので、彼女はしぶしぶスタッフに頼んで一枚持ってきてもらった。
 積み上げられたチップ山脈を崩壊させないようにそおっと手渡される。
「こんな夜中に食ったら太るぜ」
「オジサンに言われたくないなぁ」
 シマはむっとした顔であてつけのようにピザを貪り始めた。
 その夜を決めた回は、ちょうどシマがピザを食べ終え、懲りずに酒をなめていた頃に起こった。
 ディーラーのフェイスカードはスペードのJ。
 シマはスペードのAとダイヤの4。デブチィはクラブのQとKだった。
 ディーラーのフェイスカードがJであるため、Aを引かれたらブラックジャックが成立してしまう。
 こういう場合、インシュランスといって保険をかけることもできるがほとんど得がないので誰もやらない。
 そしてシマはむんずとチップを掴むと景気よく声を張り上げた。
「ダブルダウン!」
 ダブルダウンとは、あと一度しかカードを引けないが、賭け金を倍にできるルールのことだ。
 四角く区切られたグリーンのスペースに、シマの最も価値の高いチップが置かれる。ちらっとデブチィの視線がそれを追った。
「6を引くのかい」
「へへ……」
 シマに送られたカードは5。
 後ろで見ていたギャラリーの息が潜まった。
「強いね」
 デブチィの賛嘆に対してシマはなにも答えずに顎をしゃくった。早くしろということだ。
 ディーラーのブラックジャックを懸念しているのか、シマの表情は険しく今にも舌打ちしそうな気配だ。苛立たしげに髪をかきあげる。
 その横でデブチィはしばらく何か思案しているようだったが、やがて彼もシマと同じ額をテーブルに置いた。
「ダブルダウン」
 テーブルにディーラーの汗がぽたっと滴った。慌ててハンカチを取り出して拭う。ギャラリーから失笑が起こった。
「し、失礼。では、カードを」
 そしてデブチィは来たカードを見、どっと笑い出した。
「アハハハ、これだから博打はやめられねェや! ええ、見てみろよオイ!」
 シマは頬杖を突いてつまらなそうにデブチィの手元を見た。
 スペードのエースが、照明の光と360度からの視線を一身に集めていた。



 ギャラリーのほとんどはデブチィの見事な引きで勝負は決したと見なし、立ち去るものも少なくなかった。
 ところが約束の時間まで後数分というところで、シマが二連続ブラックジャックを引き当て、猛烈に追い上げ始めた。
 場に再び熱っぽい空気が立ち込め始め、シマはその匂いを肴にして日本酒をラッパ飲みした。口元から酒が滴っている。
 デブチィが珍しい生き物を観察する目でそれを見ていた。
「酔うとツクのか」
 シマはもう前後不覚のようで、背もたれに体を預けてぐったりしていた。時折「へへへ」と不気味に笑っている。
「やっべー……やっべー……」
(……なにがだよ)
 相変わらずシマの行動の意図が読めないため、デブチィは心中穏やかではない。
 勝負とは決する直前が一番緊張するものだ。
「では……おそらく最後のゲームです」
 ディーラーのフェイスカードは2。
 デブチィはシマの札を見てうっと呻いた。
 10点札が二枚、綺麗に並んでいた。
 デブチィの札は4と9。
(8はもうない……だが7ならまだかなり残っていたはず……!)
 デブチィの太い喉がごくんと動いた。
 ところが、勝負は思わぬ方向へと転がっていったのだった。
「シマ様?」
 シマは俯いたまま動かない。表情は髪で覆われてしまっている。
 ディーラーがもう一度声をかけようとした時、がばっと顔を上げた。
「ひっ」
 シマの目を見たディーラーは思わず女の子のようなか細い悲鳴を上げてしまった。
 人間のものとまったく同じ材質のはずの、その瞳の奥になにか別の存在がいるような錯覚を感じたのだ。
 シマはディーラを無視して荒々しくチップを掴み、その手のひらから取りそこなった数枚が床にこぼれて鈴のような音を立てた。
「ダブル……」まで口にする……が、そのまま押し黙ってしまった。
 言葉に詰まったシマを、その場の人間は皆デブチィも含め、ステイに切り替えるために黙ったのだと思った。
 だがシマが取った行動は彼らの想像のどれとも違っていた。
「うぷっ!」
 シマの頬が一瞬膨らんだかと思うと、彼女は椅子を弾き飛ばして立ち上がり一目散に駆け出した。
 客の群れを肩で跳ね飛ばし、セレブっぽい老人が尻餅を突いて腰を抜かした。
 あっけに取られたデブチィと一同はシマが消えた角を見、次のその上に示された表示を見て笑えばいいのか呆れればいいのかわからなくなった。
 赤いスカートを穿いた人型。
 酔っ払いがそこに行く理由など、ひとつしかなかった。
 ディーラーは腕が取れそうなほど肩を落として、
「……タイムアップです」
 そして何気なく使われることのなかったシマのカードを射出した。
 勝負の決着に嬌声が湧き返る中、デブチィの湖面のように静かな目がカードを追った。
 ハートのエース。

 こうしてデブチィの安堵のため息と共に、今宵の奇妙な勝負は終わりを迎えたのだった。



 思った以上に外は冷えた風が吹いていた。油断して上着を持ってこなかった通行人たちがむき出しの肘をさすりながら通り過ぎていく。
 デブチィは全身にびっしょりと嫌な汗をかいていた。
 はち切れそうなワイシャツの首元を指で広げて呼吸を楽にすると、いま出てきたばかりのカジノを振り返る。
 なんだったのだろう、彼女は。
 結局のところカジノの回し者だったかどうかは定かではない。
 彼女がトイレから戻ってきた後、青い顔でチップを返却した時、あのあどけないディーラーが少なからずホッとしていたからだ。
 もし本当に用心棒だったならあのチップはカジノ側が用意したはずで、戻ってきたところでプラマイゼロ、安堵する理由がない。
 けれど、ただの酔っ払いだったとは思えなかった。
 でなければ自分はここまで外の空気を吸えることに感謝したりはしない。
(あいつ……)
 デブチィは赤黒い舌でぺろりと唇をなめた。
(どんな味がするのかな)
 なぜか名残惜しさを感じながら、デブチィはカジノに背を向け、夜の街の中へと消えていった。
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