翌日の朝。妻の恵子の実家へと車で木島は向かっていた。
昨日絶望感に木島は苛まれた。一人でうじうじ何がいけなかったのか考えていた。が、しばらくして別にどうという事は無いのではないか。という希望が生まれた。そうだ。直接行ってしまえば良いのだ。そう考えたのだ。
木島は昔はよく訪れていたが、恵子の父の葬式に行った時以来行っていない。が、意外にも迷うことなく到着した。実家の前に車を停める。
恵子の実家は建設会社の事務所をかねている。が、別にショベルカーなどの機材は置いていないので外見からは建設会社の事務所とは分からない。「岡崎建設」という看板がなければ誰も建設会社の事務所だとは思わないだろう。
五分、十分と時間が経っても木島は車から出ようとしなかった。心の中が不安でいっぱいだったのだ。何を言おうか。彼はそれを考えた。それはここに来るまでに何度も考えたことなのだが……。やはり考えてしまう。そして彼はシミュレーションをし始める。
まず、インターホンを鳴らす。出てくるのは恵子、恵子の弟、母、そして俺の娘の舞の四人のうちの誰かだ。恵子か舞だったら簡単だ。直接話せばいい。が、そうでなければ……。厄介なことになるな。最悪は恵子の弟だ。あんまり会ってない。名前さえ覚えていない。久しぶりに脳をフル回転させ木島はあらゆる事態を想定する。
三十分後。思案の末ついに腹をくくり木島は車から降りた。玄関に近づき、インターホンをおそるおそる押す。高いインターホンの音が周囲に鳴り響く。はーい。という声がしてドアを開けに人がやって来る。よかった。恵子の声だ。彼は安心した。
ドアを開けて木島を見た恵子は驚いたようだった。そして数秒の沈黙の後にこう言った。
「何のようで来たの」
木島はおどおどしながら言う。
「いや……。いろいろ考えたんだがよりを戻さないか。反省してる」
恵子の返事が木島の甘い考えを打ち砕く。
「無理。でも明日離婚届に判を押してもらうためにそっちに行く予定だったの。ちょうど良かった。あがって」
落胆しながら木島は靴を脱ぎ家に上がる。恵子は木島をリビングに案内した。
日曜日で暇だからだろう。リビングには木島の娘の舞、恵子の母と弟がいた。三人とも驚いているようだった。舞が呆然としながら言った。
「何でお父さん来てるの」
木島は苦笑いしながら答える。
「いやな……。なんて言うかな。はは……」
そんなことは気にせずに恵子が紙を持って来る。離婚届の紙だ。そして淡々と言う。
「判子はないでしょ。だからサインでいいから。書いて」
深い深呼吸をしながら恵子の顔をじっとみてゆっくりと木島は言った。その目は少し涙ぐんでいる。
「なあお願いだ。悪かったよ。だから……。やり直そうよ。なあ……。お願いだよ」
しかしさっきと同じような回答を恵子はする。
「だから無理。いままでろくに家族のこと考えてこなかったでしょ」
「でも」
恵子の弟がその言葉を遮った。
「それにお兄さん。あなた失業中じゃないですかどうするんですか」
一瞬木島は答えに詰まる。が、こう答える。
「年金とかあるし。何とかなると思う」
すると舞がその言葉に突っ込んできた。
「年金なんてどうなるか分かんないじゃん。貯金とかいくらあるの」
「いや……。それはだからこれから考えていくよ」
と木島がとっさに答える。するとあきれ顔でこう言った。
「全然具体性ないじゃん」
その後もそんな調子で木島は防戦一方だった。やがて皆から責め立てられた木島は何も言えなくなった。木島にそこで思わぬ助け舟を出したのは恵子の母だ。それまで黙っていたが
「失業中ならうちで働けばいいじゃない」
と軽く言った。しかし恵子の弟が反対する。
「そんな余裕はうちにないよ」
がその言葉は母の言葉に押し切られた。
「それぐらい何とかなるでしょ。それに最近やめた人がいるからちょうどいいじゃない。離婚の話はまた後にしたら。どう」
弟は黙る。母は流暢に木島に話しかける。
「良一さん。あなたはここで働くということでいいの」
木島はとって断る理由など何もない。
「ありがたいです」
こうして木島は思わぬ形で再就職を果たすことになった。彼はとりあえず今日は家に戻り明日から働くことになった。木島は仕事の内容を聞き数十分後には自宅へ車で向かっていた。