僕たちが電車で来れたのは隣の市までだ。そこからはバスを使って、目的地に向かった。
バスは隣の市の外れが一番の最寄りだった。相当な田舎だ。人家はぽつんぽつんとしかない。
僕はうんざりして言った。
「この様子だと教団の拠点があるところも相当な山奥なんでしょうね」
叔父は僕を宥めた。
「まあ、そんなことを言うな。ここから、それほど遠くはないはずだ。それにまだそっちには行かない。ここは回顧録に登場してくる隣村のはずだからな。今は、合併で市になっているが……。いろいろと情報を集められるはずだ」
「けれども、百年近くも前のことですよ。覚えている人がいるでしょうか」
叔父は笑って言った。
「そこを頑張って情報を集めるのが探偵の仕事さ」
聞き込みの結果、詳しい人がいる事が分かった。百歳近い老婆だ。キチガイ病院があった村の出身らしい。家の場所と名字も聞いた。僕たちはそこへ歩いていく。結構遠い。
僕たちが家に着くと、近くの畑で一人の男性が農作業をしていた。年齢は七十ぐらいだろうか。僕は声をかけた。
「あの、この家に長寿のお婆さんがいると聞いたんですが」
男性は怪訝な顔をして答えた。
「母ならいるけども、何のようだい」
「昔のことについておたずねしたいんです。そのお婆さんの出身地の村の話が聞きたいのです」
男性は驚いた顔をして言った。
「そんなに昔の事を聞いてどうするんだい。まあ、かまわんがね」
僕たちは事情を説明した。すると男性は源田さんを見て言った。
「ふうん。この人のじいさんがね。さっきも言った通り、別にいいけれども問題がある」
源田さんが質問する。
「問題とは何ですか」
僕たちがお婆さんに会ったときその問題はすぐに分かった。彼女は寝たきりで、言葉を喋る事も上手く出来ない。それに、息子さんの話によると痴呆症気味らしいのだ。僕は悲嘆にくれて呟いた。
「無駄足だったか」
しかし、叔父の考えは僕とは違ったようだ。叔父は大声で話しかけた。
「お婆さん。お話をしてくれませんか」
反応はあったが、よく聞こえない。叔父はかまわずに続けた。
「まず、あなたの出身地にあった精神病院のことについて何ですが。覚えてますか」
彼女は少し聞き取りやすく答えた。
「キチガイ病院のことならよく覚えてる。なんせキチガイのせいであの村は終わってしまったんだから」
叔父は喜びを隠しきれずに続けた。
「火事についても覚えていらっしゃるんですか。詳しい事も覚えているんですか」
「もちろん。あの火事はキチガイが起こしたもんじゃ。大体キチガイを家に入れるってのが間違いだったんだよ」
「何ですか、そのキチガイを家に入れるというのは」
「知らないのかい。医者どもがキチガイを治すために、村人の家で暮らさせようってのさ。主に子供が対象だったけどね」
僕たちは驚いて顔を見合わせた。回顧録にはそんなことはいっさい書いてなかったからだ。そして僕はまた、彼女の饒舌にも驚いた。そして彼女は私たちのことなどちっとも気にせずに続けた。
「火事の原因にもそのキチガイの子供が深く関わっているのさ。医者とキチガイの子供でね。確か中西さんの家で暮らしていたはずだ。通称は中西照だったかな」
場の流れが止まった。僕にはそのように見えた。
「僕の、僕のお祖父さんがキチガイ。本当にそうなのか」
源田さんが唖然として言ったのは大分時間が経ってからだった。
「へえ、あんたがあのキチガイの孫かい。それにしちゃあ、あんまり似てないね」
僕は叔父に尋ねた。
「これはどういうこと何でしょうか。訳が分かりません」
叔父も混乱しているようだ。しばらく考えてからこう言った。
「真相がどうなのか。さらに質問するしかないだろう」
が、叔父の言葉を実行するのは不可能だった。何故なら、彼女はそれ以降ほとんど喋らなくなってしまったからだ。
村があった場所まで行くのはとても金がかかった。教団が運営しているバスはあるのだが、非信者は使う事が出来ない。なのでタクシーを使うしかなかったのだ。タクシーの運転手は僕たちを訝しんだ。
「あなた達も信者になろうとしているのですか。やめてほうがいいですよ。まあ、あの教団のおかげで仕事が増えてるんだからこんな事言うのもなんですがね……」
僕は必死に否定した。新興宗教の狂信者と思われるのは決して心地よいものではない。
タクシー運転手はほっとした様子で言った。
「それならいいですがね。なにしろあの団体はいろいろとよからぬ噂を聞きますから」
僕がそれを聞こうとした時、ちょうど橋の上を通った。回顧録に出てくるあの橋だろうか。叔父もそのように考えたらしい。僕に言った。
「長さも同じぐらいだ。この橋で間違いないな」
僕は頷いた。ふと、見ると源田さんが青い顔をしていた。当然のことだろう。
そんなうちにタクシーが到着した。