【眼】
視界の隅にちらちらと線がうごめいている。歪みといってもいい。
チカッチカッと鋭角的に動いては、またゆっくりと流れていったりする。微生物のような傷のようなそれらは、眼を閉じても光を浴びれば瞼の裏に浮かび上がった。
怖いと思ったことはなかった。
生まれたときから見えていたもので、それはいわば手があることが当たり前のように、音が聞こえるのが自然なように、ただ見えたし、そういうものだと思っていた。
ある時、幼かった俺は、中空に浮遊するその虫じみた存在を指し示して母親に訴えた。
――ねえ、なにかいるよ。
しかし母は見上げてくれたものの、なにもないよ、という。
それでもあえて主張し続けると、やがて母は怪訝な顔になって息子の理にそぐわない言動に苛々し始めたようだったので、俺は賢しくそれを悟って押し黙った。
謎の虫よりもよほど母の沈黙の方が怖かった。
そのときに、ああ、この世にはいくら本当だと言い張っても、頼み込んでも、泣き喚いても、信じてもらえないことがあるのだ、と知った。
人と人とは同じ世界を共有できないし、またできたと思うべきでもない。
俺たちがどんなに逆上がりをしてもこの世の裏側には辿り着けないように、ひとつの存在にはひとつの世界が内包されていて、それは誰にも開けることのできない密室なのだ。
信頼する、ということを俺は信頼できなくなった。
眼を開けているだけで、いつも、自分と他者との間の壁を感じた。虫たちが果敢に動き回って、俺にそれを忘れさせなかった。
もしかしたら自分は狂っているのかもしれない。
頭がおかしく、誰からも愛されない存在なのではなかろうか。
その不安が挙動に出てしまったのが後の俺の不幸となる。
今思えば、おそらく、俺が周囲から責められ続けた『不気味な視線』とは虫たちを無意識に眼で追ってしまうその軌道のことだったのではないか。
それがクラスメイトたちの眼に『異質』として捉えられてしまったのだと思う。
俺には結局、彼らが想像したような異形を視る摩訶不思議な眼なんぞはなかったわけだが、その精神形成においてはまったく持っている者と同じ過程を辿ったといえる。
視えるものがゴミだろうと悪霊だろうと差異はない。
精神だけを摘出すれば、なんの才覚にも恵まれてもいないこの俺は、紛れもなく異端者の心を持っていたのだ。
信頼の難しさを無邪気さよりも早く知り、そして常に己の中の狂気に怯えながら生きてきた。
その澱みは、年を重ね背を伸ばして、自分の症状が『飛蚊症』と呼ばれる眼球内のゴミが視界に反映する病気だと知っても、俺の人生の根底に深く深く残った。
いまさら自分の見ていたものにわかりやすい答えが出たところで、己への疑心はすでに俺自身と癒着しすぎていた。
その頃にはもう、視界に黒いヒビが見えるとか見えないとか以前に渇ききった生活環境が威勢よく俺を嬲っているところだった。
子どもの頃は骨も心も柔らかいから、一度強く形を造ってしまうとなかなか改変はできない。
青空を見上げるたびに、ああ俺は一生まっさらな青空を見ることはないんだな、とやるせないとも切ないとも無念とも言える、なんとも奇妙な感慨が起こった。
十かそこらの年で、俺は人生の儚さに悲哀の吐息をこぼしていた。かえって現在の方が、あの頃よりも子どもっぽいかもしれない。
俺は今、昔よりもちょっとだけ前向きになっている。
確かに曇りひとつない青空は見えないかもしれない。
俺にはすすけたような汚いヒビだとか、うごめくゾウリムシみたいな幻影がタブって見える奇妙な空だが、それでもそれは他の誰にも見ることが叶わない空だ。
誰にも渡したくないし受け入れて欲しくもない。
これは。
俺だけの景色だ。