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第十六話〈その一〉 元飼い主の発露2

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第十六話〈その一〉 元飼い主の発露2

 ――去年の秋。
 大雨の日。
 その時の俺は、いや、その大分前から。
 目が死んでいた。
 ある時、鏡を見て驚いたことがあった。
「これ、俺の目か」って。
 昔の、野球を楽しんでやっていた時の目とは、絶対違っていたんだ。
 多分、あの日もそうだったんだろう。
 死んだ目。
 台所で、よく見た、そう、あんな。
 その濁った目に、傘も差さずにいる女が映った。
 その女は、道の真ん中で突っ立っていた。
「どうしたの?」と言う気もしなかった。
「傘、入る?」なんて、とんでもない話だった。
 ただ、黙って通り過ぎようかと思っていた。
 だけど。
 あの時の、女の目。
 オーバーに聞こえるかもしれないけど、あれは、俺には太陽みたいに思えたんだ。
 闇を塗り潰そうとする、光に見えたんだ。
 俺は、それを避けようとした。意識的に目を伏せた。
 早足になった。
 早く、女から離れたかった。
 
 五十メートル。
 三十メートル。
 十メートル。
 十メートル。
 三十メートル。
 五十――

 ――そこまで通り過ぎてから、なんか、足が動かなくなった。
 なんでなのか、理屈では分からなかった。その時は。
 とにかく、俺は立ち止まって、後ろに振り向いた。
 そこには、やっぱり太陽みたいな目があって、俺を見ていた。
 何も言わずに、ただ――
「傘、入る?」
 内心、おかしくなっていた。変にとぎまぎして、落ち着かなかった。
 女は、こくりと小さく頷いて、俺に歩み寄ってきた。
 そして、その小さな体を俺に寄せて、雨を避けたのだ。

 今なら分かる。何故、あの時立ち止まってしまったのか。
 それは単に、れいんが俺の好みのタイプだったからだ。
 きっと、それだけのことだったんだ。
 そう、それだけの――

 それから、俺は、ずぶ濡れの女を部屋に入れ、風呂を湧かした。
 服は、とりあえず俺のパジャマを。替えの下着はなかったので、我慢してもらった。
 暖かいコーヒーを渡し、それを一口含むと、女は大きく息を吐いた。
 安心したのか、張り付いた表情が、大分解れていた。
「れいん」
 女は、そう名乗った。
 色々話した。
 だけど、それは当たり障りのないことで。
 俺もれいんも、重要なことは何も話さなかったと思う。
 だけど、その時はそれでよかった。
 れいんと話していて、俺は自分が少しずつ柔らかくなっていくのを感じていた。
 トイレに立ち上がった時、鏡を見たら、目が、少し晴れていたんだ。
「れいんに部屋に居て欲しい」と思ったのは、その時だった。

 自分の為だ。


「――その時は、それで良かったんだ。そう、その時は……」
 安ホテルの一室。
 二人の男女が居た。
 一人は、少女より頭一つ以上大きな少年。
 もう一人は、制服を着た小さな少女。
「でも、俺、気付いたんだ。俺とお前は、もっと話さなくちゃいけないってことに」
 雄一は、れいんの目を真っ直ぐに見据えて、言葉を振り絞っていた。
「まだお前に言っていないことがある。お前も、俺に言っていないことがある。話そう。
いつまでも、曖昧な関係は続かないって、俺、馬鹿だから……ようやく、気付いた」
 れいんは、雄一の目を直視出来ずにいた。
「俺は、お前と家族になりたいんだ。その、お腹の中の子とも一緒に――家族になりたい
なら、全てを話さなくちゃいけないって、俺、思う」
 れいんは、ちらり、と、雄一の目を、見た。
 その目は、今までで一番、熱かった。
「話そう、全部さ」
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