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第四章 思想

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 東の砦が奪われた。奪ったのは、メッサーナの軍という事だった。
 しかし、国内に乱れや反響は少なかった。これは当たり前と言えば当たり前だった。メッサーナと言えば、遥か東の田舎地方だ。その田舎地方で、小さな砦が一つ奪われた。要は、これだけの話なのだ。しかし、私はそう簡単なものとは見ていなかった。
 反乱である。まず、今回の件を、私はこう位置付けた。
 私は、国の宰相(総理大臣)だった。すでに年齢は五十代に入ろうとしているが、未だに疲れは知らないと言って良い。
 宰相と言えば、政治の最高責任者だが、私は軍権も握っていた。無論、私の一存で全ての軍を動かす事などは出来はしないが、ほとんどの事は一人でやれる。動かせないのは、王直属の近衛軍ぐらいのものである。
 巨大な権力を私は握っている。だが、その上に王が居た。そして、私はこの王を、長きに渡って補佐してきたのだ。いや、数百年に渡る歴史を持つこの国を補佐してきた。そう言えるだけの自負が、私にはあった。
 しかし、国は腐っていた。これは先々代の宰相からで、改革するには何らかの多大な措置が必要だった。それは役人の粛清であったり、軍の見直しだったりする。だが、そのどれもが、実現するには大きなリスクがあった。細々とした方法では、腐りが取れなくなっているのだ。一挙に、全てをやり変える。そういう大胆な方法でしか、腐りを無くす事が出来ないのである。
 しかし、今まではこの大胆な方法が取れなかった。それは平穏だったからだ。だが、その平穏が今、乱れようとしている。東の地で、小さな、本当に小さなものではあるが、反乱が起きたのだ。
 数ヶ月前、軍から二人の小隊長が都から姿を消した、という情報が入っていた。
 名は、ロアーヌとシグナス。それぞれ剣と槍の名手で、軍内には二人に敵う者は居なかったと言う。そして二人は、将軍であるタンメルの配下だった。
 タンメルは、無能と言っても良い男だった。武器の扱いは兵卒にも劣るし、軍学も無きに等しい。だが、将軍だった。金で成り上がった将軍である。そして今の官軍には、こういう男が溢れ返っているのだ。賄賂の証拠を掴んで罰するという事も出来るには出来るのだが、それをやるには今の状況は芳しくなかった。上位層の連中だけならまだしも、兵卒レベルにまで賄賂が横行しているのである。それにタンメル一人を罰した所で、焼け石に水だった。
 賄賂を罰するよりも、能力が地位に追い付いていない事を罰するべきだ。私は、そう思った。
 今は、能力の有無に関わらず、賄賂が横行している。これは言い換えれば、金さえあれば上に立てるという事だ。現状は、これが良くない。能力が地位に追い付いていない事を罰するようにすれば、金を使って上に立てたとしても、いずれ地位を降ろされるか、罰せられる、と人は思うようになるだろう。そして、能力さえあれば、人の上に立てる。地位も追い付いてくる。そう思うようにもなる。
 平穏時は、能力がない人間が上に立っていても、国は回っていた。だから、金で全てが解決できた。しかし、戦時下という、緊張に包まれた状態になれば、金よりも能力がものを言うようになる。
 そういう意味では、東の地での反乱は、国を改革するに十分に役に立ってくれそうだった。ただ、まだ反乱と呼ぶには小さすぎる。
 国を改革するには、どこかで痛みを伴わなければならない。その痛みを伴う時期が、私は今だという気がしている。
 メッサーナは、おそらく国をひっくり返そうとしているのだろう。新たな王を抱き、国を新生する。そう考えているはずだ。しかし、それはさせない。この国には、歴史がある。数百年という歴史があるのだ。それを白紙に戻して、国を新生するなど、馬鹿げている。数百年の歴史は、そんな軽いものではない。私は、そう思っていた。
「フランツ様、タンメル将軍が参られました」
 従者の一人が、部屋に入って来て言った。従者と王だけは私の事を名で呼ぶが、他の者は宰相と呼んでいた。
「入れて良いぞ」
「はい」
 しばらくして、タンメルが入って来た。相変わらず醜く肥っていて、目は糸のように細い。阿りの入った笑みを、タンメルは浮かべている。
「これはこれは、宰相様自らが私めをお呼びになるとは。フヒヒ。さては、大将軍昇任の時ですかな、フヒ」
 将軍達の頂点には、大将軍が居た。今の将軍という地位は、能力の無い者で溢れ返っているが、大将軍は違った。今の大将軍はまさに歴戦の勇士とも呼べる者で、軍内でも屈指の実力者である。ただし、老齢だった。
「タンメル、少し話をしようではないか」
「それはもう。フヒヒ。ちゃんと袖の下もありますよ。大将軍ですかぁ。私にはちと荷が重いかもしれませんな。なぁんて。フヒ」
 タンメルは、私に呼び出された事を出世の件だと信じ込んでいるようだ。
「お前の部下に、ロアーヌとシグナスという者が居なかったか?」
「おう、そんなアホどもも居ましたなぁ。あれはただの若僧ですよ、宰相様。ちょっとばかり、剣と槍が扱える。それだけです。金も持ってません。フヒ」
「ふむ。その若僧達が、東に向かった。その事は知っているか?」
「ほえぇ? 知りませんなぁ。まぁ、どうでも良い事ではありませんか。それで、大将軍昇任はいつです?」
 ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべながら、タンメルは袋をチラチラと見せてくる。金銀が入っている袋だろう。
「いや、大事な事だ。ちゃんと話を聞け」
 眼に、少し力を入れた。タンメルがすっと眼をそらす。まだ、ニヤニヤと笑っている。ただし、どこか引きつっていた。
「タンメル、ロアーヌとシグナスが東に行き、メッサーナの軍に入ったらしいのだ。そして、今は将軍となっている」
「フ、フヒヒ。そうですかぁ。で、大将軍は」
「その二人が中心となって、東の砦を奪ったそうだ。砦の指揮官は首も取られている」
 タンメルの笑みが、消えて来た。
「この二人は、お前の部下だ」
「さ、さぁ、どうでしたかな。フヒ。私の部下でしたっけ? あれぇ?」
「何をとぼけている。お前の部下だろう」
「あ、あのぉ、大将軍の件はまたの機会で、ちょっと用事がありまして」
「宰相の私から命令を受けるより、大事な用か?」
「あ、いや、その」
「東の砦を奪い返してこい。出陣は七日後。お前に預ける軍勢は二万。ちょうど、お前の配下の人数だ。メッサーナ軍の砦には五千程度の兵しかおらん。本拠地に一万四千が居るとの事だが、まぁ、全ては出てくるまい。つまり、兵力はお前に分がある」
 私のこの言葉を聞いて、タンメルの顔から生気が消え去った。勝つ自信がない。それがはっきりと分かった。そして私も必ず、何があっても、こいつは負ける、と思っている。
「軍務放棄は死罪。逃亡も死罪。敗戦も内容によっては死罪だ。良いか、お前自身が出向くのだ。部下を行かせるな。ただし、共に行く事は許可する」
「か、金ならあります」
「要らぬな。ロアーヌとシグナスは、ただの若僧なのだろう? ちょっと行ってひねり潰すだけだ」
「金で、金でなんとか」
「要らんと言っている。それと言い忘れたが、お前に監視をつける。逃げ出さないようにな。話は以上だ」
 タンメルは顔を青くさせて、首をしきりに横に振っていた。言葉を時々発しているが、早口で聞き取れなかった。いや、聞き取ろうともしなかった。
「つまみ出せ」
 そう言って、私は眼を閉じた。
 タンメルの呻き声が聞こえた。
 西の砦に向かって、二万の官軍が進軍中。
 砦に駐屯しているルイスからの伝令だった。ヨハンと、今後の方針について話し合っていた時の出来事である。
 やけに動きが早い。私が最初に思ったのは、これだった。今までの官軍は、何をするにしても腰が重かった。しかし今回は、その重さが微塵も感じられず、むしろ迅速と評すべき早さだった。
 砦が落ちてから、まだ七日も経っていない。それに加え、あの砦は都から見れば遥か東の田舎地方の、ほんの小さな砦に過ぎないのである。それなのに、この動きの早さだった。もしかしたら、国の巨大な権力が動いたのかもしれない。私は、そう思った。
 あの砦は、国にとって重要なものなのだろうか。二万の兵を出してまで、奪い返すほどの価値があるのか。
 砦攻略戦は、見事なものだった。実際に戦を見ていないので、本当の意味での見事さはわからないが、報告書を見る限りでは、まさに見事だと言う他なかった。
 ロアーヌとシグナスの二人が、実によく活躍していた。ロアーヌの遊撃隊は敵本陣を貫き、シグナスはその土台を作った。この二人が居なければ、攻略戦はもっと苦戦していただろう。敵の指揮官を討ったのはシーザーだったが、私はそれよりも、あの二人の力を評価していた。
 砦攻略戦は鮮やかな勝利を収めた。しかし、そこに二万の官軍が迫って来ている。
 あれから矢継ぎ早で伝令が駆けこんできており、官軍二万の詳細な内容も明らかになってきていた。
 敵の指揮官の名は、タンメル。ロアーヌとシグナスの、元上官である。タンメルの軍事能力は皆無で、自身も武器の扱いなどは一切出来ないらしい。要は、軍人である事が不思議な男だ、という事である。そんな男が、砦を攻めようとしている。これは正直、かなり不気味だった。
 戦の勝ち負けではなく、出陣の意図が読めない。私はそう思っていた。軍を動かすには、それなりの金が必要だ。金だけではなく、兵糧なども必要になってくる。そこまでするのだから、何としてでも戦に勝つ、という前提を持って、軍を動かすのが普通だった。しかし、今回の官軍の動きは、戦に勝つ、という気概が感じられない。それは指揮官のタンメルもだが、連れている兵も弱兵や新兵ばかりだというのだ。
 国は富に溢れている。だが、それは今だけの話であって、これからもそうだとは言えない。すでに、源泉は枯れつつあるのだ。それなのに、国は軍を動かした。だが、勝つつもりはない。だからこそ、不気味だった。
 そうは言っても、我々には勝つしか取るべき道はないだろう。負ければ、そこで終わる。今が一番、苦しい時だった。勢力をある程度、拡大させる事ができれば、じっくりと腰を据えるという選択肢もある。しかし、今は、その勢力を拡大している最中なのだ。だから、負けられない。
 しかしそれでも、官軍の、いや、国の意図だけは知っておきたかった。これは不安だとか、心配だというものではなく、単純な好奇心だった。不気味さの中に埋もれている、真の意図。それは、一体なんなのか。
「ヨハン、お前はどう思う?」
 腕を組みながら、私は言った。国が軍を動かす意図。ヨハンなら、わかるかもしれない。
「国を浄化しようとしている。私には、そう思えます」
「浄化?」
 私の中の好奇心が、一回り大きくなった。
「タンメルを使って、腐敗を一挙にどうにかしよう、という腹なのでしょう」
「ふむ?」
 どういう事なのだろうか。ちょっと自分で考えてみたが、答えは出なかった。
「これまで国は平穏でした。そして、少しずつ腐っていった。これは言い換えれば、平穏だからこそ、腐ったとも言えます」
 私は黙って頷いた。
「今の国の実権は、王ではなく、宰相が握っています。そして、国が腐り始めたのは、先々代の宰相辺りからでしょうか」
「そうだな。本格的な腐敗は、その辺りからだ」
「政治は一度、決まってしまうと、それを変更するのは難しい事だと思います。これは、メッサーナを統治しているランス様なら、お分かりだと思いますが。今の宰相もそれは同じで、腐敗を取り除く事に苦労しているのですよ」
「今の宰相はフランツだったか。一度だけ、対面した事がある」
 その時の印象は、底の見えない傑物、とでも言うべきものだった。一言、一言が心の芯を貫いてくる。はっきり言って、私とは合わなかった。
「フランツは国を建て直したい、と考えているわけか」
「はい。ですが、平穏時ではそれは難しいのです」
 確かにそうだった。国を建て直すには、役人を一挙に粛清するだとか、軍を一から再編する、などのような、過激すぎる方法が必要だった。しかし、これを平穏時にやるということは、宰相という役職を、自らドブに捨て去るようなものだ。政敵からの反発が、激しすぎる。
 だが、平穏じゃなければどうなのか。例えば、反乱である。小規模なものでは、力は弱い。しかし、大規模なものではどうなのか。戦時中という緊張感に包まれた状況の中で、果たして腐った役人達がのさばる事が出来るのだろうか。軍は至弱のままで、暢気に構えている事が出来るのだろうか。
「我々を利用する気なのでしょう」
 私が答えを掴みかかっている事に気付いたのか、ヨハンはそれだけ言った。
 私達を利用する。国の意図、いや、フランツの意図は、まさにこれだった。
 反乱を利用して、国を建て直そうとしているのだ。タンメルは使い捨ての駒である。負けて逃げ帰ってくれば、軍律によって処断する。これで、能力の無い軍人は緊張感を持つ。これは戦死でも構わないだろう。要は、タンメルが負ければ良いのだ。タンメルが戦死したら、次の無能な将軍を出せば良い。
 タンメルが負けたら、次にタンメルを将軍に取り計らった役人を洗い出して、処断する。そうすれば、腐った役人達も緊張感を持つ事になる。そして、タンメルが勝ってしまった場合でも、今の国の状態が反乱を招いた、などと言えば、範囲は限られるだろうが、役人や軍の再編も可能だ。
 二重の手だった。タンメルが勝とうが負けようが、フランツの思い通りになる。そして我々は、勝つしかない。そして勝ってしまえば、フランツの策はさらに先に進む。
「フランツめ、やはり傑物か」
「どうでしょうか。まぁ、この考え自体は悪くはないとは思いますが」
 ヨハンが二コリと笑った。
「フランツは、大事な所を見落としています。それは、我々の力ですよ」
「ふむ?」
「今、我らが国に劣っている部分は、兵力と物資です。そしてこれは、勢力を拡大させれば、補えます」
「うむ。人材は我らが圧倒的に上を行っているであろう。しかし、ヨハン。こんな事を言うのもなんだが、私はあまり心配はしていないのだ」
 そう言うと、ヨハンは眼を丸くさせた。私が弱気になっていると思って、元気付けようとしてくれたのだろう。アテが外れた、といった表情だ。
「フランツは傑物だろう。少なくとも、私はそう思う。しかし一人だ。一人でやれる事など、たかが知れている。私自身は凡才だが、私の周りには優秀な人間が多くいるのだ」
「ランス様らしい、と言うべきですか」
 ヨハンが苦笑する。
「そう言うな。お前はフランツの意図を読んだ。この事から、今はフランツに勝っている。私はそう思う。だからではないが、タンメルにも勝とうではないか」
「二万の軍勢ですが」
 ヨハンが言いかけたと同時に、伝令が駆け込んできた。
 砦の五千の兵力で、タンメルを打ち破る。援軍は要らない。伝令がそう言ったのを聞いて、私は声をあげて笑った。ロアーヌとシグナス、それとシーザーの意見だろう。そう思うと、どこか愉快だった。
「四倍の兵力だというのに。まぁ、ルイスが居るから大丈夫でしょうか」
 ヨハンは、溜め息をついていた。
「そう心配するな。勝算があるのだろう。一応、援軍は出す、と伝えてくれ。ヨハンの胃が持ちそうにないからな」
「ランス様は、楽観的すぎます。負ければ、次は無いのですよ」
 その通りだ。そして、負けるつもりもない。私は、部下を信用しているだけだ。それに、上に立つ者がオロオロとしている姿は、どうにも情けない。だから、これで良い。
「まぁ、それが良い所でもありますが」
 伝令が駆け去っていく姿を見ながら、ヨハンは呟いていた。
18, 17

  

 原野で、俺は兵達と共に陣を組んでいた。八百の槍兵隊である。
 目の前の敵は官軍だった。数は二万で、指揮官はタンメルである。かつての俺とロアーヌの上官だった男だ。いつか、この手で殺してやる。そう決めた男だった。
 タンメルのせいで、俺とロアーヌの人生は滅茶苦茶にされた。あの男さえ居なければ、俺とロアーヌはもっと出世していたはずだったのだ。だが、ロアーヌはそうではない、と言っていた。
 国が腐っている。国が腐っているから、タンメルのような男がのさばる。だから、今の国で出世するという事は無意味だ。あいつは、そう言った。
 俺は頭はそこまで良くない。だから、国が腐っているだとか、出世が無意味だとかの中身は理解できなかった。ただ、俺の正義と国のやっている事には、大きな相違がある。俺は、これがたまらなく嫌だった。国は強い。そして、民は弱い。その強い奴が、弱い奴をいたぶっているのだ。とてつもない憤りを、俺は感じた。強い奴は、弱い奴を守るのが普通だ。そのための強さだ。それなのに、国は民をいじめる。強い奴が、弱い奴をいじめているのだ。これは、許せる事ではない。少なくとも、俺の中ではそうだ。
 だから、俺は決めた。国をぶち壊す事を決めた。そのために、俺はメッサーナにやって来たのだ。そして、国という名のいじめっ子を、ぶっ倒してやる。
 その国の手先であるタンメルも、殺してやる。
 ロアーヌは、タンメルが攻めて来た事を、不思議がっていた。タンメルは戦など出来る男ではない。武器の扱いもできないし、兵法も無知に等しい。そんな男が攻めてくる。これをあいつは不思議がっていた。
 俺はそんな事はどうでも良いと思っていた。考えるのは、軍師の仕事だ。すなわち、ヨハンやルイスの仕事である。あるいは、統治者であるランスの仕事かもしれない。どちらにしろ、軍人である俺達にとっては、どうでも良い事に違いないのだ。
 タンメルを殺せる機会を得た。俺が思った事は、これだけだ。
 戦は、いつまで経っても始まらなかった。すでに陣を敷いて、五日は経っている。長い対峙だ。シーザーなどは、痺れを切らして攻撃命令の催促をしていた。これ以上、待たせると、シーザー軍だけで突撃しかねない。
 俺も、そろそろ我慢するのが嫌になってきていた。ロアーヌはどう思っているのだろうか。あいつは基本的に感情を表には出さないが、心の内では炎を燃やしている。ただ、忍耐力はある男だ。待てという命令があれば、待ち続けるだろう。
「ルイスの野郎、まだ睨み合ってんのかよ。イライラさせやがる。早く殺させろってんだ」
 シーザーが喚きながら、こっちに向かってきた。
「おう、シグナス。俺と一緒に突撃しようぜ」
「やめろよ。総大将のクライヴ将軍が待てって言ってるんだぜ」
「あのおっさんはダメだ。果敢な指揮は、もうできん」
「お前は果敢すぎるんだよ」
 ルイスのように冷静になれ。言おうと思ったが、やめておいた。怒鳴られるのがオチだからだ。シーザーは、ルイスを極端に嫌っていた。原因はよく分からない。
 俺はルイスを信頼している。使う言葉には棘があるが、言っている事はいつも的確なのだ。もう一人の軍師であるヨハンも、言っている事は的確なのだが、言葉が柔らかすぎる。言葉が柔らかいと、伝えたい事がどこか鈍る。棘がある方が、ハッとするのだ。
「暇すぎるぜ。二万って数にビビってんのか、あの臆病者が」
「決めてるのはクライヴ将軍だろ?」
「あのおっさんはダメだっつってんだろ、シグナス。ルイスの言う事しか聞かねぇ」
 それだけ、ルイスの判断が的確なんだろ。俺はそう思ったが、口には出さなかった。
「そろそろ持ち場に戻れよ、シーザー」
 俺がそう言うと、シーザーは舌打ちをして去って行った。相当、鬱憤が溜まっているに違いない。
 しかし、気持ちはよく分かった。五日間も睨み合いをするだけで動かないというのは、どうにも辛い。俺が学んだ軍学によれば、何ヶ月も対峙する戦もあったというが、それとこれとは話が別だった。
 それから一時間ほどして、伝令が駆けて来た。本陣からである。
「シグナス将軍、ならびにロアーヌ将軍は、敵陣の右翼に攻めかかるように、との事です」
 今の陣形は、俺が右翼、クリスが左翼、シーザーが中央、というものだった。本陣はこの後ろで、ロアーヌの遊軍は別の離れた場所で陣を組んでいる。
「やっと攻めるか。しかし、俺の槍兵隊はわかるが、ロアーヌの騎馬隊も一緒に攻めるのか?」
「はい。ただし、敵前衛には本気でぶつかるな、という事です」
 意味がわからなかった。
「前衛を越えたら?」
「本気で殺せと」
「うぅむ?」
「ルイス様によれば、敵前衛は本気でぶつかってくる事はないとの事です。この確証を得るために、五日間の時間を費やしたようですが」
 まぁ、なんでも良いか。俺はそう思った。ルイスと俺の頭の出来は違い過ぎる。考えても分かる訳が無いのだ。命令通りに動こう。そう思った。
「分かった」
 俺がそう言うと、伝令は駆け去って行った。シーザーの方に向かっているようだ。
 ロアーヌと俺が一緒の場所を攻める。これには何か理由があるのだろう。ただ、本気でぶつかるな、というのは難しい注文だった。戦なのだ。戦は命のやり取りである。そこで力を抜けというのは、死んでくれ、と言っているようなものだ。
 だが、言っているのはルイスだった。ならば、俺達はその通りに動いて結果を出すだけだ。
「お前ら、俺達は中央をブチ抜くぞ。待たされた分、敵を殺して鬱憤を晴らせっ」
 そんなシーザーの怒号が、俺の陣にまで聞こえていた。
 敵軍が疲弊していた。肉体的にではなく、精神的にである。まだぶつかってすらいない。それなのに、敵軍からは疲弊の色が感じられていた。
 ルイスから攻撃命令が下されて、三十分が経過しようとしている。俺は鞘から剣を抜き放ち、号令を下す準備をしていた。部下である六百の騎馬隊の士気は、最高潮に達する寸前だ。
 何度か、攻勢をかける振りをしてみせた。その度に、敵軍に衝撃が走るのが分かった。怯えているのである。攻めるぞ、という振りを見せただけで、敵軍の気が一気に縮こまる。
 まともな戦にはならないだろう。俺はまずそう思った。目の前の敵軍は、二万の烏合の衆である。兵もそうだが、指揮官が怯えきっているのだ。つまり、タンメルの腰が据わっていない。だから、兵も怯えるしかないのだ。僅か四千強の俺達が、二万の官軍を圧している、という恰好だった。
 その二万の官軍の中で、右翼の前衛だけが、ひときわ異彩を放っていた。数にすると三百にも満たないのだが、攻める素振りを見せると、逆にその三百だけは士気を上げてくるのだ。他の敵兵は、蛇に睨まれた蛙のように縮こまる。その中で、士気を上げる。これは相当なものだ。兵一人一人の肝が据わっている必要があるし、周りに流されない強い心も必要なのだ。
 その右翼に、俺とシグナスがぶつかる。だが、本気でぶつかるな、という指令だった。
 何故、本気でぶつかってはならないのか。俺はこれを考えた。あの右翼の前衛の持ち堪えよう。ルイスの考えと、これがどこかで繋がっている気がする。
 俺はルイスの鐘を待ち続けた。もう敵兵は戦意を失っていると言っていい。すでに陣の方々が乱れており、敵は浮足立つ寸前だ。初撃を受け切れば、御の字だろう。攻める素振りを見せて、敵の士気を削いだ。疲弊もさせた。あとは、攻めかかるだけのはずだ。
 シーザー軍の戦の気が、膨れ上がっていた。シーザー軍だけで、敵軍を圧倒しかねない程の気だ。殺気も鋭く放っている。
 攻勢の機が、近付いている。俺はそう思った。シグナスもそれを感じ取ったのか、兵に槍を構え直させていた。
 鐘が鳴った。
「シグナス軍のために道を空ける。矢のように敵陣を貫くぞっ」
 剣を振り下ろす。駆けた。先頭を走る。
 敵前衛。右翼。まだ、持ち堪えている。士気がどんどん上がっている。本物か。そう思った瞬間、見覚えのある顔が俺の目に飛び込んできた。
 思わず、剣を引いた。
「お前達」
 官軍時代の、俺の部下だった。背後で馬蹄が鳴り響いている。駆けながら、辺りを見回す。シグナスと俺の、かつての部下達だ。情が、剣を止める。
 止まれ。背後に向けて、そう叫ぼうと思った。だが、それは出来ない。戦なのだ。これも何かの巡り合わせなのか。
 剣を構えた。かつての部下と目が合う。本気ではぶつかれない。ルイスの命令だ。つまり、殺さずに戦闘能力を奪わなければならない。俺は出来る。だが、後ろの部下はどうなのだ。思案が、俺の頭の中を駆け巡る。
「ロアーヌ隊長っ」
「死にたくなければ道を空けろ。今は俺は、メッサーナ軍だ」
 これが今言える限界だった。お前達の死ぬ姿は、見たくはない。だが、戦なのだ。死にたくなければ、自衛しろ。
 ぶつかる寸前。
「私達も、私達もロアーヌ隊長の大志に連れ添いたいのです」
 この言葉に、俺は剣を振れなかった。そして同時に、思案が弾けた。
「反転して、共に官軍を打ち破れっ。今日この場から、お前達は俺の部下とするっ」
 喊声が巻き起こった。タンメルの計略かもしれない。一旦、内へと入れて、撹乱させる。それかと思ったが、ルイスの本格的にぶつかるな、という言葉がそれをかき消した。ルイスは、これを狙っていたに違いない。
 敵軍は一挙に混乱に陥った。味方だと思っていた前衛が、一斉に反転したのだ。何が起きたのか、把握できていない。そんな状態だ。
 敵は武器を構える事すらせず、背を見せて一斉に逃げ出した。大潰走である。二万の中で唯一のまともな部分、つまりは軍の中核が、こちらに寝返ったのだ。持ち堪えられるはずもない。
 俺は騎馬隊とかつての部下達を率いて、敵を追いに追った。すでに敵は陣を崩して、四方八方に逃げ回っている。隊を、七つに分けた。かつての部下達と、一隊百名の六隊にである。そして、それぞれを追撃に回した。
 シーザー軍が怒号を発しながら、敵軍を攻め立てている。俺はそれを横目に、タンメルを探していた。
「ロアーヌ、タンメルはどこだ」
 シグナスが馬を寄せて来た。馬は敵兵から奪ったものだろう。
「わからん。あいつは逃げ足だけは早い気がする」
「俺達のかつての部下を前衛に持って来てたな、あいつ」
「それが仇となった。今では再び俺達の部下だ」
 その時、追撃に回した隊の一騎が駆け戻って来た。タンメルらしき男が、十数名の兵に守られながら、北西の林の中を突っ切っている。一騎は、そう言った。
「あいつは馬もロクに操れん。急いで駆ければ、間に合う。首が取れるぞ」
 シグナスが言った。どこか興奮している。
「十数名の兵と一緒か」
 部下を一度参集して、共に連れていくか迷った。連れていけば、タンメルは確実に討ち取れる。ただし、追い付けばである。集団行動になれば、それだけ足が遅くなるのだ。それに、参集するための時間も要る。
「俺とお前で十分だ。タンメルを殺す」
 言って、シグナスが馬を駆けさせた。
 シグナスは冷静ではない。殺したい男がすぐ目の前に居る。それで焦っている。だが、俺はそれを悪いとは思わなかった。
 馬に鞭を入れた。シグナスと二人で殺しに行く。
 馬の蹄の跡が、土に刻み込まれていた。それを追いかける。十数人の集団が、林の中に見えた。
「タンメル、久しぶりだなっ」
 シグナスが吼えた。敵兵が振り返ってくる。タンメルの悲鳴らしきものが聞こえて来た。何とかしろ。そういう下知も飛ばしている。
 四人の敵兵が同時にシグナスに向けて駆けて来た。閃き。四人が物のように、シグナスの槍で撥ね上げられた。さらに敵が襲いかかる。シグナスはそれをちょっと見ただけで、何もしなかった。俺がシグナスに追い付き、その敵兵の首を斬り飛ばす。さらに飛び込んできた敵も、一太刀で両断した。
「な、なにをやっとる。早く殺せっ」
「喚くだけじゃなく、お前が来いよ」
 シグナスが首を鳴らした。さらに敵兵。シグナスはタンメルを睨みつけたまま、向かって来た敵を槍で撥ね上げ、死体を木の幹にめり込ませた。それで、残りの敵兵は戦意を完全に失った。ガタガタと身体を震わせ、失禁している者も居る。
「バカ者ぉっ。早く私を守れ、屑どもがっ」
「だから、お前が来いよ」
 シグナスがずいっと馬を進めた。
「フ、フヒヒ。金ならあるぞ、シグナス。ほれ、金だ」
「要らねぇな」
「何とかしろ、屑どもっ。おい、ロアーヌ、金をやるからシグナスを何とかしろ」
「お前が屑だ」
 俺は、それだけ言った。
「よ、ようし、お前達がその気なら、私にも考えがあるぞ」
 そう言って、タンメルは腰から短剣を抜き放った。そして、すぐ傍の兵の首根っこを掴み、引き寄せた。兵と呼ぶには、あまりにも貧相な体格だ。そして、タンメルはその兵の喉元に刃物を突き付けた。
「バカか、お前は。その兵は俺達の敵だ。どうなろうと知ったこっちゃねぇ」
「そうだなぁ、シグナス。だが、ロアーヌはどうだ。え?」
 俺は何も言わなかった。兵と眼が合った。
 かつての従者、ランドだった。
「お前のかつての従者だ、ロアーヌ。え? フヒヒ。情があるだろぉ?」
「ロアーヌ」
 シグナスが俺の顔を見てきた。それに対し、俺は何も返さなかった。
「タンメル。ここは戦場だ」
 俺はそれだけを言った。ランドの眼は、落ち着いている。俺は馬を進めた。タンメルの眼を睨みつける。強い気を込めて、睨みつける。俺は口数は少ない。だが、それ以上に眼で物を言う。タンメルに向けて、俺は眼で多くを言った。
 さらに馬を進める。俺は瞬きすらしなかった。タンメルの眼を、ただひたすらに睨みつける。
 タンメルが、全身をガタガタと震わせ始めた。そして、具足の股間が濡れた。失禁である。
「く、来るな」
 俺は無言でタンメルの傍に寄った。眼は睨みつけたままだ。そして、短剣を持つタンメルの腕を握り締めた。力を込める。何かが砕ける音がした。悲鳴。
「う、腕がぁっ。やめてくれ、命だけは助けてくれっ。金をやる。頼むっ」
 俺はランドを自分の背後に回した。
「腕の骨が砕けたっ。頼む、助けてくれっ」
「お前のような屑」
 シグナスが汚物を見るような眼差しをタンメルに向けながら、口を開いた。
「殺す価値すらねぇよ。消えろ」
 俺は目を閉じた。怒りが消えていた。代わりに、憐れみのような感情がわき出ている。
 タンメルの悲鳴と共に、馬蹄が遠ざかっていった。
20, 19

  

 私は、タンメルを公開処刑に処する事に決めた。
 タンメルは敗軍の将である。これは軍律に照らすならば、斬首刑になるのだが、私はあえて公開処刑を選んだ。政敵などはこれに対して難癖を付けてきたが、私は相手にしなかった。タンメルの負け方は、斬首刑では罪が軽すぎる。それほど、戦の内容が情けなかったのだ。そして何より、斬首刑ではタンメルを利用しきれなかった。公開処刑なら、最後の最後までタンメルは使える。国を改革するための、土台として使える。
 タンメルは私の予想通りの動きをしてくれた。二万という軍勢を率いて東へ赴き、ただの一戦もまともにこなす事なく、逃げ帰って来たのである。戦でタンメルの首を取られる、というのが私の中での懸念ではあったが、タンメルの人間としての屑さ加減が、それを吹き飛ばしてくれたようだった。
 タンメルには監視を付けていた。何とか、生き延びさせて、都まで連れて帰れ。監視には、そういう指令も出していた。
 タンメルは二度、命の危機に遭っていた。一度目はシーザーの偃月刀である。この男は官軍時代から荒々しさで名を売っており、今ではすっかりメッサーナ軍の主力だ。そのシーザーの偃月刀が、タンメルの首を狙ってきた。
 これについては、監視のウィンセが上手くやった。シーザーと何合かやり合って、その間にタンメルを逃がしたのである。
 二度目の命の危機は、ロアーヌとシグナスだった。この時、ウィンセはシーザーとやり合っている最中で、タンメルは無防備同然だったという。だが、タンメルは命を繋いだ。何があったのかは分からないが、とにかくタンメルは命を繋いだ。
 そして、その繋いだ命は国のために使わせる。
 今、国は腐っている。腐っているから、メッサーナのような、反乱を心に抱いた者達が現れる。そういう者達は、国の歴史など何とも思っていない。これは由々しき事だ。この国は、数百年という歴史を歩んできたのだ。それを壊すなど、馬鹿げているとしか言いようがなかった。悪いのは国ではなく、腐った人間どもなのだ。それを粛清さえすれば、これからも国は歴史を紡ぎ続ける事が出来るはずだ。
 そのために、タンメルには死んでもらう。国のために死ねるのだ。タンメルも光栄だと思うだろう。私が仮にあいつの立場なら、そう思うはずだ。
 従者に、タンメルを呼ばせた。
「宰相様、お許しをっ。金ならあります、宰相様ぁっ」
 半裸で首と手足に枷を付けられたタンメルは、人間と呼ぶにはあまりにも醜い姿だった。でっぷりと腹は突き出て、身体の随所で余った肉が呼吸の度に揺れている。それが正視に耐えなかったので、私は目を閉じた。
「助かりたいか?」
「はいぃぃ」
 嗚咽混じりの声だった。不快感が、私の全身を包み込んでくる。
「命さえ助かれば、何でもすると誓えるか?」
「はい、はいっ」
「ならば、三日間だけ裸で高所に吊るす事にする。その間、お前は私が命じた事をしっかりとやり通すのだ。そうすれば、命は助けてやる」
「み、三日」
 タンメルは、豚の寝息のような呼吸をしていた。
「まず、賄賂を支払うから許してくれ、と声高々にして叫べ。次に、お前と同じように賄賂で将軍に成り上がった者の名を叫ぶ。そして最後に、お前を将軍にまで押し上げた役人の名を叫ぶのだ」
 タンメルに賄賂の事を叫ばせれば、それが公に広まる事になる。今まで、賄賂の件はあくまで水面下の話だった。もしかしたら、の域を出なかったのである。それが、一挙に広まる。これによって民は、今の政府の役人達に不信を募らせる。そして、賄賂で成り上がった将軍の名も叫ばせれば、軍人にも不信を募らせるだろう。最後の役人の名は、いわばトドメのようなものだ。
「それに一体、何の意味が」
「お前が知る必要はない。助かりたいのだろう? ならば、余計な詮索はしない事だ」
 目を閉じているせいで、タンメルの臭気が鼻を突いてきた。何日も身体を洗っていないのだろう。どこか生臭い。
「返事は?」
「や、やります」
「よし。ならば、今からやって貰おう」
 これで良い。私はそう思った。タンメルが、これで役に立つ。
 これによって、政府は一気に緊張感を持つ事になる。そして民は、政治の最高責任者であるこの私の動向に注目するだろう。ここまで来れば、後は私の思い通りだ。民は政治の一新を願っている。それに付随する動きを、私はすれば良い。そして、この動きこそが、私が成し遂げたかった国の改革なのだ。
「ウィンセ、居るか?」
「はい」
 気配を感じさせる事もなく、ウィンセは私の目の前に現れた。この男は小柄だった。だが、それに反して腕は立つ。
「タンメルがやる事をやったら、殺せ。できれば、名を叫ばれた将軍か役人に殺された、という恰好が良い」
 こうする事によって、民はタンメルの言った事にさらに確信を得ていくだろう。
「わかりました」
「他の十人はどうしている?」
 私には、息の掛かった部下が十一人居た。一人はウィンセである。この十一人は、政治・軍事能力のそれぞれに長けており、私から見ても優秀だと評価しても良い者達だった。
「特には何も。フランツ様の政敵の抑えに回っていたり、軍務を通常通りにこなしております」
「それで良い。とりあえず、国の改革は始まりそうだ」
「はい。数百年の国の歴史を、存続させる事が出来ます」
「メッサーナは役に立った、と言えるかな」
「そのメッサーナですが、早めに潰した方が良いかもしれません」
「ほう?」
 ウィンセが敵を評価した。これは、珍しい事である。仲間内ですら、ウィンセが評価する事はあまりない。
「今は二万の規模ですが、軍は精強です。特にロアーヌとシグナスの二人は、要注意でしょう。あの二人は軍人としては抜きん出ています。今はまだ戦の経験が浅いため、脅威としては薄いのですが。この二人に経験を積ませると、厄介な事になりかねません」
「しかし、今の官軍では勝てまい。大将軍を動かすわけにもいかぬし」
 今の官軍には、大将軍以外に優秀な指揮官が居なかった。先程の十一人の部下達や、まだ見ぬ埋もれた人材などはどこかで眠っているはずなのだが、それを表に出すのは国の改革を終えてからの話である。
「はい。ですから、改革は急ぐに越した事はないかと。特に軍事面を」
「それは分かっている。実際にのんびりする事はできん。それは内政も軍事もだ。私の今回の方法は少しばかり過激だ。それだけに、民も早急な対応を求めてくるだろう。ダラダラとやっていれば、私が民から見放される」
 民から見放されるという事は、厄介な事だった。政敵に政権を奪われるだけならばまだ良いのだが、民がメッサーナの肩を持つという可能性もあるのだ。メッサーナの反乱に民が身を寄せれば、国としてはかなり危うい事になってしまう。それを防ぐためにも、私はのんびりとは構えていられなかった。
「フランツ様、他の方法はありませんでしたか?」
「腐りを取り除く方法か?」
「はい」
「無いな」
 時をかければある。だが、それは言わなかった。時をかければ、メッサーナの反乱に手が付けられなくなるだろう。だから、実質的には今回の方法しか無かった。
「シーザーと何合かやり合いましたが」
 ウィンセが話題を変えた。
「攻めだけの男です。守りが脆い。わき腹を槍で突いておきました」
「ほう、それは大きな収穫ではないか」
「すぐに他の兵が救援に回って来たので、首は取れませんでしたが」
「わき腹か。助かるかどうかは運次第だな」
 はらわたは、急所の一つである。出血次第では、命も落とす。
「どうせなら、ロアーヌかシグナスのわき腹を突いてくれば良かったものを」
「無理でしょう。あの二人は別格です。シーザーの守りがずさんだからこそ、私も出来た事ですよ」
「言ってみただけだ。そう拗ねるな。それより、タンメルの件はしっかりとやり通せよ」
「はい。承知しております」
 タンメルの死で、私の改革は始まる。綱渡りのような改革だ。だが、だからこそ、私の心はかすかに快感に包まれていた。難度の高い物事に挑む時、私は精神的に充足する事が出来る。
「しばらくは、楽しい日々になりそうだ」
 言って、私は少し笑った。
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