第五章 鼓動
私はヨハンと共に、懸命に内政を整えていた。毎日が目の回るような忙しさである。
西の砦を二万の官軍から守った。これが一つの契機だった。
あの戦の後、メッサーナ周辺の町や村が、我々に従属すると申し出てきたのである。彼らは我々と同じように国に反感を持っている者達で、以前から反乱を企てていたという。しかし、それを実行する事は出来なかった。何故なら、反乱を先導する者が居なかったし、町や村だけの独力では、国に叩き潰される事が目に見えていたからだ。
そんな時、我々が国から西の砦を奪い取った。そればかりか、取り戻しに来た官軍すらも追い返したのだ。この出来事で、周辺の町や村は今が反乱の機だと見た。そして、メッサーナに従属してきたのである。
このおかげで、メッサーナの国力は一気に膨れ上がった。その膨れ上がり方は相当なもので、国は国土を七つに分けて統治していたが、その内の一つがメッサーナの物となったと言っても良い程である。以前のメッサーナの統治領は、一つの地域の中のほんの一部分、という形だったのだ。
しかし、国から見ればまだ我らは赤子のようなものだった。東の田舎地方、という事実は変わらないし、物産や民の数も未だ天地の差だ。だが、赤子は成長する。国はいわば老人だ。腐りと言う名の病も抱えている。だから、メッサーナはいつか国を超えるはずだ。
だが、国は変わろうとしていた。フランツという名の、一代の傑物の手によってである。まだ詳しい情報は掴めていないが、フランツはタンメルを利用して、国の改革に乗り出したという。これはヨハンも読んでいた事だが、どこか不気味さがあった。我々の予想している以上に、物事が進んでいるという気がするのだ。
これについては、都に潜ませる間者の数を増やして対応する事にしていた。何をするにしても、まずは情報が第一である。特にメッサーナは東の田舎地方だ。都の情報などは大きなものしか手に入れる事が出来ない。だから、間者だった。しかし、間者も人間だ。完璧ではない。情報の精度を高めるためにも、都には多くの間者を送り込んでいた。
フランツは国を存続させようとしている。だが、それは何故なのだ。
私にはフランツの思想は理解できなかった。どんなモノにも、寿命はある。この世の万物には、限られた命があるのだ。それは国も例外ではない。もっと大きな視点で言えば、この世界ですら寿命を持っているだろう。そして、今の国の寿命はすでに切れかかっている。フランツが懸命に国を建て直したからと言って、国は再生できないのだ。その寿命をほんの少し延ばすだけである。だから一度、国は死に、新しいものへと生まれ変わる必要があるはずだ。
私とフランツは、一生、相容れる事はないだろう。私は直感的にそう思った。フランツとはまともに話をした事すらない。かつて、ちょっとだけ、顔を合わせただけだ。しかしそれでも、相容れる事はない。これは確信である。遠く離れたこの地からでも、それははっきりと分かった。思想の違いだけではなく、私の生まれ持った何かが、フランツを受け入れようとしていないのだ。そして、これはフランツも思っている事だろう。
ヨハンが、部屋に入って来た。
「ランス様、シーザー将軍の容態が安定しました。何とか、命は繋いだようです」
私は書類を捌く手を止め、顔を上げた。
シーザーは先の戦で、負傷していた。敵の一兵卒とやり合い、わき腹を槍で突かれたのである。これはシーザーの部下から聞いた話で、詳しい経緯はわからない。だが、あのシーザーがただの一兵卒に負けた、というのは信じられない事だった。
「そうか、それは良かった。まぁ、あいつがそう簡単にくたばる訳がないとは思ったが」
「しかし、あのシーザー将軍が一兵卒に負けるとは」
「私もそれが気になっている。シーザーの武芸の腕は、ロアーヌやシグナスに次ぐものでもあるし」
「タンメルの首を取ろうとしたら、小柄な兵卒が前に出て来た、とシーザー将軍の部下から聞いています」
「ふむ?」
「フランツの手の者では、と思っているのですが」
私は腕を組んだ。
「そうだとしたら、タンメルはやはり利用されたか」
「まぁ、そう考えて間違い無いでしょう。また、それとは別に、西に官軍が集められています。前線には八万の兵力が駐屯しているとか」
次に攻めるべき場所だった。だが、官軍からこちらに攻めてくる気配はない。つまり、防備を固めているのだ。これ以上、我々を勢い付かせまいとしている。八万という兵力は、今の我々にとっては強大過ぎた。メッサーナの国力が拡大したと言っても、今は内政を整えるのが精一杯で、軍事面には手が回っていない。だから、兵力も二万から大して変化は無かった。
「内政に時はかけたくないな」
国力に差がありすぎる。フランツが私の想像通りの男ならば、内政に時をかければかけるだけ、こちらが不利になると思えた。
「それはフランツも同じでしょう。おそらく、彼は今、政敵の処理と、軍と役人の再編に追われているはずです」
「その再編が終わるまでに、私達は動きたい所だ」
「はい。むしろ、そうしないと我々は負けます。メッサーナの国力が拡大したという事は、反乱が大きくなったとも言えるのです。そうなると、国も焦り出すでしょう。今までバラバラだったものが、一つに固まり始めもします」
「人材面も、改善されるだろうな」
我々が唯一、国に勝っている部分だった。それすらも凌がれると、この先は厳しくなってくる。
「それらを防ぐためにも急ぎましょう。しかし、安心しました。ランス様も、考えるべき時は考えるのですね」
「どういう意味だ?」
「楽観的な所がありますから」
「楽観視できる時はそうする。そうでない時は、考えるのだよ。ヨハン、お前はいつも考えているがな」
言って、私は声をあげて笑った。
「まぁ、性格でしょうか。これを苦にした事はありません」
「そういう所が私は羨ましい。とりあえず、今は内政だな。国力増大に伴い、処理すべき案件が増えた」
従属してきた町や村から、多くの者を役人として登用したが、それでも仕事に対する人の数が合っていなかった。
「はい。軍事面に関しては、ルイスにも手伝って貰います。あとは、シーザー将軍の復帰を待ちましょう」
兵の選別や武具、馬の調達などはルイスでも出来るが、兵の調練はそれぞれの将軍がやるべきだった。兵は将軍を見て育つ。これは言い換えれば、将軍によって兵の性格が変わってくるという事だ。例えばロアーヌの配下は寡黙で峻烈だが、シグナスの配下は明朗快活で率直である。このように、将軍がそれぞれ兵を鍛え上げる事によって、軍は多彩な色を持つ事になるのだ。
「シーザーは立ち直るかな」
今まで、特に負けた事は無かった男だった。特に個人戦はそうだ。メッサーナの中でも、ロアーヌとシグナスが来るまでは、一、二を争う武芸の腕の持ち主だった。それが、一兵卒に打ち負かされたのだ。精神的に潰れる可能性は十分にあった。
「シグナス将軍が何とかするのでは、と私は思っていますが」
「あの男は不思議なものだな。ズンズンと人の心に踏み込んでくるのだが、決して不快にはさせない」
「ランス様も同じようなものを持っていますよ。と言うより、人を引き込ませます」
「ふむ?」
「自覚していないのが、また良いのかもしれません」
言って、ヨハンは二コリと笑った。
西の砦を二万の官軍から守った。これが一つの契機だった。
あの戦の後、メッサーナ周辺の町や村が、我々に従属すると申し出てきたのである。彼らは我々と同じように国に反感を持っている者達で、以前から反乱を企てていたという。しかし、それを実行する事は出来なかった。何故なら、反乱を先導する者が居なかったし、町や村だけの独力では、国に叩き潰される事が目に見えていたからだ。
そんな時、我々が国から西の砦を奪い取った。そればかりか、取り戻しに来た官軍すらも追い返したのだ。この出来事で、周辺の町や村は今が反乱の機だと見た。そして、メッサーナに従属してきたのである。
このおかげで、メッサーナの国力は一気に膨れ上がった。その膨れ上がり方は相当なもので、国は国土を七つに分けて統治していたが、その内の一つがメッサーナの物となったと言っても良い程である。以前のメッサーナの統治領は、一つの地域の中のほんの一部分、という形だったのだ。
しかし、国から見ればまだ我らは赤子のようなものだった。東の田舎地方、という事実は変わらないし、物産や民の数も未だ天地の差だ。だが、赤子は成長する。国はいわば老人だ。腐りと言う名の病も抱えている。だから、メッサーナはいつか国を超えるはずだ。
だが、国は変わろうとしていた。フランツという名の、一代の傑物の手によってである。まだ詳しい情報は掴めていないが、フランツはタンメルを利用して、国の改革に乗り出したという。これはヨハンも読んでいた事だが、どこか不気味さがあった。我々の予想している以上に、物事が進んでいるという気がするのだ。
これについては、都に潜ませる間者の数を増やして対応する事にしていた。何をするにしても、まずは情報が第一である。特にメッサーナは東の田舎地方だ。都の情報などは大きなものしか手に入れる事が出来ない。だから、間者だった。しかし、間者も人間だ。完璧ではない。情報の精度を高めるためにも、都には多くの間者を送り込んでいた。
フランツは国を存続させようとしている。だが、それは何故なのだ。
私にはフランツの思想は理解できなかった。どんなモノにも、寿命はある。この世の万物には、限られた命があるのだ。それは国も例外ではない。もっと大きな視点で言えば、この世界ですら寿命を持っているだろう。そして、今の国の寿命はすでに切れかかっている。フランツが懸命に国を建て直したからと言って、国は再生できないのだ。その寿命をほんの少し延ばすだけである。だから一度、国は死に、新しいものへと生まれ変わる必要があるはずだ。
私とフランツは、一生、相容れる事はないだろう。私は直感的にそう思った。フランツとはまともに話をした事すらない。かつて、ちょっとだけ、顔を合わせただけだ。しかしそれでも、相容れる事はない。これは確信である。遠く離れたこの地からでも、それははっきりと分かった。思想の違いだけではなく、私の生まれ持った何かが、フランツを受け入れようとしていないのだ。そして、これはフランツも思っている事だろう。
ヨハンが、部屋に入って来た。
「ランス様、シーザー将軍の容態が安定しました。何とか、命は繋いだようです」
私は書類を捌く手を止め、顔を上げた。
シーザーは先の戦で、負傷していた。敵の一兵卒とやり合い、わき腹を槍で突かれたのである。これはシーザーの部下から聞いた話で、詳しい経緯はわからない。だが、あのシーザーがただの一兵卒に負けた、というのは信じられない事だった。
「そうか、それは良かった。まぁ、あいつがそう簡単にくたばる訳がないとは思ったが」
「しかし、あのシーザー将軍が一兵卒に負けるとは」
「私もそれが気になっている。シーザーの武芸の腕は、ロアーヌやシグナスに次ぐものでもあるし」
「タンメルの首を取ろうとしたら、小柄な兵卒が前に出て来た、とシーザー将軍の部下から聞いています」
「ふむ?」
「フランツの手の者では、と思っているのですが」
私は腕を組んだ。
「そうだとしたら、タンメルはやはり利用されたか」
「まぁ、そう考えて間違い無いでしょう。また、それとは別に、西に官軍が集められています。前線には八万の兵力が駐屯しているとか」
次に攻めるべき場所だった。だが、官軍からこちらに攻めてくる気配はない。つまり、防備を固めているのだ。これ以上、我々を勢い付かせまいとしている。八万という兵力は、今の我々にとっては強大過ぎた。メッサーナの国力が拡大したと言っても、今は内政を整えるのが精一杯で、軍事面には手が回っていない。だから、兵力も二万から大して変化は無かった。
「内政に時はかけたくないな」
国力に差がありすぎる。フランツが私の想像通りの男ならば、内政に時をかければかけるだけ、こちらが不利になると思えた。
「それはフランツも同じでしょう。おそらく、彼は今、政敵の処理と、軍と役人の再編に追われているはずです」
「その再編が終わるまでに、私達は動きたい所だ」
「はい。むしろ、そうしないと我々は負けます。メッサーナの国力が拡大したという事は、反乱が大きくなったとも言えるのです。そうなると、国も焦り出すでしょう。今までバラバラだったものが、一つに固まり始めもします」
「人材面も、改善されるだろうな」
我々が唯一、国に勝っている部分だった。それすらも凌がれると、この先は厳しくなってくる。
「それらを防ぐためにも急ぎましょう。しかし、安心しました。ランス様も、考えるべき時は考えるのですね」
「どういう意味だ?」
「楽観的な所がありますから」
「楽観視できる時はそうする。そうでない時は、考えるのだよ。ヨハン、お前はいつも考えているがな」
言って、私は声をあげて笑った。
「まぁ、性格でしょうか。これを苦にした事はありません」
「そういう所が私は羨ましい。とりあえず、今は内政だな。国力増大に伴い、処理すべき案件が増えた」
従属してきた町や村から、多くの者を役人として登用したが、それでも仕事に対する人の数が合っていなかった。
「はい。軍事面に関しては、ルイスにも手伝って貰います。あとは、シーザー将軍の復帰を待ちましょう」
兵の選別や武具、馬の調達などはルイスでも出来るが、兵の調練はそれぞれの将軍がやるべきだった。兵は将軍を見て育つ。これは言い換えれば、将軍によって兵の性格が変わってくるという事だ。例えばロアーヌの配下は寡黙で峻烈だが、シグナスの配下は明朗快活で率直である。このように、将軍がそれぞれ兵を鍛え上げる事によって、軍は多彩な色を持つ事になるのだ。
「シーザーは立ち直るかな」
今まで、特に負けた事は無かった男だった。特に個人戦はそうだ。メッサーナの中でも、ロアーヌとシグナスが来るまでは、一、二を争う武芸の腕の持ち主だった。それが、一兵卒に打ち負かされたのだ。精神的に潰れる可能性は十分にあった。
「シグナス将軍が何とかするのでは、と私は思っていますが」
「あの男は不思議なものだな。ズンズンと人の心に踏み込んでくるのだが、決して不快にはさせない」
「ランス様も同じようなものを持っていますよ。と言うより、人を引き込ませます」
「ふむ?」
「自覚していないのが、また良いのかもしれません」
言って、ヨハンは二コリと笑った。
シグナスが、シーザーに稽古をつけていた。
「四回は死んでるぜ、シーザー」
ひとしきり打ち合った後、シグナスが槍を持ち直しながら言った。かなり激しい攻防戦だと思えたが、シグナスはほとんど息を乱していない。一方のシーザーは、額に汗を浮かばせて荒い呼吸を繰り返していた。病み上がりで体力が落ちているのだろう。攻め方も、どこか鈍重だった。
シーザーは砦防衛戦で、重傷を負っていた。槍でわき腹を突かれたのである。俺は今までにわき腹を負傷した者を何人も見てきたが、そのほとんどが死んでしまっていた。シーザーが命を繋ぎ止めたのは、運が良かったと言う他ないだろう。
シーザーを負かした敵は、たかが一兵卒だという話だった。体格も小柄だったという。その敵に負けた。これは、シーザーの誇りを粉々に打ち砕いたはずだ。シーザーは普段から荒々しい男だが、その荒々しさは誇りと自信の裏返しだったのだ。
案の定、シーザーは病床で意気消沈していた。それは本当に生気が抜けているといった感じで、普段の荒々しさは完全に消えていた。それを、シグナスが元気付けた。どういう方法を取ったのかは分からないが、シグナスは人を勇気付けたり、背中を押すといった事が上手い。今回のシーザーも、それで立ち直ったようなものだった。
そして、稽古だった。シーザーは自分の弱さ、というより、欠点を認めたのである。守りが脆い。攻めばかりで、守りを知らない。この欠点を、克服しようと考えたのだ。そこで師として、シグナスが選ばれた。
俺はそのシグナスに付き合わされているといった恰好で、稽古はほとんど見ているだけだった。
「四回も死んでるのかよ、冗談じゃねぇよな?」
肩で息をしながら、シーザーが言った。手の甲で額の汗をぬぐっている。
「当たり前だろ。お前が病み上がりでなければ、実際にこの棒で打ってやってる所だ」
シグナスは槍の代わりに木の棒を持っていた。その昔、使っていたのは槍ではなく、棒だったという話を聞いた事がある。
「何が悪いのかさっぱり分からねぇ。絶えず攻撃はしているつもりなんだがな」
「それが駄目なんだよ。攻防は一体だ。攻めだけで勝てるのは、せいぜい相手の腕が中の中ぐらいまでだな。これ以上の腕の持ち主となると、勝つのは難しい。ましてや達人レベルになれば、お前は死ぬぜ」
「攻撃は最大の防御だろうが」
「それは一理ある。だが、相手の攻撃を利用して反撃する事も出来る。カウンターって技術なんだが。お前はこのカウンターで四回、死んでる」
シグナスがそう言うと、シーザーは舌打ちした。
「ロアーヌ、お前は見ていてどうだった。何回、シーザーを殺せた?」
シグナスがこちらに顔を向けて言ってきた。
「三回だな」
シグナスより一回少ない。これは武器の取り回し易さと、射程の差である。シーザーの武器は偃月刀を模した木剣で、射程は槍とそう変わらない。剣だと、槍の二分の一程度の射程になるのだ。その代わりに、剣は取り回しが楽だ。それに加えて、武器には相性があった。相性で言えば、槍と偃月刀は悪くない。
「どうすりゃ良い?」
「稽古の時だけ、防御だけをするようにしてみろよ。俺はお前にとって、避けにくい所、受けにくい所をその都度、打ってやる」
「攻められねぇじゃねぇか」
「欠点を克服するんだろ?」
「まぁ、そうだが。しかし、お前、そんな偉そうな事を言うほど、強いのかよ」
シーザーが吐き捨てるように言ったのを聞いて、俺は苦笑した。相当、鬱憤が溜まっているのだろう。稽古を開始してから、シグナスにはシーザーの攻撃が一撃も当っていない。そればかりでなく、シグナスは息も乱していないのだ。攻めが大好きなシーザーにとって、これほど腹立たしい事は無いのかもしれない。
「お前が病み上がりじゃなきゃ、実際に打ってやれるんだが」
「ロアーヌとお前の勝負を見せろ」
シーザーが不意に言った。それを聞いて、俺は心臓の鼓動が少しだけ跳ね上がった。
「剣のロアーヌと槍のシグナス。共に都で音を鳴らしてたんだろう。あいにく俺は病み上がりで、体力もがっくりと落ちてる。だからじゃないが、強者同士の勝負を見て学びてぇ」
少しだけ、場を静寂が支配した。風の音が、耳の中で渦巻く。
風が止んだ。
「俺は別に良いがな」
そう言って、シグナスは俺の方を見て来た。
剣と槍で立ち合う。これは、八年ぶりだった。十六歳の時以来である。あの時のシグナスは、不良どもを束ねるやんちゃ坊主で、俺は官軍に属して一年目の兵卒だった。
剣と剣。槍と槍。こういった形で立ち合う事は何度もやってきた。だが、互いに得手とする武器で立ち合うのは、十六歳の時が最後の事だった。お互いに、立ち合う事を避けていたという気がする。俺にとってシグナスは、最も立ち合いたい相手であり、最も立ち合いたくない相手だった。
「俺も構わん」
俺は、そう言っていた。
今までは切っ掛けがなかった。どちらが言い出すわけでもなかった。お互いに同志であり、親友だった。そこに強さは関係無かったのだ。だが、親友だからこそ、お互いの強さを確認したい。
「なら、頼むわ。こいつは良い勉強になりそうだぜ」
シーザーは何の事もないかのように言った。まぁ、当然だろう。端から見れば、俺とシグナスは今までに何度も立ち合いをしていたように見えるはずだ。
俺は腰元に手を伸ばし、木剣を鞘から抜いた。そして、歩き出す。
「剣と槍、か」
シグナスはそう言いつつ、木の棒を構えた。だがそれは、もう槍にしか見えなかった。それほど、気が充溢している。
「ガキの頃は自分を無敵だと思ってた。だが、お前には勝てなかった」
それは俺も同じだ。言葉には、しなかった。
「やろうぜ、ロアーヌ」
シグナスのこの言葉に、俺は黙って頷いた。木剣を構える。気を放った。シグナスの槍と、ぶつかる。
もう、シグナスしか見えなくなった。シグナス以外の全ては、蚊帳の外である。これは、シグナスも同じだろう。
動かなかった。気と気がぶつかり合い、互いに攻撃の瞬間を掴み取ろうとしている。頬を、一筋の汗が流れた。それはそのまま顎へと伝い、やがて雫となって地面に落ちた。
気が、限界まで高まった。
閃光。シグナスと俺の位置が、入れ換わっていた。息が乱れている。剣をグッと握り締めた。槍。飛んできた。身をよじる。反撃。そう思った瞬間、鋭い刃が横を突き抜けた。シグナスの気だった。気を、槍へと変えて突き出してきたのだ。
右足を前に出す。そして同時に、気を放った。下から抉るように放った俺の気に、シグナスは僅かに上体を反らした。剣。振り下ろす。槍の柄で受けられた。その柄が、腹に向けて飛んでくる。鞘で受けた。左手が、僅かに痺れた。
気と剣と槍が、何度もぶつかり合った。互いが互いに僅かな隙を探り、その隙を幾度となく突いていく。だが、そのどれもが有効打とはならなかった。反撃が、反撃でなくなる。攻撃が防御となり、防御は反撃となる。
八年前の勝負とは、全く異質なものだった。あの時には、どこか若さがあった。少年独特の青さと言っても良い。自分が行けると思った所に、ただがむしゃらに剣を打ち込んでいたのだ。だが、今はそれが出来ない。いや、シグナスがそれをさせないのだ。むしろ、呼び込もうとしている。呼び込んで、首を取ろうとしている。
全てが読み合いだった。気を放つ瞬間、剣と槍のぶつかる場所、反撃の機会。全てが読み合いの、命のやり取りだ。
閃光。また、シグナスと俺の位置が入れ換わった。
肩が上下していた。汗が幾筋も頬を伝い、顎から滴り落ちて行く。
強い。この男は、間違い無く強い。この天下で、最強の槍使いだ。俺は、この男に勝てるのか。首を取れるのか。
気が高まっていく。次の閃光で、殺す。
「やめろ」
何かが弾けた。そして、目の前が真っ白になった。そう思ったら、視界はすぐに元に戻った。
声がした方向に顔を向ける。ランスだった。俺とシグナスの周囲は、いつのまにか兵達で一杯になっている。
「味方同士で殺し合いをしてどうするのだ。私は武術の事はよく分からないが、ただならぬ空気だったぞ、二人とも」
俺は大きく息をついた。
ランスの言う通りだった。俺は、シグナスを殺そうと思った。そう思わせる程の、腕の持ち主だった。おそらく、シグナスも同じ事を思っただろう。
「恐れ入ったぜ。格が違うってのは、まさにこの事か」
シーザーのこの言葉を聞いて、俺はシグナスの顔を見た。さっきまで殺そうと思った男だ。どこか、心に後ろめたさがある。
「俺とお前は親友だぜ、ロアーヌ」
シグナスはそう言って、二コリと笑った。
「当たり前だ」
言いつつ、俺は木剣を鞘に収めた。シグナスの槍は、すでに木の棒に戻っていた。
「四回は死んでるぜ、シーザー」
ひとしきり打ち合った後、シグナスが槍を持ち直しながら言った。かなり激しい攻防戦だと思えたが、シグナスはほとんど息を乱していない。一方のシーザーは、額に汗を浮かばせて荒い呼吸を繰り返していた。病み上がりで体力が落ちているのだろう。攻め方も、どこか鈍重だった。
シーザーは砦防衛戦で、重傷を負っていた。槍でわき腹を突かれたのである。俺は今までにわき腹を負傷した者を何人も見てきたが、そのほとんどが死んでしまっていた。シーザーが命を繋ぎ止めたのは、運が良かったと言う他ないだろう。
シーザーを負かした敵は、たかが一兵卒だという話だった。体格も小柄だったという。その敵に負けた。これは、シーザーの誇りを粉々に打ち砕いたはずだ。シーザーは普段から荒々しい男だが、その荒々しさは誇りと自信の裏返しだったのだ。
案の定、シーザーは病床で意気消沈していた。それは本当に生気が抜けているといった感じで、普段の荒々しさは完全に消えていた。それを、シグナスが元気付けた。どういう方法を取ったのかは分からないが、シグナスは人を勇気付けたり、背中を押すといった事が上手い。今回のシーザーも、それで立ち直ったようなものだった。
そして、稽古だった。シーザーは自分の弱さ、というより、欠点を認めたのである。守りが脆い。攻めばかりで、守りを知らない。この欠点を、克服しようと考えたのだ。そこで師として、シグナスが選ばれた。
俺はそのシグナスに付き合わされているといった恰好で、稽古はほとんど見ているだけだった。
「四回も死んでるのかよ、冗談じゃねぇよな?」
肩で息をしながら、シーザーが言った。手の甲で額の汗をぬぐっている。
「当たり前だろ。お前が病み上がりでなければ、実際にこの棒で打ってやってる所だ」
シグナスは槍の代わりに木の棒を持っていた。その昔、使っていたのは槍ではなく、棒だったという話を聞いた事がある。
「何が悪いのかさっぱり分からねぇ。絶えず攻撃はしているつもりなんだがな」
「それが駄目なんだよ。攻防は一体だ。攻めだけで勝てるのは、せいぜい相手の腕が中の中ぐらいまでだな。これ以上の腕の持ち主となると、勝つのは難しい。ましてや達人レベルになれば、お前は死ぬぜ」
「攻撃は最大の防御だろうが」
「それは一理ある。だが、相手の攻撃を利用して反撃する事も出来る。カウンターって技術なんだが。お前はこのカウンターで四回、死んでる」
シグナスがそう言うと、シーザーは舌打ちした。
「ロアーヌ、お前は見ていてどうだった。何回、シーザーを殺せた?」
シグナスがこちらに顔を向けて言ってきた。
「三回だな」
シグナスより一回少ない。これは武器の取り回し易さと、射程の差である。シーザーの武器は偃月刀を模した木剣で、射程は槍とそう変わらない。剣だと、槍の二分の一程度の射程になるのだ。その代わりに、剣は取り回しが楽だ。それに加えて、武器には相性があった。相性で言えば、槍と偃月刀は悪くない。
「どうすりゃ良い?」
「稽古の時だけ、防御だけをするようにしてみろよ。俺はお前にとって、避けにくい所、受けにくい所をその都度、打ってやる」
「攻められねぇじゃねぇか」
「欠点を克服するんだろ?」
「まぁ、そうだが。しかし、お前、そんな偉そうな事を言うほど、強いのかよ」
シーザーが吐き捨てるように言ったのを聞いて、俺は苦笑した。相当、鬱憤が溜まっているのだろう。稽古を開始してから、シグナスにはシーザーの攻撃が一撃も当っていない。そればかりでなく、シグナスは息も乱していないのだ。攻めが大好きなシーザーにとって、これほど腹立たしい事は無いのかもしれない。
「お前が病み上がりじゃなきゃ、実際に打ってやれるんだが」
「ロアーヌとお前の勝負を見せろ」
シーザーが不意に言った。それを聞いて、俺は心臓の鼓動が少しだけ跳ね上がった。
「剣のロアーヌと槍のシグナス。共に都で音を鳴らしてたんだろう。あいにく俺は病み上がりで、体力もがっくりと落ちてる。だからじゃないが、強者同士の勝負を見て学びてぇ」
少しだけ、場を静寂が支配した。風の音が、耳の中で渦巻く。
風が止んだ。
「俺は別に良いがな」
そう言って、シグナスは俺の方を見て来た。
剣と槍で立ち合う。これは、八年ぶりだった。十六歳の時以来である。あの時のシグナスは、不良どもを束ねるやんちゃ坊主で、俺は官軍に属して一年目の兵卒だった。
剣と剣。槍と槍。こういった形で立ち合う事は何度もやってきた。だが、互いに得手とする武器で立ち合うのは、十六歳の時が最後の事だった。お互いに、立ち合う事を避けていたという気がする。俺にとってシグナスは、最も立ち合いたい相手であり、最も立ち合いたくない相手だった。
「俺も構わん」
俺は、そう言っていた。
今までは切っ掛けがなかった。どちらが言い出すわけでもなかった。お互いに同志であり、親友だった。そこに強さは関係無かったのだ。だが、親友だからこそ、お互いの強さを確認したい。
「なら、頼むわ。こいつは良い勉強になりそうだぜ」
シーザーは何の事もないかのように言った。まぁ、当然だろう。端から見れば、俺とシグナスは今までに何度も立ち合いをしていたように見えるはずだ。
俺は腰元に手を伸ばし、木剣を鞘から抜いた。そして、歩き出す。
「剣と槍、か」
シグナスはそう言いつつ、木の棒を構えた。だがそれは、もう槍にしか見えなかった。それほど、気が充溢している。
「ガキの頃は自分を無敵だと思ってた。だが、お前には勝てなかった」
それは俺も同じだ。言葉には、しなかった。
「やろうぜ、ロアーヌ」
シグナスのこの言葉に、俺は黙って頷いた。木剣を構える。気を放った。シグナスの槍と、ぶつかる。
もう、シグナスしか見えなくなった。シグナス以外の全ては、蚊帳の外である。これは、シグナスも同じだろう。
動かなかった。気と気がぶつかり合い、互いに攻撃の瞬間を掴み取ろうとしている。頬を、一筋の汗が流れた。それはそのまま顎へと伝い、やがて雫となって地面に落ちた。
気が、限界まで高まった。
閃光。シグナスと俺の位置が、入れ換わっていた。息が乱れている。剣をグッと握り締めた。槍。飛んできた。身をよじる。反撃。そう思った瞬間、鋭い刃が横を突き抜けた。シグナスの気だった。気を、槍へと変えて突き出してきたのだ。
右足を前に出す。そして同時に、気を放った。下から抉るように放った俺の気に、シグナスは僅かに上体を反らした。剣。振り下ろす。槍の柄で受けられた。その柄が、腹に向けて飛んでくる。鞘で受けた。左手が、僅かに痺れた。
気と剣と槍が、何度もぶつかり合った。互いが互いに僅かな隙を探り、その隙を幾度となく突いていく。だが、そのどれもが有効打とはならなかった。反撃が、反撃でなくなる。攻撃が防御となり、防御は反撃となる。
八年前の勝負とは、全く異質なものだった。あの時には、どこか若さがあった。少年独特の青さと言っても良い。自分が行けると思った所に、ただがむしゃらに剣を打ち込んでいたのだ。だが、今はそれが出来ない。いや、シグナスがそれをさせないのだ。むしろ、呼び込もうとしている。呼び込んで、首を取ろうとしている。
全てが読み合いだった。気を放つ瞬間、剣と槍のぶつかる場所、反撃の機会。全てが読み合いの、命のやり取りだ。
閃光。また、シグナスと俺の位置が入れ換わった。
肩が上下していた。汗が幾筋も頬を伝い、顎から滴り落ちて行く。
強い。この男は、間違い無く強い。この天下で、最強の槍使いだ。俺は、この男に勝てるのか。首を取れるのか。
気が高まっていく。次の閃光で、殺す。
「やめろ」
何かが弾けた。そして、目の前が真っ白になった。そう思ったら、視界はすぐに元に戻った。
声がした方向に顔を向ける。ランスだった。俺とシグナスの周囲は、いつのまにか兵達で一杯になっている。
「味方同士で殺し合いをしてどうするのだ。私は武術の事はよく分からないが、ただならぬ空気だったぞ、二人とも」
俺は大きく息をついた。
ランスの言う通りだった。俺は、シグナスを殺そうと思った。そう思わせる程の、腕の持ち主だった。おそらく、シグナスも同じ事を思っただろう。
「恐れ入ったぜ。格が違うってのは、まさにこの事か」
シーザーのこの言葉を聞いて、俺はシグナスの顔を見た。さっきまで殺そうと思った男だ。どこか、心に後ろめたさがある。
「俺とお前は親友だぜ、ロアーヌ」
シグナスはそう言って、二コリと笑った。
「当たり前だ」
言いつつ、俺は木剣を鞘に収めた。シグナスの槍は、すでに木の棒に戻っていた。
国の改革は順調だった。
タンメルが見事に仕事を果たしたのである。あの男は、私の命令した通りの事をやってのけた。そして、死んだ。国のために、死んだ。
タンメルの死を切っ掛けに、私はめまぐるしく動いた。まず、全ての役人・軍人に課題を与えた。これは能力が地位に追い付いていない者を取り除くためで、いわば試験のようなものだった。この試験の内容は様々だが、試験自体の難易度はそれぞれの地位に合わせた。
この段階で、六割の役人と軍人が消えた。やる前からある程度は分かっていた事だったが、消えたのが六割である。この数字に、私は驚きを隠せなかった。それだけ、国が腐っていたという事なのだ。
しかし、その代わりに、下に埋もれていた者達が表に出てきた。そういう者達は即座に上の地位に就けた。そして、仕事をやらせる。これは正式な形ではなく、試験的にやらせるようにした。何故なら、能力を持っていても、その仕事が自分に合っていない。そういう人間も居るからだ。これは意外に数が多く、本人が気付いていない場合もあった。だから、試験的にやらせる。そして、能力に合った仕事を与える。今は、これの真っ最中だった。
問題は、上の地位から降ろされた者達である。今まで、能力もないくせにふんぞり返っていた連中だ。プライドだけは高く、扱いにくい者が大半を占めていた。一体、こいつらは何の役に立つのか。私はしばしば、そう思ったが、殺そうとは思わなかった。タンメルのような屑でも、使い道はあったのだ。この者達も、必ずどこかで使う時が来るはずだ。
タンメルは金に汚かった。そして、性根が腐っていた。今回は国のために死んでもらったが、もしかしたら商人をやらせれば才能を開花させたかもしれない。商人は金に対する嗅覚と、卑屈である事が大事である。無論、その他にも商いを存続させる経営能力や、先を見通す力なども要求されるが、商人にとってのこれらは、先述の二つがあってこそのものだった。
人には、何らかの才能がある。これは自論だが、どんな屑にも使い道はあるのだ。タンメルはその命で国の役に立ったし、生きていても国の金を動かすという形で、役に立っただろう。
だから、今回の改革で上の地位から降ろされた者達も、どこかで役に立つはずだ。国は人の集まりである。つまり、人は力だった。
私は、十一人の部下を部屋に呼んだ。それぞれ、軍事や内政の能力に長けている者達だ。これからは、この十一人が国の中心となっていくだろう。そして、私はその頂点に立つ。また、これらとは別格として、王を据える。これで、国は安定するはずだ。
「会議を始めよう。まず、内政の現状から報告せよ」
私は腕を組み、眼を閉じた。報告を聞く時は、いつもこうする。視界を消し去れば、それだけ情報が正確に伝わる、という気がするのだ。
「都の役人制度は確立しました。未だ、人の配置が定まっていない部分はありますが、ほぼ完了したと考えて頂いて構いません」
「能力の無い者達の使い道は決まったか?」
「こちらはこれから手を付ける所です」
「遅い」
私は目を閉じたまま言った。
「能力のある者が場所を得るのは簡単な事だ。問題は、能力の無い者達だ。そして、その数は能力のある者よりもずっと多い。早急に考えよ。これは軍事とも相談だ。元々が役人の者でも、軍事関係をやらせれば才能を開花させる事がある。これは逆も然りだ」
例えば、兵站である。これは兵糧の輸送であったり、武具などを戦地に運び込ませたりといった事が主な仕事だ。輸送隊なので、まともに敵と戦う事はほとんど無いのだが、代わりに不意な襲撃に遭いやすい。だから、輸送路などは慎重に選ばなければならなかった。そしてこれは、軍人よりも役人の方が優れている事の方が多いのである。
「それと地方はどうなのだ。都は私が居る。お前達はそれほど動かなくても良い。問題は地方だ」
第二のメッサーナが現れかねない。特に今は国の改革中である。それに加え、メッサーナにはいくらこちらの事情とは言え、二度も連続で勝たせてしまっている。だから、別の地方でいつ反乱が起きても不思議ではなかった。
「こちらは軍事の者達と連携しています。軍で地方を縛り付け、反乱を抑制しているという状況です」
まぁ、それが確実だろう。私はそう思いながら、黙って頷いた。
「役人については、都で育てた者を送ろうと思っています。これは左遷という形ではなく、名誉あるものとして扱います」
「良いだろう。あとは先ほども言ったが、能力の無い者達の使い道を探れ。能力が無いというのは、あくまで今だけの話だ。どこかで、必ず使い道はある。これを肝に銘じよ」
「はっ」
「次に軍事」
「はい」
ウィンセだった。十一人の中で、私はウィンセを一番買っている。年齢もまだ若い。二十代半ばといった所だ。そのくせ、戦の経験は豊富で、武芸も達者だった。本来なら、官軍の将軍の筆頭となる男である。だが、腐った国の中では、大隊長にすらなれなかった。それを私が拾ったのだ。
「上位層の入れ替えは、ほぼ終了しました。現在は兵の調練中です。これは私を含めた六名で担当していますが、時が掛かっています」
「メッサーナは早く叩き潰したい」
「それは私も考えているのですが。しかし、兵の質は、メッサーナの方が上と見て間違いないでしょう。何と言っても、兵の一人一人が戦う意味を知っています」
厄介な事だった。志である。メッサーナの統治者であるランスや、将軍のロアーヌ、シグナス達だけではなく、兵の一人一人が、志を持っているのだ。これは手強い。巨大な目的を胸に刻み込んだ人間は、そのために命を捨てる。今の官軍には、それが全くと言っていい程なかった。何とかなる。多くの者は、そう考えているのである。
「役人のように、地位でやる気を出させるわけにもいかぬしな」
「命と引き換えになるようなものを持たせる事が出来れば良いのですが」
「地方の将軍を呼び戻せ」
私は思い出すのと同時に、言葉にしていた。
地方には、優秀な将軍が多く居た。そして、これらの将軍が鍛えた兵はどれも精強である。都には二十万の兵が駐屯しているが、どれもこれもが弱兵だった。例外は大将軍配下の五万のみで、残りは惰弱と言わざるを得ない。そして、大将軍はたかが地方の反乱如きで、腰を上げる事はない。これは、私の権力でも動かせなかった。王だけが、大将軍を動かせる。
「兵の調練で有名なのは、南方の雄であるサウス将軍ですが」
壮年の将軍である。厳しい調練で有名な将軍だが、鍛え上げた兵は相当な精鋭だった。大将軍の兵とも渡り合える、そういう噂も流れている。サウス自身の武芸も卓越していて、付いたあだ名は南方の雄だ。南は異民族の脅威が他よりも大きく、左遷先としては嫌われる地方だった。しかし、サウスはその南で暴れ回っている。
「今更、都に戻るかな」
「フランツ様が命令を出して下されば」
「それでは意味がない」
猛獣の牙を抜く事と同義だった。サウスは戦好きな男で、南は異民族の勢いが盛んだった。だから、サウスにとって南は恰好の餌場なのだ。その餌場から都に戻して兵の調練をさせるとなれば、サウスが軍務を怠ける事は目に見えている。
「しかし、我らだけでは兵の調練は上手く行きません。戦となれば、我々は力を発揮するのですが」
「メッサーナを使え」
私のこの言葉に、ウィンセは少し考えるような表情を見せた。そして、頷いた。
「前線の兵力を四万に減らします」
「それで良い」
ウィンセはやはり優秀だった。打てば響く。そんな男だった。
タンメルが見事に仕事を果たしたのである。あの男は、私の命令した通りの事をやってのけた。そして、死んだ。国のために、死んだ。
タンメルの死を切っ掛けに、私はめまぐるしく動いた。まず、全ての役人・軍人に課題を与えた。これは能力が地位に追い付いていない者を取り除くためで、いわば試験のようなものだった。この試験の内容は様々だが、試験自体の難易度はそれぞれの地位に合わせた。
この段階で、六割の役人と軍人が消えた。やる前からある程度は分かっていた事だったが、消えたのが六割である。この数字に、私は驚きを隠せなかった。それだけ、国が腐っていたという事なのだ。
しかし、その代わりに、下に埋もれていた者達が表に出てきた。そういう者達は即座に上の地位に就けた。そして、仕事をやらせる。これは正式な形ではなく、試験的にやらせるようにした。何故なら、能力を持っていても、その仕事が自分に合っていない。そういう人間も居るからだ。これは意外に数が多く、本人が気付いていない場合もあった。だから、試験的にやらせる。そして、能力に合った仕事を与える。今は、これの真っ最中だった。
問題は、上の地位から降ろされた者達である。今まで、能力もないくせにふんぞり返っていた連中だ。プライドだけは高く、扱いにくい者が大半を占めていた。一体、こいつらは何の役に立つのか。私はしばしば、そう思ったが、殺そうとは思わなかった。タンメルのような屑でも、使い道はあったのだ。この者達も、必ずどこかで使う時が来るはずだ。
タンメルは金に汚かった。そして、性根が腐っていた。今回は国のために死んでもらったが、もしかしたら商人をやらせれば才能を開花させたかもしれない。商人は金に対する嗅覚と、卑屈である事が大事である。無論、その他にも商いを存続させる経営能力や、先を見通す力なども要求されるが、商人にとってのこれらは、先述の二つがあってこそのものだった。
人には、何らかの才能がある。これは自論だが、どんな屑にも使い道はあるのだ。タンメルはその命で国の役に立ったし、生きていても国の金を動かすという形で、役に立っただろう。
だから、今回の改革で上の地位から降ろされた者達も、どこかで役に立つはずだ。国は人の集まりである。つまり、人は力だった。
私は、十一人の部下を部屋に呼んだ。それぞれ、軍事や内政の能力に長けている者達だ。これからは、この十一人が国の中心となっていくだろう。そして、私はその頂点に立つ。また、これらとは別格として、王を据える。これで、国は安定するはずだ。
「会議を始めよう。まず、内政の現状から報告せよ」
私は腕を組み、眼を閉じた。報告を聞く時は、いつもこうする。視界を消し去れば、それだけ情報が正確に伝わる、という気がするのだ。
「都の役人制度は確立しました。未だ、人の配置が定まっていない部分はありますが、ほぼ完了したと考えて頂いて構いません」
「能力の無い者達の使い道は決まったか?」
「こちらはこれから手を付ける所です」
「遅い」
私は目を閉じたまま言った。
「能力のある者が場所を得るのは簡単な事だ。問題は、能力の無い者達だ。そして、その数は能力のある者よりもずっと多い。早急に考えよ。これは軍事とも相談だ。元々が役人の者でも、軍事関係をやらせれば才能を開花させる事がある。これは逆も然りだ」
例えば、兵站である。これは兵糧の輸送であったり、武具などを戦地に運び込ませたりといった事が主な仕事だ。輸送隊なので、まともに敵と戦う事はほとんど無いのだが、代わりに不意な襲撃に遭いやすい。だから、輸送路などは慎重に選ばなければならなかった。そしてこれは、軍人よりも役人の方が優れている事の方が多いのである。
「それと地方はどうなのだ。都は私が居る。お前達はそれほど動かなくても良い。問題は地方だ」
第二のメッサーナが現れかねない。特に今は国の改革中である。それに加え、メッサーナにはいくらこちらの事情とは言え、二度も連続で勝たせてしまっている。だから、別の地方でいつ反乱が起きても不思議ではなかった。
「こちらは軍事の者達と連携しています。軍で地方を縛り付け、反乱を抑制しているという状況です」
まぁ、それが確実だろう。私はそう思いながら、黙って頷いた。
「役人については、都で育てた者を送ろうと思っています。これは左遷という形ではなく、名誉あるものとして扱います」
「良いだろう。あとは先ほども言ったが、能力の無い者達の使い道を探れ。能力が無いというのは、あくまで今だけの話だ。どこかで、必ず使い道はある。これを肝に銘じよ」
「はっ」
「次に軍事」
「はい」
ウィンセだった。十一人の中で、私はウィンセを一番買っている。年齢もまだ若い。二十代半ばといった所だ。そのくせ、戦の経験は豊富で、武芸も達者だった。本来なら、官軍の将軍の筆頭となる男である。だが、腐った国の中では、大隊長にすらなれなかった。それを私が拾ったのだ。
「上位層の入れ替えは、ほぼ終了しました。現在は兵の調練中です。これは私を含めた六名で担当していますが、時が掛かっています」
「メッサーナは早く叩き潰したい」
「それは私も考えているのですが。しかし、兵の質は、メッサーナの方が上と見て間違いないでしょう。何と言っても、兵の一人一人が戦う意味を知っています」
厄介な事だった。志である。メッサーナの統治者であるランスや、将軍のロアーヌ、シグナス達だけではなく、兵の一人一人が、志を持っているのだ。これは手強い。巨大な目的を胸に刻み込んだ人間は、そのために命を捨てる。今の官軍には、それが全くと言っていい程なかった。何とかなる。多くの者は、そう考えているのである。
「役人のように、地位でやる気を出させるわけにもいかぬしな」
「命と引き換えになるようなものを持たせる事が出来れば良いのですが」
「地方の将軍を呼び戻せ」
私は思い出すのと同時に、言葉にしていた。
地方には、優秀な将軍が多く居た。そして、これらの将軍が鍛えた兵はどれも精強である。都には二十万の兵が駐屯しているが、どれもこれもが弱兵だった。例外は大将軍配下の五万のみで、残りは惰弱と言わざるを得ない。そして、大将軍はたかが地方の反乱如きで、腰を上げる事はない。これは、私の権力でも動かせなかった。王だけが、大将軍を動かせる。
「兵の調練で有名なのは、南方の雄であるサウス将軍ですが」
壮年の将軍である。厳しい調練で有名な将軍だが、鍛え上げた兵は相当な精鋭だった。大将軍の兵とも渡り合える、そういう噂も流れている。サウス自身の武芸も卓越していて、付いたあだ名は南方の雄だ。南は異民族の脅威が他よりも大きく、左遷先としては嫌われる地方だった。しかし、サウスはその南で暴れ回っている。
「今更、都に戻るかな」
「フランツ様が命令を出して下されば」
「それでは意味がない」
猛獣の牙を抜く事と同義だった。サウスは戦好きな男で、南は異民族の勢いが盛んだった。だから、サウスにとって南は恰好の餌場なのだ。その餌場から都に戻して兵の調練をさせるとなれば、サウスが軍務を怠ける事は目に見えている。
「しかし、我らだけでは兵の調練は上手く行きません。戦となれば、我々は力を発揮するのですが」
「メッサーナを使え」
私のこの言葉に、ウィンセは少し考えるような表情を見せた。そして、頷いた。
「前線の兵力を四万に減らします」
「それで良い」
ウィンセはやはり優秀だった。打てば響く。そんな男だった。
遊撃隊である俺の騎馬隊の兵数が、七百から千五百になった。
メッサーナは内政を急ごしらえで整え、軍事に手を回したのである。軍事にも色々あるが、まずは兵力の増強だった。メッサーナは、周辺地域をその傘下に収めた事で、統治する土地が大幅に広がった。これにより、養える兵の数が増加した。現在のメッサーナの兵力は六万である。元々は二万の兵力で、これで考えれば、実に兵力は三倍に膨れ上がったという事だ。当然、兵力が上がれば、それぞれの将軍が抱える兵数も増える。俺は七百から千五百になり、シグナスは二千から八千となった。
俺はこの千五百から、麾下(きか:旗本の意)となる兵を百名だけ選び出した。俺の遊撃隊はメッサーナの中でも至強とされているが、その中からさらに選りすぐったのである。これには官軍時代からの部下も混じっており、この百人は実に精鋭五百人分の働きはするだろう、と周りからは言われていた。
ゆくゆくは、残りの千四百も同等の精兵に仕上げる。この天下では、数多くの精強な軍が居るが、俺はそれらに負けたくはなかった。これは兵も同じだろう。特に、官軍時代の部下達はそうだ。
タンメルは、俺とシグナスのかつての部下を戦陣に連れて来ていた。この部下達は、戦中に俺とシグナスの元に戻る事を選択し、国を捨てた。これが正しいのかどうかは分からない。答えは、それぞれの兵達が持っているだろう。ただ、兵達はランスの大志に共感を示した。ランスの大志は俺の大志だ。だからではないだろうが、兵達はメッサーナに付き従う事にしたのだ。
時代は動き始めている。俺の視野はランスやヨハンに比べると狭い。しかしそれでも、時代は動き始めている事が分かる。国は明らかに変わろうとしているのだ。内部で何が起きているのかは分からないが、腐臭が消えつつある。軍は統制され、役人達の気は引き締まっている。
だが、これも今だけだ。そう思わせるだけの腐りを、俺は見てきた。国という名の器の底には汚物が沈殿していて、いつそれが浮かび上がってくるか分からない。だから、器ごと破壊するしかないのだ。
ランスやヨハンは、戦略を組み立てている最中だろう。国が変革した事によって、色々と考えるべき事が増えたはずだ。メッサーナの取り舵を握るのは、あの二人である。俺達は、二人が出した進路に向けて、ただ突き進むだけだ。
俺は丘の上に立って、千五百の調練をジッと眺めていた。千五百は五隊に分かれ、それぞれ突撃と反転を繰り返している。特に俺の麾下が居る一隊の動きは、まさに鮮烈そのものだった。他の四隊も相当なものなのだが、麾下と比べると、どこか色あせて見えてしまう。
「相変わらず、厳しい調練だな、ロアーヌ」
シグナスがやって来た。俺の隣に立って、共に調練を眺める。
「こうして上から見ると、まるでスズメバチだな。動き方がそっくりだ。特にお前の麾下は凄い」
シグナスの言う通り、俺の騎馬隊の動きはスズメバチのそれとよく似ていた。貫く場所を見定める。見定めたら、逡巡せずに突っ込む。そして、素早く反転する。
「具足を虎縞模様にしようかと考えている所だ」
「ほう」
冗談のつもりだったが、シグナスは本気と捉えたようだ。
「似合うかもしれんぞ。それに、他の軍との違いを付ければ、名も上がる」
「名声などには興味はないんだが」
「いや、虎縞模様にするってのは良いと思うぜ。お前の遊撃隊はメッサーナ軍で最強だろう。その軍が味方の目に付きやすくなれば、必然的に他の士気も上がる」
「考えておこう」
「いや、俺から言っておいてやるよ。お前は、こういう事を頼むのは下手くそだからな」
言って、シグナスは声をあげて笑った。
「シーザーの稽古はどうだ?」
これ以上、からかわれたくなかったので、俺は話題を変えた。
「まぁ、そこそこと言った所だ。元々、センスはある。だが、性格が邪魔して成長の伸びは良くないな」
「武芸だけではなく、軍の動かし方も変えられると良いんだが」
「俺はそうは思わないぜ。あいつの果敢な攻め方は、敵に恐怖を与える」
「シーザーの長所か」
「少しは自重して欲しいがな」
シグナスが言って、互いに笑った。
「俺の槍兵隊も絞りあげなきゃならんな。俺もいつまでも徒歩(かち)という訳にもいかぬし」
シグナスの槍兵隊は歩兵である。だが、指揮官である将軍は馬に乗った方が良い。兵と同じ徒歩では、どうしても指揮が難しくなるのだ。
「仕方ない事だが、兵には辛い思いをさせる事になるな」
シグナスは兵と苦しみを分かち合う部類の将軍だ。だから、今までは兵と共に徒歩で戦ってきた。しかし、これからは、シグナスは馬上である。兵数の増加に伴い、徒歩のまま指揮を執る事に限界が見えてきたのだ。そして、馬と歩兵では、前進する速さが違う。歩兵は、指揮官に合わせなければならない。シグナスはこれを懸念しているのだろう。
「そういや、前線の官軍が、八万から四万に減ったそうだぜ」
シグナスが不意に言った。俺もこの話は聞いていて、メッサーナはどことなく慌ただしい。戦の匂いである。だが、すぐには攻めないだろう。軍費がかさばっている。兵糧も十分とは言えない。おそらく、出陣は今年の秋の収穫を終えてからだ。
しかし、国が前線の兵力を半分に減らした理由は何なのか。この前線は、メッサーナが次に攻め込む場所で、東地方の中では最大規模を誇る都市だった。メッサーナがこれを手に入れる事が出来れば、政治面でも軍事面でも大きく躍進する事が出来るだろう。だが、国はその都市の兵力を、半分に減らしたのだ。
何か狙いがある。だが、俺にはそれが何なのかは分からない。しかし、戦を大前提として考えるなら、援軍という一つのケースが浮かんでくる。
国の兵力は六十万である。都には二十万の兵が居て、その他は地方に散らばっている。この地方の中で精強な軍はいくつかあるが、西へ攻め込む際に援軍として考えられるのが、南方の雄であるサウスの軍だった。
サウスについてはよく知らないが、少なくとも甘くはないだろう。サウスが鍛えた兵はどれも精鋭だと言うし、異民族の脅威が強い南で、サウス軍は暴れ回っているのだ。俺が官軍を出る頃には、異民族はサウスに金品を差し出すようになった、といった噂も流れていた。
どちらにしても、戦略を決めるのはランスやヨハンだった。俺は俺で、思っている事を二人に伝えれば良いだろう。
「ロアーヌ、俺はそろそろ行くぜ。虎縞模様の具足の事は言っておく。それと」
シグナスが少しだけ、口元を緩めた。
「お前は戦だとか調練だとかばかりを考えてないで、たまには女の一人ぐらい抱け。お前、配下に心配されてるぜ。戦や調練で情欲を使い果たしているのかもしれないってな」
言って、シグナスは声をあげて笑った。それを見て、俺は舌打ちするしかなかった。大きなお世話だ。俺は、そう思った。
メッサーナは内政を急ごしらえで整え、軍事に手を回したのである。軍事にも色々あるが、まずは兵力の増強だった。メッサーナは、周辺地域をその傘下に収めた事で、統治する土地が大幅に広がった。これにより、養える兵の数が増加した。現在のメッサーナの兵力は六万である。元々は二万の兵力で、これで考えれば、実に兵力は三倍に膨れ上がったという事だ。当然、兵力が上がれば、それぞれの将軍が抱える兵数も増える。俺は七百から千五百になり、シグナスは二千から八千となった。
俺はこの千五百から、麾下(きか:旗本の意)となる兵を百名だけ選び出した。俺の遊撃隊はメッサーナの中でも至強とされているが、その中からさらに選りすぐったのである。これには官軍時代からの部下も混じっており、この百人は実に精鋭五百人分の働きはするだろう、と周りからは言われていた。
ゆくゆくは、残りの千四百も同等の精兵に仕上げる。この天下では、数多くの精強な軍が居るが、俺はそれらに負けたくはなかった。これは兵も同じだろう。特に、官軍時代の部下達はそうだ。
タンメルは、俺とシグナスのかつての部下を戦陣に連れて来ていた。この部下達は、戦中に俺とシグナスの元に戻る事を選択し、国を捨てた。これが正しいのかどうかは分からない。答えは、それぞれの兵達が持っているだろう。ただ、兵達はランスの大志に共感を示した。ランスの大志は俺の大志だ。だからではないだろうが、兵達はメッサーナに付き従う事にしたのだ。
時代は動き始めている。俺の視野はランスやヨハンに比べると狭い。しかしそれでも、時代は動き始めている事が分かる。国は明らかに変わろうとしているのだ。内部で何が起きているのかは分からないが、腐臭が消えつつある。軍は統制され、役人達の気は引き締まっている。
だが、これも今だけだ。そう思わせるだけの腐りを、俺は見てきた。国という名の器の底には汚物が沈殿していて、いつそれが浮かび上がってくるか分からない。だから、器ごと破壊するしかないのだ。
ランスやヨハンは、戦略を組み立てている最中だろう。国が変革した事によって、色々と考えるべき事が増えたはずだ。メッサーナの取り舵を握るのは、あの二人である。俺達は、二人が出した進路に向けて、ただ突き進むだけだ。
俺は丘の上に立って、千五百の調練をジッと眺めていた。千五百は五隊に分かれ、それぞれ突撃と反転を繰り返している。特に俺の麾下が居る一隊の動きは、まさに鮮烈そのものだった。他の四隊も相当なものなのだが、麾下と比べると、どこか色あせて見えてしまう。
「相変わらず、厳しい調練だな、ロアーヌ」
シグナスがやって来た。俺の隣に立って、共に調練を眺める。
「こうして上から見ると、まるでスズメバチだな。動き方がそっくりだ。特にお前の麾下は凄い」
シグナスの言う通り、俺の騎馬隊の動きはスズメバチのそれとよく似ていた。貫く場所を見定める。見定めたら、逡巡せずに突っ込む。そして、素早く反転する。
「具足を虎縞模様にしようかと考えている所だ」
「ほう」
冗談のつもりだったが、シグナスは本気と捉えたようだ。
「似合うかもしれんぞ。それに、他の軍との違いを付ければ、名も上がる」
「名声などには興味はないんだが」
「いや、虎縞模様にするってのは良いと思うぜ。お前の遊撃隊はメッサーナ軍で最強だろう。その軍が味方の目に付きやすくなれば、必然的に他の士気も上がる」
「考えておこう」
「いや、俺から言っておいてやるよ。お前は、こういう事を頼むのは下手くそだからな」
言って、シグナスは声をあげて笑った。
「シーザーの稽古はどうだ?」
これ以上、からかわれたくなかったので、俺は話題を変えた。
「まぁ、そこそこと言った所だ。元々、センスはある。だが、性格が邪魔して成長の伸びは良くないな」
「武芸だけではなく、軍の動かし方も変えられると良いんだが」
「俺はそうは思わないぜ。あいつの果敢な攻め方は、敵に恐怖を与える」
「シーザーの長所か」
「少しは自重して欲しいがな」
シグナスが言って、互いに笑った。
「俺の槍兵隊も絞りあげなきゃならんな。俺もいつまでも徒歩(かち)という訳にもいかぬし」
シグナスの槍兵隊は歩兵である。だが、指揮官である将軍は馬に乗った方が良い。兵と同じ徒歩では、どうしても指揮が難しくなるのだ。
「仕方ない事だが、兵には辛い思いをさせる事になるな」
シグナスは兵と苦しみを分かち合う部類の将軍だ。だから、今までは兵と共に徒歩で戦ってきた。しかし、これからは、シグナスは馬上である。兵数の増加に伴い、徒歩のまま指揮を執る事に限界が見えてきたのだ。そして、馬と歩兵では、前進する速さが違う。歩兵は、指揮官に合わせなければならない。シグナスはこれを懸念しているのだろう。
「そういや、前線の官軍が、八万から四万に減ったそうだぜ」
シグナスが不意に言った。俺もこの話は聞いていて、メッサーナはどことなく慌ただしい。戦の匂いである。だが、すぐには攻めないだろう。軍費がかさばっている。兵糧も十分とは言えない。おそらく、出陣は今年の秋の収穫を終えてからだ。
しかし、国が前線の兵力を半分に減らした理由は何なのか。この前線は、メッサーナが次に攻め込む場所で、東地方の中では最大規模を誇る都市だった。メッサーナがこれを手に入れる事が出来れば、政治面でも軍事面でも大きく躍進する事が出来るだろう。だが、国はその都市の兵力を、半分に減らしたのだ。
何か狙いがある。だが、俺にはそれが何なのかは分からない。しかし、戦を大前提として考えるなら、援軍という一つのケースが浮かんでくる。
国の兵力は六十万である。都には二十万の兵が居て、その他は地方に散らばっている。この地方の中で精強な軍はいくつかあるが、西へ攻め込む際に援軍として考えられるのが、南方の雄であるサウスの軍だった。
サウスについてはよく知らないが、少なくとも甘くはないだろう。サウスが鍛えた兵はどれも精鋭だと言うし、異民族の脅威が強い南で、サウス軍は暴れ回っているのだ。俺が官軍を出る頃には、異民族はサウスに金品を差し出すようになった、といった噂も流れていた。
どちらにしても、戦略を決めるのはランスやヨハンだった。俺は俺で、思っている事を二人に伝えれば良いだろう。
「ロアーヌ、俺はそろそろ行くぜ。虎縞模様の具足の事は言っておく。それと」
シグナスが少しだけ、口元を緩めた。
「お前は戦だとか調練だとかばかりを考えてないで、たまには女の一人ぐらい抱け。お前、配下に心配されてるぜ。戦や調練で情欲を使い果たしているのかもしれないってな」
言って、シグナスは声をあげて笑った。それを見て、俺は舌打ちするしかなかった。大きなお世話だ。俺は、そう思った。
季節は秋を迎え、今は麦の刈り取りを兵が行っていた。メッサーナは民の数が少ない。だから、兵も農民と共に働く。共に開墾し、共に作物を育て、共に収穫するのだ。これをするだけで、民は兵を身近な存在として感じるようになる。
民は兵を怖がっている事が多い。戦で田畑は焼かれるし、侵略してきた兵士達に物を略奪されたりするからだ。ひどいものだと、虐殺や若い女を連れ去られたりもする。だから、民は戦を嫌う。それに関連する兵も嫌う。
私は、メッサーナをそういう根っこの部分から建て直した。そして、この根っこの部分こそが、最も大事だと思った。兵は民を守る者だ。民とは、メッサーナの民だけではない。この天下全ての民だ。これを私は兵達に軍律として教え込んだ。そして、志を説いた。今の国の有り様。これからの政治の事。私が成し遂げようとしている夢。これらを兵に説いた。
これが正しいのかどうかは分からない。フランツなど、私の思想に対して、良い想いなど微塵も抱いていないだろう。国の歴史を何よりも重んじる男だ。だが、私は自分の考えが正しいと信じる。そして、この考えに賛同する者達と共に、私は天下へと駆けあがってみせる。
この収穫を終えれば、戦を始めるつもりだった。民達の表情は決して明るくはない。だが、戦に対しての明確な反発は無かった。仕方のない事だと思い定めているのだろう。こういった部分では、私は民に甘えていると言わざるを得なかった。
次に攻め入る場所は、西の城郭都市(防御施設によって囲まれた都市)ピドナである。ピドナは、メッサーナと同等、もしくはそれ以上の規模を誇る大都市だ。ただ、メッサーナのような天然要塞ではなく、人工的に作られた要塞だった。
夏に、不可解な事が起きていた。ピドナの兵力が、八万から四万に減ったのである。これは国から言えば前線で、我々が攻め込む場所だ。ここの兵力を減らすという事は、国の内部で何か混乱があったのか、他方面で異民族が暴れ出したかのいずれかだと思ったが、それもないようだった。
狙いは何なのか。ヨハンと共に探ってみたが、出た答えは国の改革だった。つまり、フランツはまだ我々を利用しようとしているのである。
すでにメッサーナは国に対して二連勝している。さらに言えば、二戦して二勝、つまり、必勝中なのだ。これは、他の反乱を煽る要素になり得る。元々、国に対して、民の不満はくすぶっていたのだ。我々の反乱を切っ掛けにして、それが爆発するという事は十分に考えられるはずだ。しかし、それを無視するかのように、フランツは我々を利用しようとしていた。
間者に色々と調べさせた。それで、フランツの強気な姿勢にも納得がいった。
フランツは、主要な都市を軍で抑えつけていた。さらには優秀な役人をそこに送り込み、政治の建て直しを図っている。だから、民達も反乱が起こせない。根幹部分である不満も、政治の建て直しによって消えようとしているのだ。
だが、それは今だけだ。正確に言えば、フランツが宰相をやっている時だけだろう。宰相が変われば、政治も変わる。しかしそれでも、民達はフランツの行動に希望を見出すだろう。そして、反乱をしようという気持ちも消えていく。
民達は、その場限りの物しか見えていない事が多い。これは民の悲しい習性のようなもので、仕方のない事だった。何故なら、一日の生活を送る事に民は精一杯だからだ。どれだけ働こうが、見返りとして手に入るものは、ほんの僅かである。これは国が変わらない限り、ずっと続く。だが、民はこの事に気付かない。いや、気付けないのだ。だから、私が変える。私が国を、時代を変えて、民のための政治をするのだ。
フランツの狙いは、軍の改革だろう。私はそう思った。メッサーナを利用して、軍を強化しようという算段なのだ。だが、詳しい内容までは掴めなかった。フランツは直接的に関与しているようではなく、その下の者が懸命に動いているという節もある。
まぁ、どの道、前に進むしかないだろう。私はそう思った。フランツが水面下でどう動こうが、私達の進むべき道はただ一つなのだ。天下を取る。この一つだけである。ヨハンは何度も唸っているが、分からないものは分からない。なら、後は自分がやる事をやるだけだ。私はそれで良いと思っていた。
この思いで、次の方針は決まったようなものだった。西の城郭都市、ピドナを攻める。
ロアーヌが、献策してきていた。この城郭都市、ピドナを攻める際の方策である。これは大まかに言えば、軍を二分するというものだった。一つはピドナを陥落させる軍。もう一つは、援軍に対処する軍である。
ロアーヌは、南方の雄であるサウスが援軍としてやって来ると読んでいた。私は、これに対して首をかしげるしかなかった。サウスが援軍としてやってくる必要性は、ほとんど無いのである。サウスは南の異民族の抑えのために兵力を割かなければならないため、援軍としての機能は低いと言わざるを得ない。それに、援軍として出すなら、ピドナの後方から大軍を送り込んでくれば良いのだ。
だが、ロアーヌはそれが狙いだと言った。要は、不意を突く、という事である。援軍は後方からだ、と思わせておいて、実は南からやってくる。これは効果的な作戦である。特に攻城戦に取り掛かってからでは、野戦に対応しにくくなるのだ。
しかし、我らの不意を突くという事以外にも、何か裏がありそうな気がした。これは私の勘だった。官軍は前線の兵力を四万に減らした。これで私達は攻める気になった。だがそこに、サウスの援軍が表面に浮かんできた。これが何かを意味しているという気がする。フランツの軍の改革と、どこか結びつかないか。
「俺は軍人です。だから、サウスの気持ちが分かるという所があります。サウスは、南に飽き始めている」
ロアーヌが言った。
「南の敵が豊富であれば、サウスは動かなかったでしょう。ですが、今は違います」
「南の異民族よりも、我々の方にサウスは興味を持つ。そういう事か?」
「はい」
ロアーヌは、ほとんど表情を動かさない。ヨハンは、ロアーヌの事を心の中で多くを語っている、と評していた。しかし、私にはその心の声は聞こえなかった。そういう意味では、私はシグナスの方が親しみやすい。
「サウスは兵の調練で有名な将軍です。サウス自身も武芸の腕が達者で、それで南方の雄などと呼ばれているのですよ」
兵の調練で有名。これが、私の中で引っ掛かった。そして同時に、フランツの狙いが少し見えた気がした。
「サウスが援軍に来たとして、戦が終わった後、南に戻るかな?」
「さぁ、どうでしょうか」
「南の方が楽しめそうなら、南に戻るか?」
「はい」
ロアーヌはあまり多くを語らない。だから、私の方から質問する必要がある。ヨハンやシグナスは、こういう事が少ない。これはつまり、ロアーヌの心の中の声を読み取れる、という事だろう。
「逆に言えば、そうでないなら、都に凱旋する可能性もあるか」
サウスを楽しませる。フランツは、そう考えているのかもしれない。そして、都に凱旋させて兵を調練させる。これで官軍は相当に強化されるはずだ。だが、これは傲慢な考えだ。戦である。サウスが死ぬ、という計算をしていない。
「ロアーヌ、サウス軍を抑えられるか?」
「兵力によります」
「同数、もしくはその二倍として考えろ」
「できます」
「サウスを討ち取る事は?」
ロアーヌが少し考える表情をした。
「確実とは言えません」
「出来れば、サウスを討ち取れ」
「はい」
ロアーヌの返事は短かった。
サウスが本当に援軍で出てくるのかは別として、ロアーヌの献策は受けた方が良いだろう。フランツの狙いと、重なる部分が多くある。軍を二分するという事で、軍師も二人付けるべきか。すなわち、ヨハンとルイスの二人である。
ヨハンは計略に秀でた軍師で、ルイスは戦術に優れた軍師だ。組ませるならば、シーザー、ロアーヌはヨハン。シグナス、クリスはルイスだろう。クライヴは総大将で、二人の軍師の献策を執り分ける。
「ロアーヌ、収穫を終えたら戦だ。お前のスズメバチの遊軍、楽しみにしているぞ」
「はい」
相変わらず、ロアーヌの返事は短かった。
民は兵を怖がっている事が多い。戦で田畑は焼かれるし、侵略してきた兵士達に物を略奪されたりするからだ。ひどいものだと、虐殺や若い女を連れ去られたりもする。だから、民は戦を嫌う。それに関連する兵も嫌う。
私は、メッサーナをそういう根っこの部分から建て直した。そして、この根っこの部分こそが、最も大事だと思った。兵は民を守る者だ。民とは、メッサーナの民だけではない。この天下全ての民だ。これを私は兵達に軍律として教え込んだ。そして、志を説いた。今の国の有り様。これからの政治の事。私が成し遂げようとしている夢。これらを兵に説いた。
これが正しいのかどうかは分からない。フランツなど、私の思想に対して、良い想いなど微塵も抱いていないだろう。国の歴史を何よりも重んじる男だ。だが、私は自分の考えが正しいと信じる。そして、この考えに賛同する者達と共に、私は天下へと駆けあがってみせる。
この収穫を終えれば、戦を始めるつもりだった。民達の表情は決して明るくはない。だが、戦に対しての明確な反発は無かった。仕方のない事だと思い定めているのだろう。こういった部分では、私は民に甘えていると言わざるを得なかった。
次に攻め入る場所は、西の城郭都市(防御施設によって囲まれた都市)ピドナである。ピドナは、メッサーナと同等、もしくはそれ以上の規模を誇る大都市だ。ただ、メッサーナのような天然要塞ではなく、人工的に作られた要塞だった。
夏に、不可解な事が起きていた。ピドナの兵力が、八万から四万に減ったのである。これは国から言えば前線で、我々が攻め込む場所だ。ここの兵力を減らすという事は、国の内部で何か混乱があったのか、他方面で異民族が暴れ出したかのいずれかだと思ったが、それもないようだった。
狙いは何なのか。ヨハンと共に探ってみたが、出た答えは国の改革だった。つまり、フランツはまだ我々を利用しようとしているのである。
すでにメッサーナは国に対して二連勝している。さらに言えば、二戦して二勝、つまり、必勝中なのだ。これは、他の反乱を煽る要素になり得る。元々、国に対して、民の不満はくすぶっていたのだ。我々の反乱を切っ掛けにして、それが爆発するという事は十分に考えられるはずだ。しかし、それを無視するかのように、フランツは我々を利用しようとしていた。
間者に色々と調べさせた。それで、フランツの強気な姿勢にも納得がいった。
フランツは、主要な都市を軍で抑えつけていた。さらには優秀な役人をそこに送り込み、政治の建て直しを図っている。だから、民達も反乱が起こせない。根幹部分である不満も、政治の建て直しによって消えようとしているのだ。
だが、それは今だけだ。正確に言えば、フランツが宰相をやっている時だけだろう。宰相が変われば、政治も変わる。しかしそれでも、民達はフランツの行動に希望を見出すだろう。そして、反乱をしようという気持ちも消えていく。
民達は、その場限りの物しか見えていない事が多い。これは民の悲しい習性のようなもので、仕方のない事だった。何故なら、一日の生活を送る事に民は精一杯だからだ。どれだけ働こうが、見返りとして手に入るものは、ほんの僅かである。これは国が変わらない限り、ずっと続く。だが、民はこの事に気付かない。いや、気付けないのだ。だから、私が変える。私が国を、時代を変えて、民のための政治をするのだ。
フランツの狙いは、軍の改革だろう。私はそう思った。メッサーナを利用して、軍を強化しようという算段なのだ。だが、詳しい内容までは掴めなかった。フランツは直接的に関与しているようではなく、その下の者が懸命に動いているという節もある。
まぁ、どの道、前に進むしかないだろう。私はそう思った。フランツが水面下でどう動こうが、私達の進むべき道はただ一つなのだ。天下を取る。この一つだけである。ヨハンは何度も唸っているが、分からないものは分からない。なら、後は自分がやる事をやるだけだ。私はそれで良いと思っていた。
この思いで、次の方針は決まったようなものだった。西の城郭都市、ピドナを攻める。
ロアーヌが、献策してきていた。この城郭都市、ピドナを攻める際の方策である。これは大まかに言えば、軍を二分するというものだった。一つはピドナを陥落させる軍。もう一つは、援軍に対処する軍である。
ロアーヌは、南方の雄であるサウスが援軍としてやって来ると読んでいた。私は、これに対して首をかしげるしかなかった。サウスが援軍としてやってくる必要性は、ほとんど無いのである。サウスは南の異民族の抑えのために兵力を割かなければならないため、援軍としての機能は低いと言わざるを得ない。それに、援軍として出すなら、ピドナの後方から大軍を送り込んでくれば良いのだ。
だが、ロアーヌはそれが狙いだと言った。要は、不意を突く、という事である。援軍は後方からだ、と思わせておいて、実は南からやってくる。これは効果的な作戦である。特に攻城戦に取り掛かってからでは、野戦に対応しにくくなるのだ。
しかし、我らの不意を突くという事以外にも、何か裏がありそうな気がした。これは私の勘だった。官軍は前線の兵力を四万に減らした。これで私達は攻める気になった。だがそこに、サウスの援軍が表面に浮かんできた。これが何かを意味しているという気がする。フランツの軍の改革と、どこか結びつかないか。
「俺は軍人です。だから、サウスの気持ちが分かるという所があります。サウスは、南に飽き始めている」
ロアーヌが言った。
「南の敵が豊富であれば、サウスは動かなかったでしょう。ですが、今は違います」
「南の異民族よりも、我々の方にサウスは興味を持つ。そういう事か?」
「はい」
ロアーヌは、ほとんど表情を動かさない。ヨハンは、ロアーヌの事を心の中で多くを語っている、と評していた。しかし、私にはその心の声は聞こえなかった。そういう意味では、私はシグナスの方が親しみやすい。
「サウスは兵の調練で有名な将軍です。サウス自身も武芸の腕が達者で、それで南方の雄などと呼ばれているのですよ」
兵の調練で有名。これが、私の中で引っ掛かった。そして同時に、フランツの狙いが少し見えた気がした。
「サウスが援軍に来たとして、戦が終わった後、南に戻るかな?」
「さぁ、どうでしょうか」
「南の方が楽しめそうなら、南に戻るか?」
「はい」
ロアーヌはあまり多くを語らない。だから、私の方から質問する必要がある。ヨハンやシグナスは、こういう事が少ない。これはつまり、ロアーヌの心の中の声を読み取れる、という事だろう。
「逆に言えば、そうでないなら、都に凱旋する可能性もあるか」
サウスを楽しませる。フランツは、そう考えているのかもしれない。そして、都に凱旋させて兵を調練させる。これで官軍は相当に強化されるはずだ。だが、これは傲慢な考えだ。戦である。サウスが死ぬ、という計算をしていない。
「ロアーヌ、サウス軍を抑えられるか?」
「兵力によります」
「同数、もしくはその二倍として考えろ」
「できます」
「サウスを討ち取る事は?」
ロアーヌが少し考える表情をした。
「確実とは言えません」
「出来れば、サウスを討ち取れ」
「はい」
ロアーヌの返事は短かった。
サウスが本当に援軍で出てくるのかは別として、ロアーヌの献策は受けた方が良いだろう。フランツの狙いと、重なる部分が多くある。軍を二分するという事で、軍師も二人付けるべきか。すなわち、ヨハンとルイスの二人である。
ヨハンは計略に秀でた軍師で、ルイスは戦術に優れた軍師だ。組ませるならば、シーザー、ロアーヌはヨハン。シグナス、クリスはルイスだろう。クライヴは総大将で、二人の軍師の献策を執り分ける。
「ロアーヌ、収穫を終えたら戦だ。お前のスズメバチの遊軍、楽しみにしているぞ」
「はい」
相変わらず、ロアーヌの返事は短かった。